嘘を囲むテーブル1
嘘を囲むテーブル1
妙な夢を見た。 私はベッドの上に身を起こした。 空はまだ白々と寒い。筈だ。「やあ」 と傍から声が掛かる。 一体今はいつなのか。酷く緩慢な脳の働きに狼狽する。 昨日の明日、とは分かる。しかしそれにしても、この重さはなんだ。 挨拶代わりに『足枷を外し』、私はゆっくりと直立した。「調子はどうだい?」 間抜けな声の主は、見張りを義務付けられた一介の兵士。いや、ここに居るという時点で、腕は立つことが証明されている。 王立収容所、第二遠隔地、コルゴラバテ。 死刑のみを量刑とする囚人によって占められている、侯国一の危険区域だ。そこで任を得るということは、並大抵の技量では、世に世に務まるものではない。ここで生を謳歌するのは、すべて怜悧狡猾な者達なのだ。 別名、デザーテア。砂漠のど真中に居を構え、我々を懐にする倣岸不遜な法の徒である。 兵士の男を 右顧 ( うこ ) し、手を縛る鎖を外す。これも、王都お抱えの魔術師によって丹誠を込められた一品である。 だが今はいい。 音を立てる縛めを背に、私は両の手で格子を掴んだ。「ゼダスは?」 問いに、男は仮面を掻いて返答を発する。下だと思う、と彼は欠伸を噛み殺した。侯国の主の書状を以ってしても、彼を 黒甜郷裡 ( こくてんきょうり ) より引き抜くは難しいであろう。 重畳 ( ちょうじょう ) 、と私は答え、目の前の扉を開けた。 向かいの房では、今日も劣悪な光景が広がっている。両手を後ろ手に縛られ、全身を黒い布で覆われた『贄』が、椅子の上で息絶えていた。いや。まだ息はあるのかもしれないが、常人にそれの判別は不可能だった。 足元にはその者の体液が広がっており、そこに再び新たなる雫が加わる。 悪趣味な、と私は呻いて、部屋の主を探した。 アセドアなら下だ。やっぱり。 と兵士が再び開口し、私はそれに頷いて階下へ向かった。奴はサディストだ、と小さく発するのも忘れない。度を越え、執着を超越し、通常の価値観を無視した先に、それはあった。奴が嫌いだ。向こうも同じように考えているであろうことは想像に難くないが、少なくとも、私はあの男が嫌いだった。一生。 そうこうしている内に私の足は砂地を捕らえ、そこで何度か時を刻んだ。 ああ旦那、早いですね、ゼダス殿なら奥ですよ、と口々に囚人が吼える。 まったく。こいつらはなぜにこうも他人に愛想を振り撒くのか。少しは牢の中で謙虚に過ごそうと、思うがいい。 溜め息を吐きつつ、両の手で首元を摩る。どんな健康効果があるのかは私も知らないが、体が欲するのだからそれはそれで有効なのだろう。と、結論したら、奥の房からなにやら怒声が聞こえた。「いいからルイセールを呼んでこい!」 その声に複数の悲鳴が重なる。 私の名だ。声の主はゼダス。焦らなくてもここに居る。 石壁を数回叩き、私は彼の視線を待った。この階で――否、この『城』で最も大きな部屋だ(中で仕切りの部分を崩し、二部屋で一部屋となっている)。 自身の姿に、ゼダスは大袈裟に両腕を広げ、そして配下に命じて扉を開けさせた。「待ってたぜ。我が剣」 剣は止めろ。お前のものではない、と返して、私は鉄格子を潜った。 アセドアは居ない。 ここではないいずこかで、また『供物』を求めているのか。私の杞憂を一笑に付し、ゼダスはこちらの肩を抱いた。「まあ座れよ、相棒」 彼の言に、赤い巻き髪の女が酒を用意する。ゼダスの女だ。名は確か、トキシトラとかいったか。部隊の一つも任されていたような気がする。 ふん、と視線も合わさずに、トキシトラは踵を返した。水だった。 とことん嫌われているらしいな、と彼は笑った。ゼダスは、ここのすべてを牛耳る、老獪な男であった。それでいて、自らが先頭に立ち剣を振るう、好戦的な野獣でもあった。 肉付きのよい体格が、今にも爆ぜそうな筋肉を私の首に絡ませる。 座れって、作戦会議だ。 そう告げると、欠番だらけの首脳会議を開始した。もう三日も、議論は進展をみない。私にしても、それに関しては同じような意見しか口にできてなかったので、背後の壁に 凭 ( もた ) れ掛かり、今朝の夢に付いて考えることにした。 とはいっても、内容が余り頭に入っていないので、浮かんでくるのは別のことばかりである。特に、煩い周囲の討論は、こちらに過去の事柄を思い出させた。 私は。 『火』の使えない街に住んでいた。 とはいってもそれはほんのわずかな間で、私に知り合いと呼べる人間は居なかった。 街の名前はアルツォネルゼ。 侯国の七属州の一つにあり、四方を清涼な水に囲まれた、 翆巒 ( すいらん ) を臨める街だった。 いや。言い方に語弊があるかもしれぬ。囲まれた、というよりは、湖の上に造られた街だったのだ。文字通り。 そしてそれは、王都からの使者と、法によって支配された街だった。 私が今獄に繋がれているのも。すべてはそこでのできごとが、発端だった。 この国のすべての街は、鳩を用いて王都と 結締 ( けってい ) している。互いを隔てる 豪奢 ( ごうしゃ ) な 岳嶽 ( やたけ ) や、 青藍 ( せいらん ) には程遠い、荒廃した平野。 老 ( ねび ) た森と、濃霧立ち込める湿地がその主な原因とされるが、要は兵力の分散を嫌った王都側の都合である。 そしてその鳩の存在こそが、私をここに押し込めた、 奸悪 ( かんあく ) の元凶である。 街を強襲したのは、化物として恐れられている、巨躯を誇る害獣であった。人々は皆、地下や湖へと逃げたが、一人の少女が、遅れた。 街の外囲に住む者だったため、道が分からなかったのだ。 私は、彼女の手を引き必死に地を蹴ったが、怪物から逃げ切るのはどだい無理な話だった。 火を。 灯した。 我が手の内に。 大陸で八人しか使い手の居らぬ『力』だった。 ほかに方法がなかった。少女は九死に一生を得、同時に私を国へ売った。「この人は『火』を用いました」と王都へ宛てた手紙を綴り、それを脚環の付いた( 王鳩 ( おうきゅう ) の証だ)鳩の背へと預けた。 国家はすぐさま決断を下し。私は、 白 ( しろ ) の 主 ( あるじ ) と呼ばれる高官の下、死を意味する極刑を言い渡された。ゆえに、今目の前で繰り広げられる議論の行方には、誰よりも興味があった。そう。誰よりも。