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第百二十六話「親」

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第百二十六話「親」

ヒュドラが完全に息絶えたと同時に、結晶化がとけた。

ゼニスは生きていた。

意識は戻っていないが、確かに息をしていた。

周囲には何十個もの巨大な魔力結晶と、ヒュドラの鱗を形作っていた大量の魔石が散らばっていた。

部屋の奥には大量の 魔力付与品 ( マジックアイテム ) も落ちていた。

売れば大金になる。

だが、喜び勇んで拾う奴は一人もいなかった。

俺は自分でも驚くほど、淡々と作業をこなした。

夢の中にいるようなふわふわした気分だった。

聞かれれば返事はしたが、何も考えてはいなかった。

俺ではない別の誰かが勝手に答えているかのようだった。

パウロの遺体は、その場に荼毘に付した。

死体を持ち帰りたいとか、色々思う事もあった。

だが、迷宮で死んだ人間に対する行動を、周囲に言われるがまま行った。

遺品として残っていたのは、たった三つだ。

パウロの上半身を守っていた薄い金属製の鎧。

硬い相手にほど大ダメージを与えるという 魔力付与品 ( マジックアイテム ) の短刀。

そして、いつもパウロが身につけていた愛剣。

俺の火魔術で、パウロはあっという間に骨になった。

エリナリーゼに、このまま埋めたらスケルトンになる可能性もあるんじゃないか、と聞いたら、その通りだと言われた。

なので、俺は骨を砕き、持ち帰る事にした。

土で小さなツボを作り、砕いたパウロの骨を入れる。

「……」

不思議な気持ちになった。

この気分が何なのかは分からないが、とても強く胸を締め付けるものだった。

「帰ろう」

帰り道では、俺は役立たずだった。

相変わらず足取りが不安定で、歩いている感覚がなかった。

敵は倒したし、魔術も使えた。

けれど、ロキシーがすぐ横についていてくれなければ、転移罠を踏んでしまったかもしれない。

俺がどれだけミスをしても、誰も何も言わなかった。

エリナリーゼも、ロキシーも、タルハンドも、ギースも

何も言わなかった。

文句も慰めもなかった。

誰もが言葉を失っていた。

3日かけて、迷宮から脱出した。

ゼニスはずっと誰かが背負っていた。

激しい戦闘をした時もあったが、迷宮の中で目覚める事はなかった。

不安になりつつも、しかし息をしているという事は、生きているという事だと自分に言い聞かせた。

町で出迎えてくれた三人に、なんと言ったのだったか、よく覚えていない。

確か、詳しい説明はエリナリーゼとギースがした。

俺は何も言えなかった。

何も、何も。

シェラが泣き崩れ、ヴェラがショックを受けた顔でへたり込む。

そんな光景を見ても、何も言えなかった。

リーリャは違った。

彼女は能面のような顔を作っていた。

表情を隠し、俺を見て、ぎゅっと抱きしめてくれた。

そして、大変でしたね、お疲れ様でした、あとは私に任せ、ゆっくりとお休みください、と言ってくれた。

俺はからっぽになった気分で、うんと頷いた。

宿に戻り、俺はローブを脱いだ。

見れば、肩口のあたりが、ざっくりと破れていた。

縫って直さないといけない。

そう思いつつ、俺はローブを部屋の隅に投げ捨てた。

杖も、道具袋も、何もかもをローブの上に投げ捨て……。

ベッドに倒れこんだ。

---

その晩、夢を見た。

夢の中では、俺は以前の姿だった。

鈍重で卑屈なニートの姿だった。

しかし、人神は出てこなかった。

白い部屋でもなかった。

前世の記憶。

そう、前世の夢だ。

いつの事だかわからない。

けれども覚えのある光景があった。

前世の、俺の家の、居間の様子だ。

そこで、前世の両親が、居間で俺の事について話し合っている夢だった。

夢の中の光景であるせいか、声は聞こえない。

けれど、不思議と、俺の事を話し合っているという事は伝わってきた。

あの時の両親は、俺を心配していたのだろうか。

結局、俺は両親が死んだ原因すら知らず、あの世界を去った。

二人同時に死んだのだから、病気という事はないだろう。

事故か、もしかすると、自殺だったのではないだろうか。

彼らは死ぬ間際、俺の事をどう思っていたのだろうか。

図々しいだけのニートを、どのように思っていたのだろうか。

歯がゆい気持ちはあっただろう。

情けない気持ちはあっただろう。

けど、真実はわからない。

時折、顔を合わせた母。

ある時期を境に何も言わなくなった父。

