第十七話 秋の風と宇治の川 −日曜午後の風景−
第十七話 秋の風と宇治の川 −日曜午後の風景−
朝夕と日中の寒暖差が大きくなってきたこの頃。宇治川の流れは相変わらず滔々としているが、岸辺の草木は夏の色ではなく、ススキに代表されるような秋の色に置き換わっている。
未来の家から数分歩いたところにある、宇治川水管橋。その真下の階段状のコンクリートの岸辺に、私と未来は並んで腰掛けている。お尻から少々冷たい感覚が伝わってくるが、そのうち慣れるだろう。
この辺りは草木で覆われることが多いそうで、定期的に除草作業が入るらしい。未来によると、10日ほど前、数名の作業員が暑い中草刈りをしていたとか……ありがとうございます。おかげで、見晴らしがよく川面も広範囲で見渡せている。
隣に座っている未来の手には、いつも使っているトランペットが。未来のママが中学生の時から使っていたものを譲り受けたそうだ。
そして、私の手には銀メッキのユーフォニアム。未来のお母さんが、小学一年生の時から持っているというものらしい。メッキの剥がれもなくキラキラしていて、ピストンも軽やかに動くこのユーフォ、四十年近く前のものとは到底思えないほど綺麗だ。
お互いがそれぞれのマウスピースを楽器に装着し、指慣らしルーチンを始める。未来は最低音からのスケールをジェットコースターのごとく吹き始め、12のスケールを全て吹き切るのにほとんど時間を必要としないほど、高速で音符を宙に並べていく。その次は、リップスラー、タンギング、と澱みなくペットのベルから音を宇治川へ向けて飛ばし続ける。
私も負けじと、スケール、リップスラー、タンギングと。ロングトーンは割愛したけど、私の指とブレスをお借りしたユーフォに覚えてもらうような気持ちで、順番にこなしていった。
楽器が温まってきたところでマウスピースから唇を外し、フーッと一息ついて、改めて未来に確認する。
「本当にいいの?」
「ええんやって。側であの曲聴かせて」
「うん……それじゃあ」
私はすうっと息を吸い込み、マウスピースに唇を当て、唇を振るわせる。ベルからはふわりとB♭の音が吐き出され、宇治川の方へとすーっと流れていく。
体育祭も終わった翌日曜日。この日は吹部もお休み。今、私は京阪三室戸駅から少し離れた住宅街にある、未来の家にお邪魔している。前回は未来のママさんの誕生日の時にお邪魔して、プレゼントとしてサツマイモのデザートを作りを手伝って以来の再訪となる。
なぜ、再び未来ん家にいるかと言うと、体育祭が終わった時、この日曜日の過ごし方を何気なく未来と話していたら、中間考査も近いことだし、一緒に勉強して苦手分野を克服しようという話になった。まぁ、もっぱら私が教えてもらうんだけど。そして、勉強会場として選択されたのは未来の家。私はいつも使っている参考書や問題集をトートバッグに詰め込んで、昼過ぎからこちらにお邪魔している。
二階の未来の部屋で、布団がない炬燵を挟んで、問題集を前にどの問題ができるできないという話をしている。実は私、理数コースにいる割に数学の証明問題が少々苦手で、問題集で解答を練習していても、途中までで手が止まってしまう……解いていて、だんだん自信がなくなっていくからなんだけど。そのことを未来に話すと、彼女もう〜んと言葉を詰まらせてしまう。
「それはね、数こなして覚えるしかないんよ」
「ええ〜……」
「大丈夫大丈夫。どんなものにもとっかかりのポイントがあるけん、それに気がつくようになればいいだけやから」
「簡単そうに言ってくれるよ」
二人の間に置かれたグラスに入った緑茶と丸い菓子器。菓子器の中には各種様々なクッキーが入れられており、問題を解く合間、私たちは交互に手を出してはサクサクと口の中に消えていく。特に未来は、市松模様のチョコとプレーンをミックスしたクッキーを、特に好んで食べているようだ。
「例えばね、この問題なんかどこから手をつけたらいいかわかんない」
「どーれ?」
『 2^n>n^2(ただしn≥5) 数学的帰納法で証明せよ 』
「……まぁまぁ難しいのしてるんやない?」
「そう?でも、解けないのなんか悔しくて」
