第三話 学び舎の桜 ー入学おめでとうー
第三話 学び舎の桜 ー入学おめでとうー
「お母さん、わたし準備できたよ。もう行けるよ」
白ブラウスにエンジ色のリボン、グレーのブレザーにほんの少し明るいグレーの膝丈スカート、そして黒のハイカット丈の靴下に身を包んだ瑠美子が、スクールバッグを手にしながら私に催促をする。
「ゴメン、お母さんがまだ。もうちょっと待って」
さっきから、クローゼットに置いてあるチェストの下段を引き出しては、中身を引っ掻き回して戻し、次に中段を引き出しては戻し、そして上段を、その次は右側のチェストを、と繰り返して捜索しているのに、今日着て行くフォーマルスーツと一緒に買った、淡いピンクのコサージュを入れたベロアの巾着ポーチが見当たらない。どこに行ったんだろう?
「おっかしいなー……」
洋服カバーのポケットに入れていたはずなのに、引っ越しの時無意識にどこかへ置いてしまったのかもしれない。
あっちかな、こっちかな、と探していると、ネクタイを締める途中だった秀一が近づいてきて、ぼそっと話しかけてくる。
「久美子、見つかんないのか?」
「うーん。どこ置いたんだろう……焦るなぁ」
私があたふたして探していると、瑠美子は何か気付いたのか、ドレッサーに置いてあったアクセサリーボックスを手にし、開けてみている。
「お母さん、この箱じゃないん?ちょっと前に、ネックレスとかこん中に入れていたやん……ほら、巾着も入ってる」
「ええっ?」
瑠美子が手にしていたアクセサリーボックスを受け取ると、あー、あるじゃない、ベロアの巾着ポーチ。
「あったぁー……これこれ。瑠美ちゃん、ありがとうー。あ、そうか。私アクセサリーを全部まとめとくようにしてたんだ。忘れてた」
私は目的のものが見つかって喜んでいるのに、隣で呆れた表情をする秀一。なによ。
「それでその箱を蓋したら、また忘れたーなんてなるんやないか?」
「そんな年じゃないって……いや、ちょっと自信無い、最近……いやいやいや、大丈夫だから。ちゃんと覚えときますっ」
アクセサリーボックスをドレッサーに戻し、淡いピンク色した、桜の花びらをイメージしてデザインしたようなコサージュを左胸のやや上側に取り付ける。
「これでよし、と」
ドレッサーの鏡で確認する。うん、いいでしょう。
「瑠美ちゃん、どう?」
一歩下がって俯瞰で私をみてくれる。
「うん、OK」
「よかった、瑠美ちゃんの合格をいただきました」
「じゃ、準備完了やな」
「はい、お待たせしました」
「行こ行こ」
戸締まりや火の元を確認後、玄関に進み三人順番に靴を履く。履き慣れた靴を履きたいところだけど、今日は普段よりはマシなややヒールのあるパンプスにしなければね。
ダウンライトを消灯してから外に出て、玄関ドアのロックがかかるのを確認すると、「エレベーター来たよー」と瑠美子の声が。
「はいはい。わかりましたよ」と返事して、秀一と一緒にエレベーターへと駆け込む。
一階に着いたエレベーターから降り、エントランスを抜けると、外は抜けるような青空。節目の日にこんなにすっきりと晴れ渡るなんて、あの子の前途を祝福してくれてるような気がして嬉しくなる。
今日2042年4月9日水曜日は、京都府立北宇治高等学校入学式が催され、私たちの娘、瑠美子は今日からここの生徒になる。私にとって思い出深いこの学校に娘が通うようになるなんて、ほんと感慨深い。
北宇治では以前から入学式は保護者同伴で行われ、新入生が入学式前に教室でSHRをしている間、保護者は体育館で校長先生の挨拶や担当の先生より、簡単なオリエンテーションを受ける。そして、その後の入学式に参列するという段取りになっているのは、私が勤めていた十年前と変わっていない。
