第二十九話 シン・かぜひきラプソディー −やらかしてしまった−
第二十九話 シン・かぜひきラプソディー −やらかしてしまった−
……あれ?この問題、何を聞いているのかよくわかんない。絶対記号を外して3つの区間に分けろって……こんなの習ったっけ……?
3月に入り、私たちは三学期の期末考査の期間に入った。各科目のテスト、無難にこなしてきたつもりだけど、最終日の今日、一時間目の英語の長文や、今やっている数学、それぞれ……なぜだか、問われている内容がよくわからない問題があった。
それに、なんか変だ。テストを受けている自分と、隣で見ている自分、自分が二人いるような感覚が今朝からずっと続いている。
そんな不思議な感覚の中で、そのわけのわからない問題と格闘すること15分ほど……”キーンコーンカーンコーン”と無機質で無情な終了のチャイムの音を、天井のスピーカーが吐き出した。その瞬間、”終了します”の文字が目の前のタブレットに表示され、否応なしに確認ボタンをタップさせられた。
「はい、終了です、お疲れさま。みんな確認ボタンを忘れないようにね」
数学の和気先生は、そう言い残して教室を出て行った。
「終わったー」
「やっと解放されるな」
「昼から部活なんやろ?」
「帰り、どっか行かん?」
休憩時間に入り、期末考査の最後の科目が終わったこともあって、急に教室内はクラスメイト達の解放感や安堵感に満ちてくる。
そんな中、私は自分の席で突っ伏していると、教室の外から戻ってきた未来が、ハンカチをポケットにしまいながら隣の席から話しかけてくる。
「どうやった?」
「何が?」
「何がって……試験終わったやん。ご感想は?」
「ダメ」
机に突っ伏したまま、顔だけ未来に向けて返事すると、声を出した瞬間喉の奥がざらりとして、自分でも驚くほど弱々しくガサガサした声だった。
「ん?ダメ?」
「うん……今回、どれもダメ……全く自信ない……各方面から怒られる、絶対……」
「……珍しいやん、かなり弱気な発言やな」
「だって……そうなんだもん……余り勉強に身が入らなかったし……」
”キーンコーンカーンコーン”
「はい、席についてー」
「あ、大林先生きたわ。続きは後で聞く」
「ん……」
「しかし、大丈夫なん?」
「何が?」
「うん、朝から覇気が無いし」
期末考査の最終日は午前中で授業が終わり、昼からは部活なので教室で未来とみみちゃんとでお弁当を食べている。
みみちゃんが私の前の席に座って、もうすっかり見慣れた、男子運動部員より大きいであろう二段弁当箱の中のおかずや白米たちをワシワシと頬張っている。
未来は今日はおにぎりを持ってきていてパクついているが、私は、いつもならお弁当を作ってくるんだけど、今朝は用意する時間がなくて、さっき購買部で買ってきた、あんぱんとブリック牛乳。あんぱんを小さくちぎっては口に運び、牛乳で流し込むを繰り返す。
「そうそう。返事が重いし、なんか顔赤くない?」
「どれ」
私の真正面にいるみみちゃんが、身を乗り出して私の額にピタッとその冷やっこい手のひらを当ててくる。
「ん?未来、首筋みてやって」
「うん」
次に未来が手を伸ばし、私の髪を持ち上げては、首の後ろにこれまた冷たい手を当ててくる。
「ヒャッ!」
「ちょっと、我慢しい。……あれ?……瑠美子、平気なん?」
「な、なにが?」
手を離した未来は、今度はその手を自分の首の後ろに当てて、どうやら手の感触を比較しているようだ。そしてその返す手で、私の手をぐっと握ってくる。
「手もかぁ……瑠美子、ちょっと熱があるんやない?」
「そう?」
みみちゃんも私の手を握ってくる。三人が手を取り合っている図……このまま空を見上げると、宇宙との交信が……ってなんだ、これ。
「うん、随分温い」
「保健室で体温計借りてちゃんと測ったら?」
「な、何を大袈裟な。大丈夫。そろそろ来る頃だから、体温高いんだよ」
「それだけかなぁ……」
「だーいじょーぶだって。今日から、春休みの定演に向けて練習再開だし、二週間後なんかあっという間に来るから、呑気なこと言ってられないよ」
「そりゃ、そうやけど」
「早く食べて、練習に行こう。試験期間中ユーフォ吹けてないから、私は早く吹きたいんだよ」
「うーん、わかった……」
未来とみみちゃんは、二人向き合ったあと私に振り向き、心配そうな目で私をじっと見つめてくる。
