第1章 十四節
第1章 十四節
剣戟が響く中心で足を止めるアリーゼと輝夜、二人の間にだけは周囲の激音を感じさせない静寂が流れていた。
団の長たるアリーゼは目の前の友から語られる二人の秘めた関係性、その背景に、息を呑んだ。
これまで見たことない悲壮に満ちた面持ちの彼女の姿に、思わず緊張が走る。
しかし、それを他所に再び輝夜は再び口を開く。
「日が悪かったんだ」
その一言だけでは理解できなかった。
日が悪い、天気が悪かったのか。はたまた、追手が多かったのか。捉え方は様々ある。
しかし、先の前振り、そして彼女の様から全てが掠りもしないことはアリーゼ自身察している。
「…私が家を出たあの日は丁度、あいつの村が燃えた日と重なるんだ」
「!?」
輝夜は確信していた。
アリーゼ・ローヴェルはこれでも団長、見抜く力と勘の良さは折り紙付きだ。
その一瞬は困惑しても情報を整理し、結論を見つけ出す。
団長だから?
違う、これは正しく彼女がアリーゼであるから、と言わざるを得ない。
「そう、そういうことだったのね…」
日が悪かった。本来彼の村を守りに向かうはずだった人員が、自分の起こした馬鹿のせいで
「そうだ。それが私の負い目」
ゴジョウノ・輝夜、その負い目は自らの身勝手で、結果守られたかもしれない命を、彼の大切なものを失わせたこと。
「あいつはそれを「気にするな」と言った」
「相変わらずね」
「無理な話だ。本当なら私や親父なんかがあの村を守るはずだった。それを放棄して家を出た挙句家宝を持ち出してその暇さえ失くした。あたしが殺したも同じなんだ」
「それは」
「違わない...違わないんだ」
結果としてエレボスとその一味が多くの命を奪い村を焼き払ったとしても、救えたかもしれない命があったはずだ。
彼が来るよりも早く対処できていれば一人救えたかもしれない。もっと早く気づけていれば二人救えたかもしれない。
私が家出なんてものを画策しなければもっと多くを救えたかもしれない...
一つ考えればそればかりが頭を過ぎる。そのたび、最終的に自分の責任だと負い目を感じ続けることになる。
「あいつの言葉通りただの偶然なんだ。なのにいつもあいつの顔を見るたびに負い目を感じる。あいつは私を恨んでもおかしくないのに、あいつは私に恨み言の一つも言ってくれない」
「・・・」
これまで一人で抱え込んでいたことを輝夜はアリーゼに対して打ち明けた。
彼に対する負い目も、自らが抱える後ろめたさも全て、同時に納得もした。彼女が感じている焦燥の正体、それは被害者であるはずの彼がこれ以上の復讐に走ること、そして本来取るはずのなかった剣をこれ以上振るわせないためだった。
だが、彼女が感じた疑問はそこではなかった。
「…ねぇ、輝夜」
「・・・」
そこから続くのは罵倒か否定か、それとも...
彼女の全てを見通しているような緑の瞳が、自分の何を見ているのか、
「貴方は…」
言葉が喉を通る寸前、気持ちが踵を返し引き留めた。
”貴方は悪くない”その言葉が脳裏を過ぎり、伝えようとしたが自身の理性がそれを止める。
「(…違う。今、私が輝夜にかける言葉は、慰めなんかじゃない)」
慰めの言葉では彼女は救えない、彼女の負い目を拭うことはできない。
いつもそうだ、私は選択肢を間違える、八幡のときも、あの日も…
だから、今度は間違えない。
「貴方は八幡のこと好き?」
「え?」
「私は…大好きよ」
いつものような笑顔でアリーゼ・ローヴェルはそう言い放った。
なんの脈絡もなくそういわれた輝夜は、思考を一度止めてしまう。
「!?団長、急に何を」
「貴方は?」
「!」
輝夜はその言葉に動揺を隠せなかった。
アリーゼのその一言は意表を突き、その質問の本質を捉えた彼女は己が内心と向き合う。
彼女は、アリーゼ・ローヴェルはこう言っているのではないか、お前の好意は負い目からくる献身なのか?と、
