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おやすみ、フブキ

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おやすみ、フブキ

[この世から消えたいの。]

真顔でそんな戯言を、少しも笑わず吐き出すお前が、あんまりわたしの心を引っ掻くから、わたしはついお前の手を引いた。

地獄に落ちたばかりだというのに、化けぎつねのわたしに目をつけられても、お前はちっとも怖がらずに、ただ胸の前に両手を置いて、諦めたみたいに微笑んでいたよな。そんなお前の表情が、気に入らなかった。

10月5日、昼のこと。

お互い人生1人きり。いや、1人と一匹。

生まれ落ちたその瞬間から忌み子扱い、いじめに虐待、心の安らぎは静かな午後の夕暮れと、たった一呑みで飲み干せるような量の缶ジュース。そんなクソったれたお前。

片や、化け物の集まる地獄の底でも、更に異常として蔑まれ除け者にされた、常に孤独で暴食にしか生を見出だせない、愚かで救えないわたし。

落ちぶれたというか、この世に生まれ間違えたみたいにどうしようもないわたし達は、一体どうすれば良かったのだろうか。

きっとお前は、[そんなの知らないわ]と鼻で笑う。

地獄のあっちこっちを、観光客気取りで馬鹿みたいに騒いで、大して面白くもない見慣れた地獄も、お前と共に回れば馬鹿みたいだけどなんだか退屈しないんだ。

人々の苦痛の叫びも後悔の嗚咽も、お前にとってはただの背景音楽でしかないし、景色を観ているようで実はわたしだけしか見ていない、お前の狂った目線に、わたしはとっくに気づいていたさ。

それがなんだか妙に心地良かった。なんてのは、気持ち悪いな。

ほら、例えば、懺悔する愚図が反省しました許してくださいって顔でわたし達を見ている。

お前は笑う、蹴りも殴りも唾を飛ばしもせず、ただ静かに笑っていたよな。わたしは怖いと思ったよ、でもお前に格好良く思われたくて、見栄を張りたくて、なんてことないような顔をして、わたしも笑った。

もしかして、お前はわたしのちっぽけな見栄っ張りにも気づいていたのだろうか。いいや、そんなことはないと思いたいのだが。

落ちたら終わりの奈落直行、死の崖も、わたしとお前が並べばまるで遊園地。

愉快で荒々しいアトラクション、順番待ちも入場料も、影で笑う耳に張り付く声もない。

ここは地獄。わたし達の遊び場。

かといって、人間のお前にここは毒だからな。そう、長くは居られないことはわかっていた。それはお前も薄々感じていただろうな。歩いているだけで鼻血が垂れて、頭痛に座り込んで、顔色が真っ白で、お前が弱っているのは一目瞭然。

でもわたしは化け物だから、化け狐だから、死にかけてるお前の手を引く。というか、どうせ地獄から出るには地獄の最果てにある、境界線の別れ道の、現世との繋ぎ目の方まで歩いて行かなければならない。

まあ、わたしはそっちには行けないが。けれどこれは、親心だろうか、恋心だろうか、それとも単なる気まぐれか、お前をこのまま死なせたくない。

死にかけのお前の手を引く。もう喋る気力だってないくせに、わたしに軽い冗談を言ってのけるお前に、わたしは呆れながらもどこか救われた。

可笑しいよな、救われたいのはお前の方だろうに。わたしは五体満足のくせに、死に体のお前に励まされた。

遂には動けなくなったお前を背負って、わたしはひた歩く。お前の微かな呼吸音と、弱くなっていく心音が、わたしの耳には最悪な音楽のように届いたよ。

ああ、ほら、見えてきた。幻想的な桜の大樹のその下の、運命の別れ道。

片や現世への一本道、片や生まれ変わりの崖っぷち。

前者はそのまま現世へ帰り、後者は今とは違う存在となって現世へ帰る。

残念ながら、わたしはここまでだ。そう言うと、弱々しい力でしがみついてくるお前に、わたしはどうすることも出来ないけれど、別れ道の説明を施す。

右は現世に、左は生まれ変わり。

お前は問う。[黒ちゃんはどうするの?]

