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パーフェクトスイート 第4話

完璧上司と御曹司の部下 — www.pixiv.net · All chapters

パーフェクトスイート 第4話

第4話:有能な部下と、解けゆく警戒心

​ 数日後、企画開発部に大きな案件が舞い込んだ。

来秋オープン予定である、系列最高峰のラグジュアリーホテル。その最上階に位置するメインラウンジのコンセプト設計及びテナント誘致の担当に、正宗とアレンの二人が抜擢されたのだ。

​「ターゲット層は富裕層のインバウンド。和の伝統と、世界基準のモダニズムの融合がテーマだ。……仁淀、この海外の競合データ、明日までにまとめられるか?」

「はい、問題ありません。本国のマーケティングチームが使っている最新のフォーマットに落とし込んでおきますね」

​ オフィスの会議スペース。アレンはタブレットを片手に、正宗の矢継ぎ早な指示に涼しい顔で即答していた。

配属当初、正宗はアレンのことを「海外帰りの愛想が良いだけで、ツメが甘い新人」だと評価していた。しかし、この巨大プロジェクトが動き出してから、その認識は大きく覆されることになった。

​(……速いな)

​ 正宗は手元の資料から視線を上げ、斜め前でキーボードを叩くアレンの横顔を密かに観察した。

タイピングの速度はもちろんのこと、情報の取捨選択が的確すぎるのだ。海外の膨大な文献をネイティブの語学力で瞬時に読み解き、正宗が求めている形——いや、それ以上の完成度で資料を仕上げてくる。

先日の会議では、海外の取引先と流暢な英語でタフな交渉までやってのけた。

​(とても新入社員の動きではない。まるで、経営陣のような視座で全体を見ている……)

​ 優秀な人材を数多く見てきた正宗の目から見ても、アレンの能力は異次元だった。

チャラチャラとした態度の裏に隠された、底知れない頭脳。正宗の中で、アレンに対する評価が「警戒すべき生意気な部下」から、「背中を預けられる頼もしいパートナー」へと、確実にシフトし始めていた。

​「羽柴さん。……ボクの顔に何か付いてますか?」

​ 不意にキーボードの音が止まり、アレンが画面から顔を上げた。

観察していたことがバレた正宗は、少し気まずそうに咳払いをする。

​「いや……。君の処理能力の高さに、少し感心していただけだ」

「ふふっ、光栄ですね。あの厳しい羽柴係長に褒められるなんて」

​ アレンは嬉しそうに目を細めた。いつもの人懐っこい笑顔だが、そこに資料室で見せたような強引さはない。あくまで「有能な部下」としての適切な距離感を保っている。

そのことが、正宗の警戒心をより一層解いていく要因にもなっていた。

​ そして、夜。

フロアにはすでに正宗とアレンの二人しか残っていなかった。

時計の針は二十二時を回ろうとしている。明日の役員プレゼンに向けた最終調整で、二人は並んでパソコンに向かっていた。

​「……よし。数字の裏付けも完璧だな。これで明日のプレゼンはいけるだろう」

「お疲れ様です、羽柴さん。流石のフローチャートですね、見惚れちゃいました」

「君のデータ分析があったからこそだ。……助かった、仁淀」

​ 正宗が小さく息を吐き、ネクタイを少しだけ緩める。

その素直な労いの言葉に、アレンはふっと表情を和らげた。

​「休憩にしましょうか。甘いもの、買ってありますよ」

​ アレンがデスクの下から紙袋を取り出す。中から出てきたのは、数日前に二人でリサーチに行ったモンブラン専門店の、小さな焼き菓子の詰め合わせだった。

​「なっ……これ、あの店の!」

「はい。昼休みに抜け出して買ってきました。糖分、補給しないとですよね?」

​ 正宗の瞳が、分かりやすくキラリと輝く。

仕事モードの険しい顔がスッと解け、焼き菓子を見つめる顔はすっかりあの「甘党の顔」になっていた。

アレンは立ち上がり、給湯室で淹れてきた温かいコーヒーと共に、正宗のデスクへと焼き菓子を置いた。

​「ありがとう。……いただきます」

​ 正宗が嬉しそうにマドレーヌを一口囓る。その瞬間、ふにゃりと目元が下がり、至福の表情が浮かんだ。

​(ああ、やっぱりこの顔、最高に可愛い)