確かにそうかもしれない…初めて会ったとき、優秀だとは思った。鍛冶に、建築、料理に、戦闘、コミュニケーション能力に多少の難はあれどその人間的性能は、現在の黎明期においてアマゾネスではないがこいつの子供なら産んでもいいだ何て下世話な考えが頭を過ぎるほどだった。
…でも、私は奴をそんな上から目線で見れるような立場でもなく、隣に立とうなど思っていいような人間でもない。
壊滅した彼の故郷を聞いたとき、身の毛がよだつ気持ちだった。
恐怖からではない、まさかと言う推測からの動揺と自分の責任ではと言う重圧を無意識に感じたからだ。
その時は、そんなはずはない…きっと、私が出た少し後とかそんな…なんて甘い考えが出来るほど私はガキじゃなかった。
そして、その日が私が去った日だと知った時…焦燥は罪悪感と負い目に確信し、この私の思考を真っ白にするほど重たく、冷たいものだった。
「っ…」
「・・・」
珍しく輝夜から軽口も具体的な返答も来ない、普段余裕の態度を崩さない彼女からは考えられない様子だ。
何とか返答しようと声だけは発したが、言葉になっていなかった。
いつかのメンテナンスの際、ふと言葉にしてしまった。
罪悪感に押しつぶされたわけではない、ただ嘘偽りのない彼の前でこの感情を隠しておけるほど彼女は薄情でも、強くもなかっただけだ。
刀と向き合い、熱に委ね、光を見定める。
そんな繊細な作業の中、水を差すような形で…
瞬間、感じたことのない感覚が胸のあたりに走った。
実家にいた時とは違う息苦しさ、詰まるような、締め付けられるような感覚。
傷みはなくただ苦しいという言葉が正しい。
だが、目の前の男は憎しみの目で此方を見るでも、掴みかかることもなく、ただ一言いつものような眠たそうな声で「そうか…」とだけ言った。
様々な憶測が脳裏を走った。
彼の憎悪が、どれほどのものか理解しているつもりだ。
家族を殺され、友を殺され、そして最愛の妹も殺された。その原因の一つが私の身勝手だと知ったら、その矛先は私にも向くかもしれない、そう思うと締め付けはどんどん強くなる。
傍らで自分を苦しめるこれが何なのか、輝夜には分からなかった。
そんな自分を知ってか知らずか、汗をぬぐった彼はいつもの通り皮肉なほど無感動に
『まぁ、お前は気にしなくていい』
すれ違いざまに肩に手を置き、その言葉を残して彼は外へ…
言葉の通りの表情だが、その実瞳の奥にはいつもと同じ、吸い込まれるような虚無が映っていた。
その言葉に、その瞳に、胸の締め付けは一層強くなった。
ようやく分かったこれは負い目であり…自らを罰して欲しいという罪悪感からくる贖罪意識だ。
これは私の負い目、私の後悔…私だけの罪。
割り切ることができない彼への贖罪だ。
そんな私が彼を好きになっていいなど、烏滸がましいにもほどがある。
数舜の間に起きた追想に、閉じた瞳をゆっくりと上げる。
瞳の先には鈍色の空、今にも降り出しそうな景色が移る…
「…私にそんな資格などn」
「違うわ」
「え?」
「違う」
俯き、ようやく吐き出した自らの本音、それを…光の速さで否定され、思わず何とも間抜けな声が出る。
それも声を大にして、目の前の彼女は、アリーゼ・ローヴェルは私が出した結論を言い切る前に否と先に言い切った。
その目には自らの結論に一切の疑いなく、いつもと同じ真っすぐで引き込まれるような緑色がこちらを射抜いていた。
自分の迷いも、苦悩も、今も抱えている負い目でさえ、見透かされている様な瞳。
だが、今その瞳は少しの怒りを孕んでいた。
何に憤っているのか?その疑問はすぐにでも解消される。
「貴方のそれは、ただ嫌われたくないだけ」
「!」
「貴方はただ、自分のやったことを告白したあの日から嫌われたくなくて怯えているだけよ」
「なに、を」
私が怯える?殺されることに怯えるなんてことはない、寧ろ殺し合う環境にいたのだ死んだら死んだ、殺したら殺した、それが私の価値観だ。だが、その私が男に嫌われることを恐れて、怯える?
