第二十八話 チョコと試験とこの気持ちと −バレンタインデー2043−
第二十八話 チョコと試験とこの気持ちと −バレンタインデー2043−
ここのところ、朝はかなり寒くても、日中暖かい日が増えてきた。三寒四温までではないけど、暖かい日が少しづつ増えてきているのは、単純に嬉しく思う。寒いの、嫌いだし。
そういや、自分は三月生まれだけど、家族の中には冬生まれがいない。そのためなのかはよくわからないが、家族みんな寒さには弱かったりするから、今日みたいな日はほんとありがたい。
「塚本、バイバイ」
「おう、じゃあな」
「また来週ーっ!」
「またー」
学校の正門から出て大体1キロメートルのところの交差点、ここで帰る方向が違う級友二人と別れる。
大吉山北中学校では先生達の会議でもあるのか、第二、第四金曜日は部活中止の日となっていて、6時間目が終わると即下校となる。ただ、野球部やバスケ部もそうだけど、吹奏楽部に所属している部員は金曜日放課後の代わりに土曜日に登校して、朝から昼過ぎまで集中して練習が行われるようになっている。
で、今日はその金曜日。しかし、自分はまっすぐ家に帰らず、約束があるので少し寄り道する。
通学路から少し外れたいつもの公園では何本か梅の木があり、今はどれも咲き誇っている。
木に咲く花や草花は、小さい頃母が色々と教えてくれたので、よく目にする花は名前を覚えているけれど……花の名前はなぜか姉が詳しくて、家のベランダには姉専用のプランターがあり、今はスイセンが五株咲いているし、ユーフォルビアという丸っこいサボテンに似た多肉植物を二つ育てていたりする。そのうちの一つは母から引き継いだものらしく、姉がそのユーフォルビアに何か語りかけている姿を時々目にすることがある。
まぁ、それが理由かどうかはわからないけど、とにかく自分は花を愛でると言うか、じっと見てしまう習慣がついてしまっている。
ここの梅は自分の身長と同じぐらいの大きさで、一つの幹から白梅と紅梅が両方咲くという珍しい種類のようだ。梅花の良い匂いを辺りに放ちながら、公園の片隅にそっと静かに佇んでいる。
花の一つ一つを観察していたら、背後からいきなり声をかけられた。
「いい匂いするね」
「うわっ!」
驚いて振り返ると、そこには自分の驚いた声に驚いた太田さんがいた。
「お、驚かせてごめんっ」
紺のPコートに薄桃色のマフラーをぐるぐる巻きにしたまま、太田さんは軽く頭を下げる。
「あ、す、スミマセン、でかい声出してしまって」
「いやいや、ごめんね……じーっと梅の花を見ていたから、何してんのかなーと思ったんで……何してたん?」
「梅の花を見ていただけですよ」
花を見てたなんて言うの、ちょっと気恥ずかしいけどな。
「そうなんだ。好きなん?お花」
「どちらかというと、そうですねー。綺麗じゃないですか、やっぱり。道歩いていても、ホトケノザの紫色とか、菜の花の黄色とか自然と目に入ってきますね」
「ふーん、新たな発見……」
太田さんは自分の顔をじっと見て、ぽそっと呟いた。
「なんなんですか?それ」
「うん。音楽が大好きだーって言ってばっかやないんやなーって思って」
「俺、そんなこと言ってます?」
「態度でわかるやん。個人練だってパート練だって、いつでも一所懸命やってるし」
「……だって、上手くなりたいですから。太田さんからパーリーを引き継いだんで、パーリーは上手くないといけない、と思ってるんで。そうでないと、自分の話聞いてくれないだろうし」
「まぁ、そうだけどね……ところで、塚本くん」
突然話題を変え、なぜか辺りをキョロキョロと見回している。
「はい?」
「ここでこうやって会ってくれるときは、名前で呼んでくれる約束したでしょ?この前」
「え?あ、そうでした……」
確かに、この前約束した。その場で練習もした。でも、そうは言っても……なぁ。
「遠慮するんやから……はい、私の名前はなんと言いますか?瑛斗くん?」
太田さんはスクールバッグを持った手を後ろに回し、上目遣いで顔を寄せてくる。ち、近いですっ。
「……しゅ、珠里……さんです……」
「もうっ……ふふっ、ま、そこが瑛斗くんらしくていいや」
「……どうも」
ふう、とりあえず合格したようだ。
いやっ、合格といえばっ!
