0514 師匠と弟子
0514 師匠と弟子
「アベル、本当に良かったんですか?」
「いい。俺は弟子はとらんし、そもそもこの街にいつまでいるかも分からんだろう? 無責任な事はできん」
涼とアベルは、宿への帰り道で話し合っている。
「でも、あの子…… 諦 ( あきら ) めるとは思えないんですが」
涼がそう言うと、アベルも小さく頷いた。
だが、その後は何も言わない。
何事もなく、二人は宿に着いた。
何事かが起きたのは、昼過ぎであった。
「先生、弟子にしてください!」
「ダメだ」
先ほどの少女が宿にまできて、アベルに弟子入りを願い出たのだ。
もちろん、アベルはすぐに拒否。
「弟子にしてくれるまで、私は帰りません!」
少女はそう言うと、表に出て、宿の前に立った。
「なんという王道展開……」
その光景を遠目に見ていた涼は、感動していた。
何度も何度も、まるで神のいたずらであるかのように、涼の前で潰えてきた王道展開。
だが、ついに、花開いたのだ。
これに感動しないで、何に感動すると言うのか!
もっとも、今回も涼に関してではなく、アベルに関してなのだが……。
そんな涼であったが、夜になってもずっと宿の前に立ち続ける少女を見ると、さすがに心配になってきた。
「アベル、あの子、大丈夫ですか?」
「ん?」
「あの様子だと、夜中もずっとあそこに立ち続けるでしょう? 悪い人にさらわれたりとか……」
「あの腕でか?」
「ああ、まあ、確かに……」
アベルの冷静な指摘に、涼は少女の剣の腕を思い出した。
よほどの状況でない限り、盗賊や悪漢に後れはとらないであろう。
「それに、隠れて俺たちを監視していた奴ら。巡視隊もだが、あの子の事も気にかけているだろう? 大丈夫だ」
「そういえば、そんな感じでしたね。あの子、お偉い人のお嬢さんなんでしょうけど、いったい誰なんでしょうね」
涼は考える。
ヴァイオリンの練習をしなければならないなど、少なくとも毎日の食事に事欠く家の子ではない。
あんな広い屋敷に住んでいれば当然か。
二日目も、少女はずっと立ち続けた。
そして、三日目も……。
涼は、あまりこういう体罰的な事は好きではない。
もちろん、今回の件は、少女が自分からアベルに弟子入りしたいと言い、アベルがそれを拒否して、少女が自分から立ち続けているのだ。
アベルに罪はないし、涼が口を差し挟む事では、もっとない。
ある種、少女のわがまま……。
とはいえ、見ていると 不憫 ( ふびん ) に感じるのが正直なところ。
人の心はいろいろなのだ。
「アベル、さすがにそろそろ……」
「三日間だ」
さすがに涼が切り出すと、アベルはそう小さく答えた。
「俺が、師匠に弟子入りを願った時、断られてな。それから、師匠の家の前で三日間立ち続けた」
「え……」
「八歳の時だった」
「師匠って、剣の師匠ですよね。アベルって王子様だったでしょう?」
涼が驚いて問いかける。
「王子だろうが何だろうが関係ない。俺が本気で弟子入りしたいという気持ちを見せる方法を、その時は他に思いつかなかった」
そう語るアベルの表情は優しい。
視線は、宿の前で、ついに剣を支えにして立ち続けている少女に向いている。
「自分が立たされたから、あの子にも?」
「そんなわけあるか。いや、そうなのかもしれんが、あの子の問題じゃない。俺の決意の問題だ」
「アベルの決意?」
涼は首を傾げる。
アベルの言っている意味が、全く理解できないからだ。
「弟子をとるというのは、生半可な気持ちではできん。だから、俺が決意するのに、時間が必要なんだ。彼女の人生に干渉するんだからな。リョウだってそうだろう?」
「え? そうですかね?」
涼は、ゲッコー商会の子どもたちなど、数人の魔法使いの弟子をとっているが、そこまで思い深く考えた覚えはない。
「インベリー公国に連合が攻め入った時、我が身を 顧 ( かえり ) みずに助けにいこうとしたろう」
「ああ……。あれは当たり前です」
「そういうことだ」
アベルは少しだけ笑った。
弟子たちの人生に干渉し、弟子たちが涼の人生に干渉してくる。
涼が自覚していないだけで、弟子を大切に思っていて、それにふさわしい行動を 躊躇 ( ちゅうちょ ) なく取っていることを、アベルは理解している。
アベル自身も、師匠との関係は、今も忘れていない。
「アベルって王子様だったんだから、お父さん……つまり国王陛下に言えば、その師匠は教えに来てくれたんじゃないですか?」
「無理だろうな。師匠は、有名な剣士だったから」
「そもそも、その人じゃなくても、剣の師匠はいたんでしょう?」