「まぁ、解けるけどね」
「さすがだ……」
問題集を前に、未来はシャープペンシルをノートの上で踊らせながら、解説を始める。
「えーっと、まず、n=5の時、2^5=32 > 5^2=25 で成り立つ。次に、n=kのとき、2^k >k^2 が成り立つと仮定する。仮定してしまうんよ」
「ふむ」
「次に、n=k+1のときでは、2^(k+1)=2・2^k 。帰納法の仮定より 2^k>k^2 なので、 2^(k+1)=2・2^k>2・k^2 となる。これが (k+1)^2 より大きいことを示せばよい」
「ふむふむ」
「つまり、 2k^2>(k+1)^2=k^2+2k+1 この不等式を変形すると、 2k^2−(k^2+2k+1)=k^2−2k−1>0 この不等式が成り立つか確認する」
「ふむふむふむ」
「 k^2−2k−1>0 この不等式を満たす最小の整数kを求める。解の公式より、 k=1+√2≈2.41 よって、 k≥3 は成り立つ。しかし、今回の仮定は k≥5 なので、 k^2−2k−1>0 は確実に成り立つ」
「ふーむ」
「最後ね。初期値n=5で成り立ち、n=kのとき成り立つと仮定すると、n=k+1のときも成り立つことが示された。よって、 2^n>n^2(ただしn≥5) は数学的帰納法で証明された……でどうや!」
「なんとなく、わかったような……」
「まぁ、一段ずつ階段を登っていくように考えたら、先が見えてくるもんやって」
シャーペンを鼻と口の間に挟み、うーんと唸る私。
「その、まずn=5の時、という発想が出ないんだよ」
「ああ、それはやはり場数をこなさんと。でも、この問題の場合は、すでに”ただしn≥5”とわざわざ答え書いてくれてるんやから、ああ、ここから始めればええんやなって。その分解きやすい問題かも」
「うーー、頭の出来が違う〜〜っ」
私は机の上に両手をのばして、俯してしまう。
「あははっ、瑠美子は大丈夫やって。根拠はないけど」
「なんだよ〜、それって」
口を尖らせて不満をアピールするけど、未来は請け負ってくれない
「ふう〜、ま、ちょっと休憩しよや」
「……うん」
無意識に首をくるりと回すと、首の後ろあたりから、パキッと音がする。ずっと俯いて問題解いているもんだから、首が凝ってきたみたいだ。肩を上下に動かして、軽く体を動かしてみる。
「お茶、おかわりいる?」
「あ、お願い」
「ん。じゃ、ちょっと待っといてな」
立ち上がった未来は、私が使っていたグラスと自身のグラスを手にとり、部屋を出ていった。
しばしの静寂。ぼーっとしているのも何なので、ごめんねと思いつつ部屋をキョロキョロと見回す。
この部屋は実にさっぱりとしていて、参考書や問題集、文庫本でいっぱいの本棚と机とチェストぐらいで、学校の制服が丁寧にハンガーにかけられ、一つのインテリアみたいだ。
机の傍に楽器ケースが大小二つ並べてあり、一つはいつも未来が持ち歩いているトランペットのケースというのはわかるけど、もう一つの大きいケース……何のケースかは大きさから想像つくんだけど、なぜここにあるのか不思議で首を傾げてしまう。
からりと引き戸が開いて、未来が戻ってきた。
「お待たせ」
私の目の前に、お茶が入ったグラスをことりと置いてくれる。
「ありがとう」
私は未来が目の前に座ると同時に、一つの疑問を尋ねてみた。
「ねえ、未来」
「ん?」
「あれ、ユーフォのケースだよね。ユーフォ持ってたの?」
机の側に置いてある、綺麗に黒光りする楽器ケースを指差す。
「ああ、あれね」
未来はほんの少し微笑んで返事をした。
「持っている、というか預かってるというか……」
「預かってる?」
「うん、正しく言うと、あれはお母さんのユーフォなん」
「お母さんの?吹けるんだ」
「……そうらしいんよ。吹いている所、うち見たことなくて……いや一度だけあったなぁ……そうそう!瑠美子、よく個人練の時に吹いてるやん、キーがB♭のあの短い曲。それによく似たフレーズを一瞬吹いた事があったわ」
「へぇ〜……でも、なんで未来がユーフォを?」
そう尋ねると、未来はバツが悪そうに苦笑いをする。
