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第十章24 『一番いい奴』

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第十章24 『一番いい奴』

窓から飛び出したナツキ・スバルが、車列後方で起こった事故現場に駆けていく。

その足取りに迷いはなく、颯爽とすら言える。――誰かの命が脅かされたとき、それを助けるのを至極当然と、そう考えている人間の背中だった。

「馬鹿な」

呼びかけを振り切り、後先を一切顧みない判断を下した黒髪の同行者を、ラッセル・フェローは信じ難いものを目撃した目で見送るしかない。

それは、同行者の考えが理解できなかったのもある。散々、自分たちの行動の重要性を説き、優先順位の何たるかを言い聞かせたはずだという自負もある。

だが、それ以上に――、

「――『白羊』、何故止めなかった!」

状況を合理に進めるため、懐柔を指示した『白羊』の真意をラッセルは問う。

『白羊』は確かに、同行者の手に手を重ねていた。引き止める言葉も放った。にも拘わらず、同行者はそれに従わない――否、絆されなかった。

「あなたもわかっているはずだ。今、最も優先すべきことが何なのか。私たちの時間は一秒たりとも、そのため以外に使われるべきではないと。それを――」

「――りました」

「なに?」

掠れ、正しく聞こえなかった声に眉を潜め、ラッセルは『白羊』を見る。

同行者の飛び出していった窓を向き、相手に振り払われた手を胸に引き寄せる『白羊』が振り返った。――その金色の丸い瞳に、大粒の涙を湛えながら。

「わたし、やりました。スバルさんに、ちゃんと……でもっ、スバルさんは飛び出していって……そういう人だってことですっ」

「そういう……?」

「『銀狐』にも言ったはずですっ。わたしにできるのは、元々ある気持ちを動かすことだけ……その人が絶対にやらないことはさせられませんっ!」

「――――」

「い、今すぐスバルさんたちを追いましょうっ。わたしたちも怪我した人たちをっ」

涙目と涙声で訴える『白羊』に、ラッセルは口元に手を当てる。

その細められた双眸の奥で、この世のあらゆるものの『価値』を見定める加護が、組み立てていた様々な策謀を組み替え、織り直していく。

正解そのものは見えない。――ただ、正解に最も近い選択を。

「なんだなんだ、ご機嫌上機嫌な状況って感じだな? どうせ揉めるなら、口じゃなく手を出せよ。何なら言い合いじゃなく殺し合いだ。くはははは!」

「『黒狗』……」

「お? どうしたこうした、そのツラは。まさか人肌を合わせなくても、涙で相手を懐柔できるようにでもなったか? 通用するのは男だけだぞ。しかもオレは例外だ」

そう言い捨てたのは、堂々と竜車に乗り込んでくる『黒狗』――黒衣と仮面を脱ぎ、その素顔に黒いスーツを合わせた、たくましく精悍な顔つきを歪めた男だった。

『黒狗』は向かい合うラッセルと『白羊』に肩をすくめ、手近な席に乱雑に座ると、

「で、もたもたうだうだ何してるかと思いきや、まさかあんなガキに手を噛まれてるとはな! せっかく出られるようにしてやったのに、人の努力をふいにするなよ」

「出られるように? ……まさかっ」

「おいよせやめろ、なんだその目は。オレは車軸を一本壊しただけだ。騒ぎをでかくしたのはビビった地竜の仕業! それもこれもあれもぜーんぶ、お前のためにやったことだ。――くははは、嘘だ」

「――っ、『銀狐』っ!」

座席で足を組み、露悪的な笑みを覗かせる『黒狗』から視線を逸らし、『白羊』がラッセルへと義憤に燃える目を向ける。

その誠実な怒りを向けられながら、ラッセルは口元に当てた手を下ろし、

「――出しましょう」

「ほ、本気ですかっ!?」

信じられないと目を剥く『白羊』に、ラッセルは首肯する。

「元々、クルシュ様の確保が最優先。他も確保できるならしておきたかったが、伸ばした手を落とされては元も子もない。――『青蛇』を手放すと、確かめたかったことが試せなくなるのが惜しいですが」