わたしは言う。[わたしは、どこにも行けないが、左の道になら進める]

[けど、お前が選ぶのは右だろう。]

お前は、短く笑って、死にかけの体で、わたしの手を引いたよな。

[もういいわ、人間になれなくても!]

わたしの手を引いて真っ逆さま。落ちる、落ちる、暗闇に、左の生まれ変わりの奥底に。

寂しさも、孤独も、永遠も。きっとその全部をわかちあえることなんてないだろうけど、わたしはお前とわかちあいたいと思ったし、お前もそうなら良いな。

浮遊感に全身を包まれて、お前と手を繋ぎ合う。まるで恋人みたいにさ、見つめ合って身を投げる。

でも、人間と化け狐の転生なんて、許されることじゃない。

生きたまま地獄に迷い込んだ人間と、怠惰な地獄の化け狐。

歪で、ガラクタみたいに有耶無耶なわたし達は、きっと正しく生まれ変わることすらできない。

それでも良いよな。

例え人間でなくても、どんな出来損ないに産まれても、お前と2人なら構わない。

お前も、そうなのか?

そうだな、わたしは化け狐。結局人の心はわからない。けれどお前のことならさ、なんだかわかったフリが自然なんだ。

きっとわたしに見えているお前は、わたしの思い込みに覆われたお前だし、お前に見えているわたしだって同じなのだろう。

そうだ、2人は、一緒に。

除け者のわたし達を受け入れない世界に、吐き気は止まない。

それでもなんだか、2人なら、乗り越えられる気がするんだ。

[……黒、ちゃん……?]

わたしの目の前に立ち、真っ直ぐわたしを見つめるお前。

――フブキ。真っ白な髪色で、綺麗な瞳で、でも何故か狐の耳が生えている。わたしと同時に転生した名残だろうか。

わたしの体も、より人間に近づき、狐耳と尻尾以外は、もうほとんど力の強いだけの人間と変わらない。

わたし達は顔を見合わせて、思わず抱き合った。

ここが現世で、わたし達はお互い、獣人という存在に生まれ変われたことが、なんとなくわかった。

ああ、大丈夫だ。きっと全部なんとか出来る。わたしと、お前なら。

わたし達は手を繋ぐ。希望を胸に抱いて。

空を見上げた。これから先に広がっているはずの、まだ見たこともないような幸福が、わたし達を待っているようにと願いながら。

……けれど、そんな突発的な、思いつきと変わらないような計画性のない行動が、上手くいくはずもなくて。

金もない、戸籍もない、獣耳と尻尾の生えた、異形のわたし達を、受け入れる世界でないのは明白で。

路地裏で人を襲って、小銭を稼ぐ日々。表通りは歩けやしない、わたし達を見られればもうそれで終わり。

したいことは全部やった。他人から奪った金で、気兼ねなく、好きに自由に。

わたし達は2人きり。飯を食うのも小銭稼ぎに人を襲うのも、ゴミ捨て場で寝るのも、全部2人きり。ずっと一緒。

これが望みだったのだろうか。人目のつかない薄暗い日陰で、泥水を啜って虫みたいに惨めに生きるのがわたし達の願いだったのだろうか。そもそもわたし達は、いつも何かを願っていただろうか。

幸福になりたいと思うだけで、わたし達はいつだって、不幸を嘆くだけだったではないか。

人を殴って、獣人の力で、元化け狐の力で、殺す。頭をくるみ割り器みたいに一発で叩き割って、腹を拳で貫いて、吹き出た鮮血すら飲み物にして。

嗅ぎつけた警察に追われて、フブキの手を引く。走れ、走れと叫んで、なんとか逃げおおせる。ろくに寝れやしない、いつ襲われるかもわからない。敵だらけだ、当然、フブキとも何度もすれ違って、喧嘩ばっかり。

そんな生活続くわけがないし、続いて欲しいともわたしには願えない。何も語らずお前と背を向けあって眠るのは、もう飽き飽きだから。

逃げるのもそろそろ限界だ。現世じゃ獣人なんて未確認生物だろう、混乱した警官達に、銃弾も撃たれ、わたし達はもう限界だった。指定手配なんてのもされて、わたし達の写真が全国に報道されて、もう食料の人間を満足に狩ることすらできなくて、残飯と虫を食べて生活する日々。

