第三十二話 散る桜と新入生 −吹奏楽部への誘い−
第三十二話 散る桜と新入生 −吹奏楽部への誘い−
私の通学路は、自宅が平等院近くのマンションの一室ということもあり、途中までは宇治川の西岸にある"あじろぎの道"という散策路そのもので、道に沿ってたくさんのソメイヨシノが植えられている。そのため今の時期、散策路は桜のトンネルとなり、桜色した空間の中を延々と歩いているような気さえしてくる。
そんな様子も4月に入って一週間が過ぎると変化が目立つようになってくる。桜は葉桜へと変身し始め、若葉が吹き出すと同時に、それまで咲いていた花が散っていく。若葉と交代して散っていった花びら達は、今度は路面を覆い、散策路を桜の絨毯へと変えていくようになり、その桜の絨毯の上を、私は毎日さくさくと踏みしめながら通学をしている。少しだけ、贅沢をしているような気分。
でも、桜の花びらを踏みしめていると、ふわっと春の暖かさのような、それでいて少しばかり青葉のような香りを感じて、なぜか道明寺が食べたくなるんだよね。
あじろぎの道の桜は葉桜へと姿を変え始めているけど、ここ北宇治高校にある桜はまだまだしっかりと力強く咲いていて、陽の光を受け薄桃色に透けて見える花びらが秒速5センチメートルの速度で舞い始めたところ。今年も校門のそばの桜は自身のうららかな姿でもって、新入生を歓迎しているようだ。
私も去年、あの校門近くの桜に歓迎されたよなぁ。そう考えると、一年ってあっという間だ。よく父や母が、一年過ぎるのが早い、とよくこぼしているけど、今その意味が少し分かったかもしれない。
4月8日水曜日、2043年度一学期の始業式と着任式が挙行された。
体育館で二年生、三年生が集合している前で、校長先生が新年度が始まるにあたっての言葉があった後、引き続いて壇上に今月から着任した8人の先生方が並んでいる。そこには、先週の1日に楽器室でばったり会い翌日から吹部の練習を見にきてくれている、新しい副顧問の高田先生もいて、校長先生に名前を呼ばれると、背筋を伸ばし深くお辞儀をしている姿がなんだか印象的だった。
それと、この日はクラス替えの発表があった。私や未来、みみちゃんはそのまま6組で担任は大林先生のままだが、千紗、陽菜、凛々ちゃんは三人とも同じ2組にクラス替えとなっていた。他にも吹部の部員数名が2組に移ったので、吹部の部員は監視対象になったのでは?というまことしやかな噂が流れたような、流れなかったような。
翌9日木曜日、入学式が体育館にて執り行われた。
今年の入学者数は196名。何年もの間、ほぼ同じ入学者数だと聞いている。府内では小中高そして大学までも、統合や廃校が頻繁に行われているが、現時点では北宇治高校は残される側になっていると母から聞いた。そのためか、まぁまぁ遠方から通っている生徒がいるそうだ。
入学式は私たち吹部も体育館の隅の方に陣取って参加し、国歌、校歌、新入生達の入退場時のBGM演奏を任されている。指揮はDMの東山先輩だ。演奏する曲は、ヴィバルディ”四季”の”春”で入場し、エルガー”威風堂々”第一番で退場する。”威風堂々”は卒業式の時も演奏したから、式典用の曲なんだなと勘違いしたくなる。
「新入生入場」
教頭先生による静かな号令により、東山先輩のタクトが拍を取り始めると同時に、吹部の演奏が始まる。
少し間を置いてから、1組から順に、緊張した面持ちで2列で体育館に入場。保護者の方々が座っているエリアの中央を抜け、指定の箇所で左右二手に分かれ、両端から内側へと起立して待つ。これを6組まで繰り返し。
新入生全員が整列したところを見計らって、「着席」の号令。一斉に椅子に座ると同時に、吹部の演奏もフェードアウト。マウスピースから唇を離し、ふうと短く息を吐く。
ここからは式次第に則り、式典が粛々と執り行われる。
国歌、校歌斉唱の時は、吹部の出番。君が代はもちろんのこと、校歌もどちらかと言うと和の響きが多いアレンジで、雅楽隊でも伴奏ができるんじゃないかと思う時がある。また、校歌を歌っているのは参列している先生方で、新入生はまず歌えない。今日初めて聞くだろうから、当たり前なんだけどね。