「もう〜、だから大丈夫だって」
そう言いながら、残り半分のあんぱんを口に押し込みもぐもぐと咀嚼したあと、ストローがささったブリック牛乳を、ずこーっと音がするまでに一気に飲み込んだ。
三年三組、低音パートが練習する教室の壁際に陣取り、ユーフォに息を吹き込む。でも、ロングトーンを吹こうにも喉が詰まりむせる感じがしてきて、時々ケホケホと咳が出てしまう。これはマズい。
「どしたん?瑠美ちゃん、そんな苦しそうな顔して」
「ふぇ?いや、何で?」
私の正面に座っているコンバスのほのかちゃんが、声をかけてくれるので、大丈夫だよと返事する。
今はパート練のため、チューバの大石先輩と藤堂くん、コンバス須崎先輩と桜井さん、そして私、といつもの席順で、軽く雑談しながら藤村先輩が教室に来るのを待っているところ。
「藤村先輩……遅いね。」
「幹部会議、長引いているんやろか」
藤村先輩が会議から戻ってきたらパート練が始まるけど、今日は開始の時間が予定より10分は遅れている。いつも、計ったかのように時間ぴったりに動く人なんだけど……と、思っていたら教室の引き戸がカラカラと開いた。
「来たみたいだね」
藤村先輩は部屋にささっと入ってくるなり、スタスタと私の目の前にきて、いきなり細長い懐中電灯みたいな機械を目の前に突き出した。
「フリーズ!」
「は、はい?」
訳がわからず驚いていると、ピピッという無機質な音が小さくても部屋中に響く。そして、藤村先輩はその懐中電灯みたいなものの液晶表示部分に表示されている数字を読み取っている。
「37.4かぁ……」
「37.4?え?瑠美ちゃん熱あるの?」
「いやいや、大丈夫ですよ」
ほのかちゃんの声をよそに、藤村先輩はずいっとその凛々しいお顔を近づけ、真っ直ぐ私の目を見る。
「だーめ。今日は帰って薬飲んで寝て……いや、病院に行きなさい。最近、妙なウイルスも現れてきてるから、用心に越したことはない。わかった?」
「大したことないですから……」
「だめ!大したことあるかないかは、病院の先生に判断してもらい」
そう言って、藤村先輩はふっと嘆息を吐く。
「……塚本ちゃん、再来週は定演があるんやで。そこでベストを出すためには、まずは健康でないとあかん。健康でないと、練習が捗らんからな。やから、調子が良くないのなら、早めに対処しておくこと……わかるやろ?」
「……はい」
「瑠美ちゃん、そうした方がええって」
「うん、わかりました。そうします……」
私は藤村先輩のお叱りに納得し、従うことにする。
「どう?ちゃんと帰れる?なんだったら、タクシー呼ぶよ」
「いえいえ、そんなことは……歩いて帰れます」
「まぁ、ちゃんと介添え人を用意したから、その点は安心やろ」
そう言いながら、藤村先輩は教室の出入り口の方を見て手を振る仕草をすると、引き戸に隠れてこちらの様子を伺っていたのか、すたたたっと中に入ってきた人物が約一名。
「未来……」
「副部長、どうもありがとうございます」
未来が藤村先輩のそばに立ち、頭を下げている。
「いやいや。こんなんでええんやったら、なんぼでもうちを使うてや。いつでも協力するで。……実はね、さっきの会議直後に田中と椹木に頼まれてん。自分たちが言うぐらいじゃ、塚本ちゃん話を聞かずに無理をしてしまう、と。同じユーフォの副部長からだったら、言うこと聞くはずやからって言うて」
「そ、そうですか……」
心の内を見透かされたようで、少し気まずく感じてしまう。
「さぁ瑠美子、楽器を片付けよう」
「て、でも未来も練習しないと」
「大丈夫、明日リカバリーするから。吹部ん中で瑠美子ん家に一番近いのってうちやけん、瑠美子送ってってやって、と山岡部長にも言われたから」
「部長まで?」
「うん、ちゃんと許可とってるから。さ、行こう」
「わかった……じゃあみなさん、すみません。お先に失礼します」
「ああ、お大事にー」
「ユーフォ、うちが持つわ」
「スタンド、私が持ってってあげるよ」
「ありがとう……」
ユーフォは未来、楽譜ファイルとスタンドはほのかちゃんが持ってくれ、教室を出て楽器室へと移動することにした。
結局、未来はJR宇治駅近くの内科の病院まで付き添ってくれた。ここまで来れば我が家まではもう一息、という所。学校の楽器室からここに至るまで、適宜話しかけてくれたりしたので、身体が怠くてもここまで帰って来れた。