そんな、そんな気娘のようなこと…
「何を言っている!」
そんなことあるはずがない、私が…この私が、あいつにただ嫌われたくないというだけで媚びるように…私は捧げなければならない、彼が失ったものに勝るような見合うような何かを、償わなけらばならない、たとえ偶然だったとしてもそれは私の咎でもあるのだから。
目を逸らしてはいけない、逃げてもいけない…向き合って、考えて、苦しんで、死んでいった彼の友人に、家族に…彼に捧げなければいけない。
「この胸の痛みが!この苦しみが!罪悪感でなければなんだというんだ!」
「っ・・・・」
知っている…自分にもあるその痛みの、苦しみの、その気持ちの名前を…私は知っている。
「…それだけ強く、焦るほど気持ちが強く出るなら、答えはもう出ているようなものでしょう」
その気迫に思ず息を呑んだアリーゼだが。握った拳をすぐに緩め、浅く呼吸をして落ち着くと、呆れるような声色でつらつらと詰めていく。彼女自身も分かっているはずだ…それでも自覚しないのは、向き合うべきものを間違えているからだろう
貴方が逃げていいのは今向き合っているのもので、本当に向き合わなきゃいけないのは目を背けているのものなのに
「まだ分からないの!?」
「分かるわけないだろう!」
「あぁ、もう!」
「!」
痺れを切らした団長は、言葉でどういっても伝わらない…というより回りくどいやり方に我慢が出来なくなったというのが本音だが、流れるような動作で剣を抜き切りかかる。当然、輝夜なら受け止められると踏んでの行動だが、咄嗟のことに問答を繰り返していた輝夜も動揺しながら対応する。
本気ではない、あくまで訓練。だが、その突撃には強い気持ちが込められていた。
「いい加減認めなさい!」
「何を!」
「貴方は彼が好きなの!」
「っ!違う!」
「違わない!」
何故、こうも彼女ははっきりと私のことを断言できるのか疑問だが、その剣圧と気迫にはこちらが押されるよな勢いが篭もっていた。
「じゃあどうして!私が八幡の隣にいると悲しそうな顔をするの!」
「っ!」
「どうして!彼の笑顔を見て悲しそうな顔の後に少し嬉しそうな顔をするの!」
「っ!うるさい!」
掴まれた腕を振り払うように、競り合いを強引に弾く。
剣と剣が擦れる音と、弾かれた甲高い音が間に響くと、アリーゼのどこか厳し気で冷静な顔が目に入る。
どうしてお前はそうも真っすぐでいられる。どうしてそうも信じていられる。
…いや、そんなこと決まっている。
私と違って純粋だから、私と違って罪など無いから、無垢だから、正しいから…いくらでも出てくる彼女の長所も今の自分にはこれ以上なく妬ましく、いつも以上にうっとおしい。
「私は…」
「その気持ちに貴方は気づいている。あとは貴方が目を背けずに向き合うだけよ 」
「…」
二人の間にだけ再び静寂が訪れる。
キャットファイトなんて可愛いものではない、これ以上ない肉体言語にいつの間にか移行したのは彼女なりの導き方。
お前はいつもそうだ、言うより早く動き出して、ついでと言わんばかりに後から指示を出す。考えるのが苦手なはずなのに、それでも考えてみんなを導く…そんなことしなくても、お前の背中を見れば何をすべきか嫌でも分かるというのに、
無言の中で、輝夜が突撃の構えを取る。
アリーゼが呟いたその言葉が心理だというのなら、私はどうすればいい。気持ちも思いも私には分からない。
分からないものは、怖い…この理解の及ばない気持ちに手を伸ばして、彼が傷つくことがあるのなら。一生蓋をしてないものとして別の物をぶつける方がいい。それで私もあいつも傷つくことがなのなら、私はそれで構わない。
鎮痛の表情、自分の気持ちに蓋をする彼女は強引に開け放とうとするアリーゼに引っ張られぬよう、唇を噛む。
それに対して、アリーゼは真っすぐ受け止める構えを取る。
輝夜が自分の気持ちに向き合うには、気持ちにしてある蓋を砕くしかない。その為にはどうしても戦いの中でしか伝えられないものがあった。我ながら口下手だと思う、無責任だとも、臆病だと思う。それでも、私は貴方と競いたい、きっとその方が楽しいから。この気持ちは、誰かと共有できる方がきっと楽しいから。私の勝手なあり方だけど、傷つくかもしれないけれど、それを恐れて仕舞い込んで、何もしないよりずっといいと思うから!
