第二十話 小さい恋見つけた −育っていくのかな−
第二十話 小さい恋見つけた −育っていくのかな−
三年生が部活を引退したのは、関西吹奏楽コンクール中学校の部や文化祭も終わった日の次の土曜日のことだった。
関西大会は、今度こそと練習に練習を重ねて挑んだが、金賞は取れたものの代表校として大吉山北中学校の名前が呼ばれることはなかった。その日の尼崎の会場から宇治まで帰ってくるバスの中の静けさは、今後も忘れることはないと思う。
心の中のごく小さな棘みたいな感覚を持ったまま、文化祭での演奏を終えた次の土曜日に、三年生の引退式が行われた。引退式では、三年生だけの演奏や下級生だけでの演奏が行われ、先輩達と一緒に活動した日々を思い出しては先輩達との別れを惜しんだ。……とは言っても、先輩達は3月まで学校に居るんだけど。
引退式が終わった後の最初の二年生会議が行われた時、部長を始めとする様々な係が決められていき、自分はサックスパートのパートリーダーという肩書きが付くことになった。
自分は四月に北中に転校して来てからまだ半年も経ってないため、最初はパーリーになるのを断ったのだけど、三年の太田先輩や小野寺先輩が引退され、サックス隊はアルト二人、テナー一人の三人になってしまった。小人数ゆえ正直誰がやっても大差ないというのと、女子がほとんどの吹奏楽部でもやはり男手があった方がいいことがある……荷物持ちだろう……ので、パーリーになって欲しいという意見もあって引き受けたという格好だ。
そのパーリーになって二ヶ月経ったけど、それらしい仕事はほとんどやっておらず、強いていうなら、パーリー会議で周知された演奏会の日程や曲やその楽譜を、他のメンバーに知らせるというメッセンジャーのような仕事しかしていない。……それでもまぁ、年末に向けて忙しくなってくるだろう、とまだのんびり構えていたりしている。
テナーの方は、この時期アンサンブル・コンテストに向けての練習がほぼほぼメインになるため、それ用の個人練を日々コツコツとこなしているが、時々息抜きに、違う曲を勝手に吹いたりする。
その違う曲、というのは姉から教えてもらったもの。なんでも期末考査の後、アンサンブル・コンテストの学校予選の時に演奏する曲だと言って教えてもらった曲は、自分も聞いたことがあるチック・コリアの”スペイン”。しかし、Aメロはともかく、Bメロがなかなかすんなりと吹けない。テナーでこのフレーズが吹けたらかっこいいだろうな、と思いつつ、譜面上のおたまじゃくしを追っかけていく。
「頑張ってるねー」
廊下の突き当たりで壁を相手に16分の裏が多いフレーズを吹いていると、背中の方から一人声をかけてくる人物に気づく。吹くのをやめた自分は、声がする方に振り向いた。
「あれ、太田先輩」
吹部を引退した太田先輩が、手を後ろに組んで立っていた。リボンは忘れてもストラップは忘れない、と言われていた太田先輩の首元にはストラップは無く、ちゃんとリボンをしている。当たり前のことではあるけど、ちょっと不思議な感じ。それに伸ばしているのか、髪が肩まで伸びていて少し大人っぽく見える……。
「やあ、調子はどう?」
「ぼちぼちですけど、どうしたんですか?」
「さっきまで図書室にいたんやけどね、そろそろ帰ろうかと思って廊下歩いていたら、テナーの音が聞こえたからね」
太田先輩は、廊下の突き当たりの壁を背に寄りかかり、やや伏目がちに小さくため息をついた。
「先輩こそ、調子はどうですか。中間考査も終わって、先週三者面談だったんですよね」
「……嫌なこと聞いてくるやんか」
「あ、スミマセン……」
「いいよ……まぁー、わたしもぼちぼちでんなーって感じやね」
「そうなんですか」
「ただね……引退するまではあれだけ毎日サックス吹いていたのに、引退してからぷっつりと途絶えてしまって。なんか……こう、物足りない感じがするんよ、毎日が」
両手でサックスを持ち、キーを押しているような仕草をしている。
「勉強の合間にちょこちょこと動画配信サイトとかで音楽聴いて、物足りなさを補おうとするんやけど……できないんだよね」
「先輩のことだから、ちょこちょこやなくて、ずーっと見てしまうんやないですか?」
「何で知ってんの?」