診察終わるまで待つとは言ってくれたけど、この後の時間が全く読めないので、未来に話して後は大丈夫と言って、病院前で未来は帰ってもらった。もう、彼女には感謝しかない。
私は喉のざらつきと顔の温かさを感じながら待合室で結構待った後、検査や診察を受けた。その結果は、流行りのウイルスとかではない、風邪。疲れが溜まっているのではないか、との診断だった。また、今からまだ熱が出るかもしれないと言うことで、風邪薬と一緒に解熱剤も処方された。
病院を出て、縣神社を目指して歩き始めたが、思っていたより家までが遠く感じる。いつもと違う道を歩いていることもあるし、ただでさえ調子がよくないことも重なっているし。
病院での待ち時間も長かったこともあり、太陽も大分西へと傾いた。そのためか、日中の暖気が減少し、寒気が増してきたような気がする。
あれれ?これって熱が上がってきてるってことかなぁ……うーん、やっぱよくないな、これは。
宇治橋通りを横切り、あがた通りを目指してとぼとぼと歩く。こんな路地なのに、結構観光客らしき人たちとすれ違う。時折、飲食店さんから色んな匂いがしてくるが、元気な時だったら美味しそうな匂いだと感じられたはずなのに残念、とか思いながら通過していく。
だんだん足を引き摺るような感覚が増えてくる。肩からかけているスクールバッグがやけに重く、右手、左手、右肩、左肩と色々と持ち替えてしまう。
ようやくあがた通りに抜け、右へ折れ道なりに進む。ああ、奥の方に縣神社の案内標識が見えるなぁ、と思っていたら、私の目の先に見覚えがある白いクルマがパーキングを点滅させながら歩道の半分ほど跨いで停まり、これまたよく見知ってる人が、驚いていると言うか困っていると言うか、色々ないまぜになった表情で駆け寄ってきた。
「瑠美子!どうしたの?!」
「お母さん……」
「何でこんな時間にこんなところで……あなた、その顔……体調が悪くなったのね」
やっぱり。自分ではわからないけど、傍目には調子が悪いっていう顔になってんだな、今。
「あは……さっき病院行って、薬もらって、今家に向かって歩いている所」
「辛かっただろうに……」
「うんにゃ、大したことないのに、みんな帰って休めって言うから……でも病院の先生に風邪だって言われたら、なんかその気になってきて……今ちょっと辛い」
「わかった。とにかく、クルマに乗りなさい」
「やったぁ」
クルマに近寄り、助手席側ドアを開けて乗り込む。母もバタバタと乗り込み、シートベルトをしては後方からの接近車がないことを確認し、クルマを動かした。動き出したクルマはあっという間に縣神社の交差点で信号待ちとなった。う〜ん、クルマってやっぱり便利だねぇ。
シートバックを少し倒して、ふーっと一息吐く。その息が妙に温かいことが自分でもわかってしまう。
「お母さん……」
「うん?」
「今回の試験、ダメダメだった……お母さんとの約束、守れなくなった……ごめんなさい……」
「約束って?」
「頑張って現状維持すること。部活も頑張ることって……」
信号が青に変わり、母は左へとハンドルを切る。
「その話は、結果が出てからでいいから。……まぁ、少なくとも、瑠美子は夜遅くまで頑張って勉強してたと言うことは、お母さん知ってるから。そうでしょ?」
「うん」
「なら、それでよし。今は、体を休ませなさいというサインが出ているんだから、そっちの方を優先させなさい」
「はぁい」
少し道なりに進むと、我が家のあるマンションに到着。駐車場でクルマから降り、足をずるずる引きずりながら母について行き、ようやく自分の部屋へゴールイン。今日は過去一で家が遠かった……。
このままベッドにダイブしたい気持ちを我慢し、手洗いなどの帰宅ルーチンを実行。
あー、気分が悪い。早く横になりたい。
部屋着ではなく寝巻きに着替えたところで、ドアから聞こえるノックが三回。
『瑠美子、入っていい?』
「うん」
カチャリとドアを開けて入ってきた母は、コップ二つを乗せたトレーをサイドテーブルに置いた。
「寝る前に、もらった薬飲むんでしょ?たいてい食後に服用となっているだろうけど、今は食欲ある?」
「ない」
「やはり、ね。せめてこのホットミルクを飲んでから、薬飲みなさい。もう片方は、お水ね」
「あ、ありがとう……」
「じゃあね、おやすみ」