「だーかーら、言ったろ教えたろ? 下水で焼いておけば後腐れなかったんだ」

「議論の余地のない話題まで遡るつもりはない。時間が惜しい」

方針を決め、ラッセルは『白羊』に背を向ける。その背中からはすでに、事故現場に向かった同行者への意識が切り捨てられていた。

その背中に、『白羊』は覚悟の表情で手を伸ばそうと――、

「待てやめとけ」

そう言って、伸ばされる長い足が『白羊』の道を遮った。

座席にだらしなく座った『黒狗』は、その妨害に唇を噛んだ『白羊』を睨み、

「自分で言ったんだろうが。そいつがしないことはさせられねえ」

「でもこんな……っ」

「だから泣くなよ、煩わしい。クソ野郎の機嫌に配慮したわけじゃない。別にお前が何かする必要はないかもそうかもってだけの話だ」

「――――」

わからない、と目を瞬かせる『白羊』に肩をすくめ、足を投げ出したままの『黒狗』が手を持ち上げ、竜車の後部――否、事故現場の方を示す。

そして――、

「――大騒ぎ空騒ぎの質が変わった。なら、方針はどうなる? くはははは」

△▼△▼△▼△

塵と埃が舞い上がり、今も半欠けの建物の倒壊の危機にある事故現場。

落ちてきた天井、その木材に体を貫かれた重傷者には意識がなく、その傷は誰の目にも致命傷。――そこに居合わせ、治癒魔法をかけ続けるのが彼でなかったなら。

「――フェリス?」

片手でフードを外し、顔を見せた相手――フェリスの存在にスバルは瞠目する。

ほんの少し前にも、彼のことを考えたばかりだった。ひどく辛い目に遭い、しかしスバルの差し伸べた手を傲慢だと拒んだ彼は、今どうしているだろうかと。

それがまさか、『青蛇』を名乗り、同じ一団にいるだなんて思いもしなくて。

「何してるの!? ちゃんと耳ついてる!?」

「――っ」

「命の前で棒立ちになるな! ここで人が死ぬなら、助けられない私たちのせいだ!」

その再会の衝撃を、他ならぬフェリス当人の言葉に打ち破られる。

必死の叫びで我に返ったスバルは、直前のフェリスの指示――重傷者の体に刺さった木材を抜くために、抱き上げているベアトリスを地べたに下ろし、

「いけるか、ベア子!」

「任せるのよ。――ムラク!」

マクマホン邸と下水道の連戦に、不十分なインターバル。最悪のコンディションだろうに、それをちらとも見せないベアトリスが陰魔法を発動、標的を軽くする。

「上げるぞ! 準備は!」

「できてないって奴がバカ!」

「口が悪ぃ! ――ぬ、ぐぐぐぐ!」

フェリスと怒鳴り合いながら、スバルは軽くなった木材を慎重に持ち上げ、重傷者を貫いたそれを引き抜いていく。嫌な感触と音、さらに大量の血が噴き出す。

だが、傷からそれが抜かれた瞬間、フェリスが本領を発揮する。

「大丈夫。今、治してあげるから」

――瞬間、溢れたのはあまりにも優しい、青の光だ。

「なんて……」

その光を目の当たりにし、言葉にならない呟きがベアトリスの唇から漏れる。

大精霊であり、自分でも治癒魔法を使えるベアトリスですら呆気に取られるそれは、フェリスが『青』と呼ばれ、比較対象のいない天才とされる理由の全てが詰まっていた。

以前と同じ――否、明らかに、それ以上の練達に達した奇跡の治癒術だ。

「――――」

その光景を目にしたのは、悲劇を覚悟で現場に乗り込んだ善良なものたち全員だ。