「いたが……全員倒してしまってな」
「……八歳で?」
「ああ、八歳で」
「なに、その天才エピソード」
涼は驚いた。心底驚いた。
八歳で、王子の剣の指南役になるような人たちを全員倒すとか……。
「結局、師匠には、俺が十五歳になるまで教えていただいたが……当時の剣聖、そして聖剣ガラハットの所持者だったんだ」
「あれ? その聖剣って、ヒューさんの……」
「ああ。今は、グラマスが持っているあの聖剣だ」
聖剣ガラハットは、ナイトレイ王国の冒険者ギルドのトップ、グランドマスター、ヒュー・マクグラスが持つ剣として名高い。
「師匠が亡くなられる時に、師匠の指名でグラマスが引き継いだんだ。すでに、グラマスはB級冒険者だったが……。それでも、あの時はショックだったな」
アベルは、苦笑しながら懐かしそうな目になっている。
「当然、ただ一人の弟子であった俺が引き継ぐと、勝手に思っていたからな」
「ああ、なるほど」
涼は一つ頷いた。
その気持ちは分かる。
「だが、師匠は言ったんだ。俺の剣はこれじゃないと。その時は、どういうことなのか全く分からんかったが……」
そう言いながら、アベルは自らの愛剣を軽く叩いた。
「多分、こいつなんだろうな。まだ、確信は持てないが」
「そう……きっとそうですよ。その魔剣が、アベルの相棒なのです」
涼は、何の根拠もなくそう言った。
根拠など必要ない。
そう思うからそう。
ただ、それだけでいい。
根拠などというものは、上手くいかなかったときの言い訳のためでしかない。
「○○を基に判断した」
「専門家の意見に従った」
「きちんとエビデンスは揃っていた」
それで、自分の心が守られるのならそれもいいだろう。
だが、実際は守られない。
心の奥底では、不安が渦巻いているから。
その不安を覆い隠すために、『根拠』を求める。
その事を、心は知っているし、覚えている。
決して忘れない。
自分で責任をとりたくない時、人は『根拠』を求める。
仕方のない事ではあるが、悲しい事でもある。
だから、涼は、根拠を求めない。
「多分、その魔剣がアベルの相棒です。なんとなく、僕が保証します」
「ものすごく……説得力がないな」
そう、根拠を示さないと説得力がないと言われる……残念なことだ。
「正午か」
アベルは宿の時計を見て呟いた。
アベルと少女の模擬戦は、お昼頃に行われた。
つまり、あれから四十八時間が経過したことになる。
アベルはゆっくりと立ち上がると、宿の扉へと向かう。
扉の外では、少女が剣を支えにして立ち続けていた。
アベルが出てきたのを見ると、精一杯、背筋を伸ばす。
そして、口を開いた。
「あの……」
二日間、立ち続けていたのだ。
声もかすれている。
それを、アベルは手を挙げて 遮 ( さえぎ ) ってから、自分から口を開いた。
「弟子としてとる」
その言葉を聞いても、最初は少女に変化はなかった。
理解が追い付いていなかったのだ。
しかし、しばらくたつと、大きく目を見開き、小さく体が震え始めた。
「だが、いくつか話しておくべきことがある。聞きたいこともあるが……先日の模擬戦を行った屋敷に住んでいるのか?」
「はい」
アベルの問いに答える声は、まだかすれているが、決して弱々しくはない。
「ならばそこで話そう。午後三時に伺う。戻って、それまで体を休めろ」
アベルはそう言うと、周りを見回してから、言葉を続けた。
「聞いたな? 彼女を連れていってやれ」
アベルのその言葉を受けて、辺りからバラバラと人が出てきた。
隠れて、色々と見守っていたらしい。
「あの……」
少女が話そうとするが、声がかすれて上手く話せないようだ。
「まず体を休めろ。いざという時に動くために、できる限り万全の状態に近づけておく……剣士には必要なことだと思うぞ」
「はい」
アベルが優しい口調で 諭 ( さと ) すと、少女は素直に頷く。
そして、一礼すると、出てきた者たちに支えられながら、去っていった。
「いっぱい出てきましたね」
宿に戻ったアベルに、涼が言う。
「いったい、どれだけ潜んでいたんだ……」
「十六人潜んでいて、八人出てきました。まだ、八人が潜んでアベルを監視しています」
「……そうか」
涼の答えに、小さくため息をつくアベル。
「三時に行くという時間設定はいいですね」
「それだけあれば、話せるくらいには回復しているだろう。湯あみもできるだろうしな」
「え? 三時ならおやつが出てくるだろうから、じゃないんですか?」
アベルの、想定外の答えに驚く涼。
「……そこを真っ先に考えるのは、リョウだけだ」
「馬鹿な……」