そう言い残し、ドアを閉め部屋を出て行った。
ベッドに腰かけ、ホットミルクの入ったコップを手にし、口をつける。
「あちっ」
まだ結構熱かったので、ふーふーっと吹きながら、少しづつミルクを口にする。口に含んだミルクが喉を通る時、ざらついている部分を優しく撫でながら過ぎていくので、すこし気分が落ちついてくる。
カップ半分ほど飲んだところで、飲むのをやめ、スクールバッグから病院の隣の薬局でもらった、緑色の縁がある薬袋を取り出し、その中から薬剤師さんから説明を受けた通りの数の錠剤を、アルミの細長いシートから指で押し出す。
一応、もらった説明書でも数を確認してから、錠剤たちを一度に口の中へ放り込み、お水が入ったコップからごくごくと水で薬を胃の方へと送り込む。
まだ、ミルクとか水とかが飲めるんだから、マシな方だな。でも、もう寝たい。今すぐに。
掛け布団の端を持ち上げ、隙間に足を滑り込ませてから、体全部を潜らせていく。掛け布団とマットレスのひんやりした冷たさが、体が熱っぽいためかいつもより冷たさが強調されているような感じがしてくる。
ここにきて鼻が詰まっているようなので、口呼吸をするたび視界の端の方からゆっくりと暗く溶けていく。
意識が沈み始めた。
よかった、眠りの世界に行けそうだ。
この眠りから覚めた時、あの調子が悪かったのはなんだったんだろうと思いたい。
ふわぁっと欠伸が一つ。
寝よ。
ドン、ドドン、ドン、ドドン、……
カンカンコン、キンキンコン、……
あ……サンバのリズムだ……定演の合奏練習が始まってる……急がなきゃ……。
あれ?手拍子?何で手拍子が聞こえるんだろ?しかも、これ、いつも練習している曲と違う……けど、すっごく楽しい曲だ。
(さあ!行ってらっしゃい!)
行ってらっしゃいって言われても、私なぜか身動きが取れない。どうして?……練習しないと、みんなに遅れをとってしまう……。
だんだんと音も手拍子も大きくなっていくし、だんだんと私の周りの楽しいと言う気持ちが強くなっていく。でも、取り残されていくと言う気持ちも強くなっていく。
(ちょっと、聞いてないって!ひっぱらないで!)
(あっはっはっ、頑張ってねー)
誰だろう、なんか怒っているような、でも笑っているような……手拍子と楽しさがどんどん膨れ上がっていく。私も練習してないけど、うまく演れている感じがする。私の周りが、音を楽しんでいるのがよくわかる。
すると音が途切れ、大きな拍手に包まれる。この瞬間がとても嬉しいし、とても楽しい。
(瑠美ちゃん、一緒に音楽しようね!)
「はい!……」
返事をすると同時に目を開くと、辺りは暗く、天井の常夜灯の儚げな光が部屋の中を頼りなく照らしている。
「夢……か……」
夢と現実が入り混じったような夢……時々こんな変な夢を見るけど、決まって調子が悪い時のような気がする。
今の時間を知りたくて、サイドテーブルのスマホに手を伸ばすと、1時3分と表示している。確か寝たのは5時過ぎた頃だったから、7時間以上は寝ていたことになる。5時間以上寝るのって、かなり久しぶりだ。
すると、喉が渇いていることに気づいたので、コップの水を飲もうと布団から抜け出ようとすると、インナーや寝巻きが汗でぐっしょりとなっていることにも気づいた。
「うわぁ……着替えよ」
チェストから替えのインナーや寝巻きを取り出し、タオルで汗を拭いながら着替える。バスタオルを取り出して、マットレスの上に敷き、掛け布団は表裏を反転する。
コップに残っていた水を飲み干すがちょっと物足りないので、部屋をそーっと出てキッチンまで忍足。水道の蛇口を捻りコップに受けた水をコクコクと喉に通す。ふーっ、一心地ついた。
「……どう?気分は」
「……あ、お母さん……」
皆寝ているので、物音立てないようにしたつもりだったけど、母は私の行動に気づいたのか起きてきて、小声で話しかけてきた。
「そうだなぁ……寝る前に比べたら随分マシになった。薬が効いたのか、目が覚めたら汗びっしょりだったんで、全部着替えたところ」
「そうなんだ……どれどれ」
母はその手で私の手をきゅっと握って「うん」と頷くと、次に私の額に手をあて、両手で私の頬を包むように触れ、私の首の後ろを優しく触れ、そしてハグをし、背中を軽くポンポンと叩いてくれる。これは、小さい頃から私が熱を出した時に、いつもしてくれていた母のルーチンだ。随分久しぶりに母のルーチンに触れたので、私は急に胸いっぱいになり、私も母をぎゅっとハグで返した。