校長先生の式辞を聞くのは二回目だが、昨年の入学式の時と話す内容が異なっていたのには、なるほどなぁと思ってしまった。来賓の祝辞も、巷では有名な人なんだろうけどよくわからない方が淡々と話をしているが、話の内容よりも「えー」を何回言うのか、そっちの方が気になってしまった。
えー、在校生代表から新入生へのメッセージ、では、我が吹部の山岡部長のお友達でもある永島生徒会長が壇上に立ち、演台に手をついて情感豊かに新入生へ語りかけている。永島生徒会長は放送部部長もしているからこその、あの語り口調なんだろう。さすがです。
続いて、新入生代表による宣誓。今年はロングヘアーでメガネをした女子生徒が校長先生が立つ演台に向かって、淀みなく朗々と言葉を流し始めた。
去年はというと、クラスメイトの斎藤くんが宣誓をしたなぁ。クラスメイトといっても私たちと話す事はそうないけれど、未来と学年トップを争っているのを知っている。私はあのハイレベルな争いには傍観者となっているが、本音は当然のごとく未来を応援している。
新入生代表の宣誓が最後の項目だったので、私たち吹部は、今一度椅子に正しく座り直して演奏開始の合図を待つ。
「新入生退場」
教頭先生の号令で、エルガー"威風堂々"の演奏を始める。
この曲をBGMとして、新入生たちは入場時と全く逆のパターン、後方に座っていた6組から順に2列になって体育館から出ていく。式が終わった後のためか、なんだか早歩きで出ていったようにも見えた。
新入生全員が退場するとほぼ同時に、式典終了のアナウンス。それを聞いて、背もたれにもたれてフーッと長めに息を吐く。
「はい、吹部は速やかに撤収しまーす」
部長の囁くような声の指示に従い、みな席を立って楽譜ファイルと自分の楽器を手にし、ぞろぞろと出口を目指す。
とにかく、無事に終わってよかった。
卒業式と入学式での演奏は、校歌、国歌斉唱の伴奏でありBGMでもある。なので、いつもよりも音量を控えて演奏しなければならない。その抑えた演奏を行なっていたせいか、演奏は終わったけど気分は不完全燃焼みたいだ。今日のこの後の予定は、昼から明日の新入生歓迎会に向けての合奏練習。その時思いっきり吹いてやるんだ、と思っていると、後ろからみみちゃんが声をかけてきた。
「お疲れさん。楽譜ファイル持ったげようか?」
「いや、大丈夫だよ、ありがとう……って、自分のは?」
私はユーフォと楽譜ファイルを持って体育館から出てきたのに、手ぶらで手を後ろに組んでいるみみちゃんを見て、あれ?と思いながら聞いてみる。
「ほら、体育館はそのまま保護者が残ってオリエンテーションするから。それが終わってからでないと、楽器片付けれんけん」
「ああ、そうか」
「バスドラとシロフォン、重いもの置いとくついでに、スネアやシンバル、サスシンも野中先輩が構わん言うんで置いてきた。まぁー、マリンバとティンパニは、持ち込まなくて助かったんやけどね」
「あれは重いからねー」
「うん、吹部の中で一番重い。ボタンひとつで、勝手に移動してくれたらええのに。今の世の中人力で移動させるなんて……それはそうと」
「うん?」
「ついに、うちらも先輩と呼ばれる時が来てしもうたね」
渡り廊下の突き当たりで、階段を登ろうとした時、ぽそっとみみちゃんが呟く。
「うん、身が引き締まる思いはある」
「瑠美子は一年生指導係やから、尚更やない?」
「そうなんだよー。半年前、深く考えずに引き受けてしまった役職を、やらなきゃいけない時が遂に来てしまったんだよ。……ああー、不安しかない」
「あははっ、その気持ちはわかるわ」
「追いついたー、何話してんのぉ?」
3階へ向かう踊り場に到着した時、タンタンタンと階段をかけ上げる音が近づいてきたなと思ったら、トランペットを右手で抱き抱えた未来だった。そのためか、少し肩で息をしているようだ。
「あ、田中先輩、お疲れ様です」
「お疲れさまっす」
「なになに?なに、その言い方?」
「いや、今日から先輩と呼ばれることになるだろうから、慣れておこうと思って」
「中学ん時にさんざん言われたやん」
「んー、やっぱ高校で言われるのとは、なんか違うやん」
「そうかねぇ」
「年齢を重ねた分、言葉に重みが増してくるというかなんというか」
「出たよ、人生2周目の瑠美子のお言葉」
