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うさぎさんは、おおかみさんと檻のなか — fujossy.jp · All chapters

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「おま、バッカ、声がデケェんだよ」「だ、だって婚姻届っスよ、婚姻届。 うわあ、初めて見たッス。ヤバいッス」山川の能天気な大声に、一気に視線が誉と櫂に注がれる。「……ん?どうした?」研修医と談笑していた航は、それより一拍遅れで事態に気づいて固まった……が、誰よりも早く次の言葉を放つ。「おいちょっと待て!」そして机から身を乗り出し、誉の前に置かれた書類に素早く目を通す。そこに櫂の記名があることに気づくと、「櫂、お前!なんだこれは!いつこんなモン用意したんだ!」と、声を荒げた。ちなみに誉は、未だ完全にフリーズしたままである。「婚姻届です。今日、市長との……」「懇談中、急にフラッと出て行ったまま行方が分からなくなったあの時か!煙草を買いに行ったんじゃなかったのか?!」「いいえ。申請書を取りに戸籍課に赴いたら、どういうわけか、そうではない場所に出ていました。それからタバコは売ってもらえませんでした。成人だと信じてもらえなくて。人を外見で判断するのってどうかと思います」「……内面を見られたら、なおさら怪しいだろ。つーか、どうやったら同じ建物の別課に行こうとして100メートル先のコンビニにたどり着くんだよ……訳わかんねえよ……」「院長、落ち着いて。論点、完全に逸れてるッス。あと素が出てるッス」「……そうだな……コホン。すまない、あの時の苛つきがぶり返してしまいつい……」「苦労してんな〜、院長〜」「てか、喫煙するんスね、如月先生。……意外ッス」「おやおや。櫂先生、ご結婚するのなら、これからはお一人の身体ではなくなるわけですから、よりご自愛下さいね」「加藤先生、微妙に状況理解しきれてないッスね」「……善処します」「あ、これ絶対やめないやつ」 航は改めて椅子に腰を下ろし直す。つられて離席し始めていた全員もそれに続いた。カンファ延長線とばかりに、航が緊張感を以て櫂を問いただす。「まず、お前は婚姻届の意味を分かっているのか?」「はい。結婚の際に役所に提出する公式な届け出です」「……つまり、お前はあいつと結婚の意思があると」「はい」「先輩、ハイって言ったッス!どういうこと……。先輩?顔真っ青っスよ?大丈夫スか?」「うるせえな。お前は黙って議事録でも書いてろ」「?、了解ッス」 航は額を左手で押さえ、気の毒になる程の深いため息をついた。尚、その眉間には、いくつもの皺が刻まれている。「何故、今。急にその結論に至ったんだ。まったく、お前はいつもそうやって突然……」「特に急であるという認識はありません。誉先生と私は学生時代から交際しており、期間にすると、じゅうろ……」「待て、年数まで詳しく掘り下げんでいい」「兄さんが聞いてきたのに……」 櫂が口を尖らせると、航はまたため息をつく。「……お前たちが、長く交際をしてきたことは、よく知っている。で、それがどうした、続けろ」「はい。結婚までの平均交際期間は3年〜4年というデータがあります。こちらで……」「余計なもん出すな、恐ろしい。口頭でいい」「かしこまりました」 突然始まった結婚発表カンファである。一同は当然口を挟める訳もなく、息を潜めながらその行方を見守るしかない。山川だけが空気を読まず「僕たち何を見せられてるんすかね?」と佐々木に問いかけ、頭を小突かれた。「つまり、誉先生と私の交際期間は、平均値を大きく上回ります。この時点で、急であるという兄さんの指摘は誤りです」「いやお前、根本的に間違えてるからな……?」「?」「首を傾げるな。つーかその顔、マジでわかってねえな……」 「続けても?」「……どうぞ」「はい。ですが、交際期間よりも大切なポイントが一つあります」そこまで言うと、櫂は動かなくなって久しい恋人を見つめて微笑んだ。そしてまたスンとした表情に戻ると、航に向き直る。「誉先生は、私のことが大好きです」全員が椅子から崩れ落ちかけたのを無視し、櫂は幸せそうに左胸に手を押し当てながら続ける。「私も……誉先生が大好き。大好き同士の2人が、人生を共にするべく婚姻関係を結ぶことは、とても自然な選択であり、最適解かと存じます」その頬が少しだけ赤く染まっている。あまりにも堂々と、且つ理路整然とした論弁に航は口を開くのを一拍遅らせてしまった。その隙に、櫂は更なる爆弾を投下する。「それに……先程、誉先生は『私が必要だ』と明言してくださいました。そして私は、誉先生の意思に従う旨お返事致しました。もはや婚姻関係成立と言っても過言では」「過言だろ! あれは解析・研究にお前が必要だと言う話だ!」 「……なるほど」すると突然息を吹き返した誉が納得したようにそう呟き、何の躊躇もなく婚姻届に署名をし始める。「いや、なるほどじゃねーし!つーかお前、何フツーに署名してんだよ!おい。横向くな、前を向け。現実を見ろ!」  誉は達筆な文字で署名を終えると、内ポケットから印鑑を取り出し押印する。そして赤い瞳を潤ませながらそれを見守る櫂に、憎たらしいほどスマートな所作で婚姻届を差し出した。そして櫂がそれを受け取り大切に胸に抱いたのと同時に、その小さな身体を引き寄せ、優しく抱擁する。