ある時銃弾がフブキの足を撃ち抜いて、わたしはフブキを背負って逃げたのだが、ふとこのまま逃げるのを辞めて立ち止まったら、フブキと一緒に死ねるのかもしれないと思ったが、どうせフブキと生まれ変わったってまた同じ事の繰り返しだろうと決めつけて、わたしは再び逃げ出す。

こんなことに意味はあるだろうか。この世に神様が居たとして、こんな欠陥品を作って、神様はなにがしたかったのだろうか。

わからない。わかりたくもない、きっと気色の悪い答えだとわかっているから。

[黒ちゃん、ごめんね……]

12月1日。

星の降り注ぐ夜空を見上げながら、わたし達は人気のない廃墟の建物の中で、寝転んでいた。

もう何もしたくなくて、限界だったから。

[わたしが、あの時貴方をこっちに引っ張っていなければ……]

[それは、あれか。わたしと一緒に来たのは間違いだったってか?]

フブキの息を呑む音がして、

[……うん。

ごめんね、黒ちゃん。わたしは今不幸だよ。]

[わたしの両親を黒ちゃんが殺してくれた時。わたしとっても嬉しかったの、その時は。

でも今は、後悔ばっかり。]

[ごめんね、黒ちゃん。わたしは黒ちゃんが思ってるよりずっと、普通の人なんだ。

ただ不幸なのを生まれのせいにして、幸せになる努力もしなかっただけの子供なんだ。]

[……ごめんなさい]

フブキはそう言って、口を閉じた。

どうすれば良かったんだろう。なんて自問自答したいけど、それがわからないからこうなったのに、わたしなんかにわかるわけがない。

この世界の大抵のことは自業自得。

だから、わたしもフブキも、不幸なのは自分のせい。自分の積み重ねた選択のせい。怠惰と嫌悪と自虐の諦観が、わたし達をこんな地獄に突き落としたのだろう。

[……フブキ。]

[お前は、誰も殺してない。まだ……戻れるかもしれない。]

星が空を泳いでいく。地獄では見れなかった幻想的な夜空も、なんだかあまり心には響かなかった。

[何言ってるの、黒ちゃん……]

[お前だけでも生きろ。

わたしは、お前が生きてたらそれでいい。]

[良いわけないじゃん。黒ちゃん、そういうの辞めて]

遠くでクラクションの鳴る音。冷たい風が、わたしの肌を刺す。

[でも、もう限界なんだ]

[そんなこと、言わないでよ]

フブキが、わたしの体に覆いかぶさる。押し倒される形になったわたしは、フブキを見上げるしかない。

[黒ちゃん……言って。

一緒に死のうって、言って]

星空の光が、フブキの背に光を落として、影でフブキの顔は良く見えない。

息も詰まるこんな暗闇で、フブキはどんな顔をしているのだろうか。

一緒に死のう、なんて、そんな愛の告白みたいなことを言われたのはもちろんわたしの長い生でも初めてだった。

[……フブキ、お前は生きろ]

[いやだ、黒ちゃんと一緒がいい]

[ふざけんな]

[ふざけてるのはそっちでしょ……!]

フブキが声を荒げて、

[そもそもっ……!黒ちゃんが、地獄でわたしを見つけたから、こんなことになったんでしょ……]

[……はあ?]

フブキの胸ぐらを掴み、わたしも声を荒げ返して、

[ふざけんなよ……お前がわたしの手ぇ引っ張って一緒に落っこちたのが悪いんだろうが。

お前があんなことしなきゃ、わたしはこんな面倒な役回りをせずに済んだんだよ]

[……っ]

わたしの上から、崩れ落ちるように退いたフブキは、隣に座り込んで膝に顔を埋めた。

[……ごめん]

[……いや、わたしも悪い。今のは。]

[そっか。]

[最低だね、わたし達]

[……ああ、そうだな]

自然と手を繋いだ。理由はわからない。ただ、気づけば二人とも、手を伸ばしていた。

[……ねえ、黒ちゃん]

互いの手を握る。まるで煙みたいに消えてしまいそうな体温を。

[もしわたし達が離れ離れになっても……10月5日になったらお互いのこと思い出そうね。]

[……死んでもか?]