「へへ……あれ、小学校の時だったかな……太陽公園のサンフェスだったと思うんやけど、連れて行ってもらったことがあって。カラフルな衣装を着た人達が、楽器を持って隊列組んで、歩きながら演奏して。それが楽しそうだし、また、マーチングやから、気分が上がる曲ばっかりやん。マーチングの楽しさに感じ入って、やってみたいって言うたんよ」
「うんうん」
「家に帰ってきてから、お母さんとママが真剣な表情で、この2つの楽器を私の目の前に置いて、”楽器をやりたいならやりなさい。ただし、これのどちらか選んだ方を、です。二兎追うものは一兎をも得ずって言って、二つはできないの。で、やり始めたらとことんやりなさい”って」
「なるほど。未来ん家らしい気がする」
「そして、トランペットを選んだんだけど、選んだ理由がトランペットの方が軽かったからなんてね……ママは喜んでくれたけど、お母さんはそれは残念そうな顔をして……今でも覚えてん、あの時の表情。それ見て、悪いことしてしまったと……今でも思っててね……」
伏目がちにグラスを手に取り、こくんと緑茶を飲み込む未来。
「するとお母さんが、気が変わるかもしれないから持っておきなさいって、結局両方もらったみたいな形になって、今に至るってわけです、ハイ」
「そして、未来さんは気が変わることなく、ずっとトランペットを続けている、ということなんですね」
「左様でございます」
へぇ〜、そうなんだ。始まりの話って、面白い。
「じゃあ、小学生の時からどこかのバンドとか入ってたの?」
「そう、四年生から入ったんだけど、なんか物足りなかったなぁ。始めた頃はママが時間許す限りつきっきりで教えてくれたこともあって、スケール覚えるんに困らんかった」
「ほほぅ」
「そして、ママが使ってた練習用ノートをもらって、ひたすら吹いていたよ。あと、吹奏楽の曲や読譜はお母さんが教えてくれたん」
「未来って吹奏楽の曲に無茶苦茶詳しかったり譜面に強かったりするのは、それってお母さんが先生してくれたからなの?」
「結局、そういうことかな」
なるほど。トランペットの英才教育っぽいことを受けていたのか。道理で。
私は菓子器からもう一枚クッキーを摘み、さくっと頬張る。柔らかなバターの香りが口の中に広がり、それをグラスのお茶で流していく。
「瑠美子は?なんでユーフォだったん?」
「私がユーフォを始めたのは……私、今は平気になったけど、小さい頃から小児喘息を持っていて。楽器を吹くことで呼吸器の改善が期待できるって病院の先生が言ったのがきっかけなの」
「そうなんや……」
「家にお母さんのユーフォがあったんでね。トロンボーンも家にあったけど、私はユーフォを選んだんだ、理由はもう覚えてないんだけど。何となくこれがいい、だったかな……。で、お母さんに直に教えてもらったりとか、進藤正和っていう人が書いた、ユーフォの指南本を何度も読んだりしてた」
「なるほど」
「そして、小学校、中学校、そして今、とキャリアだけはあるという感じかな」
「ふ〜〜ん、謙遜せんでええやん。うちは瑠美子のユーフォ、藤村先輩より上手いと思ってるんやけどな」
「未来、滅多なこと言うもんじゃないよ。先輩の方が数段上だよ。私はまだまだ」
「うちは嘘つかん、と言うか、嘘つけんの知ってるやんか。……でも、音の良し悪しは聴く側の主観も入るけどな……」
すると、未来は腕組みをし、天井を見上げた。何か考え事しているようだ。
「ね、お願いがあるんやけど」
「なに?」
「さっきも言ったけど、個人練の時、よく吹いているキーがB♭のあの短い曲あるやん」
「うん」
「あれ、いま聞かせて欲しいんやけど。じっくりと聞いたことないなぁと思ったら、なんか無性に聴きたくなって……」
「いま吹くの?……吹くのは構わないけど、近所迷惑になるじゃん?」
「いや、家ん中じゃなくて、うちの練習場所で」
「練習場所があるんだ」
私が銀色のユーフォを、未来が金色のトランペットをそれぞれ手に抱いて、宇治川の堤防へと歩いている。知らない人が、楽器を抱いて歩いていく女子二人の姿を見たら、さぞ妙な光景に映るだろう。