一様に、奇跡に目を奪われる彼らの気持ちがわかる。もうダメだと思った致命傷が、後遺症が残るだろう深手が、残酷なエンディングが、光に塗り替えられる。

それはまるで、後世に宗教画として残されるような一場面だが――、

「――みんな! 連れ出せる怪我人を連れ出し、一ヶ所にまとめろ! 重傷者と、頭を打った人優先だ! 自力で動ける人は、建物の外に!」

その、奇跡に動けなくなる人々を、スバルは声を張り上げ、現実に引き戻す。

ここにフェリスがいる。これは奇跡だ。バカヅキだ。それを、全力で使い倒せ。

「みんな助けられるぞ! ここに最高の治癒術師がいるんだ!」

スバルの決死の声に目を見張り、彼らは顔を見合わせ、「おお!」と力強く応じた。そのまま倒れた人や、瓦礫に足を挟まれた人たちの救護作業が始まる。

それを見届け、スバルは手の甲で目元を拭い、

「フェリス、みんないける! 手伝うぞ! 何すればいい!?」

「邪魔しないで! 言う通り動いて! この人押さえてて!」

「お前、この野郎……これ全部済んだらめちゃめちゃ言い返すから覚えてろよ!」

皆へのスバルの説得も知ったことかと、フェリスの意識は命に全集中――事実、口の悪さはともかく、フェリスの腕と判断の的確さはピカイチだ。一目で緊急性の高さで負傷者に優先順位をつけ、それに準じた出力の治癒魔法で、片っ端から命を拾う。

「晩飯時のレストランか……巻き込まれた人が多いわけだ」

被害現場の状況がようやく見通せるようになり、スバルは土埃まじりの唾を吐く。

竜車による道の混雑もあり、店内に留まったものも多くいたのだろう。それ故の負傷者の多さだが、幸い、スバルの目の届く範囲に即死したものはいない。

そして、即死したものがいないのであれば――、

「――死なないよ。ちゃんと、うちに帰れる」

溢れる快癒の光が、その命を脅かす傷をことごとく癒し、取り除いていく。

全員を救う。意気込みだけでなく、それが確かな現実として手応えを――、

「――っ! おいあれ!」

不意に、その希望と相反する声が聞こえ、スバルは弾かれたように顔を上げる。

救護を手伝う衛士の一人、彼が指差すのは半欠けのレストラン――そのひび割れた柱にかろうじて支えられていた、半壊した上階だった。

危うい均衡の上にあった屋根梁が断末魔の声を上げ、建物の二階が傾く――その下には治療中のフェリスも、負傷者もいる。建物の上半分が落ちれば、誰も助からない。

そう思った直後、スバルは――否、走り出したのはスバルだけではなかった。

「――っ!」

年嵩の衛士が、その部下が、救助を手伝っていた市井の男が走り出していた。他のものたちも身を起こし、体を持ち上げ、動こうとしていた。

それを横目に、強く強く奥歯を噛みしめて、スバルはがむしゃらに叫ぶ――、

「――ベアトリス!!」

「これで本気のガス欠なの、よ! ――ムラク!!」

両手をかざしたベアトリスにより、建物の崩落部分が淡い紫の光を宿した。

だが悲しいかな万有引力は、重さを変えようと瓦礫の落下速度も、危険性も失わせてはくれない。あれほどの質量が導く結果は同じ。――そこに、滑り込む。

「ぬが……っ!!」

ギリギリで瓦礫の下に間に合ったスバルが、吊り天井の罠にかかったみたいに、落ちてくる破片を支えるポーズになる。スバル一人では無理だ。一緒に走り出した衛士たちが遅れて瓦礫の下に入り、全員一丸となって支える。

