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3-11.

うさぎさんは、おおかみさんと檻のなか — fujossy.jp · All chapters

3-11.

「何なんだよ!アイツは!」 航はそう叫ぶとソファーのクッションを掴み、思い切り扉へ投げつけた。「孫を見舞うのに連絡が必要か、だと?!必要に決まってんだろ、お前はただのジジイじゃねーんだよ!」  ネクタイを乱暴に引き抜き、髪をかき乱す。普段の理知的な院長の面影は、そこにはない。 満は、半ば呆れながら静かにテーブルの珈琲カップを片付けた。 相当、苛立っている。航は基本的に理性で自分を律する男だが、限界を越えるとそれが一瞬で吹き飛び、感情が剥き出しになる。 そして、その捌け口は、いつも"物"。 幼い頃から家の規律に従順であるよう強いられてきた後遺症だと満は診立てている。要は、感情の収め方が下手くそなのだ。 ちなみに弟の櫂も同様で、癇癪癖がある。 だが、航は爆ぜて、すぐに戻る。 櫂は崩れて、ずっと引きずる。  理想の長男と、手に負えない次男。その差は、ほんの僅かな気質と、育てられ方の差――ただそれだけ。本質的な部分で、この兄弟は面白いほどよく似ている。「そんなに怒ってばかりいると、また上がりますよ、血圧」 扉の前に積み上がっていくクッションを一瞥し、満は淡々と言った。「今朝低かったから、今日はまだ大丈夫だし」「なら、今日はもう鎮痛剤、出しませんからね」「……」静かに告げられたその言葉に、航は舌打ちし、乱暴にソファへ腰を下ろした。「試しに、測ってみますか?」「いや、いい。世の中には知らん方がいい事が沢山ある」「それはそうですね」 満が静かに笑いながら差し出した珈琲を不貞腐れながらも一口飲んで、航はようやく冷静になったようだった。コーヒカップを手に、しばらく黙ったまま天井を睨んでいた航が、低く吐き出すように言った。「祝賀会は、来週。丁度一週間後か……」「縁談の公表は避けられないでしょうね」「被害を最小限に食い止める方が現実的だな」「ええ。縁談を持ち込んで来そうな出席者の心当たりは?」「うーん……」「あなた、もしかして」満の一言に、航がギクリと肩を上げる。「祝賀会の出席者、把握してませんね?」「……こ、これからしようとしてたし」「新病院の祝賀会なのに、院長先生が把握してらっしゃらない」「うるさいな、忙しかったんだよ。見るよ。今、見る。確か、メール来てた」 航はそう言いながらスマホを取り出す。それを見た満は、航らしくないなと独りごちた。 ――それ程まで、手が回っていないのだろうな。新病院の院長業務に加え、ほぼ役に立たない父親である記念病院院長のフォロー。その上、弟の世話。「あぁ、あった。あったぞ」航はそう言うと、応接セット横のモニターにメール画面を映し出す。未読999+件は見なかったことにして、満は黙ってそちらに目を向けた。 メール添付されていた出席者リストには、如月家親族を筆頭に、関係する製薬会社や地元政財界、大学教授、メディア等々、錚々たる顔ぶれの名が、ずらりと並んでいた。「新病院職員は、部長以上……。誉は来ませんね」「おう、良かった。あいつ、誉なんか見たら一瞬で取り乱して泣き出すぞ」「……そうですね。しかし、来賓の年齢も同伴者の名前もないですね」「まあ、載らないことも多い。非公式に連れてくる場合もあるからな」「なるほど」「来賓の名前から、年頃の娘がいる家を絞る。櫂と極力接触させない」「ちなみに、来賓の顔と名前は一致してるんですか?」「ああ、それは大丈夫だ」「……さすがですね」「そおか?」簡単に言うが、来賓は三百を優に超える。 ――やはりこの人は並ではない。 既に辞退してしまったとはいえ、自分も系列病院の元跡取りだった。だが、そんなことは無理だ。こういった事細かなデータベース、人間関係の積み上げ。とても自分には出来ない。そしてこれが、この人との器の差なのだ。