「いやいや、そんなことより。どうだったんです?今日私立の、立華の合格発表の日だったんでしょ?」
「心配してくれるん?」
「当たり前やないですか。どうだったんですか?」
「えー〜……」
口篭っては、俯いてしまった。珠里さんのことだから大丈夫だろうとは思うけど、ドキドキしながら次の言葉を待っていると、すっと顔を上げ、右手でVサインを出すと同時にニコッと笑った。可愛らしくて、とてもいい笑顔で。
「受かったよ」
「よかったーっ、合格おめでとうございます!」
「へへへっ、どうもありがとう」
思わず、ぱちぱちぱちと拍手してしまった。
「これで、一つハードルを飛び越えれたんで、安心して次の本命に立ち向かうことができるよ」
「週明けの月曜日ですよね、試験日」
「うん、北宇治高校に行って、入試受けてくる。そして、合格するんだ」
右手拳をぐっと握りガッツポーズをして、力強く宣言した。
「珠里さん、頑張ってください」
「うん!」
この通学路から少し離れた公園で、珠里さんと会うようになったのは昨年末ぐらいから。
三年生が部活を引退してしばらく経った時、廊下の端で個人練をしていたら、時々珠里さんが様子を見に来てくれるようになったのだけど、ある時他の部員から「引退したのに、太田先輩はよほど名残惜しいらしい」と言われてから、個人練の時にやってくることは無くなった。
その代わりなのか、ある日の下校時、正門から出たところで珠里さんが駆け寄って来て「あっちの道から帰ろう」と、自分はほとんど通らない道へ引っ張っていかれ、その途中にあるこの公園へと足を踏み入れ「ここでお話ししたい」となったのだった。
ここで何をしているかと言うと……東屋にあるベンチに少し間を開けながら並んで座って、ただ話をするだけ。それも大体15分ぐらいだろうか、感覚的に。
話している内容も、天気、吹部、学校、勉強、そして最近気になったこと等々、たわいもない話ばかり。
でも、自分はそれでいい。それが楽しい。本当にただ喋ってるだけなのに。
でも、珠里さんはこれでいいのかな。これで楽しいのかな。本当にただ笑っているだけなのに。
側から見ると、珠里さんと自分はどう言うふうに見えているのだろう。それに、珠里さんと自分は、どういった関係なのだろう。
まだ、自分でもよくわからない。
ただ、一つだけよくわかっていることがある。
それは、こうしているだけで、自分が自分であるような気がしていること。
こうした感覚は今までなかった。だから、ちょっと戸惑うこともあるけど、それもちょっと楽しく思ったりしているんだ。
「……だから、結構疲れたよ、って……ねぇ、聞いてるの?」
「え?はい、聞いてますよ」
「む〜……なら、いいや。聞いてくれるだけでも嬉しいから」
「そりゃ、よかったです」
「へへへっ」
「……でも、どうでした?立華の雰囲気とか」
「そうやねー。新しくはないけど清潔で、活気があるように感じられて、伝統ある私立ってこんな感じなんだ、とは思った。まぁ、試験前は周りを見る余裕なんてなかったけど、試験が終わったら後はそんな風には感じたなぁ」
立華か。私立高校だったら、自分も来年受けることになるんだろうな。母さんが勤めているけれども。
今時点は珠里さんとの約束があるので、自分も北宇治に行こうと考えてはいるけど、興味をそそられる学校ではある。
「でもまぁ、あたしは北宇治でやりたいことがあるから。とにかく来週の月曜日、気合い入れて挑むんだ」
「そうですよね。頑張ってください……あまりここで長居しちゃダメですよね……そろそろ……」
「いやっ、ダメじゃないから!」
珠里さんが首を左右に振るたびに、肩あたりでふわんと丸みのある髪がわさわさと動く。
「……立華受かってホッとしているんやから、もう少し余韻に浸らせてよ……もう少しだけ……」
「でも、週明けでしょ?試験」
「……わかってるよ……でも、ここでこうして話していると、不思議と心が落ち着くんよ。だから……本命に挑む前に、気持ちを穏やかにしておきたいの」
「……そうですか」
「それに、瑛斗くんに渡しとかないといけないものもあるし」