「ぐぎ……! 今の、うちに、下の人たちを……!」

血を吐くような心地で、スバルが瓦礫を支える全員の総意を訴える。それを聞いて、出遅れたものたちが負傷者を、フェリスを引っ張って連れ出していく。

それが完了するまで、何としても耐える。――そう、奮起するスバルに、

「……しかし、兄ちゃんはいつもでかい声出してるな!」

「あ? って、あんた……!」

全力で踏みとどまりながら、スバルは隣で同じく瓦礫を支える相手に気付いて驚く。

それは知った顔――王都でたびたび縁のある果物屋の店主、カドモンだったのだ。

「――――」

その思わぬ再会に目を見張り、同時にスバルは焦りを覚える。

『認識阻害』ローブの効力は万能ではないと、ラッセルにされた注意をさっそく破った。スバルを知るカドモンには、ここででしゃばったことで正体が露見したのだ。

しかし――、

「そんな顔するな。ここで人助けしてることが、俺の見た兄ちゃんの真実だ」

そう言われ、スバルは思わず、腕から力が抜けかけた。そのせいで負担の増えたカドモンたちが「ぬおお!?」となったので、慌てて力を込め直したが。

驚いた。正体がバレて、もうダメかと。――でも、戻ってきて、よかった。

「全員出た! みんな、せーので一回だけバンザイだ! 奥に落とすぞ!」

軋るほど奥歯を噛んで耐え、全員で声を合わせ、「せーの!!」と吠える。

渾身のバンザイで投げ落とすのは、ほとんど建物の二階から上丸々だった。それが全員の手から離れた瞬間、魔法の効力が切れ、元の破壊的重量を取り戻す。

「出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ――!!」

爆発的重量感の破砕音を背後に、瓦礫を支えていた一同が全力で退避。殺意さえ感じたそれから転がるように逃れ、実際にひっくり返る。

そのままゴロゴロと転がり、地べたに大の字になりながら、粉塵塗れの天を仰ぐ。

「はぁ、はぁ……ど、どっこも、挟まれてない……か?」

「安心して、いいんじゃないか? 最高の治癒術師がいるんだろ?」

「仮に治せたとしても、もげた手足と向かい合わせたくねぇよ!」

そう声を荒らげるスバルの横で、同じく転がるカドモンが「違いない」と笑う。その笑いは他のものからも聞こえ、どうやら、瓦礫支え組全員、無事のようだ。

何とか、これで一仕事片付いた――とはいかない。

「まだ、フェリスの奴が一人で奮闘してる。その手伝いに……」

「――ちょっと、それが難しいかしら」

怠けたがる体を無理やり起こしたスバルは、その声に「あ?」と振り返る。

声の主はベアトリス、含まれた感情は緊張、その意味がスバルにもすぐにわかる。事故のあったレストランの外の通り、そこには負傷者が一斉に運び出されている。

その中心で、なおもフェリスは彼らの治療に励んでいるというのに――、

「――謀反人、クルシュ・カルステンの一の騎士、『青』のフェリックス・アーガイル。あなたに王城への出頭命令が出ている。即時、従ってもらおう」

フェリスを取り囲んだ騎士隊が、物々しく彼に剣を向けていたのだから。

△▼△▼△▼△

「――――」

およそ、三十人ほどの騎士隊は、全員が騎士団の所属を示す白い制服を纏っている。その、あまりに道理に合わない光景に、スバルの意識が白い空白を生んだ。

事故現場の目の前で、救護中の治癒術師に、騎士隊が剣を向ける? ありえない。

「ば……何を言っている! 命令!? 状況を見ろ!」

「そうだ! その人は怪我人を治療してる! その人がいなかったら……」

「――抗弁は認めていない! こちらも王都の重大事だ。事故対応には衛士隊が当たれ。我々騎士隊は、我々の任を果たす!」

スバルに代わり、その異常にカドモンや年嵩の衛士が抗議の声を上げた。だがそれは、騎士隊を率いる長髪の指揮官のつんざくような怒声に塗り潰される。

それにより生まれる一拍の間隙、その間に指揮官が鋭い視線をフェリスに――騎士隊に目もくれず、治癒魔法を発動し続ける彼の背に向け、

「命令だ! 手を止めろ、騎士フェリックス! 主共々、王国への重大な叛意を疑われる身で、治療など任せられるものか! 治療対象に何をするか――」

「――っ、ふざけてんじゃねぇぞ!!」

瞬間、フェリスにぶつけられた許し難い暴言に、スバルが激発する。

思わずその場に飛び出し、スバルはフェリスの背中と騎士隊の間に割り込んだ。そして剣を向けてくる騎士たち――否、騎士とは呼べないものたちを睨みつけ、

「フェリスがどんな気持ちで治癒魔法の腕を磨いたと思ってやがる! 才能だけだと思ってんのか? 人を助けたいからに決まってんだろうが!」

「――――」

「そのフェリスが、怪我した人に何するかわからねぇ? わかるだろ! 治療だよ! 命救ってんだよ! 今にも死にそうな人を助けてんだよ! これ以上ないくらい、誰の目から見てもはっきりわかる、一番いい奴がすることだろうが!」