[うん、約束。]

[そうか、わかった。]

ため息を吐く。冷たいのか暖かいのかも、もうわからないほど沈みきった体が、更に重くなった気がした。

フブキが咳込んで、床に赤が染みた。

[……これから、どうしような。]

[そうだね。]

2人で手を繋いだまま、寝転んだ。

雲が空を覆い隠して、星明かりすら無くなった。街灯も切れていて、もうわたし達は、互いの顔を見ることもできない。

[黒ちゃんは、どうなると思うの?]

[嫌な質問だな]

[あはは、そうかな?……そうかもね]

[ああ。]

[少し考えてみたんだが……多分、裕福な暮らしはできなくても、それなりに充実した日々は送れると思うな、わたしは。]

[例えば夕方の日が沈み出す頃くらいにわたしが仕事から帰ってきて、夜勤の為に支度しているお前と顔を合わせるんだ。]

[どっちも共働きで劣悪な労働環境の中で働いているから、きっと2人の会話だって上手く行かなくなって少なくなるし、気づけば仕事の愚痴と喧嘩だけで一日を終える日もあると思う。]

[もちろんそれはすれ違いの連続の日々だし、当然金だって貯まるわけがなくて、ガスも水道もいつも止まっているんだろう。それにどっちかが仕事で大怪我でもしたら大変だな。治療費なんて払えるわけないし、保険にだってろくに入れてない。そもそも、獣人なんて恐ろしい生物を受け入れてくれる病院もないかもしれない。]

[だからお前はそのうち、身長が高くて稼ぎもちゃんとしてる、少し遊び癖のある体格の良い男と付き合って、わたしを捨てるんだろう。そしてわたしは1人になって、居なくなったお前を想う日々になると思うんだ。]

[あれ?なんか全然楽しくないな、こんな日常。どこで間違ったんだろうな]

[でもきっと、こうなるんだろうな。]

[……フブキ?]

隣のフブキの肩を揺する。反応はなかったから、もう少しだけ強く揺すったけれど、やはり何の反応も示さなかった。

[……なんだ、寝てるのか。驚かすなよ]

[……今、何時なんだろな。

フブキは冷たいな。氷みたいだぜ、今のお前]

[聞こえちゃいないか。寝てるもんな]

[……おやすみ、フブキ。

また明日。]

☆

目を開ける。いつの間にか地面に横になっていたらしい。眠たげに閉じようとする瞼を擦って、身を起こす。

ふと、握っていた筈の手の感触がないことに気づいた。

辺りを見渡す。廃墟の建物には、置き去りにされた木材や、建築に使われていたのであろう小道具達が散らかっていて、まるでひとつの玩具箱のようだった。

立ち上がる。あてもなく、なんとなく歩いた。

白い面影を探して。

麻の縄が見える。天井から垂れた、粗の酷い縫い目の。

黒色の服。狐の刺繍の入った、2人で買った。地味だけど、なんとなく気に入ったもの。

真っ白な髪が重力で下に垂れていて、狐耳が力なく倒れていた。

ソレの前に立つ。ソレは首に麻縄を巻いていて、宙吊りだった。

わたしはソレの縄を解いてやり、ゆっくりとソレを、床に寝かせた。ソレの真っ白な髪が、床に広がる。

わたしもソレの隣で、横になる。

[……フブキ。]

[わたしさ、地獄でお前と一緒に馬鹿やってる時が、今までの中で一番幸せだったよ。]

[もしかして、お前もそう感じてくれていたのか?]

[……]

[もっと普通に暮らしたかったな。映画館とか、海にも行ってみたかったし。

もっと普通の2人で。]

ゆっくりと、瞼を閉じる。あまりに自然に、舞台に幕が降りるように。

[……そろそろ、お別れだな]

隣のソレの、フブキの、手を握った。

[次なんてないと良いな。もうこんな地獄は味わいたくないからさ。

だからもう――]

[……おやすみ、フブキ。]