番外編 ポカリスエット
番外編 ポカリスエット
初めて身体を重ねる夜。輝は、緊張していた。正確には、かなり緊張していた。はじめの部屋に来ることも、二人きりで夜を過ごすことも、もう珍しいことではない。付き合うようになってからは、触れることだって増えた。手をつなぐことも、抱き合うことも、キスをすることもある。なのに。今夜は、その先がある。そう思った途端、身体のどこかに力が入った。男同士のセックスって、どうすればいいんだ?そもそも、どっちが何をする?はじめさん、女性言葉だし。じゃあ俺が、入れる方なのか。いや、待て。どこに。どうやって。知識としてまったく知らないわけではない。でも、知っていることと、自分がすることは全然違う。失敗したら。そこまで考えた瞬間、ずっと奥へ押し込めていた記憶が蘇った。以前、付き合っていた女性と初めて身体を重ねた夜。緊張して、うまくできなかった。焦れば焦るほど身体は思うようにならず、結局、何もできないまま終わってしまった。そして、笑われた。あれ以来、セックスというものが少し怖い。また同じことになったら。はじめさんにも、がっかりされたら。。。「……輝。」「っはい。」「何、その顔。」「え?」はじめが、呆れたように輝を見ていた。「今から国家試験でも受けるの?」「いや……。」「こっち来なさい。」「え?」「いいから。」手招きされる。おそるおそる近づくと、はじめは少し考えてから言った。「正面と後ろ、どっちがいい?」「……何がですか?」「抱っこ。」「抱っこ?」「そう。いきなり顔見られるの恥ずかしいなら、後ろからにするけど。」輝は迷って、「……じゃあ、後ろからが良いです。」と答えた。「はいはい。」背中から腕が回ってきた。それだけだった。何かが始まると思っていた輝は、拍子抜けした。背中にはじめの身体がある。身体を預けると、腕が少しだけ強くなる。「……はじめさん?」「なに?」「俺、何すればいいですか。」「何もしなくていいわよ。」あまりにも簡単に言われた。「でも。」「入れるとか入れないとか、それがセックスの全部じゃないわよ。」「……そうなんですか?」「はぁ?」はじめが笑った。馬鹿にする笑いではなかった。ただ、そんなことを考えていたのか、と少し可笑しそうにしただけだった。「抱き合って気持ちいいとか、キスして嬉しいとか。それだけでもいいの。二人とも幸せなら、それで成立してるでしょ。」「……そういうもんですか。」「そういうものよ。少なくとも私はね。」はじめは、それ以上聞かなかった。輝がどうしてこんなに緊張しているのか。以前、何があったのか。何も知らない。ただ、何かに身構えていることだけは分かった。だから、急がなかった。耳に触れる。首筋に触れる。背中を撫でる。触れては離れ、また別の場所へ手を移す。そのたびに、輝の身体から少しずつ力が抜けていった。 熱い吐息が漏れてる。何かを求められている感じがしない。ちゃんとしなければ、という気持ちも、いつの間にか薄くなっていた。ただ、温かい。それだけだった。どれくらい、そうしていただろう。「……はじめさん。」「ん?」「今度、前からがいい。」一瞬、間があった。「はいはい。」向きを変える。今度は正面から抱き合った。近い。さっきまで見なくて済んでいた顔が、すぐそこにある。「……やっぱ恥ずかしい。」「自分で前がいいって言ったんでしょうが。」「そうですけど。」はじめが笑う。輝も笑った。それから、軽く唇が触れた。すぐ離れる。もう一度。今度は、ほんの少し長く。それ以上は急がなかった。こんなに近くにいると、呼吸が分かる。胸が触れるたび、身体の奥から小さな脈動が伝わってくる。自分のものなのか、はじめのものなのか、分からなくなる。でも。はじめの鼓動も、少し速かった。輝は、なんとなく安心した。この人も同じなんだ。余裕のある大人に見えても、何も感じていないわけじゃない。もっと知りたいと思った。輝は、はじめの頬へ手を伸ばした。触れた瞬間。今度は、はじめの身体がほんの少しだけ固くなった。「あっ。」「なによ。」「いや……。」輝は手を引かなかった。何もしない。ただ、頬を包んでいる。やがて、はじめの方から、その手のひらへ少しだけ頬を預けた。「……あったかい。」輝は笑った。また、軽くキスをした。その先の時間は、二人だけのものになった。誰かと比べる必要もなかった。何かを証明する必要もなかった。上手いも下手もなかった。二人が触れたいように触れて、欲しいものを少しずつ伝えて、それを受け取った。 「ごめん、ちょっとポカリ飲みたい。」 「ポカリ?」 「まぁ、お口とお腹の中の匂いがね。ちょっとマシになるのよ。まぁ、私はそのままでも良いんだけど。」 「匂い。。。」 「輝も飲む?新しいの、開けてあげるわよ。」 そして二人とも、ちゃんと満たされた。夜もずいぶん深くなっていた。布団の中で、輝ははじめにくっついたまま離れなかった。「……輝。」「はい?」「寝にくくない?」「平気です。」「私は寝にくいんだけど。」「そうですか?」「そうですか、じゃないのよ。」それでも、しばらくはそのままだった。やがて。「暑い!」はじめが輝の腕を外した。「もう離れなさい。暑くて寝られない。」「はい……。」眠そうな返事をして、輝が離れる。ようやく涼しくなった。はじめは目を閉じた。そのまま眠りに落ちて。どれくらい経ったのか。暑い。はじめは薄く目を開けた。また、いた。いつの間に戻ってきたのか、輝がぴったりくっついて眠っている。「……また来てるし。」返事はない。気持ちよさそうに眠っている。はじめは輝を見た。それから、枕元へ手を伸ばした。リモコンを取る。ピッ。冷房の設定温度を、三度下げた。リモコンを戻して、目を閉じる。輝は起きなかった。はじめも、今度は引き剥がさなかった。少しだけ涼しくなった部屋で、二人はまた、くっついたまま眠った。