0797 コーチ涼
0797 コーチ涼
模擬戦の結果を受けて。
涼はひらりとアリーナに降りると、中央に近付いていった。
そこにいるのは、『十号室』の三人を負かした爆炎の魔法使い、オスカー・ルスカ伯爵。
涼は宣言した。
「爆炎! 僕が相手です!」
「お断りいたします」
その声は、オスカーからではなかった。
芯の強い女性の声。
「フィオナ……」
オスカーが小さく首を振りながら名を呼ぶ。
「お久しぶりです、ロンド公爵閣下」
「ルビーン公爵、フィオナさんでしたね、爆炎の 細君 ( さいくん ) 」
フィオナと涼が挨拶し合う。
そこに遅れてアベルとグラハムもやってきた。
「ルビーン公爵まで西方諸国に来ていたとは知らなかった」
「一カ月前に着任いたしました、アベル陛下」
フィオナが王族への礼をとる。
「ルビーン公爵にお尋ねしたい。なぜ僕と爆炎との模擬戦を断るのですか?」
涼が真正面からフィオナを見て問う。
「ルスカ伯爵は、今、模擬戦を終えたばかりです。それも簡単な相手ではなく、ナイトレイ王国を代表するB級パーティーとの模擬戦です。そんな状態で、ロンド公爵との模擬戦を許可することは、帝国使節団団長としてはできません」
「なるほど」
フィオナの答えに頷いたのはアベルだ。
涼は顔をしかめたまま無言。
そこに、『十号室』の三人が来た。
「アベル陛下」
アベルの前で片膝をついて礼をとる三人。
「ニルス、エト、アモン強くなったな」
「勝利をお届けできず申し訳ありません」
「ただの模擬戦だ、気にするな」
ニルスの謝罪に、アベルは笑顔で答える。
「フィオナ様、今回も模擬戦の許可を出していただき感謝いたします」
「いえ、ニルス殿、うちのオスカーにもストレスの発散をさせたいので」
ニルスがフィオナに感謝し、フィオナも笑顔で答える。
当事者となっているオスカーは 憮然 ( ぶぜん ) とした表情だが。
そしてようやく、三人は涼の方を向いた。
「リョウ、いきなり消えたと思ったら魔人と戦って、さらにどっかに飛ばされたと聞いたぞ」
「そ、それは事実ですが、全てはアベルの責任……」
「何でだよ」
ニルスが柔らかく詰問し、涼が言い訳をし、アベルが小さく首を振る。
「そんなことより、なんで爆炎と模擬戦をしているのですか!」
「そりゃあ、強い相手と戦いたいと思ったからだ。使節団の中で一番強いのは、間違いなくルスカ伯爵だろう?」
「それはそうでしょうけど……強過ぎでしょ」
涼が顔をしかめて、ちらりとオスカーを見て言う。
「この一カ月で、四回目か」
「……戦績は?」
「0勝4敗だ」
「全敗……」
「確かに負けているが、毎回少しずつ強くなっているのを感じるんだ」
「そう、もちろん負けるのは悔しいんですけど、もう少しで剣が届きそうな気がしています」
ニルスとアモンがキラキラした目でそう答える。
「まあ、そういうことだよ」
苦笑しながら言うエト。
「今日でなかったとしても、次は僕が戦います!」
「え……」
涼が宣言し、フィオナとアベルが小さく驚く。
少し考えた後、フィオナが口を開いた。
「その時は、ぜひ私とオスカーでお相手しましょう。私たち二人を同時に相手にするとなれば、さすがの王国筆頭公爵でも大変でしょう?」
フィオナが笑いながら言う。
少しだけ悔しそうな表情の涼は、アベルに向かって言う。
「アベル、こっちもセーラを呼びましょう」
「は?」
「僕が呼べばセーラは来てくれます。筆頭公爵と筆頭騎士の組み合わせなら、この二人とも戦えます!」
「うん、絶対呼ばねーぞ」
こうして、『十号室』対爆炎の魔法使いの模擬戦はお開きとなった。
模擬戦からの帰り道、帝国使節団一行。
「セーラ殿が来なくとも、ロンド公爵とアベル陛下だけでも強力です」
「アベル陛下は……化物になったな」
フィオナの言葉に、オスカーが抑えた声で呟く。