声を嗄らし、目を血走らせ、何故こんなこともわからないのかとスバルは吠える。

直前に体力を使い果たしたと思えないくらい、身振り手振りを入れ、当たり前の感情を爆発させて、騎士隊一人一人の顔を見据えて、全身全霊をぶつけた。

「兄ちゃん……」

そのスバルの激昂を見て、カドモンがそう弱々しく呟く。

彼や衛士隊、事故現場にいたものたちにはわかり切った話だ。そして、騎士隊の中にもその瞳と表情に迷いが生まれ、剣先を揺らすものがちらほら見える。

だが、そうした真っ当な感情の揺らぎを――、

「――誰かと思えば、謀反人の協力者であるナツキ・スバルか」

憎悪に濁った眼をした、騎士隊の指揮官の一言が頭から押さえつけてしまった。

ナツキ・スバルと、そう指揮官が口にした途端に、騎士たちが目を何度も瞬かせ、目の前にいるスバルの存在を正しく認識する。――『認識阻害』を突破された。

そうして、もっともらしいことを言ったのが手配犯だとわかってしまえば、騎士たちの揺らぎは使命感に押しのけられ、先ほどと同じ――否、それ以上の緊張が生まれる。

「スバル……」

正体がバレ、剣を向けられるスバルの手を、寄り添ったベアトリスが握る。だが、さっきの建物の倒壊でマナを使い切った今、この場を切り抜ける術がない。

「せいぜい、インビジブル・プロヴィデンスでリーダーの横っ面を殴るぐらい、か。……悪い、フェリス。火に油注いだだけで」

「――。うっさい。期待してないから」

「たはは」

「でも、お喋り得意でしょ。限界までおちゃらけて引き伸ばして。一人でも多く助ける」

互いに振り返らず、背中を向けたままでそう言葉を交わし、スバルは毒づくフェリスに内心で苦笑しつつ、覚悟を決める。

相手はクルシュの情報を欲しがっている。この場では殺されないはずだ。ならば、口八丁手八丁、魔法が使えないなりのナツキ・スバルの戦いを――、

「あなた……いや、お前の危険性は十分わかっている。王国を無用の混乱から救うため、ナツキ・スバル、お前はここで……!」

「って、待て待て待て! それは買い被りすぎだ! そもそも、謀反だって……」

「黙れ! 全ては王国のためだ! お前の、そのよく回る口を――」

「――嘘の風が吹いているぞ」

――瞬間、凛とした一陣の風が吹き抜けた。

△▼△▼△▼△

「――フェリス」

「――。はい」

「負傷者を全員治療しろ。いずれも大過なく、元の生活に戻れるように」

「言われなくても、そのつもりです」

「そうか。ならばいい。――その時間は、私が用意する」

交わされた言葉は多くない。だが、二人にはそれだけで十分だった。

お互いがお互いに、その能力を相手以上に把握している二人には、それだけで。

「――――」

金色の『龍眼』、その輝きが宙に光の線を引き、俊敏な動きで騎士隊を翻弄する。騎士たちは同士討ちを避けるために展開、息の合った連携を見せるが――、

「視えているぞ」

隙間なく迫ったはずの剣嵐、その針の穴ほどの隙間に細身の剣の先端を入れ、強引に道を切り開いた『戦乙女』――クルシュの剣閃が躍り、騎士たちが剣を取り落とす。

苦鳴を上げ、腕を押さえて下がる騎士たちは、いずれも手首や指の付け根に浅い傷を受けて、継戦能力を奪われる形で脱落していく。

それは、無用に命を奪わない不殺の剣――かと思いきや、

「卿らは本物か? 偽物か?」

「――っ」

「両端の二人は良し、奥に下がった卿は悪し。――逃げ場はない」

無情の宣告の直後、下がった騎士が剣を持たない方の手をクルシュに向け、瞬間、魔法の発動する気配が空間を歪ませた。

だが――、

「無駄なのよ」

傍らのベアトリスの呟き、それがクルシュの剣閃――発動前の魔法を斬る絶技によって証明され、目を見張った騎士がそのまま袈裟斬りの斬光を浴び、倒れる。

