0745 苦悶
0745 苦悶
涼とアベルがそんな会話を交わした数日後。
ナイトレイ王国一行は、まだ迎賓館にいる。
「二度目の軍が出撃していってから、何の連絡もないですよね?」
「ないな」
「何ででしょう? もう、戦闘は終わっているのでは?」
「それは分からん。戦場で、ずっと 対峙 ( たいじ ) し続けているのかもしれん」
「ああ、その可能性がありますか」
涼は氷の板に写してきた魔法式を読み、アベルは王宮図書館から借りてきた本を読んでいる。
二人とも読書家である。
そんなことをしながらの会話なので、二人とも適当だ。
「軍の司令部にも、詳細な情報は入ってきていないようだ」
「え? じゃあ、両軍がぶつかったかとか、戦場がどうなっているかとか、この王宮の人たちは知らないんじゃ?」
ここでようやく涼が顔を上げる。
前線の情報が本営に伝わっていないというのは、あまりよろしくない。
「中央諸国なら、伝令や鳥を使って情報が送られてくるんだが……暗黒大陸の事情は知らん」
「鳥を捕食する魔物とかがいるかもしれない、ということですね」
アベルの言葉に頷く涼。
「ああ……その可能性があるのか」
「え? 違う意味だったんですか?」
「言った通り、事情を知らんだけだ」
「アベルへの過大評価が過ぎました」
ため息をつき、小さく首を振る涼。
素直に、凄いなと思ったのに……。
「さっき、軍の司令部にも情報が入ってきていないって言ったじゃないですか?」
「言ったな」
「それってやっぱり、スコッティーさんが女官さんから得てきた情報ですか?」
「そう、スコッティーだが……女官じゃなくて、なんとかいう将軍の副官から聞いてきたらしい」
「その副官って……もしかして女性ですか?」
「どうも、そのようだ」
「なんというか、凄いですね、スコッティーさん。僕にはできません」
「俺にもできんな」
涼もアベルも小さく首を振る。
いろんな意味で、スコッティーは貴重な人材なのだ。
そんなスコッティーは、アベルの王立高等学院時代の学友である。
「アベルって、高等学院時代、悪いことばかりしていたんでしょう?」
「悪いこと?」
「学校を抜け出しては不良のたまり場に出入りして、善良な王都民に迷惑をかけまくっていたんでしょう?」
「うん、そんなことはしていないな。学校も……たまに授業をさぼって、本を読んでいただけだぞ。それも校内で」
胡乱気 ( うろんげ ) な目で見る涼、肩をすくめるアベル。
「スコッティーさんとザックさんは、アベルにけしかけられて悪事に手を染めさせられたのですね。相手が第二王子だったから従うしかなく……可哀そうに」
「うん、俺の話を聞いていたか? 悪事とかしていないからな」
「授業をさぼるのは悪事です」
「あ、いや、それは、まあ……」
「ノア王子が授業をさぼったら、褒めてあげますか?」
「いや、褒めない」
「でしょう?」
いつの間にか涼は胸の前で腕を組んで、とても偉そうだ。
二人が、そんな 他愛 ( たあい ) もない話をしていると扉がノックされ、話題に上がっていたスコッティー中隊長が入ってきた。
「陛下、ゾルン皇太子殿下がお見えになりました」
「お通しして」
ゾルン皇太子は、一行が 逗留 ( とうりゅう ) しているバーダエール首長国の皇太子で、バットゥーゾン首長が出征している現在、王宮の責任者である。
そして一行が逗留している 迎賓館 ( げいひんかん ) は、王宮敷地の一角にある。
「アベル陛下、お時間を取っていただき感謝いたします」
「いや、ゾルン殿下、お気になさらずに」
二人がソファーに座る。
ゾルンのお付きの護衛が斜め後ろに立っているので、涼もアベルの斜め後ろに立って護衛っぽい雰囲気を出す。
会話の中身が気になるのは確かなので……。
「すでにお聞き及びかもしれませんが……ここ数日、迎撃軍との連絡がとれておりません」
「はい」
「王宮からも確認の兵を送っているのですが……彼らとの連絡も取れず……」
「……」
ゾルンの表情は、まさに『 苦悶 ( くもん ) 』という言葉がぴったりであり、それを見るアベルは何も言えなくなる。
アベルにも気持ちは分かる。
同じ『多くの人に責任のある立場』だ。
自らの判断一つに、多くの人の命が懸かる……その重圧たるや、経験したことのない者には絶対に理解できない……。
同時に、目の前のまだ若い皇太子を好ましい者とも思う。