「なんだって?」
「あはははっ、あたしも瑠美子はそうやと思うわ」
「みみちゃんまでー」
階段を上がりきり、右に折れて楽器室へと向かう。この後はお昼休みのため、楽器は一旦ケースに戻しておく。お昼休みを挟み、音楽室で明日の新入生歓迎会のための合奏練習を行う予定となっている。
明日の歓迎会では、吹部の魅力をしっかりアピールして、経験者はもちろんのこと、楽器未経験者でもいいから一人でも多く吹部に引き入れ、仲間を増やしていきたい。現時点での部員は39名なので、合奏するとやはり音が薄い。吹コンのルールにおける上限値までの部員は必要と思う。とは言っても、吹奏楽部はコンクール出場だけが目的じゃないし……それでもやはり、仲間が多い方がいい。人数の分だけ大変なことも多いけど、仲間の数だけ楽しいことがあると、私は信じている。
10日金曜日、新入生たちは午前中オリエンテーションを受け、午後からは例年通り、新入生歓迎会という名目の部活動新人勧誘の会が体育館にて行われる。文化部や運動部が、限られた時間内で自部の活動内容を新入生を前にプレゼンするのである。秋の学園祭があるとはいえ、全ての部活動が一堂に会するのは、この新入生歓迎会ぐらいしかない。そのため、他部の様子を見ることができる貴重な会として、私は少し楽しみでもあったりする。
吹部は北宇治の部活の中で部員数が最も多いため、出番は毎年一番最後の大トリである。それまでは体育館の隅っこで、他の部の様子を見ることが許されている。
各運動部も、狭い体育館の中で色々と工夫してプレゼンをしている。音でアピールをしている部というと……野球部はピッチャーが投げたボールが相手のミットに収まる時のスパーンという音を体育館に響かせ、速球をアピール。サッカー部は、フリーキックでボールを蹴る音。バドミントン部は、スマッシュを打つ音。バレー部は、スパイクの音。柔道部は投げられた後受身をする際、手で床を叩く音。剣道部は竹刀を合わせた時の鶏鳴の声。
音以外では、技を実演することでアピールしており……バスケ部は3点シュートを連続で決める、ボクシング部はスパーリングで撃ち合う、陸上部は走り高跳びで人の背丈より高いところを飛ぶ、等々を披露していた。各部のプレゼンがどれだけ一年生に響いたか、拍手や歓声の大きさでその度合いがわかってくる。
一方、各文化部はそれぞれの活動内容を説明するが、中でもESS部は最初から最後まで英語オンリーで話をして、ほとんどの生徒を置いてけぼりにしていたのが印象的だった。書道部は大筆で大きい文字を書くパフォーマンス、放送部は昨年の本屋大賞の作品を一部だけ朗読、写真部はコンクール入選作品の紹介、科学部は宇治川の河川敷に住む水生昆虫研究の紹介、茶道部は抹茶の産地の説明、囲碁将棋部は詰め将棋の実演、等々。だんだん地味になってきた……。一年生の拍手もまばらになっていく……。
ここで、二つある音楽系部活の登場。まずは、軽音部が巷での流行りの曲を演奏することで、一年生も元気を取り戻してきた。
そして、私達吹部の登場。全員が定位置につき、MCの山岡部長がハンドマイクを持って指揮台の横に立ち、一年生側に向かって一礼する。
「みなさんこんにちは。ここからは吹奏楽部のお時間です。……新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。吹奏楽部、部長の山岡です。私たち吹奏楽部は、“音を、楽しむ!”をモットーにして活動しています。今日の演奏を聴いて、ちょっとでも『面白そう』と思ってくれたら、ぜひ気軽に声をかけてください。
楽器経験のある人も、まったく初めての人も大歓迎です。興味があれば、ぜひ見学に来てください。お待ちしています。それでは、一曲聴いてください」
いつもよりも増して柔らかい口調で挨拶をした山岡部長は、一年生からの拍手に対し会釈をした後そのまま指揮台にあがり、タクトを手にして私たちの方を見回す。今日の指揮者は、MCの都合で部長が務めている。
130bpmでタクトが振られると、ハイハットとピッコロによるイントロが始まり、フルートが絡み、木管がハーモニーを加え、金管が音の厚みを加え、チューバ、コンバスが低音を支え出し、イントロが終わったところで全員で声を張りあげる。
