0630 ヘルブ公再び
0630 ヘルブ公再び
その日の夜、涼とアベルは『自由の風亭』のダイニングで、夕食を摂った。
話題は、昼間聞いたアティンジョ大公の件だ。
「アティンジョ大公は、国元で倒れたって言ってたよな」
「アティンジョ大公も幻人でしたよね? 悪魔とか魔人みたいなイメージだったのですけど……人間みたいですね、倒れるとか」
「気になるな」
涼もアベルも、アティンジョ大公とは 一面識 ( いちめんしき ) もない。
むしろ、自治都市クベバサを占領した相手でもあるため、大公と大公国には良い感情は抱いていない。
とはいえ、今回の会議における重要人物の一人なのは確かだ。
その人物が三度も倒れ、それをおしてクベバサにやってくるとなれば……。
「何も起きないといいな」
「アベル、それはフラグです……」
そんな会話を交わしながら、二人はデザートまでしっかり食べた。
そして部屋に戻ろうとしたエントランスで……呼びかけられた。
「リョウ殿、アベル殿」
二人は呼びかけてきた人物を見たが、同時に首をかしげる。
名前が思い浮かばないのだ。
二人ともアイコンタクトを交わすが、どちらの目の中にも答えがない。
二人とも小さく首を振る。
だが、そこで涼の 脳裏 ( のうり ) に何かが 閃 ( ひらめ ) いた。
会った覚えはある。
覚えはあるのだが……何か、かなり大変な状況で会った記憶もある……。
(良くない感じの名前だったような……ヒドイ? ワルイ? コワイ? ズルーイ? いや、ズル……ナ? ああ!)
「ズルーマさん!」
涼はようやく名前を思い出した。
「はい」
ズルーマは頭を下げた。
「ズルーマ?」
だがアベルは思い出せていない。
「ほら僕らが大使館を襲撃した時……ああ、いえ、大使館の扉が開いて招き入れられて入っていった時に……」
「今さらごまかしても無駄だろう。そうか、あの時、ヘルブ公の傍にいた奴か」
涼のごまかしを 一蹴 ( いっしゅう ) し、アベルも思い出した。
あの時、ズルーマ二等書記官はヘルブ公に胸に魔法陣を刻まれ、アベルと対峙したのだ。
そんなズルーマがここにいるのはなぜ?
「ヘルブ公が、お二人にぜひお会いしたいと」
「ああ、え~っと、僕らご飯を食べて、もう 遠出 ( とおで ) はできない……」
「隣の宿に部屋をお取りしております」
「あ、はい……」
涼の抵抗は、あっさり崩された。
アベルは無言のまま首を振っている。
結局二人は、ズルーマに連れられて隣の宿に移動した。
「よく来てくださいました」
二人を迎えたヘルブ公は、例の完璧な一礼で二人を迎えた。
分かっていても、感心してしまう。
涼やアベルであってさえもだ。
「確かに、今回の会議、アティンジョ大公国から招待状をいただきましたけど……会議は明後日からですよ?」
涼が不満を述べた。
「はい。本日は個人的なお願いがあって、こうしてまかりこしました」
そう言うと、ヘルブ公は二人に椅子をすすめる。
そして、すぐに話を切り出した。
「私が暴走したら、お二人に止めていただきたいのです」
「はい?」
「どういう意味だ?」
一切の説明を省いて、いきなり核心を語るヘルブ公、意味が分からない涼とアベル。
「止める方法は首を 刎 ( は ) ね、魂の器……心臓を突き刺してくだされば大丈夫です」
「ヴァンパイアに似ているな」
「ヴァンパイアの知り合いが?」
アベルが思わず答え、それに面白そうに問い返すヘルブ公。
「冒険者を長くしていると、いろいろ見るんだよ」
「なるほど」
アベルは面白くもなさそうに答え、ヘルブ公は頷く。
「止める方法は分かりましたが、なぜ僕らに?」
「他に止められそうな人を知らないもので」
「暴走というのは……この前、大使館でそちらのズルーマさんの能力がかなり上がったと思うのですが、あんな感じでしょうか」
「そう、とても似ています。私の能力が飛躍的に向上します……身体的能力はもちろん、呪法使いとしての能力も」
「マジかよ……」
涼の問いにヘルブ公は正確に答え、その答えに驚くアベル。
現状でも、かなり強いヘルブ公がさらに……?
