海風のイルシュカ
海風のイルシュカ
夕食時を迎え、ざわついている酒場で料理をつつく。定宿にしているところは食事処が併設されていないので、最近はその隣にあるこの酒場で食事を済ませている。適当に選んだわりには味も値段もそれなりなので満足している。「しかし……アンタも怖いもの知らずだね。ギルドマスターに対してあんな風に言うなんてさ。私は嫌いじゃないけど」 俺とクロエの向かい側にはイルシュカが座って同じように料理をつまんでいる。ただ彼女は味の濃い物を頼んでは酒で流しており、どちらかというと酒飲みの比重が高いようだ。まだ陽は残っているが、もうその赤毛と同じように顔を赤らめている。 テッドとセリエも誘ったのだが、二人はエリアスの用意があると帰宅していった。「この街に来てからろくでもない冒険者に出会ってばかりだからな……クロエやイルシュカみたいなまともな冒険者もいるとは分かってるけど」「お、嬉しいねえ。私のこともそう思ってくれてるとは。この煮込みをやろう」「やろうって、これ俺が頼んだ奴を取り分けた奴じゃないか」「思ったより辛かったんだよ。私、辛いの苦手でね」 小皿に分けた煮込みをこちらに寄越してくる。確かにこれはなにか辛い野菜が入っていて舌を刺激するが、そこまでではない。酒飲みでありながら辛いのが苦手なのは珍しい。「しかしまあ、やり過ぎると睨まれて面倒になるよ。銅石級や鉄洞級のうちは特にね」「それは、実体験からの感想?」 静かに鶏肉を摘んでいたクロエが聞く。クロエはそういう習慣なのか、食事の時はあまり喋らない。俺もそういう人間なのでこれまでは静かに食べていたのだが、イルシュカがいる事で一気に騒がしくなっている。「そうだねえ……そうかなあ。私が金空から降格した話はさっきもしたけど、それでもまあ頭の一つでも下げてりゃ罰金程度で済んだかもしれないからね。ただ、私はそれができなかった」 酒を呷りながらそんな風に答える。どこか遠い目をしているのは、当時を思い出しているのだろうか。 その気持ちは分かる。俺も前世でたとえ自分に非がなくとも謝罪させられる場面は多々あった。そして、その時の俺は謝ってしまった。 イルシュカはそうしなかった。それは彼女の強さなのだろう。「トーヤはいいかもしれないけど、クロエ、あんたは美人だから気をつけなよ。もしも金空級に上がったなら、ギルドのお偉いさん、その関係者があれやこれやとちょっかいをかけてくるからね。うまくあしらうか、トーヤに守ってもらうかしないと」 その物言いで、イルシュカが依頼者を殴った原因を理解した。おそらくは依頼の見返りかあるいは七光りの強権を使ってか身体を要求され、断ったのだろう。「……そうね。ありがとう」 クロエもそれを察したのか、言葉少なに頷く。「ああいやだいやだ、いやなことを思い出しちまった。これは酒で忘れるしかないねえ。というわけでお姉さん、同じのをもう一杯」 とてもそうは思えない顔でくつくつと笑いながら通りすがりの給仕を捕まえておかわりを頼む。それが届くまでの間、手持ち無沙汰に目の前の料理をつつく。「ま、だからトーヤも気をつけな。対立するのはいい。けれど、対立の仕方は常に考えておいた方がいい」「そうだな。肝に銘じておくよ」 イルシュカと話ながら、これからどうするべきかという指針ができあがってくるのを感じる。 それは今日や明日をどう過ごすか、という話ではない。 この世界でどう生きるべきか。フィーの言ううねりをどう産むか。そして同時に俺の気のままにどう生きるか。 最初はこのままギルドを見限って自分で独立したなにかを作ろうかと思った。だが、それだと影響は少ないだろう。だが、ギルドでただ昇格していくというのもなにか違う。 であれば、名を成した後に独立して組織を作ればいいのではないか。そのために、ギルドで昇格するというのは一つの手ではある。もちろんその間にも正せるものは正していけばいい。今回のように。 だが、ギルドそのものを是正するのは無理だろう。クロエの話によるとギルドは全世界に普及している組織だ。その全てを是正する――というのは現実的ではない。 だとすればやはり自分でなにがしかの組織を一から作り上げて、それで影響を及ぼせる方がいい。あるいはギルドにいる間にその辺りの人脈を作って行くのもいい。 それで俺の作った方が良ければ人は集まるだろうし、駄目ならば頓挫するだろう。 それが、俺のこの世界での生き方でいいんじゃないだろうか。力をもらい、ただ漫然と生きるよりは、目標があった方がいい。 それに、今まで会社で働くだけだったので、一度は組織の上で人を動かしてみたい。そんな気持ちもある。 駄目なら駄目で改めてこの力で生きていけばいい。そう思う。 そうと決まれば、まずはギルドで成り上がることだ。最低でも金空級にならなくては。「んっふふふふ、なにか思いついたのかい?」「いや……まあ、ね」 さすがにこれからギルドを踏み台にするために頑張る、とは言えない。