彼らは死ぬとき、俺のことをちらとでも考えたのだろうか。

そして俺は、俺は、葬式にも出ず、何をしていたのだろうか。

両親の骨も拾わず、一体何をしていたのだろうか。

なぜ、俺は葬式にすら出なかったのだろうか。

怖かったのもある。

両親が死んだというのに、悲しもうとすらしない俺に向けられる目が。

クズみたいなニートに向けられる目、敵意。軽蔑。

もちろん、それだけじゃない。

俺はそんな殊勝な人間じゃなかった。

実際、あの時の俺は、両親の死を悲しいなどとはこれっぽっちも思っていなかった。

悲しいと思うほど、俺はあの両親を愛してはいなかった。

両親が死んだ事より、これから先どうすんだよヤベェじゃんという気持ちの方が強かった。

俺は自分のこれからすらも直視出来なかった。

自己弁護をするつもりはないが、仕方の無い事だと思う。

にっちもさっちもいかない状況で、最後の逃げ場を失えば。

覚悟の決まらない状況で大海原に放り込まれれば。

誰だって現実逃避の一つや二つはしたくなる。

後悔はしているが、しかし俺は、俺を責められない。

けれど、せめて。

せめて葬式ぐらいは出ておけばよかったのではないだろうか。

当時の俺がそれで何を思ったのかはわからないが。

両親の最後の死に顔ぐらい、見ておけばよかったのではないだろうか。

骨ぐらい、拾っておけばよかったのではないだろうか。

パウロは、あいつの死に顔はどうだったっけか。

笑ってはいなかった。

満足そうな顔もしていなかった。

けれど、その口の端にほっとした笑みがくっついていた。

あいつは最後に、何を言おうとしていたのだろうか。

俺の、前世の両親は、どんな顔で死んだんだろうか。

なぜ、俺はそれを見ていないんだろうか。

今から戻って、両親の顔を見たかった。

---

翌日。

目覚めは最悪だった。

何もしたくないという気分が全身を支配していた。

けれど、なんとかごまかしてベッドを出た。

そして、隣室にいるリーリャとゼニスの所に移動した。

俺を見かけるとリーリャは瞠目して聞いてきた。

「ルーデウス様、もう大丈夫なのですか?」

「……ええ、とりあえずは。俺だけが休んでいるわけにもいかないでしょう?」

「ルーデウス様は休んでいてくださっていても、誰も何も言わないと思いますが」

リーリャの言うとおりにして、ベッドに横たわりたい気持ちはあった。

しかし、それ以上に、何かをしなければならない、動かなければならないという気持ちもあった。

「ここにいさせてください」

「……そうですね。わかりました、椅子をどうぞ」

結局、二人でゼニスの様子を見ることにした。

ゼニスは、もう何日も寝ていた。

迷宮で3日、迷宮からここまで1日で、もう4日も目覚めていない。

こうして見る限りは、ただ寝ているだけに見えた。

何日も寝たきりだというのに、特に痩せているという感じも無い。

実に健康そうだ。

記憶にある通りのゼニスだ。

もうちょっと老けているかと思ったが、そうでもない。

頬や手にさわってみると暖かく、口元に耳を近づけると息もしていた。

しかし、目を覚まさない。

もしかして、ずっとこのままなのだろうか。

このまま、衰弱して死んでしまうのではないだろうか。

そんな考えがチラと脳裏によぎる。

しかし、口には出さない。

言わなくてもいいことは、言わない方がいい。

俺とリーリャは、静かにゼニスの様子を見ていた。

時折、ヴェラやシェラがきて、あれこれと話をしていた。

でも、どんな話をしたのか、記憶には残らなかった。

リーリャと一緒に食事を取った。

空腹感はなく、飯はほとんど喉を通らなかった。

水で流し込んだが、喉につっかえて吐き出しそうになった。

ゼニスに変化があったのは昼下がりだった。

俺とリーリャの見守る前で、ちいさなうめき声と共に、ゆっくりとまぶたを開いたのだ。

「んぅ……」

その場にいたのは、俺とリーリャ、そしてヴェラだった。

ヴェラは即座に、他のメンツを呼びに走った。

俺が見守る中、ゼニスが体を起こそうとする。

普通、何日も寝たきりなら、体を起こすのも大変だろう。

しかし、ゼニスはリーリャの介助を受けつつも、ほぼ自力で体を起こした。

「おはようございます、奥様」

リーリャが微笑みながら、ゼニスに話しかける。

ゼニスは、起き抜け特有のぼんやりとした顔で、リーリャを見ていた。

「……ん」

ゼニスの声。

聞き覚えのある声だ。

思えば、この世界に生まれ落ちて、最初に聞いたのも彼女の声だった気がする。

安心する声だ。

俺はほっとしていた。

パウロは死んでしまった。