今回、入学式に参列するにあたり、私たち夫婦は留美子からある要望を受けていた。
「どっちか一人でいい。二人も来なくていいから」
親御さん二人とも参列する生徒は少なからずいたけど、彼女は一人だけにして欲しいと言う。恥ずかしい、だとか。分からないでも無い、私もそうだったから。
父母どちらがいくことにするか、瑠美子の厳しい選抜条件を満たしたのは、私。その理由を尋ねると「お父さん、背が高いから目立つ。恥ずかしい」だそうだ。
しかし、父親としてはどうしても参列したいと譲らず、二人の熱の入った交渉の結果、父親の執念の賜物か「校門での写真までならいい」という妥協案を瑠美子から引き出すことに成功。その瞬間の、親バカ秀一の満面の笑みを私は忘れることはないだろう。
今はこうして宇治川沿いの散歩道を三人交互に並んで、歩いている。ここの桜もだいぶん散ってきたけど、それでもまだ、はらりはらりと花が舞っている。瑠美子や瑛斗が小さい時、何度か家族みんなでここを歩いたことはあるけど、こうして高校生になった娘と桜並木の中を歩けるなんて、私は今、世界一幸せ者だと思う。いやいや、今ここには瑛斗がいないから世界一じゃないか。
瑛斗は転校先の大吉山北中で早速友達ができたみたいで、今朝も機嫌良く学校に行ったようだから、こちらも一安心。親と一緒に居ることが嫌がられるその日が来る前に、みんなでここに来なければ。それができれば、その時私は宇宙一の幸せ者になれるだろうな。
ふと、前を歩いていたはずの瑠美子を見ると、彼女は何を思ったのか桜の木の根元でしゃがみ込んでいる。何をしているのかな?と思っていると、散り積もった桜の花びらを両手で掬い、口元に近づけ、ふーーっと、手のひらに乗せた桜の花びらを吹き飛ばした。吹き飛ばされた花びらたちは、偶然にも強めに吹いてきた風に乗って、どこかしらへと飛び散っていってしまった。
「え……あれは、私……?」
瑠美子の姿と私の記憶が重なった瞬間、昔の記憶が呼び戻される……私が北宇治に入学したのは2015年4月8日か、9日か……あの頃は保護者同伴なんてなくて、一人で学校へ行って……校門先の階段で、吹部が下手な”暴れん坊将軍”演ってたっけ。あすか先輩が指揮してて……うふふふ、懐かしい。先輩たち、今どうしてるんだろう。もう十年以上は連絡とってないな……。
「なに笑っとるんや?」
「ん〜?なんでもない。ちょっと昔を思い出しただけ」
「そっか。俺も色々思い出してたわ」
「やっぱ、そうなんだ」
京阪宇治駅から電車に乗り、八分ぐらい揺られて六地蔵駅で降りる。ここからは、学校までずいぶん久しぶりの徒歩。そりゃあ、在学中や赴任してからクルマ通勤になるまでの間、それこそ毎日歩いていたんだから大丈夫と思っていたんだけど……思いっきり予測を外してしまった……。
最初は三人で会話を楽しむ余裕があったけど、住宅街に差し掛かってからは、瑠美子は当然平気だったが、私と秀一は話す余裕がなくなり、校門が見えた時は心底ホッとするという体たらく。私、まだアラフォーなのに……体力向上と体型維持のため、本格的に取り組まなければならない歳になったんだな……。
「結構歩くんだね、ここの学校……って、お母さん大丈夫?お父さんも」
「だ、大丈夫……です……あー、暑いっ」
「ふぅーっ、だ、大丈夫に、決まってるやろ……」
「もー、二人ともほとんど運動してないからやん。これを機に運動始めたら?」
「前向きに考えます……」
「同感……」
とにかく、学校の正門前には辿り着けた。ここの校舎や校門側の桜を見るのもずいぶん久しぶりだ。何もかも、皆懐かしい……。
「さぁーて、約束やで、瑠美子」
「わかってるよぉ……」
