07.オレは見た
07.オレは見た
渡り廊下より少し奥まったところに、旧校舎の影になって、3人。いや4人。木崎ほどではなくとも、日牧よりは大きな者ばかりだ。 向こうからすると木崎の体に隠れて最初日牧が見えていなかったらしい。意外そうに1人がこちらに視線を寄越した。「あれ? なんか珍しいの連れてんなあ木崎。それもオレらの新しいおもちゃってこと?」 ギクリと強張る日牧以上に、意外にも木崎のほうが大きく狼狽えた。日牧の背中に手を回し、自分の死角になるよう前へ出る。「いやあんな小っせーの殴り甲斐ねーんじゃね?」「ギャハハハハ、確かに要らねーわ」「やっぱサンドバッグは大きいほうがいいよなー」「今日もおとなしく突っ立ってろよ木崎いー」 これ見よがしな大声で笑っているのが分かる。この手の輩は総じてわざと声を張り上げる生き物なのだろう。 木崎は半分だけこちらに顔を向け、彼らとは違う穏やかな物言いで日牧に告げた。「……日牧、ゴメン先行ってて」 行けるものならとっくにそうしている。だが日牧はその場に縫い止められてしまったかのように直立していた。足が動かない。手も口も、どこも。「日牧」 背中に置いていた手を、上級生たちとは逆方向へ押して、木崎は無理やり数歩日牧を歩かせた。よたよたと、硬直が溶けた体が僅かに前へ進む。「行って日牧、ここにいないほうがいい」 木崎は少しだけ微笑んでいた。「約束したのに、……ゴメンな」 そして悲しそうにもう1度詫びる。 あの旧校舎の角を曲がってしばらく行けば例のボイラー室がある。十中八九、これまで2度に渡りあの場所で木崎に傷を負わせたのはコイツらであろう。ということは3年か。受験や就活が控えているはずの身で何度も寄ってたかって1年を痛めつけるなんて、何を考えているのだろう。しかも1対多数でだ。「日牧、早く」 日牧を追い払うような仕草を見せる木崎だが、日牧は数歩のところで立ち止まったまま唇を噛んでいた。 たった今の3年共の悪党丸出しなクソ台詞を正確に回想してみたのだが、もしかしてもしかすると、木崎は悪くないのではないだろうか。「サンドバッグ」「突っ立ってろ」とほざいていたのを、確かに聞いた。 てっきり、ヤンキー同士の喧嘩だと思っていた。どちらが強いとかどちらが上だとか、くだらない見栄の張り合いによるお決まりの抗争のようなものなのだろうと。どちらも好きでやっているのだろうと。 しかし、それならば木崎がああも一方的な怪我をするだろうか。どう見ても木崎のほうが体格は良いし、子供の頃から柔道もやっていると言っていたはずだ。 まさか木崎、抵抗せずにいるのか……? プロの格闘家は自身の力を私怨には決して使わないと聞いたことがある。いやすまん、あんま知らん。そして木崎はプロではない。だがしかし、そうでもなければ「サンドバッグ」などという単語は出てこないはずだ。「……ひま、お願い」 木崎の低いけれど甘さを帯びたような声が、腰骨から頸椎までをビリッと貫くように響いた。「……木崎ん家、見たことありますか」 下を向いたまま、ボソッと日牧は呟いた。木崎も3年たちも、日牧の発言の意図がまったく掴めず一様に眉をひそめる。しかし日牧はややヘラついたような引き攣った笑いを浮かべて、旧校舎の奥へ顔を向けた。「コイツん家、道場とかあるんだぜ……? 人が叩きつけられる音や悲鳴みたいな奇声がずーっと絶えなくてさ。ちなみに家はその辺の寺や旅館なんかより全然デカい。変な壺とか彫刻とか、人間5人分くらいの大きさの巨石とかあって、すげー意味分からん」「……は?」「何言ってんだおまえ?」「……日牧?」 3年と木崎に怪訝な顔で聞き返されるが、もう止められない。あんなに固まっていた口が嘘のように滑らかに勝手に動いてしまうのだ。日牧は腕をブンブンと振り回した。「マジだからな! 部屋の数なんかそこの旧校舎並みにあんだぞ! 黒光りした柱や廊下を歩いたことあるか? しかも木崎のじーさんは、武道の達人だからな! 何だっけ? 猛者? 殺し屋? 死神? ……あ、師範だっけ?」 何を言っているんだオレは。