「とはいえ、リストに全てが載らないとすると、なかなか特定が難しいですね」「そうだなあ……。うーん」航は目線を少し左に向け、眉間を人さし指で押さえながら考える。そしてその指先を上に向け、軽い口調で言った。「舞子を使おう」「……奥方ですか?」「おう」航は頷いて、そのままメールの転送操作をする。「舞子は、うちの関係者の子女とは大体友達だからな」「え……」"当主に、櫂の縁談を勧める意向あり。 このリストから、候補者になりそうな子女がいる来賓を絞り込んでくれ"それだけの雑な本文だけをしたためて、送信ボタンを押しながら、続ける。「あいつのネットワークはすごいぞ。下手なSNSよりよほど情報が早い」「婦人会ってやつですね」「ま、そんなもんだ……と、返ってきたな。 "かしこまりました"だとさ」「お返事早すぎませんか、向こうは早朝では?」「うーん、言われてみれば確かに……。そういやあいつ、いつでもすぐにメール返ってくるなあ」「まさか寝てないのでは?」「それはない。"睡眠は投資ですわ"とか言って毎日9時に寝る」「でも返事返ってきてますけど」「そう。でも、いつも何故か爆速で返ってくるんだよ」「……」「なんだよ」「……ごちそうさまです」「?」顔の前で手を合わせる満に首を傾げつつ、航はスマホをテーブルに置いた。とりあえず要注意人物の割り出しはこれで問題ない。「次は肝心の櫂だが……。そもそもお祖父さまは何をどこまで話したんだ」「あの最後の雰囲気からすると、縁談の話はしたんじゃないですか」「……だよな」「"愛がなければ結婚できない"。あれは、あの子の精一杯の抵抗でしょう」「……うーん」航は頭をかきながらまた視線を左にずらし、今度は腕を組んだ。「投薬で立たせておくのは、一番楽と言えば楽ですが」「まあ、それができれば、まずは及第点だろうな」「……それ以上を狙う、と?」「当たり前だろう。及第点じゃ、父さんと変わらん」「……あの人は、落第組だと思いますけどね」「まあ、そう言うな。あれでも一応ウチの次期当主候補だ」「完全に、息子に出し抜かれてますけど」「それは過誉だな。――だからこそ」「まさかこれを好機だと?」思わず眉を寄せる満に、航は目を細めにんまりと笑って返した。「もしも祝賀会で、櫂が次男としての振る舞いをやりきったら?」満はこめかみを抑えながら、深くため息をつく。「さっき私が櫂を"人形"扱いした時、やけに静かだと思ったら……そんなこと考えてたんですか?」「おう」 航は、背もたれに背を預けながらスマホを手に取った。「そう思わせておいた方が、うまくいった時に驚くだろ」そして、もう一度モニターにメールを映し出す。「サプライズだ」 指さした先に、"如月 舞子"からの返信メール。本文を無視して添付ファイルを開くと、先ほど送った出席者リストが色分けされている。赤:縁談濃厚黄:年頃の娘あり青:対象外「……下手な秘書より優秀ですね」「言ったろ、舞子のネットワークはすごいって」「そう言うレベルではないかと……」さすが、如月家跡取りに進んで嫁ぐ女は違う。まさにこの夫にして、この妻。国を隔て離れて暮らしながらも、完璧な内助の功である。 満はかつて、航に問うた事がある。――本当に彼女を愛しているのか、と。家のために、決めた結婚ではないのか、とも。――何が、わからない、だ。  彼女に向けるこの信頼を“愛”と呼ばずして、何と呼べるのか。満はモニターから目を伏せ、小さく笑んだ。――そして、少しの間を置き、 「……ところで」と、おもむろに視線を航へと戻す。「以前から思っていたのですが、ご当主は、不自然なほど櫂を気にかけていませんか」その言葉に、航が眉を上げる。「……何がだ」「跡取りはあなたです。妻子もあり、如月家の次代は安泰。逆に櫂は、貴方の枷になる可能性すらあります。――あの性格なら、使えない駒である櫂を切り捨てても、何ら不思議ではない。ましてや、今この状態で櫂を祝賀会に立たせ、縁談開始を宣言するのは――悪手としか思えません。体裁を重んじるなら、なおさらです」航は一瞬だけ黙り、耳の上を乱暴に掻くと、手のなかのスマホを乱暴にテーブルへと投げ捨てた。