未来に連れられ川の堤防の上へ立つと、こっちや、と言って細長い橋の方へと連れられていく。
「いつもそこで練習してるんよ」
そう言って、未来は橋の下、宇治川水管橋と呼ばれている水道管だけの橋の真下の、階段状のコンクリートの岸辺を指差す。
「へぇ、なかなか趣深いところだね。なんか隠れ家みたい」
未来は慣れた足取りで一旦水辺近くの平面に下り、そしてコンクリートの岸辺を登り、橋の真下に腰を下ろすと、ここ、と私を手招きする。
私はコンクリートの岸辺を上がろうとすると、思ったより傾斜があったので足の指にグッと力を入れつつ、慎重に上がっていき、未来の隣に腰掛ける。コンクリートのひんやりとした感触がお尻から伝わってくるが、そのうち慣れるだろう。もうすぐ10月なのに、日中は日差しがあれば少し暑さを感じていたが、この水道管橋の影の下にいると、ススキや背の高い草たちを揺らす風が緩やかに通り抜けるたび、少し秋の感触を肌に残して去っていく。
お守りみたいに肌身離さず持ち歩いているマウスピースを装着し、軽く演奏前のルーチンをこなした私は、改めて未来のリクエストを確認する。
「本当にいいの?」
「ええんやって。側であの曲聴かせて」
「うん……それじゃあ」
あの曲、というのは”響け!ユーフォニアム”。そういや、未来に曲名を言ったことなかったな。
私はすうっと息を吸い込み、マウスピースに唇を当て、唇を振るわせる。ベルからはふわりとB♭の音が吐き出され、宇治川の方へとすーっと流れていく。
ユーフォの持つ穏やかで優しく、それでいて芯がしっかりとある低音。単純ながらも情緒豊かなメロディー。
私が小学生の頃、ユーフォニアムを始めた頃に母から教わったこの曲。最初はメロディの単純さからただの練習曲としか思ってなかったのだけど、吹けば吹くほど、この曲の持つメロディーの深く温かな想いが感じられるようになってからは、今では大好きで大切な曲になった。
北宇治吹部に入部し、低音の先輩達がこの曲を練習曲として吹いているのを聴き、曲の解釈が違っていた……かなり溜めて吹いている……事にとても驚いた。後にその件を母に伝えたところ、
『楽曲も生き物だから年月と共に変わっていくものだし、変わっていってもいいんだよ』
……とのことだった。でも、自分が吹く時は、勝手に”正調・響け!ユーフォニアム”って自分で思いながら吹いたりしており、そのうち、私が元に戻そうと密かに企んでいたりする。
1分少々しかない小曲。だけど、私にとってはとても大切な曲だ。
吹き終えて「どお?」と未来の横顔に尋ねてみる。すると、彼女は真正面をじっと見据え、目元に涙をいっぱい溜めていた。
「ど、どうしたの?」
「いや……あの……なんか近くで聞くと、すごく……こう心に来るものがあって……あ、ごめん」
そう言いながら、鼻をスンと鳴らして、手の親指で涙を拭っている。
「うん、よかった……瑠美子が吹くと、ホッとするというか、とてつもなく懐かしい気持ちになって……短い中にいろんな想いが混じっているような感じもして、なんか不思議な曲やね」
「そう言ってもらえると、嬉しい。ありがとう」
穏やかな風が、私たちを包みながら走り去っていく。同時に、ススキや草木達がサワサワと擦れ合いながら大きく揺れた。
「もう一回聞かせて。で、うちがメロディを支えて、オブリガートを入れてみたい」
「もう、曲わかったの?……いいよ、OK」
トランペットを構える未来を見て、私はマウスピースに唇を当てながら、首を小さく上下に動かしてカウントを取る。
私がメロディを吹き始めると、未来は一度聞いただけなのに、ペットでベースラインを吹き始めた。そして所々、メロディの合間を優しく音符で埋めていく……二人だけなのに、とても濃密な”響け!ユーフォニアム”だ。
未来の吹くベースラインに安心して乗っかり、今まで以上にゆったりとメロディを奏で、そして目で合図しながら、柔らかく、優しく終曲する……。すごい、こんな”響け!ユーフォニアム”もできるんだ!
パチパチパチパチ……拍手?なんで?と思って聞こえてくる方を振り向くと、そこには未来のお母さんが立っている?!