何物にも負けない強い瞳、包む優しさと射抜く強さを持った瞳の緑は真っすぐ向けられた剣先と、苦悩する友を捉える。
横目でそれを見ている者がひとり。
冷静な戦場の確認…などではなく。
「(なんーかヒリつくと思ったら…)」
一瞬茶化そうかと思ったが、このまじめな空気でそんなことできるはずがなく。
この状況を見て、渦中の男こと、あたしらの鍛冶師様がどんなリアクションをするかを考えて楽しもうかと思ったが、あっさり「へ?なんのこと?」とか言いそうだから、早々に切り上げた。
「他所見!」
「してねぇよっと」
振り下ろされる木刀を小柄な体を翻して避ける。
舐めているわけではないが、それでも経験的に自分の方が気配察知などは上、そう簡単には一本取らせるわけには行かない。
渾身とまではなくとも不意を突いた一撃を避けられたリオンが、木刀を降ろす。
「…何か気になることでも?」
「…あぁ、まぁ大丈夫だろ」
目の前の鈍感、潔癖、頑固の三拍子揃ったエルフにこの手の話題はデリケートだ。
混ぜるな危険とまでは行かないが、カオス極まりないことになりそうなのでこっちがしっかりキャリーして話題から逸らす必要がある。
「(お互い自分に厳しいから、そんな面倒なことになるんだっての…いや、団長は甘いか?)」
「?」
「フッ!」
先に動いたのは輝夜だ。
気迫と共に剣先を突き出す、神速でも何でもないただ力を込めただけの突き。
ただ、その一撃には本人も与り知らない気持ちも、知らぬ間に込められていた。
刹那の間にその気持ちを読み解いたアリーゼは、正面から見据えてその剣にたった一つの意志を込める。
率いる者、導く者として…そして何より、同じ一人を愛した者として…彼女の蓋を、殻を砕いて見せる。
突き出された剣、振り抜かれた剣、衝突した二振りは甲高い音と共にすれ違う。
残心、数舜の静寂が流れるが、その静寂は砕ける音と共に破られる。
砕けたのは…輝夜の剣だ。
瞬間、剣と共に彼女の中の何かが砕けた。
『・・・』
慣れない武器種、万全とはいいがたい体力、武器の劣化…要因は様々あるだろう…
だが、それはアリーゼも同じだ。
同じ条件の上であれば、幼いころから戦闘を教え込まれた輝夜に軍配が上がるはずだった。
では、何故アリーゼはいとも簡単に彼女の一閃を弾き、尚且つ砕くことが出来たのか…
決まっている。その剣に、迷いがあったからの一言に尽きる。
切っ先のブレ、踏み込みの甘さ、速度、その全てにおいて、迷いを振り切り、自分の意志を確固として持つアリーゼに輝夜は劣ったのだ。レベルでも、経験でも、武器の性能差でもない…輝夜は既に、気持ちで負けていたのだ。
薄暗い空間の中、槌が鉄を叩く音が響く。
湿気、熱気、鉄の匂い、そして叩く度に強く眩く光る刃。
曲がりや、凹み、罅を治すのは至難を極めるが、彼にとっては茶飯事だ。
どっかの馬鹿が良く壊す、どっかの馬鹿が良く再調整を言いに来る、どっか馬鹿がエトセトラ…
と、極東、朝廷一の鍛冶師に弟子入りした自分からしても、これほど多くの経験が得られる、というよりとてつもない鍛冶のパワーレベリングを行うことになるとは修行当時には考えもつかなかっただろう。
「うへぇ…これでやっと半分か」
熱気に当てられて、吹き出る汗を頭に巻いた手拭いを解いて拭き上げる。
鍛冶で最も気を付けなければならないこと、それは力加減や見極めではなく不意に流れ落ちる汗(塩)かもしれない。
疲れた目を休めるために畳まれた手拭いで目を覆う。
夜も更けてもはや朝に差し掛かる時間帯…と自分の信用ならない体内時計に告げられる。
5人分メイスや両刃、短剣…誰かさんの良く分からない武器…どっかの馬鹿の専用武器まで比較的手間な物から処理して言っているからとは言え、かかりすぎる。…時間もだが、労力が
畳の上に寝かせられた残り半分を見ていつも以上に疲れた目を向ける八幡だが、久しぶりとは言わないが、扉を叩く音が響く、というより振動を感じる。
頭を振る、耳を塞ぐなどして耳を調整している内、来客はいつの間にか背後に立っていた。
もっとも、寸前まで研ぎ澄ましていた触覚のお陰で気づいていない訳ではないのだが、
「どうした。こんな時間に?予備の剣なら全部あっちに…」
「…」
「じゃ、なさそうだな。雰囲気的に」
この男は普段は鈍いくせに、こういったことに関しては勘がいい。
誰かが困っているかもしれない、その誰かが身内であればなおさらだ。
「じゃあ風呂なら自由に使ってくれていいぞ」
「…」
「え?違うの?なら、どうした?」
察して欲しい、なんて我儘だ。
黙っているのは、私自身の臆病のせい…
何かは分からないが、あからさまに目を合わせようとしない様子から何かあるのは明白なのだろう…
が、こういう時何言えばいいか分からないというのが、人生経験が浅い故の弊害か、まぁそういうのあっちも期待してないと思うし、無難なこと言おうにもアルフィアみたいにどこに地雷埋まってるかわからないしなぁ…
「と、取り敢えず風呂入ってけば?いったん切り上げたんだろ?」
「…あぁ」
よく考えれば、あの後すぐにこの鍛冶場に来たんだ。
所々、土埃を被っているし、気づかぬうちにどこかに引っ掛けたのか裾が裂けていたりする。
…それとも、匂っただろうか?