一瞬、引き止める言葉を口にしかけたスバルだが、事情を知った上で注意深く見れば、クルシュの与える慈悲と無慈悲に、正しく根拠があるのがわかる。

騎士隊の中にはクルシュの制圧を目的としたものと、明らかに殺害を目的としたものが入り乱れている。――ここまでクルシュが斬ったのは、いずれも後者だ。

さっきの騎士隊の指揮官の暴走からも、そこに何者か――カペラの関与は明らかだ。

そしてその最悪の権能の関与を、クルシュの加護は正しく見抜くことができる。

「しかも、俺の勘違いじゃなけりゃ……屋敷でより強くなってる?」

「間違いじゃないかしら。あのときより、眼を使いこなしているのよ」

無駄なく、容赦なく、遊びのない剣を振るい、騎士隊を、カペラの関与のあるなしに戦いながら選り分け、倒し方すら取捨選択するクルシュの剣技は卓越しすぎている。

『龍眼』が馴染みつつある。――それが何を意味するのか、手放しに喜べないまま。

「――っ、これで全員! 終わった!」

繰り広げられるクルシュの無双が、フェリスの治療完了までの時間を稼ぎ切った。

額に汗を浮かべ、その場に立ち上がろうとするフェリス。その体がふらついて倒れかけるのを、とっさに伸ばした手でスバルが支えた。

そのまま、フェリスの細い体に腕を回し、肩を貸す形でしっかりホールド。

「ここぞってときを見逃さないよネ、スバルくん……」

「機を見計らってたみたいな言い方するな! お前、最高にかっけぇな!」

「声がおっきい。もっとちゃんと支えて。倒れそう」

「注文が多いんだよ。けど……クルシュさん!」

フェリスは仕事を果たした。クルシュも、騎士隊との戦いから引き上げ時だ。

正直、彼女の力があればこの囲みを正面突破することも可能かもしれないが――、

「また途中で寝こけられたら今度こそ終わりかしら」

「実際、それが怖い! クルシュさん、何か手立てとかあるって言って!」

「残念ながら、私にはない」

「ひえええ!」

「故に、用意させている。――『黒狗』!」

望みが絶たれたかと思いきや、望みを託すには危なすぎる名前をクルシュが叫んだ。

その響きにスバルとベアトリス、そしてフェリスが「うげ」となった直後――、

「くははははは! そう嫌うな愛するな! 真打ちの登場だ!」

聞くだに嫌な気持ちになる笑い声が響き渡り、声に心当たりのない騎士隊や周囲の人々が驚きながら辺りを見回す。だが、笑い声の主はどこにもいない。

その代わりに彼らの視界を覆ったのは、ものすごい量の黒煙だった。

「目眩ましだ。害はない」

黒煙に驚きと混乱の声が上がる中、駆け寄ってくるクルシュが静かな声で告げる。しかし、クルシュを疑うわけではないが、『黒狗』の仕事なら不安が勝る。

「大丈夫だと思うよ。違ったら、また私とスバルくんがここに残っちゃうでしょ?」

「そりゃ確かに! わかった。今はこっから――インビジブル・プロヴィデンス!」

瞬間、フェリスの指摘に頷いたスバルの胸から、不可視の黒い魔手が射出、それが黒煙を突き抜け、こちらへ踏み込もうとしていた騎士隊の指揮官の顔面をぶち抜く。

「かっ」と鼻血を噴き、仰向けに倒れる指揮官。それをクルシュはちらと見て、

「あのものは良しだ」

「嘘ぉ!? 入れ替わられてる人じゃないの!?」

「卿への強い怒りと憎悪を感じた。心当たりは?」

「騎士ゼオルでしょ? 王選のとき城にいたよ。だからじゃない?」

「もういい加減、あのエピソードの評価を確定させてくれ!」

スバルの潔白の証明になったり、狙われる理由になったり、もうめちゃくちゃだ。

そんな嘆きはともかく、目眩ましの黒煙に紛れ、スバルたちは状況を抜け出す。――その背後に、何人かの騎士隊が続こうとしたが、

「兄ちゃんたちは追わせねえよ。どうにも、今日の騎士隊のやり方は気に入らねえ」