それから、「……老いぼれの考えることなんか、知るかよ」と、吐き捨てるように言う。その目がわずかに泳いだことを、満は見逃さない。――しかし。まあ、これ以上は攻めても何も言わないな。満は即座にそう判断し、話を切り替える。 「だとしても。今回の縁談の話は、随分急でしたね」「……元々考えてはいたんだろう。櫂もいい歳だしな。むしろ、如月家全体で見れば遅いくらいだ」そして、腕と足を組みながら深く息を吐いた。 「……まあ。今回の件で、あの人は気づいたんだろうな」航が、低い声で言う。「……気づいた?何に?」「そりゃ、櫂には誉が必要だってことに」満はわずかに目を細めた。それを横目に、航が続ける。「だが、一介の雇われ医師、且つ同性との結婚なんて、如月家は到底受け入れられない」「だから“外向き”の妻を?――体裁のためだけの婚姻というわけですか」「………もし本当に誉が瀬戸の後任になれば――」航は小さく笑う。「実質、結婚したようなもんだ」一瞬の沈黙の後、満が静かに言う。「誉は……喜んで受け入れるでしょうね。櫂の側にさえいられるなら、結婚という形式にはこだわらないでしょう。あの人は」「そうなんだよ。だから問題なんだ」航は深いため息と共に、頷いた。そして、眉間を人さし指で押しながら顔をしかめる。「だから、あいつは飲む。どんな条件でも。もっと言えば、お飾りの妻がいようがいまいが、全く気にしない。そういう男だ」「――しかし、櫂は違う」「ああ」「無関係な女性を自分の人生に巻き込んだことに罪悪感を抱くでしょう。そして、完璧な夫を演じようとする」「そう」航は、何度も眉間を押しながら、満の言葉一つ一つに対して短く頷く。「――あいつは、痛みを隠して、抱え込んで、やろうとする。理想の次男、理想の夫……そして、簡単に壊れる」それに同調し、満の声もまた、落ちる。「……罪悪感から、誉すら遠ざける可能性もありますね」「下手すりゃ、そうだな」 航はようやく眉間から指を離して、舌打ちをした。「まだ離れるだけならいい。最悪の場合、あいつは自分が消える道すら選びかねん。……だから、今回の縁談話は、何としても潰さなきゃいけない」そしてまっすぐに満の方に向き直り、はっきりと言う。「いっそ、櫂がぶち壊れてるところを皆に見せるのも手だとは思った」その思い切った言葉に、満が視線を上げる。「今の状態の櫂を見ても嫁ぎたいなんていう女、嫁がせたいという親は、"相当本気"だからな」「……まあ、否定はしませんが……」「お祖父さまご所望の、人形状態だって結局そうだろ。到底、普通には見えん。――だが、本人の意識がないところでそれを晒すのは、フェアじゃない。そもそもこれは、あいつが始めた戦いだ。あいつの意思なきところで決めるべきではない」航は静かに言った。「だから、立つなら、自分の足で立たせる。潰れるなら、自分の意思で潰れさせる。例え結果が同じだとしても、その方が、きっと予後はいい」満は、小さく息を吐いた。そして、同じように航を見つめ返しながら続ける。「まあ、でも。あなたのことですから、そう安々と潰れさせる気もないのでしょう」対する航は、鼻で笑うと自信たっぷりに答えた。「当たり前だ。俺は勝ち目のないことはやらない主義だからな。それにな……櫂はやりきる。そんな気がするんだよ」「根拠は?」その問いに、航は肩をすくめる。「ない。信じているだけだ。……らしくないが、な」航は迷いなくそう返すとすぐに!背もたれから離れて背筋を伸ばす。「うまくやれば、再教育が進んでいるという証明にもなる。櫂はそう安々と思い通りにはならんと印象づけられるんだ」そして、語気を強めて言い放った。「やるしかないだろ」 ――室内の空気が張り詰めた、その瞬間だった。控えめなノックが、内扉を震わせた。予想外の音に、二人の視線が同時に向く。すぐに扉がゆっくりと開き、見慣れた白い影が見え隠れしていた。「……あの……兄さん、ちょっと……」そして、まるで消えてしまいそうなほどの細い声と共に、噂の本人が、不安げに扉から顔を出した。