0869 分身体
0869 分身体
「え? 倒した?」
マリーが驚いた表情のまま呟いた。
その声がきっかけとなったのだろう。
「うおー!」
後ろから魔法を放って援護していた帝国軍の者たちが歓声を上げる。
しかし、二人、緊張の解けていない者がいる。
その二人は指揮官。
オスカーとフィオナ。
「師匠」
「ああ、残念ながら、今のは本体ではなかったようだ」
フィオナとオスカーが短く言葉を交わす。
その言葉が、二人に近付いていたマリーの耳にも聞こえた。
「本体ではない?」
「そう……偽物、とは少し違うけど」
「分身体というやつだろう。向こうで、王国騎士団が戦っているのと似たようなものだ」
マリーが問い、フィオナが答え、オスカーがザックと戦っているゾルターンを 顎 ( あご ) で示す。
「向こうにも、ゾルターンが?」
マリーもそれを認識して、顔をしかめる。
オスカーがあれだけの犠牲を払い、全力を出して倒したのに分身?
「さすがはヴァンパイアの大公。本体と戦うことすら簡単ではないらしい」
オスカーはそう言うと、小さく首を振るのだった。
ゾルターンの分身を一体倒した帝国軍が見たのは、別のゾルターンの分身と王国軍の衝突。
「まさか、向こうが倒されるとはな」
ゾルターンが、ザックと剣を交えながら呟く。
「他のことを考えている余裕なんてあるのか」
「ああ、あるぞザック。向こうの……我の分身体は強かったのだ。そのはずなのだが、倒されたからな。あの火属性魔法を扱う男、西方諸国で戦った時も思ったが、非常に興味深い」
「貴様……」
ザックが悔しそうな表情になりながら剣を振るう。
「向こうは、我の腕一本を元に生み出した分身体よ。少し前に、お主らの老魔法使いに一瞬で倒された分身体が、髪の毛一本から生み出したことを考えれば、どれほどの差があるか分かるであろう? かなり強かったはずなのだが……」
「さすがは爆炎の魔法使いってことか」
「ほう、あの火属性魔法使い、そんな二つ名を持つのか?」
「ああ。中央諸国最強……いや、かつての中央諸国最強魔法使いだ。弱いわけがない」
「ふむ。だがザック、今言い直したな。 か ( ・ ) つ ( ・ ) て ( ・ ) の ( ・ ) 最強だと。今は、あの男よりも強い魔法使いが他にいるということだな」
ゾルターンは、ザックがわざわざ言い直したことに気付く。
「ああ、いる。四年前、爆炎の魔法使いと正面からの一騎打ちを演じ、堂々倒した魔法使いがな」
「面白いではないか! その、倒した魔法使いというのは人間種か? それとも別の種か?」
「多分、人間だろ。本物の化物だが……多分、人間ではあるはずだ」
「人間で、あの火属性魔法使いを倒したか。凄いな、しかも魔法使いでということだろう? あの魔法使いは、剣もかなり使うし、近接戦も 躊躇 ( ちゅうちょ ) しない。それなのに、魔法使いが一騎打ちで倒したのだろう?」
「……俺は、剣だけの模擬戦で 弄 ( もてあそ ) ばれた」
ザックが、少しだけ顔をしかめて正直に答える。
忘れもしない。
西方諸国に来る船上で、自ら模擬戦を挑み、負けたのだ。
当時は、それほどの差があるとは思わなかったが、後から考えれば考えるほど、二人の間には超えるのが難しい差があることを理解できた。
「ザック……お前の剣は、決して悪くない。これからも、剣の道を進め」
「なんでヴァンパイアに 慰 ( なぐさ ) められるんだ!」
小さく首を振りながら声をかけるゾルターン、 憤 ( いきどお ) るザック。
「魔法使いなのに剣も使う。しかも、ザックを弄ぶほどの剣だと? 面白いな、いや、それは面白い。これが終わったら、中央諸国を訪れてみるか。いや、いっそ、もう全部投げ捨てて、このまま中央諸国に行くのもありか」
ゾルターンが不穏なことを言い始める。
当然、ザックとしてはそんなことをされては困る。
ゾルターンの「中央諸国に行く」というのは、 物見遊山 ( ものみゆさん ) で訪れるだけでは済まないはずだ。
その先では多くの民が死に、街や国が滅ぼされる可能性もある。
むしろ、なんとしてもこの場にとどめておくべきだ。
「 件 ( くだん ) の魔法使い……水属性の魔法使いだが、そいつは……その方は中央諸国にはいない」
「何だと? どこだ? どこにいる? 言わねばザック、お前をむごたらしい方法で……」
「ここにいる」
「……うん?」
「この戦場にいる」
ザックははっきりと言い切った。
たっぷり二十秒。
ゾルターンは無言のまま剣を振るい続け……。
「……本当か?」
「嘘をついてどうなる。そんな、すぐばれる嘘をつく理由などないだろうが」
「……どいつだ?」
ゾルターンは、剣を振るいながら頭も振っている。
水属性の魔法使いを探しているようだ。
「水属性魔法を使っているやつなんていないぞ?」
「うん? ああ、そういえばさっき、奥に入っていったな」
「奥?」
「ゴーレムやヴァンパイアたちが出てきた、あの奥だ」
「おい……」
ザックの正直な指摘に、明らかに顔をしかめるゾルターン。
「道理で、ゴーレムが出てこなくなったわけだ」
そう呟くと一度目を瞑ってから、大きく目を見開いた。
「それなら仕方がない。とりあえず、ザックを叩きのめして 憂 ( う ) さ 晴 ( ば ) らしをする」
「なんだ、その結論は」
「うん? ザックは嫌なのか? 自分より強い奴と戦えば、もっと強くなれる可能性がある。それは知っているだろう?」
「知ってはいる。しかしそれも、死ななければだ」
「当たり前だろう。世の中、そんなに甘くないんだ」
「何でヴァンパイアが、世の中のことを説いているんだよ」
ザックは小さくため息をついた。
大きく息を吸い込む。
「ほぉ、ようやく本気になったか?」
「俺は元から本気だ」
ゾルターンが笑いを浮かべて言葉をかけ、ザックが言い返す。
それは事実。
だが、気合いを入れなおしたのも、また事実。
それは、水属性の魔法使い……涼の話が出たからかもしれない。
憧れのセーラを巡る 恋敵 ( こいがたき ) ……と、ザックは勝手に思っている。
本気になったが……そこから連撃が始まるわけではない。
ザックは剣を構え、慎重に間合いを計る。
それに呼応するかのように、ゾルターンも剣を構えたままだ。
互いにゆっくりと動き、タイミングを計り……。
お互いに飛び込んだ。
一太刀 ( ひとたち ) 。
「ぐはっ」
大きく胸を斬られ、片膝をつくザック。
血管からあふれ出た血が気管に入り、口からこぼれる。
一方のゾルターンも無傷ではない。
左腕は斬り飛ばされている……。
だが、ゾルターンはヴァンパイア。
すぐに左腕は再生した。
「なんて……不公平……な……」
「悪いな、ザック」
ゾルターンは、再生した左腕を軽く振ってから、肩をすくめる。
「肺が傷ついているな、苦しいだろう。すぐに楽にしてやる」
ゾルターンはそう言うと、剣を振りかぶった。
絶体絶命。
ザックですら、理解できる。
「セーラさん……」
最後の呟きは、誰の耳にも聞こえないまま……ゾルターンの剣が振り下ろされた。
ガキンッ。
ゾルターンとザックの間に、水色の影が走り込み、剣を弾き返した。