「・・・静かだ」
自身が発した言葉が反響するが、防音性故にすぐさまその音も消えていく。
なんのしがらみもない、一糸纏わぬ姿だというのに安心する空間、その場は静寂が支配していた。
「・・・」
鼻先から水滴が落ちその音も反響するが、すぐにまた静寂が風呂場を支配する。
ほんの数十分前まで、激音が響く場所にいたためか、その静寂が身に染みていく。
加えて今の彼女にとって、これ以上ないほど冷静になれる状況だった。
「・・・」
乳白色の水面に薄っすらと映る自分自身、その顔は何とも言えない顔をしていた。
泣きそうでも、不満そうでもない、何とも言えない顔、強いて言うなれば機嫌は良さそうに見えないと言ったところだろう。
「結局、私はあいつとどうなりたいんだろうな…」
先程のアリーゼとの問答、というより一方的に開示させられたようなものだが、それがいまだに胸に残っている。
あの瞬間、剣と一緒に私の中の何かも砕かれたような感覚…失ったという感覚ではなく、どこか清々しい、暗雲が晴れるような感覚を思い出していた。雲を切り裂いた光は間違いなくアリーゼだ。
だが、
「・・・」
晴れた気持ちの中で、掴みそうだったものがあった。掴もうとしたその時、何かが掴むのを引き留めるように感じた。
冷静になった今なら分かる。
あれは間違いなく、彼女のあの質問に対する結論であり、引き留めたのは私自身だ。
掴みそうだった、掴める筈だった…けど、止まってしまった。
掴んだら変わってしまう気がした…あいつがじゃない、私自身が、
「やっぱり私は臆病者だな」
掬いあげた湯に映る私の顔は、恐れているように見える。
いいや違う、感じ方が変わっただけで本当は最初からこんな顔だった。
あいつの言った通りかもしれない、私は嫌われたくないだけ。
もし…もし仮に胸の内を、今も掴めそうなこの結論をあいつに打ち明けて、後ろめたさはあっても健全でこれでもいいと思える仲間という関係性を壊して、あいつを異性として…好きな人として思っていいのだろうか。
考え込んでもしょうがない何より、このままずるずる思考しても茹ってのぼせるだけでまた迷惑がかかる。
輝夜はゆっくりと立ち上がり湯が小さく波打つ、手持ちのタオルで体をある程度拭き上げ風呂場を出ると、煤けた先程の着物ではなく別の着物が用意されていた。
そういえば、いつか置いていったものを回収し忘れたような…にしては、綺麗にしてある。
態々洗濯したのか…手間だったろうに...