「ふふ、どうしたの?」
「お母さん……」
「うん……体調、戻ってきたみたいだね。よかった、よかった。結局寝不足が祟ったんじゃないの?」
「そうかもしんない」
「じゃあ、寝ることとやりたいことの配分、うまくできるようにしないとね」
「はぁい」
「うん、……じゃあ、まだ時間あるから二度寝してきなさい。おやすみ」
ハグを解いた母は、寝室へと戻って行こうとした時、そうだ、と言って振り返った。
「着替えた服は、洗濯カゴに入れといて」
「わかった」
私の返事を聞くと、小さく手を振って寝室へと戻っていった。
コップを片付け部屋に戻り、着替えた服を持ちだし洗面台横の洗濯カゴにそっと置いてから部屋に戻り、今一度布団の中に潜り込む。自身の体温で温まっていた布団達はすっかり元の冷たさに戻っていた。ま、仕方ないか。そのうち再び温かくなっていくだろう。
改めて欠伸が出ると、そのまま眠りの世界へと移動することにした。
列車はいつもの場所に停車し、プシュっとドアが開く音がした。その音と同時にコッコッコッというローファーが小刻みに床面を蹴る音が近づいてきたかと思うと、いつもの声で私の名前を呼んでくれた。
「瑠美子!」
「おはよ」
私が小さく手を振ると、未来はストンと私の隣に座り明るめの声で話しかけてくる。
「もう大丈夫なん?」
「うん、熱も下がったし、憑き物が落ちたみたいに気分スッキリでね。これも、昨日未来が早退けしろと言ってくれたり、帰りに付き添ってくれたりしたおかげだよ。本当にありがとう」
未来は胸に手を当て、ふうっと息を吐いた。
「心配したんやからな……ほんま、無理せんといて」
「うん、ごめんね……これまで以上に気をつける」
未来の心遣いが、本当に嬉しかった……その嬉しい気持ちを、少しでも形にしてみようと思って、電車に乗る前にコンビニに行って準備したものを、バッグの中から取り出し、未来の目の前に差し出す。
「これ、どうぞ。感謝の気持ち」
「え……なんなん?これ」
「いやぁ、昨日のお礼と、先月チョコもらったお返しも込めて。ホワイトデーには一週間早いけど、まぁ、誤差範囲内ということで許して」
「いいの?うち、まだ何の用意もしとらんけど」
「いいのいいの。未来が好きそうなのがあったから、先行でね」
「ありがと……あ、ココアのクリームサンドレーズンやん。おいしそうやな〜、ありがとう」
「気に入ってくれてよかったよ」
”黄檗、黄檗です。電車とホームの間が空いてます。お降りのお客様はお足もとにご注意ください”
「あ、瑠美ちゃん」
「瑠美子やん、もう大丈夫なの?」
乗り込んできた千紗と陽菜が、吊り革に捕まり私と未来の前に立った。
「うん、もう大丈夫」
「よかったやん。いやぁ、昨日未来から”瑠美子、体調不良のため早退。付き添うからうちも早退する”ってだけLINE送ってきたから、瑠美子の重病説が飛び交ったんやで?」
「え?そうなの?」
「まぁ、うちらの間だけやけど……続報がなかったけん、正直今の今まで心配しとったわ。でも、よかった」
「ご心配おかけしました……お詫びにこれで許して」
バッグから取り出した赤い小箱を、二人に一つずつ手渡す。
「キットカットや」
「ありがと〜」
「二人とも、ありがとうね」
「あれ?」
未来がチラッと私を見たので、人差し指を唇に当てウインクして返した。ま、そう言うこと。
この後、木幡から電車に乗ってきたみみちゃんや、六地蔵で降りてから合流した凛々ちゃんにもお詫びのキットカットを手渡した。みんなに心配をかけて申し訳なかったし、心を寄せてくれる仲間達には本当に感謝している。
未来には……ありがとう、という言葉しか今は思いつかないけど、いつの日かこの恩に報いたい。
朝の空気はまだ少し冷たく、頬に触れる風が冬の名残をわずかに含んでいる。でも、陽の光はもう春を感じる。
そんな中、みんなでわいわい言いながら坂道を登っていくと、目の先には校舎が見えてきた。今日土曜日は合奏練習をじっくり行う日でもある。昨日休んだ分を頑張って取り返さないと。うん。
……期末考査の結果は、もう知らないっ。どんな結果でも真摯に受け止める覚悟はできています。
さて、今日からこつこつとやり直しますか。