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パーフェクトスイート 第11話

完璧上司と御曹司の部下 — www.pixiv.net · All chapters

パーフェクトスイート 第11話

第11話:ふたりで創る景色

​ あの一夜を境に、企画開発部のフロアにいる正宗とアレンの間に流れる空気は、劇的な変化を遂げていた。

互いに敬語で話し、上司と部下という一線を引いているのは、表面上は以前と何も変わらない。正宗は相変わらず隙のないネイビースーツを着こなし、アレンもまた「人懐っこく有能な新入社員」の仮面を完璧に被っている。

しかし、二人の間にだけ通じる見えない波長は、確実に甘く、そして強固なものへと変貌していた。

たとえば、すれ違う瞬間にほんの一秒だけ交差する視線の、微かな温度。

たとえば、デスク越しに資料を受け渡す際の、指先が触れ合うか触れ合わないかの絶妙な距離感。

あるいは、言葉を交わさずとも、相手が次に求めているデータや資料を瞬時に察知して差し出す、阿吽の呼吸。

そこにはもう、警戒心や疑心暗鬼が入り込む余地など一切なかった。他の誰にも踏み込めない、二人だけの絶対的な信頼関係と、ひっそりとした熱情が、オフィスという公的な空間の中で静かに息づいていた。

​「羽柴さん。最終プレゼン用のデータ、昨日ご指摘いただいた修正案をすべて反映させました。それから、本国での最新トレンドと、インバウンド層の動向予測のグラフも追記してあります」

​ アレンがタブレットを片手に、正宗のデスクへと歩み寄る。その声は周囲の社員の耳にも届く、ハキハキとした部下としてのトーンだ。

しかし、正宗にだけ向けられたその瞳には、隠しきれない柔らかな光が宿っている。

正宗はモニターから視線を外し、アレンから受け取ったタブレットの画面を素早くスクロールした。

​「……なるほど。和の伝統を基調としつつ、本国のモダニズムを融合させる。……この動線設計なら、VIPのプライバシーもしっかり確保できるな」

​ 正宗の鋭い目が、アレンの作成した緻密なデータの上を走る。

完璧だった。正宗が頭の中に描いていたぼんやりとした理想図を、アレンは寸分の狂いもなく、いや、それ以上の完成度で具現化して見せたのだ。

​「ありがとう。流石の早さだな。……完璧だ」

「ふふ、羽柴さんにそう言ってもらえるのが一番嬉しいです」

​ アレンが向ける人懐っこい笑顔には、以前のような計算高さはもう微塵もない。ただ純粋に、正宗の力になりたい、正宗に褒められたいという真っ直ぐな熱だけがそこにあった。

正宗もまた、アレンのその並外れた能力を心から信頼し、自身の企画の根幹を彼に委ねていた。互いの長所を完全に理解し、補い合う。二人の作業効率とクオリティは、以前とは比べ物にならないほど跳ね上がり、企画開発部内でも群を抜く成果を叩き出し始めていた。

​「……なんかさぁ」

​ そんな二人のやり取りを、少し離れたコーヒースタンドから眺めていた幸多が、首を傾げながらマグカップのコーヒーをすすった。

​「あいつら、前にも増して息ピッタリじゃね?なんつーか、間に壁がないっていうか……。アレンのやつ、正宗のこと見る目が完全に忠犬みたいになってるし、正宗も正宗で、あいつにだけ妙に甘いっていうか……」

​ 幸多の呟きは、誰に宛てたものでもなかったが、的を射ていた。

以前のような、正宗がアレンを徹底的に排除しようとしていた殺伐とした空気はない。むしろ、二人の間には、見ているこちらが気恥ずかしくなるような、不思議な安心感と親密さが漂っているのだ。

​「……」

​ 六条は自席で無言のままパソコンのモニターを見つめていた。

キーボードを打つ手は止まり、その視線は画面ではなく、斜め前にいる二人の姿を静かに捉えていた。

六条の鋭い目から見れば、二人の間に何があったのかは明白だった。正宗の涼しげな瞳から、アレンに対する迷いや警戒心が完全に消え去っている。代わりに宿っているのは、深い安堵と、無意識のうちに相手を許し、甘やかしてしまうような、あの特有の柔らかい光だった。

​(……ああ。もう、僕が入る隙なんて、1ミリもないな)

​ 六条は小さく息を吐き、誰にも気づかれないように静かに諦めの苦笑を漏らした。

雨の降る夜、行き場を失ってバーのカウンターで項垂れていた正宗。あの時、六条は正宗の手にそっとキスを落とした。

本当は、あの瞬間から分かっていたのだ。自分がどれだけ正宗を想い、時間をかけて丁寧に外堀を埋めようとも、あの人の心の奥底にある一番柔らかい場所には届かないと。正宗の強固な理性を壊し、感情を激しく揺さぶり、そして無防備な涙を引き出せるのは、あの生意気で強引なアレンという男だけなのだということを。

​「……悔しいけど、完敗だね」

​ ぽつりとこぼれ落ちたその言葉は、フロアの喧騒と電話のコール音にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。

​ ——そして、ついに迎えた新規ラウンジ企画『コンセプト・煌雅』の最終プレゼン当日。

本社ビルの高層階にある、重厚な扉に閉ざされた広い第一会議室。

長大なマホガニーのテーブルには、村雨部長をはじめ、日本支社の上層部を担う役員たちがズラリと顔を揃えていた。張り詰めた空気が室内を満たし、少しの咳払いすら躊躇われるほどの緊張感が漂っている。