「・・・」
その時ふと気が付いた。
…私は、貰ってばかりだ。
整備された刀も、温泉も、今持っている洗濯された着物だって、あいつが私に用意してくれたものだ。
頼まれたからでも、頼まれたわけでなくても、あいつはいつも無償の何かを与えてくれている。
なのに私はそれに見合うものを何一つ返せていない。
一方的に捧げて贖罪しようとするだけで、何も返せてなどいない。
着物を整え、脱衣所を抜けると、一休み中であろう渦中の男が目に入る。
あちらも気づいたのか一瞥すると、ハッというリアクションと共にすぐに目線を逸らす。
いつものことだ。まじまじ見ても別に何とも思わないというのに紳士なのかそれともチキンなのか、おそらく後者だろう。
だが、そんな初心な彼を見て、キュッと胸が締め付けられるが、それと同時に滲み出るこの幸福感は嫌いではない。
不意に小さく上がった口角を隠すように持っていたタオルで覆い、誤魔化すように髪を優しく拭く。
照れている訳ではない。
ただ、彼に気付かれたくないだけだ。
この後も作業を続けるつもりなのか、炉の火は赤いまま、彼はその前に座っていた。
熱が部屋を支配しているが、通気性が悪いわけではない。いつだったか、通気性が悪い場所でこんな作業をしているといつの間にか酸欠で死体になる、ただでさえ死体みたいな眼なのに…と皮肉交じりに教えてくれた。
だから、風呂上りでも不快感などかけらも感じない。寧ろ、場所によってはカラッとした暖かさがあって心地いい。
そして、私は知っている、彼が据わっているその場所がそうであることを、
「・・・」
建前を手に入れた輝夜は彼の隣にそっと座り、腰を落ち着ける。
急に隣に座られた八幡は、一瞬動揺するがすぐにいつもの表情に戻る。
その様子に輝夜がフッと笑うと、八幡が思い出したように話を切り出す。
「そ、それでどうしたんだよ?」
俺に何か聞いて欲しいことがあるんだろ?ともいうような切り出しに、思わず口角が上がる。
「お見通しか…」
「まぁ、あんだけあからさまなら」
「…///」
そこまで分かりやすかったかと思うと恥ずかしいが、それならば話は早い。
危うく赤くなる顔を手で扇いで下げると、まるでなかったことにするように冷静な顔で話し出す。
「お前は…どうして。私を恨まずにいられる」
「・・・」
「恨んでいい筈だ。間接的にでも、私はお前の大切な人たちを…」
「…お前を恨んでも、帰ってくる訳じゃない」
「・・・」
それはそうだ。
奪ったものを倒せば死んだ者は帰るのか?
答えは否。
「かといって、お前を恨んでなかった訳ではない」
「!」
それはある意味、彼女にとっては救いになる一言のはずだった。
…けど、胸は晴れていない。
寧ろ、吸い込みたくないような空気が渦巻いている様だ。
「…そうか」
嘘だ。今心がこの上なくざわついている。
安心とは程遠い動揺、呼吸に意識が必要なほどの動悸…隠すのは簡単だ。
けど、これに気付かない彼ではない。
「…でも、そんなの一瞬で忘れた」
「は?」
「お前を恨んだの何て、聞いたその一瞬だけだよ」
火に照らされた彼の顔は見たことないほどスッキリした顔をしていた。
同時に、いつも感じていた優しい雰囲気も…
「さっきも言ったが恨んだって帰ってこないし、何よりお前を恨むのは違うと思った」
「・・・」
「確かに、お前が家出しなきゃ救ってもらえたかもしれない。小町も、雪ノ下も、由比ヶ浜も、皆も…けど、結局誰かは死んでたんだ」
「っ!」
「お前の家の人間がどれだけ早くても、きっと一人や二人しか残らなかったんだ。」
「一人残ればお前は一人じゃなくなっていたはずだ!」
「それでも…その人の大切な人は救われない」
「それは!…そうだが」
返された言葉に思わず口篭もる。
それはそうだ、私が言ったことはただの理想、叶うと断言できないもう終わった夢だ。
「何より、アストレア様から聞いたよ。エレボスの言葉が正しいなら、俺に近しい奴を真っ先に殺してる筈だ。今なら、俺のせいって方がしっくりくる」
「そんなことは!」
「けど…」
「?」
「それでも、あいつらは誰一人俺を恨んでなんかいなかった」
その誰かが、誰なのかは輝夜には言うまでもなかった。
彼の大切な人達、彼が失った人達、奴に奪われた者たち…数日前まで彼が、苛まれていたもの達だ。
「復讐を求めても、あいつが俺の正体をバラしても、こいつらは俺には何も言わなかった」
「・・・」