驚いた風に、自分を見つめる先輩。以前みんなの前で言ってたことなのに。
「自分で言うてたやないですか。家に帰って勉強してて、一息つこうとしてサイト見始めたら、お母さんに見つかって叱られるまで、ずっと見てたって」
「あ……ええ、言いましたね……確かに……」
バツが悪そうに、目を逸らしながら両手を合わしたり握ったりしている。
「だって、動画配信サイトって、時間喰いなんよ。どんどん私の時間奪っていくんやから……」
「動画配信サイトってそういうものです。自重してください」
「……は〜い……わっかりましたぁ〜……」
どっちが先輩かわからなくなってしまうんだけど……まぁ、太田先輩はこういう方だから。
「で、先輩、進学先は決まったんですか?」
唐突な自分の質問に、先輩の肩がピクリと揺れる。先輩方がどこに進学するか、やはり興味はあるから失礼とは思いつつも聞いてみる。
「う、うん……」
「いつだったか、家から近い方がええなーとか言ってたでしょ?で、小野寺先輩がそんなんで決めたらあかんって言ってたような」
「うん……」
「……あれ……聞いたらあかんかったですか……?」
「いや、そんなことないんやけど……」
さっきから俯きがちに……やってしまった、やっぱり聞いたらまずかったんだ。
「スミマセン!俺、余計なこと聞いてしまって……」
「いや、違うん……そうじゃないん……あ……あの……ね……つ、塚本くんは、テナー……好き?」
「は?」
上目遣いで、質問に質問で返されてしまった。それも何だか慌てた風に。進学の話をしていたのだけど、突然テナーなんて……よくわからないな。
「そりゃあ、好きですよ。確かに最初はアルトしたかったんですけど、テナー始めたら魅力に取り憑かれてしまって……今では一番テナーが好きですよ」
そう返事すると先輩はまた俯き、両手を広げ、手のひらを合わせたり離したりしている。
「そっか……そっか……私、アルトしてるけど、……今はテナーの方が……、うん、……好き……」
「!」
え……何?今の……。消え入るような声なのに、胸の奥の方の、自分にしか分からない、けど説明できないところにいきなり入り込んできた……言葉……それとも、感情……?なんだ、この温かい塊みたいなものは……。
「いや……あのあの……じゃじゃ、じゃあ、吹奏楽は好き?」
「あ……は、はい、もちろんです。れ、練習はキツいけど、全員でトゥッティが上手く決まった時は、一人で演るよりも、ず、ずっと気持ちいいですし」
何、しどろもどろになってんだ?俺。
「うん、わ、私も同感。吹奏楽が好き。……だから、高校に行っても吹奏楽は続けたい。それに……」
「それに?」
「やるからには、とことんやりたいし、全国の景色を見てみたい……。だから、それができる学校に行きたい」
「へぇ〜、立華ですか」
「私立はちょっと……一応受けるけど本命は公立で、もうちょっと近いところ……」
「近い、と言ったら南宇治ですよね。あそこの吹部も、人数は少なくても上手くなったって聞きますよ」
「いや、もっと強豪校」
「とすると……あそこ、それでも遠いでしょ?……あの坂の上にある……」
「うん、……でも行きたい」
「北宇治ですか」
コクンと頷く太田さん。
「お姉さんがいるんでしょ?」
「あ、はい」
「ユーフォしてるんだったよね」
「そうです」
「実は……9月の北宇治の文化祭、見に行ってね……ユーフォ三人いたけど、多分右端の髪の長い綺麗な人がそうなんやろうなーって思ったんやけど……そしたら、塚本くんも来てたよね」
「ありゃ、見られてたんですか」
「黙っててごめん」
「いや、それはいいんですけど」
「……でも、さすが北宇治やった。アニメの曲とか流行りの曲もしてくれたけど、リードの”ヴィヴァ・ムジカ”や特に最後の”三日月の舞”はすごいの一言だった。あれで、全国行けんかったっていうんだから……でも、圧倒されて、惹き込まれて……」
遠くを見つめながら、その日の北宇治高校体育館での演奏を思い出しているのだろう。
「あの日はコンクールに出られなかった人も一緒に、全員参加での演奏だったそうですよ」
「あ〜、そうやったんや……あの時聴いた音が忘れられんくて……今、私はあの音の中の一つになりたいって思ってるんよ」