​「それでは、これより新規ラウンジ『コンセプト・煌雅』の最終案について、ご説明いたします」

​ 巨大なスクリーンを背に立つ正宗の姿は、いつにも増して堂々としていた。

完璧にフィットしたスリーピーススーツ。ピンと伸びた背筋。そして、会議室の全員を惹きつける、低くよく通る声。

正宗は、手元の資料を一切見ることなく、全体的なコンセプトと、国内の富裕層・ミドル層へのアプローチ戦略を、論理的かつ情熱的に語り始めた。長年の経験に裏打ちされた説得力のある言葉が、役員たちの心を確実に掴んでいく。

そして、正宗の『柔』の説明がひと段落した絶妙なタイミングで、アレンがスッと前に出た。

​「続いて、海外の富裕層インバウンドに向けた具体的なアプローチと、収益予測についてご説明します」

​ アレンのプレゼンは、まさに『剛』だった。

流暢な英語を交えながら、本国の最新データに基づいた説得力のある数値を次々と提示していく。スクリーンに映し出される洗練されたグラフと、アレンの堂々とした立ち振る舞いは、単なる新入社員の枠を遥かに超えていた。

正宗が築き上げた緻密な土台の上に、アレンが圧倒的なスケールの装飾を施していく。

二人のプレゼンは、まるで一流の音楽家が奏でるオーケストラのように、見事な調和を生み出していた。互いの呼吸を読み、完璧なタイミングでパスを回し合う。そのあまりにも美しい連携に、厳しい目で見つめていた役員たちも、次第に前のめりになって話を聞き入っていた。

​ 腕を組んで目を瞑っていた村雨の顔にも、やがて満足げな頷きが表れた。

​「……以上が、我々企画開発部が提案する『コンセプト・煌雅』の最終案です。ご清聴、ありがとうございました」

​ 正宗の力強い結びの言葉と共に、アレンと二人で深く一礼をする。

数秒の静寂の後。

会議室に、静かな、しかし確かな称賛の拍手が響き渡った。

​「素晴らしいプレゼンだった、羽柴、仁淀」

​ 拍手が鳴り止むと、村雨が口を開いた。その声には、部下に対する深い誇りが滲んでいた。

​「国内の繊細なニーズと、海外の大胆なトレンド。相反する二つの要素が、見事に融合している。本国との連携も完璧だ。……文句のつけようがない。この案で、正式にプロジェクトを進めよう……いかがでしょうか、専務」

「問題ない。よろしく頼むよ」

​ 専務の力強い承認の言葉に、正宗とアレンは顔を見合わせた。

互いの瞳の中に、言葉にできないほどの大きな達成感と、喜びの感情が爆発している。二人は同時に小さく、けれど深く頷き合った。

プレゼンは、誰の目から見ても文句なしの大成功だった。

​ 数時間後。

無事に大仕事を終え、定時を過ぎて静かになった企画開発部のオフィス。

ほとんどの社員が帰宅、あるいは打ち上げへと向かったフロアで、正宗とアレンは二人並んで残務処理を行っていた。

そこへ、書類の束を抱えた六条がゆっくりと歩み寄ってきた。

​「羽柴さん、仁淀くん。プレゼン通過、本当におめでとうございます。僕も少しだけ関わらせてもらいましたが、本当に見事な企画でした」

「ああ、ありがとう。六条にも色々と過去のデータ出しや、資料のフォローをしてもらったからな。本当に助かったよ」

​ 正宗が穏やかな笑みを浮かべて労いの言葉をかけると、六条は「とんでもないです」と少しだけ寂しそうに首を横に振った。

そして、六条は視線を正宗から外し、隣に座るアレンへと真っ直ぐに向けた。

​「……完敗だよ、仁淀くん。仕事も、それ以外もね」

​​「六条先輩……」

「今日のプレゼンを見て、嫌でも分からされたよ。羽柴さんの隣には、君が一番ふさわしいみたいだ。……二人のあの息の合い方を見せつけられたら、僕が入り込む隙なんて最初からなかったんだって、認めるしかない」

​ 六条はそう言って、憑き物が落ちたような、清々しい笑みを浮かべた。しかし、その瞳の奥には、負けず嫌いな彼らしい、どこか好戦的な光が微かに残っていた。

​「これからも、羽柴さんのこと、しっかり支えてあげてよ。……でも、忘れないでね」

「?」

「もし君が羽柴さんを悲しませたり、少しでも『隙』を見せたりしたら……その時は、次は遠慮しないから」

​ それは、身を引くライバルからの、最後で最大の宣戦布告だった。

正宗は小さな声で話している二人の間にある緊迫した空気が読めず、「ん?なんの話だ?」と不思議そうに目を瞬かせていたが、アレンには六条の言葉の真意が痛いほど伝わっていた。

​「……はい。先輩に言われなくても、絶対に隙なんて見せませんから。羽柴さんは、誰にも渡しません」

​ アレンが真っ向から視線を受け止め、強い意志を込めて答えると、六条は満足そうに「ならいいけど」と小さく笑い、自分のデスクへと戻っていった。

​「なんだ?お前たち、急に先輩後輩の熱い友情にでも目覚めたのか」

「さあ?六条先輩も、案外いい人だったってことですよ」

​ 首を傾げる正宗の隣で、アレンは嬉しそうにくすくすと笑った。

手強いライバルは自ら身を引きつつも、自分に決して油断を許さない最高の緊張感を与えてくれた。

あとはもう、この大好きな人を、自分の腕の中で思う存分甘やかすだけだ。

アレンはパソコンの画面を見つめながら、正宗には見えない角度で、口角を深く吊り上げた。

彼の頭の中ではすでに、今夜の「お疲れ様会」という名目の、二人きりの甘く濃厚な計画が進行し始めていた。