けれど、パウロが助けようとしていた人は、こうして助かった。

無事に生きていた。

パウロの意志は達成された。

パウロが死んだと聞いて、ゼニスは悲しむだろう。

泣くかも知れない。

だが、せめて、ゼニスと、リーリャと三人でパウロの死をわかちあおう。

「母さん……」

もっとも、今は言わなくてもいいだろう。

もう少し落ち着いて、彼女が現状をきちんと理解して。

それからでいい。

ゆっくりと、順を追っていけばいい。

いきなり辛い現実を押し付けるべきではない気がする。

まずは、ゼニスが生きていて、再会できた事を喜ばなければ。

悲しむより先に、喜ばなければ。

「…………?」

ゼニスはかすかに首をかしげた。

その仕草で、俺は胸を抑えた。

忘れられているのだ。

仕方ない。

ロキシーの時と同じだ。

年月が経ったから、俺の顔が変化してしまったのだ。

ちょっとショックだが、後で笑い話になる話だ。

「奥様、彼はルーデウス様ですよ。あれから十年近く経ったのです」

「……」

ゼニスはボンヤリと俺の方を見て。

そして、リーリャに視線を動かす。

彼女の目に、リーリャの顔が映る。

「……?」

そして、また首をかしげた。

リーリャの目が見開かれる。

何かがおかしい。

おかしい。

先ほどから、ゼニスの顔に表情が無い。

おきぬけ特有のものだと思っていたが、

しかし、もしかして違うのか。

言葉も発していない。

「ん」といううめき声だけだ。

そして、今の仕草。

リーリャを忘れてしまったかのような仕草。

俺だけならまだしも、リーリャを忘れるなんて有り得るのだろうか。

リーリャも少し老けた。

けれど、そう変わっていない。

髪型だって、服装だって前のままだ。

「……あぇ……あー……」

つたない声。

うつろな目。

失われた言葉。

俺たちを見ての反応。

「もしかして……奥様……?」

リーリャも感づいたらしい。

"もしかして"。

その先の言葉を理解しつつ。

嘘だろうと心の中で焦りつつ。

俺とリーリャで何度も話しかけた。

「……」

すぐに結論が出た。

ゼニスは俺たちの声には反応するが。

しかし、言葉を発することはなかった。

何を言っているのかを、理解することも、なかった。

「ルーデウス様……奥様は……失っておられます」

ゼニスは全てを失っていた。

記憶を、知識を、知恵を。

人が人として形成されるのに必要なものを、全て。

廃人だ。

パウロの事は覚えちゃいない。

リーリャの事も、俺の事も覚えちゃいない。

誰が、何をして、どうなって、どうしたのか。

覚えちゃいない。

つまり、パウロの死を、悲しむ事もできない。

わかちあう事ができない。

そんな事実をつきつけられて。

「あぁ…………」

俺の心は折れた。

---

あれから何日経ったのだろうか。

時間の感覚が曖昧になっている。

起きて、寝て。

寝て、起きて。

何度も繰り返した。

寝ている時は、パウロが死ぬ瞬間を夢に見た。

パウロがヒュドラを斬る。

ヒュドラが首を振り回す。

パウロが俺を突き飛ばして、避けさせる。

さらにパウロは動き、ヒュドラも動き。

俺は動けなくて。

パウロが俺を蹴り飛ばして、

目の前にヒュドラの頭が落ちてくる。

そして飛び起きる。

夢じゃない事を再確認し、また寝転がる。

立ち上がる気力は無かった。

考えるのは、ただ、パウロの事だ。

パウロは。

あいつは。

決して褒められる奴じゃなかった。

女癖は悪いし、見栄っ張りだし。

逆境に弱いし、酒に逃げる。

戦いの直前にも、父親らしい事は言わなかった。

父親としては、きっと失格なのだろう。

でも、俺は好きだった。

けど、その好きは、ちょっと違った。

パウロのそれとは違った。

俺から見たパウロは『悪友』というのが近かった。

体感年齢は俺の方が上だが、体の年齢はパウロの方が上。

人生経験で言っても、十数年引きこもっていた俺よりも、パウロの方が上なんだろう。

でも、そんなのは関係ない。

年齢などどうでもいい。

パウロと話していると、こいつは俺と同じぐらいだなという感じがした。

『父親』として、見ることができていなかった。

俺は、あいつの子供であると、あまり思っていなかったのかもしれない。

でも。

パウロは俺を、きちんと、自分の子供として見ていた。

中身は三十超えた、クズみたいな奴が入った子供を。

どうみても、おかしいだろって行動をしてきた俺を。

目をそむけずに、自分の家族として見ていた。

父親として至らない部分もあった。