「大使館のは、ヘルブ公がズルーマさんの胸に魔法陣を描きましたよね。今回も、誰かに描かれて……操られて暴走するってことですかね?」
「そう……そうですね。チョオウチ帝国にいる幻王に描かれて、彼に操られます」
「チョオウチ帝国?」
「幻王?」
アベルも涼も首をかしげる。
ここで、想定していない言葉が出てきたからだ。
北の果てにあると言われるチョオウチ帝国がここに?
そもそも、幻王という言葉は初耳であるし。
「お二人は、私と兄上……アティンジョ大公が幻人であることはご存じですね」
「ああ、知っている」
「幻王というのは、ごく 稀 ( まれ ) に……数千年に一度という頻度で現れる、全ての幻人を意のままに操ることができる存在です」
「そんな者が……チョオウチ帝国の中にいるというのか」
ヘルブ公の説明に、アベルも顔をしかめて答える。
横にいる涼も無言のままだが、顔をしかめている。
東方諸国みんなで対抗しようというこのタイミングで、非常に嫌な情報だ。
「そうですね……お二人は、魔王というのはご存じですか?」
「魔王というと……あの、魔王か?」
アベルはちらりと涼を見る。
涼も小さく頷く。
なぜいきなり魔王の話になったのか分からないが、二人とも魔王は知っている。
そもそも、現在の魔王ナディアのことも知っている。
彼女は何の 因果 ( いんが ) か、勇者ローマンと結婚し、ナイトレイ王国に住んでいる。
しかもルンの街……実は、涼の家のお隣さんだ。
「魔王は魔王軍を 興 ( おこ ) すと、魔物を意のままに操ることができます」
「魔王の 因子 ( いんし ) ……」
ヘルブ公の言葉に、涼が呟く。
「まさか魔王の因子まで知っているとは……」
それを聞いて驚いたのはヘルブ公だ。
「魔王の因子というのは、多くの魔物の中に生まれながらにして存在し、魔王が軍を興すと、強制的に魔王軍に付き従うことになる、『制約』あるいは『呪い』のようなもの。一度 励起 ( れいき ) した魔王の因子は、しばらくは励起したまま。『神のかけら』をある程度取り込むと、時間と共に 基底 ( きてい ) 状態に戻るが……だから、魔王軍は人間とぶつからざるを得ない……」
「リョウ?」
「マーリンさんが、そう説明してくれたことがあります。だから、中央諸国と西方諸国では長きにわたって、人と魔王らとの争いが続いていると」
その説明を聞きながら、ヘルブ公は心の中で頷いていた。
自分がこの二人を選んだのは間違っていなかったと。
とても人間とは思えないほどに、この世界の 精髄 ( せいずい ) に近付いている……いや以前聞いた、悪魔やルリを知っていたことを考えると、近付き過ぎていると言ってもいい。
「本当に、あなたたち二人は人間なのですか?」
思わず漏れる言葉。
「見ての通り俺は人間だが、リョウは知らん」
「なっ……僕を 生贄 ( いけにえ ) に自分だけ逃げだすなんて、アベルは人間の風上にもおけません!」
アベルの突然の裏切りに 憤慨 ( ふんがい ) する涼。
言うまでもなく、二人はただじゃれているだけだ。
「魔王の因子まで知っているのであれば話は早いです。簡単に言えば、幻人と幻王の間にも、同じような関係があるということです」
「つまり幻王が望めば、強制的に幻人は従わざるを得ない?」
「そうなります。ただ、心の強い幻人はその強制力を弾くことができると言われています。特に、魔法使い、呪法使いであればなおのこと」
「つまり……ヘルブ公、あんたは強制されない可能性がある?」
「ええ、可能性はあります。ですが、もしもの場合のために……」
「俺たちに依頼するわけだな」
アベルはそこまで言うと、椅子に深く座りなおした。
暴走を止める……その方法は、首を刎ね心臓を刺し貫く。
自らの命を絶ってほしいという依頼。
簡単な依頼ではない。
だが……。
「分かりました、受けましょう」
涼が受けた。
「おい、リョウ」
驚くアベル。
「アベル、受ける以外の選択肢はありません」
「それは分かっているが……」
いつにもまして決断の早い涼に、戸惑うアベル。
もちろんアベルも分かっている。
受ける以外にないということは。
「首を斬り飛ばす感覚は好きになれん」
「いつものように、お前はクビだって言うのと同じですよ」
「うん、意味が分からん」
だがアベルも結局受け入れた。
「分かった、引き受けよう」
「ありがとうございます」
ヘルブ公は立ち上がって、完璧な一礼で感謝した。