ペラペラと自分でもよく分からないことを口走り続けていると、新校舎のほうからクラスメイトたちが何人か、胸元に教科書を重ねこちらへ歩いてくるのが見えた。もうすぐ次の授業が始まる時間になったらしい。 ガヤガヤと明るい雑踏が近づくのを確認して、3年たちは舌打ちをした。だが日牧は最後に彼らを下からねめ上げるように、恨みがましいおどろおどろしさを滲ませて付け加えた。「……オレは見たんですよ先輩。そして気づいたときには、床に倒れていたー……」 妙な緊張感に包まれる。ほとんど白目になって眼球を上向ける日牧の顔に、3年たちは困惑しているようだった。「あ、委員長ー」 そこへのんきなクラスメイトたちの声が被さってくる。「……っち」「何なんだよ……」「……行くぞ……」 捨て台詞のようなぼやきが聞こえ、ようやく奥にいた3年の存在に気づいた何も知らない彼らは飛び上がってビビっていたが、そのおかげなのかどうなのか、好戦的だったヤツらはこそこそと逃げるようにその場をあとにした。「日牧っ!!」 糸の切れた操り人形のようにグニャリと、日牧は手足の一切の筋力を失って座り込みそうになった。咄嗟に木崎が腕を取ってそれを支える。「うわっ……、委員長どうしたの?!」「大丈夫?!」 糸の代わりに数人の手に体重を預け、ガクガクと日牧は震えていた。しかし顔だけは笑っている。「へ、へへ……、何でもないよー」「な、何かされたのか? さっきの人たちに」「あれって、3年の……」「……知ってる、確か……」 クラスメイトたちはおそるおそる、だが静かな抗議の意思を明示して、木崎を見上げた。さらに新校舎からは次々と人数が増えてきている。ざわざわと各々不安を口にしながら日牧の、いや木崎のほうへと彼らは視線を集めた。「……あ、あのっ……! あ、あんま、委員長のこと……」 誰かが勇気を振り絞ったらしき声をあげた。それに続いて何人もが木崎を責め始める。「そ、そうだよ! 巻き込まないでよ!」「委員長はアンタと違ってまともなんだよ?」「委員長がやさしいからってさあ!」「勘違いすんなよ、委員長は皆にやさしいんだ!」 先にここへ着いていた面々を中心に、皆が木崎に非難の目を向けている。木崎は掴んでいる日牧の腕を見つめたまま、無表情でそれを受け止めていた。「むぁ、むえ、まま待って!」 頬まで震えてなかなかマ行が難しい。日牧は必死に笑顔を取り繕って、努めて朗らかに彼らを制した。「あの、あのね、木崎くんは悪くなかったんだよ! さっきそれがハッキリ分かったの。良かったー!って思って、安心したら力が抜けちゃって、へへ、恥ずかしー」「……えー……」「でもなあ……」 ゴニョゴニョと彼らは顔を見合わせているようだったが、時計はもう始業まで1分を切っている。とりあえず急がねばと、皆は腑に落ちない空気のまま移動を再開した。日牧は木崎に引きずられて。 だが、木崎の顔はいつになく曇っていた。----------「……日牧」 放課後、またしても靴箱で突然木崎に呼び止められて、日牧の心臓は停止しかけた。だから予告無く上から出てくるなと言っているのに。言ってないけど。「どうしたの木崎くん、途中までいっしょに帰る?」 ニコニコとスニーカーに足を突っ込みながら返事をする日牧。目線はあくまで足もとにある。 実は渡り廊下事件からほんの数時間だが、日牧はまともに木崎の顔を見られないでいる。木崎がやけに俯いているせいもあるけれど、日牧のほうも気まずい気持ちが拭えないのだ。 1回だけ、間違えて「オレ」って言っちゃったんだよなー。 長らく僕キャラで通してきたというのに、何というケアレスミス。あのときは考えるよりも先に声が出てしまったのだ。聞いたかな? 覚えているかな木崎? ちなみに木崎を呼び捨てにしていたこと、乱暴な言葉遣いが出てしまっていたことに関しては、日牧の記憶には残っていない。それだけテンパっていたということだ。「……日牧、話ある。ちょっとだけ、……時間いい?」 ひえぇ、久しぶりに怖いぞ木崎。枯れ葉よりもカラカラに乾ききった木崎の目は、どんよりと重く据わっていた。----------