「「「ディスコぉ!」」」
吹奏楽の鉄板で、かつ明るく楽しい雰囲気をアピールするのならこの曲一択でしょう、ということで、演奏することになった「ディスコ・キッド」。”音の楽しさ”を強調するため、通常よりもリズムを跳ね気味になるよう意識しつつ演奏する。あまりやりすぎると全員がスタッカートになってしまうので、注意をしないといけないけど。
ユーフォに息を入れつつ一年生の方を見ると、はっきりとはわからないけど、概ね好感触のように思える。皆顔を上げて聴いてくれているように見えるし、何名かからは熱い視線を私たちに投げているようにも感じるような気もする。おそらく、北宇治の吹部が目当てで入学してきた人たちなのかもしれない。
地域単位で各学校混成の吹奏楽団が増えてきている中、こうして公立高校の部活動の一つとして、単独で吹奏楽をしている学校は昨今少なくなってきた。吹奏楽コンクールにおいては、北宇治は関西大会常連の吹奏楽の古豪という評判が広まっており、それを目指してやってくる人も多い。今年もそんな人が何名かいるんだろう。
クラリネットソロのあとはメインのフレーズにもどり、転調してもう一度メインフレーズ。途中、藤村先輩のユーフォソロを心地よく聴きながら、「ディスコ・キッド」もアウトロへ。そして全員のトゥッティで終了。
一年生からはまとまった拍手をもらいながら、山岡先輩は私たちに起立をさせてから指揮台を下り、一年生側に向かって再びハンドマイクを手にする。
「ありがとうございました。ただ今の曲は”ディスコ・キッド”という曲です。吹奏楽では珍しく、明るくてアップテンポな曲ですし、しかも前半”ディスコ!”という掛け声が入るという珍しい曲を演奏させていただきました。他にも荘厳な雰囲気の曲や重厚な雰囲気の曲など、いろいろな曲を練習します。そして部員全員で”北宇治高校吹奏楽部の音”を日々作っています。興味のある人は、ぜひ音楽室へお越しください。みんなで一緒に音を楽しみましょう。以上、吹奏楽部でした。ありがとうございました」
「「ありがとうございました!」」
全員で一礼すると、一年生からは大きめな拍手が送られた。感触としては悪くないんじゃないかな。
『はい、ありがとうございました。吹奏楽部の皆さんでした。各部紹介は以上です。いかがでしたか?お目当ての部活は見つかりましたでしょうか。各部とも本日を含め一週間、来週16日の木曜日までが体験期間となり、ほとんどの部では応募締め切りが17日の金曜日としています。いずれかの部に入部を希望している方は、期日を間違えないようにしてください。それでは、以上を持ちまして新入生歓迎会を終了します』
生徒会長の終了の言葉を合図として、一年生たちは席を立ち、わいわいざわざわと体育館を後にする。その姿を視界の端に入れながら、楽器を片付けたり、椅子を片付けたりしていく。
「お疲れさん」
「あ、藤村先輩。お疲れ様です」
使った椅子を所定の位置にもどして戻ってきた時、先輩が声をかけてきた。
「今日はなかなか良かったんやない?新入生の反応」
「はい。何名かからじーっと見られているような気がしましたから……多分あれは入部希望者だったんだろうな、と思います」
「あん中から、何人来るかが問題やけどな。吹コンのレギュレーションを考えると、最低でも16人以上は入ってくれないとな」
「はい」
「そして、一年生指導係の塚本瑠美子さん。その後はがんばってな。よろしく」
「は〜〜い……」
先輩の明るい声に反し暗めの声で返事したもんだから、藤村先輩に笑われてしまった。
そう、来週の入部の日に新入部員の楽器が決まったその翌週から、一年生向けの説明と練習が始まる。後輩に指導するなんて……そりゃあ中学の時はしたけど、今とはレベルが違うと思うし……ああ、また心配になってきた。私、ちゃんと務まるんだろうか。
”まぁまぁ、なんとかなるよ”
ん?なんだろう、体育館から撤収するつもりで抱き抱えたユーフォが、私にそう言ったような気がした。怖っ。
でも……そうだな、なんとかなるか。だって、今までなんとかなってきたんだから。
よーし、やってやるぞ!……って、単純だな、私。