「俺に渡すもの、ですか?」
膝上に置いていたスクールバッグの中から、小さい手のひらサイズの赤く四角い箱を取り出し、「はいっ!」と自分の目の前に勢いよく突き出された。
「な、なんですか?これ」
「バレンタインデーは明日だけど、土曜日だし、あたし一応受験生だし……今日のうちに渡しとこう、と思って……」
赤く四角い箱を持つ手が、少し震えているように見える。体ごと横に振り向くと、隣にいる珠里さんと目が合い、瞬間珠里さんは目を伏せた。その頬はほんのりと紅くなっているようにも見える。自分も耳たぶが暑く感じているから、顔もおそらく紅くなっているのだろう。
「お店で買って来たものなんだけど、あたしが準備して誰かに渡すチョコはこれ一個だけ……どうぞ、ご遠慮なく」
「……わかりました。では、いただきます」
意を決してその赤い小箱を手にした瞬間、珠里さんの何かが自分に流れ込んできた感じがした。
それは、とても温かく優しく柔らかいもののようで、なんの抵抗もなく、じんわりと自分の中に染み込んでいった。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「えーと……受け取ってくれて……あ、ありがとう……」
そう言うと、珠里さんはスクールバッグに顔を突っ込むほど俯いてしまった。
「はは……これ、開けていいですか?」
「は、はい。どうぞ、好きにして」
「では……」
きっちりと包装されている包み紙を丁寧に剥がし、現れたこれまた赤い箱の上蓋をゆっくりと開けると、中には美しい宝石のようなチョコレートが4粒入っていた。
「これ、綺麗だなー。早速いただきます。……そうだ、珠里さんも一緒に食べましょう」
チョコレートが入っている小箱を珠里さんの目の前に差し出すと、え?と驚いた表情になる。
「いやいや、あたしはいいよ。瑛斗くんに食べてもらえたら、それで充分だから」
「でも、一緒に食べると、充分が倍以上になると思いますよ。俺は、このナッツのをもらいます。珠里さんは?」
「じゃ、じゃあ……あたしはミルクチョコを……」
お互い一個ずつチョコレートを摘み、「せーの」でパクッと口にする。
口に含んだ瞬間、チョコレートの角が舌の上でゆっくりと溶けていく。ほのかな甘さが、じわりと口の中に広がっていく。
「……あ、うまい」
「うん、美味しいね」
思わずこぼれた声が、お互いの顔をますます紅くしてくような気もする。
いつの間にか、口の中からチョコが消えると、残りの2個のうち、1個を「はい」と珠里さんの手に渡す。
「あたしはもういいよ。これは瑛斗くんが食べて」
「ありがとうございます。でも、俺が両方食べるよりも、一個ずつ一緒に食べた方がずっと美味しいですよ。だから、どうぞ」
「え〜……じゃあ……」
再び、「せーの」でチョコレートを口の中へ。口に入れた瞬間、チョコがとろっと溶けて、甘さが一気に広がった。
「これも美味しいですね」
「うん……あーあ、食べちゃった……全部瑛斗くんに食べてもらおうと思ったのに」
「あー、それはごめんなさい。……俺は一緒に食べれて、とても嬉しくて美味しかったですよ」
「そう?」
「はい」
「……喜んでくれたのなら、いっか」
「ありがとうございます」
足元に伸びている自分の影が少しだ長くなったような気がする。今日はいつもより、ここにいる時間が長いようだ。
「さあ、目的は達成できた。……今日はもう帰らなきゃ。帰って週明けの試験に向けて、準備しないとね」
「はい、ほんと頑張ってください。応援してますから」
立ち上がった珠里さんは、少し考え込むような表情をした後、手を後ろに組み前屈みで自分の目をまっすぐ見据えた。
「じゃあ、お願いが。もう一度、あたしに頑張れって言って。それも、さん付けなしで」
「えっ?」
「お願い」
「……わかりました。では、心込めて言います」
「はい、お願いします」
自分も立ち上がり、深呼吸をすると近くの梅の木の柔らかい香りが鼻先をかすめる。そして、珠里さんに向かってしっかりと応援すると、最高の笑顔で返してくれた。
「珠里!頑張れ!」
「うん!頑張る!」