民や兵のために心を砕き、真剣に向き合っているからこその苦悶。
それは、善き王となる可能性を持っているということでもある。
「問題が次から次へと押し寄せてくる……これを父やアベル陛下は、毎日のように対処し続けておられたのですね。私には……」
「国は、常に危険にさらされています。 政 ( まつりごと ) に携わる者たちが、毎日的確に 根気 ( こんき ) 良く対処し続けているから、それらが 顕在化 ( けんざいか ) しないだけです。現在、このバーダエール首長国には、その中心であった首長殿がおられません。ですので、いつも以上の負荷がかかっているように見えるのでしょう」
「はい……」
「ですが殿下、絶望する必要はありません」
「え?」
「首長殿と共に、これまで国を支えてきた者たちはいるはずです。彼らも今は混乱しているため、効果的に動けず、その影響が各所で出ているでしょう。しかし、いずれ混乱は収まります」
「そうでしょうか」
「臨時とはいえトップである殿下こそが、彼らを信じてあげることが大切かと思います」
そう言うと、アベルはにっこりと笑う。
その笑みが、ゾルンの心を 癒 ( いや ) した。
そこから話は進んで、再び、迎撃軍との連絡が取れないことに戻った。
「正直に申しまして、この国はかなり厳しい状況になると思います」
「殿下……」
「そうなる前に、陛下をはじめナイトレイ王国の方々には、首長国を離れていただいた方がよろしいと思います」
そう告げるゾルンは、やはり苦渋の表情だ。
先ほどのように、アベルは王として有益な助言をしてくれる。
それは経験の浅いゾルンにとっては、父がいない現状、何よりもありがたいもの。
しかもアベル王が抱える戦力……特にロンド公爵は、一人で数万もの魔物を撃退した強力な力。
それがいてくれれば、北上してくる軍への対処もしやすくなるのは間違いない。
だが、それは望んではいけないものだとゾルンは思っているのだ。
ほとんど理屈ではない、感情の部分からも、そこは頼ってはいけないと。
独立した国家として、臨時とはいえそのトップとして……。
そんなゾルンの気持ちと感情は、アベルには手に取るように分かった。
おそらくアベルが同じ立場であったとしても、ゾルンと同じ言葉を吐くだろうから。
「国同士の関係というのは、難しいものですね、殿下」
「はい……陛下」
アベルとゾルンは苦笑した。
その時、激しく扉が開かれた。
本来ならあり得ないこと。
だが、アベルもゾルンも分かっている。何か異常なことが起きたということ。
「なにか」
「会談中失礼いたします! ただいま、南門に騎馬兵と思われる者たちが向かって来ているとのことです!」
その報告が終わるか終わらないかのタイミングで、ゾルンは立ち上がり部屋を走り出ていった。
「アベル、これって……」
「ああ、多分オアシス国家の者たちだろう」
「やはり、迎撃軍は……」
「壊滅したと見るべきだろうな」
涼の問いに、アベルは頷く。
そして二人とも部屋を出ていく。
南門に近付いてきているということなので、城壁なり物見塔なりに上がれば見えるだろう。
「皇太子さん、僕たちには助けを求めないと思います」
「俺も、そう思う」
涼もアベルも、先ほどのゾルン皇太子との会話内容から容易に想像できる。
「でも現実的に、攻撃の意思を持つ軍を前にして街から退去って……どうなんですかね」
「包囲しているわけじゃないなら、南門以外から出ていけば可能だろう」
「いや、そうですけど……見捨てるというか、何というか……やっぱり気持ち的に……」
涼が顔をしかめながら言うが、途中で言葉を続けられなくなる。
涼は、想像してしまうのだ。
先ほどまで話していた真面目な皇太子や、市場で美味しい果物を並べているおばさんや、露店で美味しい肉串を売ってくれたおじさんが、侵略されて酷い目に遭う光景を。
「嫌です」
「同感だな」
涼が感情から言い、アベルも同意する。
アベルが同意したことに、涼は驚く。
「王国が 蹂躙 ( じゅうりん ) されたこと、俺は忘れていない」
アベルのその言葉は、平静な調子に聞こえた。
だが、涼は感じ取る。
発せられた言葉の奥底に横たわる無念、決意、そして怒り……。
故国を踏みにじられたその記憶は、簡単には消えない。
今、目の前で、彼らが逗留する国が同じような目にあおうとしている。
「人を争いに誘う欲……恐ろしいです」
涼が呟き、アベルもため息をつくのだった。