それを遮るように立ちはだかったのは、カドモンと衛士隊だった。

その思いがけない助力に、「オッチャン!?」と驚くスバルにカドモンが笑い、

「いけよ、俺は応援するぜ! 兄ちゃんと、エミリア様を!」

「――っ! ああ、清き一票をもらいに戻ってくる!」

ナツキ・スバルを、エミリアの騎士と認知した上でのカドモンの激励に、スバルは泣きそうになりながら応じ、再び黒煙を突っ切るために足に力を込めた。

その背に、騎士隊の怒号と、それに抗う衛士隊の気勢が高々と上がり――、

「――検品は済んだ! 彼らを通せ、騎士隊! 衛士に衛士の仕事をさせろ!!」

△▼△▼△▼△

「――よう、戻ったのかよ。てっきり死んだと思ったぜ」

「チン、お前、なんて仲間甲斐のない奴なんだ……」

濛々と立ち込め、スバルたちの逃走を助けた黒煙を抜けた先、正門の外で待っていた竜車に急いで飛び乗ると、ラチンスがひらひらと手を振って四人を出迎えた。

あれだけの騒ぎで、まるで動く気を見せないラチンスの薄情ぶりには驚嘆だ。

「人の心がないのか? 魔女教徒か?」

「人に疑惑をおっかぶせてんじゃねえ! 何もしてねえってのも言いがかりだ。ちゃんと交渉はしてやった。だろ、公爵さんよ」

舌を出したラチンスが、そう言ってクルシュに水を向ける。その呼びかけに、左目に眼帯を付け直していたクルシュが「そうだな」と頷き、

「ラチンス・ホフマンは弁が立つ。実際、このものが交渉を成立させた」

「交渉? それって……」

「――無論、我々とのですよ、ナツキ殿」

と、不意打ち気味に聞こえた声に、スバルとベアトリスの肩が「ぴょ」と跳ねる。

誰あろう、声の主はスバルたちに遅れて竜車に乗り込んできたラッセルだ。

『白羊』と『黒狗』を連れた彼は、竜車の扉を閉めさせ、御者に出発を指示する。

途端、走り出した竜車は、逃げ場のない反省室へと変貌した。

「まず、全員無事に戻ったことは最善の結果です。無論、運が味方しただけで、思うところは多々ありますが――『青蛇』」

「ん……」

「自分がいることを明かさないよう条件を付けたのはあなただ。にも拘わらず、ああして動かれては秘しようがありません。まさか、こちらの落ち度とは言いませんね?」

「わかってる。条件不履行なんて言わないよ。私情の話する場面じゃないし」

最初にラッセルに話しかけられたフェリスが、ちらと横目にクルシュを見る。が、クルシュはその視線に気付いているだろうに、フェリスの方に反応しない。

二人の間に漂う空気感、それは何とも複雑なもので――、

「どうしよう、ベア子。俺、うまく空気掻き回せるかな。試してみていい?」

「いったん、いったん待つのよ。ここは『見』に回る場面かしら。それよりも……」

「ナツキ殿、今後はああした行いはお控えを」

「ぐ……やっぱ、怒ってます、よね?」

恐る恐るラッセルの顔色を窺うが、さすが諜報機関のトップの顔色は読めない。

ラッセルの表情は感情の凪そのものだが、真っ向から彼の指示に逆らい、現場に飛び込んだスバルに怒っていないはずもない。――この顔は、怒りにカウントすべきだ。

「怒るというより、落胆しています。何を優先すべきか、言葉を尽くしたつもりでしたので。――クルシュ様の言がなければ、あの場に残る危険は冒しませんでした」

「クルシュさんの、言葉? それって……」

「何のことはない。――私は現状、この場にいるもので、ナツキ・スバル以外に信を置くつもりはない。『六枚舌』とやらへの協力も、卿なしでは断る」

「それは……! それはめちゃめちゃ、光栄な話だけど……!」

聞きようによってはかなりあれな極端な意見に、スバルは周囲の目――特に、余計な条件を課されたラッセルと、関係複雑なフェリスのそれを激しく気にした。もっとも、ラッセルは表情を変えず、フェリスは疲れを理由に座席に座って顔を背けていたが。