「あ、お母さん!!」
かなり素っ頓狂な声をあげて驚いている未来。私ももちろん驚いている。
「いやぁ〜、お二人サン、なかなかやるやん。ええもん聞かせてもらったわ」
「どうしてここに……?」
ニヤッと口角を上げつつ、階段上の岸辺を上がってきては未来の横に腰掛けた。
「よいしょっと……買い物から帰ってきたら、玄関の鍵がきっちりかけられてたんで、あれ?と。出かけたのかなぁ、と思い、二階に上がってノックしても返事はないし、覗いてみたら寝てもない。でも、楽器ケースが二つとも違うところにあったからピンと来て、最近の調子を聞いてみてもいいかなと思って、ここにやってきたということ」
「あ……そうなの……」
「未来のお母さんって、ひょっとして探偵?」
「その気はあると思う」
「あっはっはっは。ちょっと見れば、そんなのすぐわかるよ。それよりか、その曲。瑠美子ちゃんずっと吹いてくれてるんだ。誰から教わったん?」
「はい……母から教わりました」
「そっか……やっぱりね……」
未来の隣にいるお母さんは、頬杖をついて頷いているようだ。
「吹部では低音パートの練習曲にもなっています」
「へぇ〜、そうなんだ。そうなんかぁ〜……」
「この曲知ってるん?お母さん」
「うん?……ふふふ……どうだろうねぇ……」
「まーた、謎めいた風に返事して、うちを煙に巻こうとする〜」
口を尖らせて、不満そうに言っている。
「あはは……じゃあ、ちょっとヒントあげようか。瑠美子ちゃん、ユーフォ貸して」
「え、あ、はい」
私は言われるまま、立ち上がってユーフォを未来のお母さんに渡すと、とても柔和な表情でユーフォを受け取り、気のせいか一度両手で軽く抱きしめるようにしてから、ユーフォを構えた。
「悪いけど、このままマウスピースも使わせてね」
「はい、私は構わないです」
すると、何の躊躇もなくB♭の音を吹き、そこから指慣らしなのか半音づつFまで吹く。
そして、息をすーっと吸ってからマウスピースに息を吹き入れ、始めた曲は……”響け!ユーフォニアム”!
私のものより、私のお母さんのものより、もう数段情感豊かな”響け!ユーフォニアム” 。一音一音がきらりと光るけども眩しい光じゃない、とっても優しい光を放つメロディ……上手なんてものじゃない……ユーフォって、こんな音が出るんだ……。
吹き終えて、ふうっと息を吐く未来のお母さん……私は感動して、頬を伝い落ちるものを感じている……どうやら、未来も同じ気持ちのようだ。
「うーん、どうかな。多分25年ぶりやもんなぁ、この曲吹いたのって。もうウチには用が無いと思ってたからなぁ」
「すごいです……私、感動してます……」
「お母さん……うち、お母さんが吹くの初めて見ると思う……」
すると、未来のお母さんは照れたように返事をしてくれる。
「そうだっけ?未来に聞かせたことなかったか……ごめんね……まぁ、さっきの答えっていうことで
許してな」
「うん……わかった……もう一回聞かせてくれん?」
「ええ〜……もう、だーめ。これ以上すると、ボロボロになっちゃうからね。もう、おしまい」
未来のお母さんは立ち上がりユーフォを私に渡すと、岸辺を下りていく。
「未来、お母さん先帰っとくから。遅くならんように、練習もほどほどにするんよ」
「はーい」
「それと、あんた達」
「はい?」
「……いい線いってるわ。頑張ってな」
「「はい!」」
そう言い残して、未来のお母さんは堤防の階段を上がっていき、家の方へと歩いて行った。
「……なんか、すごいのを聞かされたから、すっかり気分が落ち着いちゃったよ」
「……そうやね……家に戻ろっか……」
「うん、そうしよ」
立ち上がり、お尻をぱしぱしと手で払ってから、一旦岸辺を下りて、堤防へと上がる。
宇治川の堤防から見える、昔からほとんど変わってないと聞いた景色。太陽も傾き始めたから、私もそろそろ帰ることを考えないと。
「……未来ね……」
堤防を並んで歩きながら、未来に話しかける。
「うん?」
「……私、未来のお母さんのような、ユーフォの音を出せるようにしたい。私のお母さんの音をもう一つ太くしたような感じがした……それでいて、柔らかく滑らかな……」
「そっか」
「憧れの音が、また一つできたな」
「でも……うちは瑠美子の音も好きやで。瑠美子のユーフォは一言で言うと、真っ直ぐ。ソロだと少し細いかもしれんけど、誰かと一緒に吹いた時、ハーモニーがよく響くようになるし」
「え〜、そうなの?」
「……だから、憧れの音に近づくのもいいけど、私は今の瑠美子の音を確実にして行って欲しいなぁー、なんて思う」
「そうかぁ……自分の音を客観的にみたことなかったな……明日から意識してみるよ」
「……うちも頑張るし。高坂先生にたっくさん宿題もらってるから、こなしていかんと」
「そうだね……がんばろっか」
「うん、がんばろう」
二人してニッと笑い、楽器を持ってない方の手でグータッチをする。
「そして、中間考査もがんばろー!」
「おーっ!」