「最初から俺は一人で罪悪感を感じてただけだった」
「それは…」
「だから、あいつらも俺も恨んでない以上お前が罪悪感を感じる必要はない」
そんな道理だけでは私が納得できるのならどれだけ良かっただろう。
彼の中の友人たちが、彼の村の人々がどれだけ崇高な人間だったとしても、私は恨まれるべきだ。
例え、直接奪ったのがエレボスだったとしても、それから守るのが私たちの使命だったというのに私はそれを放棄した。
「無理な話だ。私が自由を選んだせいで、お前はたくさんの物を失った。私がお前を、一人にしてしまった」
私の中にあった罪悪感それをより鮮明にした結論がこれだ。
自由の果てに私には仲間が出来た。崇拝する神も出来た、高め合える友も出来た、尊敬する馬鹿もいる。
だというのに、彼は大切な人を失い、その傷を復習で埋めようとしていた。
例え彼の言葉通り、結果傷を負うことになったとしても、今ほど深い傷にはならなかったはずだ。
「…馬鹿か?お前」
「なに?」
「俺はもう一人じゃない」
「!」
「…お前らがいる…いや、俺はお前らを選んだ、選べたんだ」
言い切った彼の顔は、目に見えて嬉しそうだった。
その顔に見惚れていると、視線に気づいたのか驚いた顔をしてすぐに背けてしまう。
恥ずかしいのか…いいや照れているな。口に手を当てて落ち着こうとしているが耳まで真っ赤で分かりやすい。
「…お前だって一人じゃないだろ」
「!」
「アリーゼもいる、リオンもいる、ライラや皆も…俺だっている。お前は一人で悩まなくていい、誰かを頼って、お前も頼られてる。俺だって頼ってる。等価交換ちゃんとしてるから健全だろ?」
「フッ…そうだな」
「だから、許すよ…お前が罪悪感を感じてて、どれだけ俺が言葉を尽くしても、ずっと残るっていうなら許し続ける。あいつらが俺を許してくれたように」
「!」
「もう悩まなくていい…それがお前の自由を縛ってるなら、俺がその罪悪感を一緒に背負うよ」
故郷の先生が言っていた。
「一言で済まないならいくらでも言葉を尽くせ」と、けど、結局俺は気持ちを伝えるのが苦手だ。
どれだけ尽くしても、行動に移しても不器用過ぎて最後まで理解されない。
…だったら、手っ取り早く結論を押し付けて強引に納得してもらうしかない。
「…くさいセリフだな」
「悪かったな///」
呆れたとでも言うように浅く息を吐き出しながら、しかしその顔はスッキリしたいい顔をしていた。
吹っ切れたという顔だ。
「もし私が一生罪悪感を感じるなら、その時は一生隣にいるつもりか?」
「?まぁ、そういう意味で言ったからな」
「っ‼///」
揶揄うつもりで言った言葉をあっさり肯定されてこちらが動揺させられる。
分かっているのか?それは私に添い遂げるということだぞ…彼に限って分かっているとは思えないが。
照れと同時に、誰に対してか「勝った!」という感情が沸き上がるが、自分のことだというのに詳細不明なことに疑問符が尽きない。
「そ、そういう意味とはどういう意味だ?」
問いたださねばならない、その言葉の真意を、もしその言葉がそういう意味なら、今後の人生計画に関わる。
具体的には挙げる式が増えたり、場合によっては血縁者が増えたり、アリーゼを煽る材料が増えたりその他多数のことが起こる。
「え?仲間として一緒にいるって意味だけど」
「・・・」
知っていた、こいつはこういう男だ。自分が常に言葉足らずなことを自覚しておきながら、その認識が甘いということを理解していない、もっと言えば自認よりも足りてなさすぎるのだ。
だが…お陰でようやく自覚できた気がする。
今の動揺も、妄想も、アリーゼに対する空想の優越感も、自分の何から来るものなのか嫌でも分かる。
「・・・」
「え?何?どうした?」
そう思うと急に照れ臭くなって、体から力が抜ける。彼の背中に預ける形になる。
薄暗く弱い明りが部屋を照らすこの場所で、輝夜は心の底から良かったと思った。
この熱は、炉の暖かさから来るものでも、風呂上りだからでもない…認めるよアリーゼ、私はきっと彼が好きだ。
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やあ、久しいね。
まさか、ポッキーの日までかかるとは思わなんだ。
死んでたわけでも、病欠でもなく、シンプル忙しくて書けなかったよ。
申し訳ない。
これからもこんな感じだけど、決着だけは考えてあるから安心して欲しい、それではサラダバー。