ともあれ、『六枚舌』はクルシュを手放せず、そのクルシュの意見があったから、事故現場に戻ったスバルたちとフェリスを置いていけなかったわけだ。

「でも、これってさ、ラッセルさん……」

「なんでしょうか? この一件を経て、何か考えが変わったなら……」

「考えっていうか、たぶんなんだけど、またこんな感じのことが起こったら、俺とかフェリスは放っておけないと思うんだよ。だから、お願いなんだけど」

「――。聞きましょう」

「こう、できるだけ被害が出ない作戦で今後もいきたい。――ダメ?」

そのおねだりにラッセルが軽く目を見張り、後ろの『黒狗』が「くは」と笑った。

無茶を言っている自覚はある。だが実際、今回の事故で死人は出さなかった。カペラの手が及んだものの扱いは難しいが、ギリギリまで抗うことはできる、はずだ。

そう考えるスバルに、ラッセルが何かを言うよりも早く――、

「わ、わたしもっ! わたしも、スバルさんのやり方が、いいと思います……っ」

「犠牲は少なく済むに越したことはない。無論、事を為すには優先順位に従うべきだと思うが……命は、私の中では優先順位の高いものだ」

『白羊』とクルシュがスバルの意見に賛同し、フェリスも反対のはずもない。『黒狗』の冷笑は言わずもがなだが、意外にもラチンスも、鼻で笑ったが否定はしなかった。

そして、当然なことに、スバルと志を同じくするベストパートナーは――、

「もちろん、ベティーの意見はスバルと一緒なのよ。いつだって、スバルは無茶と無理を通してみんなを黙らせてきたかしら。今回も、その意気なのよ」

「なんかとんだトラブルメーカー感あるけど、ありがとよ」

そう言って笑い、スバルはベアトリスを膝に抱えると、座席にドカッと座り込む。先に座っていたフェリスの左側だ。と、その反対側にクルシュが腰を下ろした。

スバルとベアトリスを挟んで、クルシュとフェリスの二人が横並びに。

「しまった。座る場所間違えた。あの、今から……」

「ねえ、スバルくん。隣の方に伝えてもらえる? その不思議な力、体に変な負担がかかるかもしれないから、頼りすぎない方がいいですよ~って」

「いえ、あの」

「ナツキ・スバル、隣のものに伝えてくれ。おそらく、また少し眠ることになる。私の体に不安があるなら、眠っている間に自由に調べろと」

「ねえそれ、俺経由する必要ある!? 素直に話そうよ! 話せそうじゃん!」

だが、頬杖をついて明後日の方を向いたフェリスと、腕を組んで目をつむったクルシュは、どちらもスバルの悲鳴に耳を傾けなかった。

この王国を救うための頼もしいメンバーに、クルシュとフェリスが揃ってくれていてとても心強いし嬉しいのに、素直にありがたがれる人間模様が出来上がっていない。

「前途が……前途が多難すぎる」

そうガックリと肩を落とし、膝の上のベアトリスの頭に顎を乗っける。その重みを感じながらも、ベアトリスはポンポンと、下からスバルの頭を撫でてくれた。

――エミリアを、別行動中の仲間たちを、そしてルグニカ王国を、全部まとめて救うための戦いが始まる。きっと、これまでに負けない過酷な戦いが。

そう、ナツキ・スバルが強い決意と覚悟の下、遠ざかる王都の景色を眺める傍ら、

「こんなことは手紙に書いていなかったぞ、ロズワール。エミリア様を勝たせたいがために、必要な騎士教育をしたのではないのか……?」

計算外の荷を扱うことを強いられた諜報機関の男が、そう愕然と呟いていた。