「……俺を選んでくれて、ありがとう。愛してるよ、カイ……。もう離れない。君の隣で、君を誰よりも幸せにすると誓うよ」「おい待て。こんなところで、そんな重たいことをいきなり平然と誓うな!」 「卯月くん、落ち着きなさい。さっきから君は何を言ってるんだ」「今回ばかりは部長が正論スね……」「だんだん院長が気の毒になってきたな……」 櫂は誉の腕の中に幸せそうにすっぽり収まりながら、今度は航に婚姻届を差し出した。「兄さんも、証人欄に署名と捺印をお願いします」「……」航はこめかみをピクピクとさせながら何度目か分からない深いため息をついた。が、一旦はそれを受け取る。「えっ、院長。受け取っ……ムグッ」「いいからお前はちょっと黙ってろ」 次に改めて婚姻届を確認し、机上で丁寧に折り畳んでから、静かに両手を乗せる。 そして一度すうっと息を吸った後、櫂を見つめながら言った。「櫂……、これからお前に、大切なことを教える」その真剣な眼差しに、一同がゴクリと喉を鳴らして次の言葉を待った。航は少しの間を置き、声を一段下げゆっくりと諭すように告げる。 「同性間の婚姻届は、受理されない」 櫂は小首を傾げて、問い返す。 「……そうなんですか?」一同が再び椅子から崩れ落ち、耐えきれなかった山川が叫んだ。「知らなかったんスか!?!?」 航は頭を押さえながら誉の方を向いて、改めて尋ねる。「念のため確認するが、お前の差し金では……ないよな?」 誉は苦笑いをしながらすぐに返した。「流石に僕は、この国では同性同士が結婚できないことを知っているよ。それに、もし僕がこの子と法的に婚姻関係を結びたいと本気で思っていたら……もっとうまくやるよね」「……やめろよ、その捕食前のオオカミみたいな目。シンプルに怖ぇよ」「誉先生、私たち、結婚できないんですか?」すると櫂が不安げに誉を見上げて言う。「……じゃあ、もう、一緒に暮らせない?」「カイ……そんなことな」それに食い気味に返したのは航だった。「ん?ちょっと待て、なんでそっちに直結するんだ?お前、誉とまた一緒に暮らしたいのか?」櫂は黙って頷く。航は呆気に取られたまま続けた。「……いや、それはまあ、一緒に暮らせば……いいんじゃないか?俺もそこは昔から了承してきたじゃないか。ただ、海外フェローの間、体調面で不安があったから預かっていただけだ」対して、心底驚いた声で反応したのは誉だった。 「……そうだったの?僕はてっきり……」「他に理由なんかあるかよ。何度も言ったが、俺はお前ほど面倒見がよくないからな。むしろ早く引き取ってほしいくらいだ」「……兄さんの、いじわる」櫂は、誉の腕の中でプンと頬を膨らませた。航は心から意外そうに目を大きくしながら返す。「え、何でだよ」「……誉先生のところに戻りたいかって、私、聞かれてないです」「言われてねえからな」「聞いてくれないと、私、わからないです」「言ってくれないと、俺だってわからん」誉を間に挟んで子供のような言い合いを始めた兄弟に驚きつつ、山川が口を開く。「先輩」「今度は何だ」「あの二人、意外と似てるところあるんスね」「意外と?ハンコみてえにそっくりだろ」「つまりまとめると、副部長と如月先生は普通にずっとラブラブ、そしてついご成婚てことっスね。そりゃ、副部長の如月先生への眼差しが温かい通り越して熱かったわけッス!マジパネェッスね!」「……だなぁ」 その時、誉はようやく心の中でもつれていた糸が解れたのを自覚した。 フェローに出てすぐに櫂からの連絡が途絶えた。櫂の気持ちが離れたのか。それとも、自分たちの関係が、如月家――いや、航にとって不都合があり、妨害されたのか。……そんな邪推ばかりしては、疑心暗鬼になっていた2年間だった。けれども、それは杞憂だった。 実際は、櫂も航も、何も変わっていなかった。この、櫂の婚姻届騒動でそれがよく分かった。全ての疑念は、自分の心の弱さと愚かさが原因だったのだ。  それなのに、櫂はこんな自分と人生を共にしたいと言ってくれた。この子がくれた、その尊い気持ちに生涯をかけて応えよう。――もう二度と離すものか、と。心の中で改めて誓いながら、誉は櫂をもう一度大切に抱きしめた。――全くまとまってはいないのだが、騒ぎが一段落したところで、航が腕を組みながら首を捻った。「それにしても、今回、櫂の作戦にしては穴がありまくるのが気になる。"らしく"ないんだよな……。――あ。さてはお前、誰かに入れ知恵されたな?一体、誰にそそのかされたんだ?」その言葉にぎくりと肩を上げたのは、佐々木だった。「先輩?急にどうしたんスか?」「……俺、次があるからそろそろ出るわ……」 そう言って席を立った瞬間、櫂がスッと指をさして答える。「結弦くんです」「待て待て待て櫂!物凄く語弊がある!」 佐々木は竦み上がりながらすぐにそう叫んだが、時すでに遅し。「ほお?……結弦くん。まあ、まずはここに座ろうか」「……院長、誤解です」「結弦くん、君は前々から同期であることを利用して、カイと随分懇意にしていたから気になってたんだ。まあ座りなさい。僕にも話を聞かせて?」「副部長、その呼び方やめてもらえません?鳥肌立ってきた……」佐々木は肩を落としながら院長の横に座り直した。「やっぱこうなったか……。俺、今日無事に帰れるかな……」  結婚発表カンファ第二部、教唆犯に対する院長と副部長直々の尋問スタートである。