息を整えた秀一が楽しそうに声をかけるのに対し、渋々に答える瑠美子との対比が微笑ましく思う。
「お母さん、写真よろしく」
「はいはい」
校門に立てかけられている、”京都府立北宇治高等学校 入学式々場”の看板。今回作り直したのか、新しくなっている。その看板を挟むようにして、瑠美子とその父親が立っている。
私はバッグからスマホを取り出してカメラアプリを立ち上げ、レンズを二人に向ける。
「はい、撮るよー」
看板に立つ二人と一緒に、校門の中に見える桜もフレーミングに入るように調整してシャッターボタンをタップすると、パシャっと音がしてレンズが切り取った風景がモニターとしてスマホの画面に映し出される。
「もう一枚ね」
念のため、もう一枚撮っておく。モニターの画像はちゃんと意図した通りの絵が映し出されている。
「じゃ、お母さん交代しよ。瑠美子はそのままな」
「はーい」
私はスマホをバッグにしまい、秀一と交代。今度は私が立て看板のそばに立つ。
「それじゃ、撮るぞ」
秀一が内ポケットから取り出したスマホから、パシャッと音がする。
「念のため、もう一枚お願いします」
再度シャッター音がし、うまく撮れた、と秀一の顔に書かれてあった。
「もう一枚な」
そう言いながら私たちの方に駆け寄ってきて、私の背中に密着する。ちょっと、暑いんだけど。
「何すんのよ?」
「はい、瑠美子も寄って寄ってー、スマホ見てやー」
スマホをインカメラにして、無理やり三人で写ろうとする秀一。もう、面倒なやつだな。
「はい、パシャリ」
秀一の声でシャッターが切れる。モニターには、笑顔の秀一、冷静な瑠美子、迷惑顔の私、と三者三様で写ってしまった。
「もうー、消しなさいよ」
「いやいや、これでええって」
一人で悦に行ってるんだから。
「じゃあ、お父さんはここまで。今から仕事に行くんだよねぇ」
瑠美子はやれやれと言った風に、父親に話す。
「うーん、時間は都合つけれるし。お母さんと一緒に行ってもええやろ?」
「だーめ、お母さんだけという約束をわたしとしたでしょ」
「お父さん、仕方がないよ」
約束したからしょうがない、と諭すような口調で言ってみると、秀一は私の顔をじーっと見つめたのち、観念したように頭を垂れた。
「わかったよ。んじゃ、行ってらっしゃい。あ、お母さん、さっきの写真俺のに送ってくれた?」
「もちろん、もう送ったよ」
「ありがと。じゃあ、お父さん仕事行くわ。帰りの時間はいつも通りだから」
「はい、わかりました」
「じゃあねー、お父さん」
ニコリと笑って手を振る瑠美子。
「あ、そうだ。瑠美子」
「なーに?」
「北宇治高校入学、おめでとう。頑張れよ」
「うん。ありがとう!」
秀一は私たちに手を振り、踵を返して今登ってきた坂道を下っていった。
「さあ、行こ!」
「ええ、行きましょう」
柔らかい春の風が桜の花びらを運ぶ中、私たちは並んで校門の引戸門扉のレールを跨ぎ、北宇治高校へと足を踏み入れる。
いよいよ、瑠美子の三年間の高校生活が始まる。
私は彼女の母親として何がしてやれるか、正直何もわからないし、また積極的に関わるつもりもない。
ただ、見守るしかしない。
しかし、彼女が悩んだ時、落ち込んだ時、倒れそうになった時、自分自身で解決できなさそうな時がきたら、その時初めて私の出番だと思う。もう、大したことはできないだろうが、一緒に悩んであげることはできる。それだけでも少し気は楽になるだろうし、そういう時は遠慮なく頼って欲しい。
私はそのタイミングを見落すことがない様、見守り続ける。
ひたすらに。
そう、ひたすらに。
瑠美子。北宇治高校入学、おめでとう。
精一杯、頑張りなさい。
お母さんは、一生あなたの味方です。