クロエには折りを見て喋ってもいいが、こんな人のいる場所で話すことでもない。話がどこから漏れるかも分からない。今の俺を注目している奴はいないだろうが、今からそういう癖はつけておきたい。「もったいぶるねえ。でも、いい顔をしているね。なにか決めたときの男の顔だ」 いつの間にか受け取っていたおかわりを飲みながらイルシュカがこちらを見据えている。その顔は酔ってはいるが、瞳に酒の色はない。「ねえ、私も二人のパーティーに入れてくれないか?」「……理由を聞いてもいいかな?」 俺が問うと、器を置いて指で弾く。「そうだねえ。なんだかんだ言っても私はゴルザに加担したわけだから、あの場で斬られてもおかしくなかったのを見逃してもらった恩がある。そしてその時にアンタは私になにも要求しなかった。金や物や……私の身体」「まあ、トーヤに関してその心配はないわね」 クロエがくすりと笑い、イルシュカも少しだけ微笑む。「そして、私に関する疑惑もきちんとした形で検証して、晴らした。テッドとセリエ、あの二人を使ってね。それらを見てて思ったのさ。アンタは自分なりの方針があり、それにきっちりと従って生きている」「随分と買い被られている気がするな。俺はついこの間登録した銅石級だぜ?」「オークやゴルザとの立ち回りを見て、アンタをただの銅石級って思うような奴はゴブリンに襲われて死ぬさ。ギルドへの態度を見ていても分かる。アンタは、なにかを考えている。今じゃない、未来のなにかをね」 正直、驚いた。今正に決めた事をここまで正確に見抜かれているとは。あるいは彼女もなにかしらの異能を持っているのかも知れない。「それが面白そうっていうのが第一の理由。もう一つは現実の話として、前衛のトーヤ、後衛補助職のクロエに加えて後衛攻撃の私がいれば、安定感が増すとは思わないかい?」 言われて、返す言葉もない。確かに今回クロエの側に誰かがいればゴルザに囚われることはなかっただろう。あの状況はそれこそイルシュカのお陰で難を逃れたが、かなり危険だったのには変わりがない。もしイルシュカがいなければ、クロエになにかしらの傷がついていた可能性は高いし、最悪もっと危なかった場合もある。「イルシュカは俺たちのことをまだよく知らないだろう? 冒険者ならそんな風に簡単に決めていいのか?」「慎重な奴ならしないだろうね。ただ、私はアンタら二人を見て、悪い事にはならないだろうって思ったのさ。まあ、直感だね」 直感。それを持ち出されるとなにも返せない。実際に俺もそれでカムラスへの評価を下したからだ。「それにクロエを見ていればアンタがゲスな人間じゃないって分かる。これは女にしか、クロエと私、女同士でしか分からないだろうけどね。ねえ、クロエ?」「……そうね。それも保証するわ」 女性同士で小さく笑う。俺には分からないが、冒険者の女性同士でなにか通じるものがあるのだろう。「どうだい? 自分で言うのもなんだが、そこそこの実力は保証するよ。あと、今日の昼間みたいに私の下着も見られるかもね」「んぐふっ!」 唐突な告白に飲んでいた果実水で咽せる。「私がアンタらの側に跳んだ時、見えたろ? 派手にまくれてたからねえ」「分かってるなら手で押さえるなりなんなりしろよ……」「クロエの杖を持ってたからできなかったのさ。で、見ただろ? 私の下着」 笑いながら見つめてくるが、その瞳には言い知れぬ圧力がある。そして、見たのは事実だ。あの状況で反応している暇はなかったが、長い足とその根本にある赤色の下着ははっきり見てしまった。「まあ……その……うん……」「トーヤ?」 気付けば、クロエが凍るような瞳で俺を見据えている。細く長い指が俺の太ももへ伸ばされ、ぎゅうと抓り上げてくる。「ク……クロエ、不可抗力、不可抗力です! 見たけど不可抗力だから!」 異能を持っていても痛いものは痛い。皮膚を引っ張られる痛みにしばらく耐えていると、こちらを見つめていたクロエがゆっくりと手を離す。「そう言うときは眼を逸らすのがマナーよ」「さ、さすがに戦闘の時は勘弁して欲しい……」 痛みに悶絶していた俺をイルシュカがけらけらと笑う。そうして残りの酒を呷り、決断を促すようにかつんとテーブルの上へ置く。「で、どうだい? 私をパーティーに入れてくれるかい?」「俺はいいと思う。クロエは?」「私も構わないわ。彼女とは気が合いそうだし」 出会いこそ最悪の状況だったが、それ以降のやり取りは悪くない。内容を知らずにゴルザの依頼を受けたのは軽率ではあるが、そこはコントロールが効く部分でもあるだろう。「じゃあ、決まりだな。これからよろしく、イルシュカ」「ああ。そうと決まれば、今日は飲むかねえ。お姉さん、おかわりちょうだい!」 もう何杯も飲んでいるだろうに、また注文する。 色々とごたごたしていたが、どうやら今日の締めはパーティーメンバーの追加という吉報で終わりそうだった。