「オスカー、言いたいことは分かりますけど、隣国の王を化物呼ばわりはしないでください」
フィオナは微笑みながら、同じく抑えた声でたしなめる。
「フィオナだって分かっているだろう。以前、王都にアベル王の 容態 ( ようだい ) を探りに行った時に 謁見 ( えっけん ) した人物とは別人だ。いや、もちろん、あの時も王としての威厳は感じたが……」
「ええ、今感じるのは、一人の剣士としての強さ。噂では、魔人との戦いで東方諸国に転移して、そこから戻ってきたとか。その旅で身に付けられたのでしょう」
「あの『水属性』だけでも厄介なのに、国王まで強くなってはな」
「仮想敵国ではあっても、敵ではありません。今のところは良いではありませんか」
オスカーとフィオナのそんな会話が繰り広げられる。
フィオナのすぐ後ろに控える、副官であるマリーは小さく心の中でため息をつく。
(「オスカー」「フィオナ」呼びになったのは喜ばしいことですが、話題が政治や軍事のことばかり……夫婦なのですから、もっと 艶 ( つや ) やかな話題が……)
王国一行も宿舎に引き上げた。
「どうしてリョウは爆炎の魔法使いを憎むんだ?」
「この前も言ったでしょう、エトが傷つけられたからだと」
「そう、そう言ったな。だが、エトは、もう心の整理はついているじゃないか」
アベルは、オスカーと十号室の模擬戦後の表情からそう判断してる。
「そうみたいですね? それが何か?」
涼が不思議そうに首を傾げる。
「それが何か? エトのために戦うんだろう?」
「えっと、アベル、きちんと理解できていませんね」
「うん?」
「『僕の気持ち』の問題なのです。エトがどう思っているのかは、『エトの気持ち』です。この二つは全く別物ですし、人それぞれの心の中のものです。感情は、理性で 覆 ( くつがえ ) すことはできません。感情による行動を、理性で抑えることはできても、感情そのものは、理性で抑えることはできません。感情の整理は、基本的に時間をかけるしかありません。『僕の気持ち』は、エトがどう思っているかとか、エトの行動がどうかには左右されないのです」
「納得はできんが……理解はした」
そう、アベルも知っている。
感情と理性は別物だ。
感情が理性を飲み込むことはあっても、理性が感情を抑えつけることはできない。
それでいいのだ。
感情的な行動にさえ移らなければ、それでいい。
人の心が何を思うかなど、誰にもコントロールできないし、誰かが制御するようなものではない。
ここの認識を誤ると、感情と行動が直結し、悲劇的な結末を招くことが出てくる。
行動さえ気をつければいい。
感情は、時間が経てば勝手に収まる。
「いずれ、王国と帝国は雌雄を決することになるでしょう。その時、僕が爆炎をけちょんけちょんにしてやればいいのです」
「本当に感情は、時間が経てば収まるのだろうか……」
少しだけ、自信がなくなるアベルであった。
アベルは国王として、王国宿舎に初めて入ったために、いくつかの会議をこなすことになった。
その間、涼は『十号室』の三人を見舞う。
「僕が強化担当コーチに就任したからには、二度と、三人に悔しい思いはさせません! 次回こそは、あの爆炎をぎゃふんと言わせるために、特別な訓練メニューを組みます!」
「え……」
「ぎゃふん……」
「特別な訓練……」
アモンが驚き、ニルスが呆然とし、エトが頬を指でかく。
「いや、リョウ、そんな急激に強くなったりはしない……」
ニルスが止めるが……。
「大丈夫です、ニルス。まずは六時間連続戦闘訓練からです。これはルン騎士団でも採用された、実績のある戦闘訓練です」
「リョウが剣術指南役をしていた、ルン騎士団……」
「俺、死ぬんじゃないかな……」
「楽しみです!」
エトが小さく首を振り、ニルスが絶望し、アモンが歓喜する。
強さの習得にどん欲なアモンだけが、明確に反応が違うのは、色々仕方なかっただろう。