​ その無防備すぎる笑顔を特等席で見つめながら、アレンの視線は、正宗の唇の端にちょこんと付いたマドレーヌの欠片に釘付けになった。

​「……羽柴さん。何かついてますよ」

​ それは数日前、六条が正宗に触れるための口実として使ったのと同じセリフだった。

​「え?ああ、すまない」

​ 正宗が慌てて口元を拭おうと手を上げた、その時だった。

アレンが素早くその手首を掴んで制止する。

​「動かないで。ボクが取りますから」

​ アレンは立ち上がったまま、デスク越しにぐっと身を乗り出した。

アレンの長い指先が、正宗の唇の端にそっと触れる。

親指の腹で優しくマドレーヌの欠片を拭い取ると、アレンはそのままゆっくりと身を引き、正宗と正面から視線を合わせた。

​「はい、取れましたよ」

​ ホッとして目を伏せようとした正宗の前で。

アレンは、正宗の唇に触れたその自らの親指を、ペロリと舌で舐め取ったのだ。

​「……っ!?」

​ そのあまりにも色気を孕んだ、確信犯的な仕草。

ボンッ、と音を立てるように正宗の顔が耳の先まで真っ赤に染まる。全身の血が一気に沸騰したかのような猛烈な動悸が、静かなオフィスに鳴り響きそうだった。

アレンは長い睫毛を伏せたまま、熱を帯びた、一人の男としての真っ直ぐな瞳で、完全にフリーズしている正宗を見つめ返した。

​「甘い。……マドレーヌより、ずっと」

「か、からかうなっ……!ここは会社だぞ!」

​ 正宗は慌ててアレンを突き飛ばすように身を引き、激しく手の甲で口元を覆った。

どうにか上司としての威厳を保とうと睨みつけるが、その瞳は潤み、肩は荒い息で上下に揺れている。

その反応に、アレンは満足げに目を細めた。

​「からかってませんよ。ボクはいつでも、本気です」

​ 真っ直ぐにぶつけられた熱に、正宗は息を呑んだ。

明日は重要なプレゼンだというのに、こんな気まずい空気になってしまった。動揺を隠しきれない正宗が、逃げるように帰る準備を始めようとカバンに手を伸ばした——その時だった。

​「……でも、安心してください」

​ ふわりと、空気が緩む音がした。

顔を上げると、アレンは先ほどの熱を孕んだ表情から一転し、いつもの「人懐っこい後輩」の柔らかい笑顔に戻っていた。

アレンは残りの焼き菓子を丁寧に小袋へまとめると、正宗の前に立った。

​「羽柴さん、手を出してください」

「ん?ああ……」

​ 正宗が促されるまま右手を差し出すと、アレンはその手を片手でそっと包み込むように取り、もう片方の手で焼き菓子の袋を正宗の掌にコトリと乗せた。

両手で丁寧に挟み込むような、どこか慈しむような渡し方。

​「これ、残りです。明日の朝、ちゃんと糖分補給して頭回してくださいね。……明日は絶対に成功させましょう。最強のパートナーとして」

​ 私情と仕事を完璧に切り分ける、スマートな言葉。しかし、触れ合っている手から伝わる体温は、誤魔化しようもなく熱かった。

​「……ああ。遅くまで残らせて悪かったな。気をつけて帰れ」

「はい。お先に失礼します。お疲れ様でした」

​ アレンは名残惜しそうに正宗の手を離すと、柔らかな微笑みを残して、先にオフィスを出て行った。

バタン、と扉が閉まる音が響く。

残された正宗は、静まり返ったフロアで一人、手の中にある小さな袋を見つめた。

​(……なんて、心臓に悪いヤツだ)

​ アレンの温もりが微かに残る自らの掌を、無意識にギュッと握りしめる。

気まずさは消えたはずなのに。仕事への信頼も深まったはずなのに。

どうしてか、胸の奥で早鐘のように鳴り続ける鼓動だけは、いつまで経っても収まる気配がなかった。

​ 圧倒的な仕事の処理能力を見せつけて『頼れる相棒』のポジションを最速で奪い取り、甘いスイーツで警戒心をゼロにさせ、二人きりの夜のオフィスで確かな男としての熱を見せつける。

そして最後は、プロフェッショナルな顔で鮮やかに引いてみせる。

これこそが、アレンが計算し尽くした『最短ルート』のアプローチだった。

仕事でもプライベートでも、有能な部下という最強のカードを武器にしたアレンの猛攻に、正宗は無自覚なまま、完全に退路を断たれようとしていた。