でも、奴は俺を自分の身内として見なかった事はなかった。

他人のような振る舞いをすることはなかった。

あくまで息子として。

異常な力を持った"息子"として俺を見ていた。

真剣に向き合っていた。

奴は、父親だった。

あいつは、ずっと父親だった。

父親として数多の余計なことを抱え込みつつ、家族のために動き続けた。

そして、最後に、俺をかばった。

俺を自分の子供として、自分を父親として、かばった。

命を挺して。

当然のように。

それで、死んだ。

おかしい話だ。

俺は 子供じゃない ( ・・・・・・ ) のに。

パウロは 父親だった ( ・・・・・ ) のだ。

パウロには本当の子供が二人いる。

俺みたいなまがい物じゃない、正真正銘の子供が。

俺みたいに、別の世界の男の魂が入っていない、素直で可愛い二人の娘が。

ノルンと、アイシャが。

かばうんなら、あいつらだろう。

妻も二人いるじゃないか。

一生懸命、何年も探してようやく見つけたゼニス。

ゼニスが見つかるまで、ずっと支えてきてくれたリーリャ。

妻二人、娘二人。

合わせて四人だ。

四人も置き去りにして、どうすんだよパウロ。

お前の一番大切な相手じゃないか。

……パウロにとっては、俺も、そうだったのかもしれない。

妻二人と、娘二人、そして息子が一人。

五人の中の、誰もが同じぐらい大事だったのかもしれない。

俺はあいつを、父親として見てなかったのに。

あいつは俺を、一番大事に思っていてくれて。

ああ、くそ、なんでだよ。

パウロ。

勘弁してくれよ……。

何度も言ってきたじゃないか。

ルディ、お前を一人前として見る。

一人の男として見るって。

俺も結婚して、家も買って、妹も迎えて、そりゃ一人前な気分になってたさ。

お前をたすけに来てさ。迷宮でも活躍できてさ。

一人前なつもりだったよ。

お前もそう見ててくれたんだろ?

だから最後に、死んでも助けろなんて言ったんだろ?

なのに、なんで。

なんでだよ……。

なんで一人前の奴を庇うんだよ。

俺は帰ったら、ノルンとアイシャに、なんて言えばいいんだ。

この現状を、どう説明すればいいんだ?

あんなになったゼニスを、どうすればいいんだ?

これから先、どうすればいいんだ?

教えてくれよパウロ。

本当なら、お前が考える事だろ?

くそ。

何死んでんだよ。

ああ、ちくしょう。

俺が死んでりゃ、パウロが悩むだけで済んだのに。

……二人とも生きてれば、誰も悩まなくて、済んだのに。

(あ、だめだ)

悲しさが溢れた。

涙が止めどなくこぼれてくる。

生前……いや、前世で、父親と母親が死んだ時には、まったく泣かなかったのに。

悲しいとすら思わなかったのに。

パウロが死んだら、涙が出てくる。

悲しい。

信じられない。

いなくなっちゃいけない奴がいなくなってしまった。

パウロは父親だ。

俺の父親だったんだ。

全然、父親と思ってなかったけど。

前世の両親と同じぐらい、親だったんだ。

---

考えて、考えて。

泣いて、泣いて。

疲れてしまった。

(……何もしたくない)

俺は無気力なまま、宿の一室を動けずにいた。

やらなければいけない事があるのはわかっているのに、気力はわかなかった。

部屋から出る力すら無い。

寝て、起きて、座って。

体勢を変えながら、ただ日々を過ごした。

途中、リーリャやエリナリーゼが見に来た。

彼女らは何かを言っていた。

しかし何を言っているのか、俺にはわからなかった。

まるで唐突に言語を変えられてしまったかのように、言葉を理解できなかった。

たとえ、意味を理解したとしても、答えることができなかったろう。

俺には言葉が無かった。

彼らに対する、言葉がなかった。

もし。

もし俺が、例えば、もっと剣を使えていたら。

ヒュドラの首を両断することができたら。

パウロは死ななかったんじゃないだろうか。

俺とパウロで斬って、俺とロキシーが焼いて。

そんな風にすれば、もっと簡単に倒せたのではないだろうか。

せめて、俺が闘気をまとえていれば。

もう少し、早く動ければ。

パウロにかばわれずとも、ヒュドラの攻撃を回避できたのではないか。

あるいは。

あそこで、パウロをぶん殴ってでも、一度戻った方がよかったのでは。

一度戻って、冷静になって作戦会議をすれば。

何かいい案が浮かんだのではないだろうか。

あんなギリギリの方法ではなく、名案が。

少し違えば、もっと違ったはずだ。

だが、遅い。

パウロは死んだ。

両親の死に顔も、もう見れない。

今更何を言っても、もう遅い。