「……いいですね、それ」
「でしょ?」
「北宇治の音を聞いたのはあの時が初めてだったんです。俺も、圧倒されました。自分たちがやっているのと音のパワーというか熱量が全く違う」
「うん、わかる」
「姉が……朝早く学校行って、遅く帰ってくるんですけど……それでも、何だか楽しそうなんです。その大変さの向こうに何かがあるのを、姉ちゃんはわかっているから、続けてるんだろうと思います。俺も、それが何なのかを知りたい、と思ってます」
「そうやね……」
また壁に寄りかかって、俯いている太田さん。両足をまっすぐ揃えた、つま先を上げ下げなんかしている。
「じゃあ、塚本くんも北宇治にする?」
「え?今からもう決めるんですか?……まだ考えたくないですよ。でも、南宇治の方が近いからそっちにしようかって言うかもしれません。それか、急にその気になって、立華でゴメハをしたいって考えるかもしれません」
「えっ……そうなの……?」
眉間に皺寄せて……困惑の表情は似合わないな。
「あくまでも、可能性ですって。今は太田さんと同じです、あの北宇治の音を自分も出したいと思いますよ」
「あぁ、なんだ……よかった……じゃあ、ここだけのヒミツの話。塚本くんにだけ話す」
「え、な、なんですか……?」
安堵の表情をしたかと思うと、今度はヒミツだって……。
「……私、先に北宇治行くから、後から来て」
「はあ??」
「北宇治の音を出したいんでしょ?」
「う……そう、ですけど……」
「先に北宇治に行って、待ってるから。必ず来て。それまでに、私、今よりもっともっと上手くなってるから」
「はぁ……」
「ほら、約束!」
そう言いながら、右手の小指を目の前に差し出してくる。
「なんですか?これ」
「約束、しよう。私、北宇治に行って頑張る。塚本くんも来る。そして北宇治の音を奏でる。そう言う約束」
「あ、はい……」
「ほら、指出して」
言われるがままに右手の小指を差し出すと、太田さんは自身の小指を絡ませた。
「はい、約束した。うん……受験頑張れる……この冬乗り切ってやる」
小指を解いた太田さんは、えへへ、と頬を赤らめ、満面の笑みで自分を見た。
こんな笑顔、初めて見たかもしれない。そして、可愛らしい人だとは思っていたけど、今自分はこの人がとても可愛いと思った。
そう思っている自分も、多分頬あたりが赤くなっているだろう。顔が暑いし、胸のドキドキも指を絡められた時からずっと止まらないし。
「ありがとう。私、頑張るから」
「は、はい……頑張ってください」
「それに……ごめん。少し顔が見たかっただけなのに、話し込んでしまって……」
「え……」
「練習の邪魔をして、本当にごめんなさい」
深くお辞儀をし、ごめんなさい、を繰り返す太田さんの姿を見て、慌ててしまう自分に気づく。
「いやいや、大丈夫ですって」
「私、行くから。練習頑張って」
「あ、ちょっと待ってください」
「何?」
「あの……お、俺……テナーが好きですけど……アルトも……す、好き……です」
え?俺、何言ってるんだろう?考えるより先に口走っている。
すると、彼女は目を大きく見開いた後、目を細め、赤らんだ顔のままにこりと笑ってくれた。
それは、とても可愛い笑顔だった。
「そっか……ありがと。嬉しい……時々、練習見に来ていい?」
「はい、お願いします」
「うん、わかった……じゃあ、またね」
そう言い残し、ふわっといい香りも残して、廊下を早歩きで立ち去っていった。
その後ろ姿をぼーっと目で追っかけていた自分は、ポツンと廊下の突き当たりで一人取り残された気がしてきた。そして、その時ようやく、この重たいテナーをずっと持ったままだったことに気づいたのだった。
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その夜、家に帰っても上の空だったようで、「瑛斗がなんか変。いつもと違う。今日、何かあったでしょ?白状しなさい」と姉に言われ、母は何かを察したようで驚いた顔をするし、父は何も言わずただニタニタ見るし……ほんと、うちの家族は人の気も知らないで……。
もう、今日は早く寝よう……でも、あの笑顔が脳裏に焼きついてて……今日、寝られるかな……。