第三十七話 はじまりはいつも風の中 −吹コンに向けて −
第三十七話 はじまりはいつも風の中 −吹コンに向けて −
一学期の中間考査が終わった。
前回、試験の対策不足やら体調を悪くするやらという失敗をしたことに対する反省を踏まえ、ちゃんと準備をして迎えたつもりだ。その結果は来週返ってくるけど、良くても悪くても、受け入れる覚悟はできているし、結果を受けての次の行動に移るシナリオも考えた。部活だけでなく、勉強も頑張らねば、ね。
試験終了後のSHRも終わり、今日の授業は終了。帰宅部の面々以外はお昼休みを挟み、午後から部活が再開となる。我が吹奏楽部の再開一発目の行事は、音楽室に部員59名全員が集合しての、全体ミーティングだ。
指揮台に立つ山岡部長から、スマホやタブレットに送られたスケジュール表にそって説明が行われる。
「これは再度の周知ですが、月末の日曜日、梅小路の野外バンドフェスがあります。16校が参加し、私たちの出演は14番目です。曲は、"A Hard Day's Night"と”He's a Pirate”、そして”Soundscape”ですので、自身のパートを復習っておいてください。また、多くの高校が集まりますので、他校の演奏を聴く良い機会だと思います。……次は7月中頃にショッピングモールでのイベントでの演奏があります。えーと、それ以降は秋まで、学校外での演奏は今のところ予定されておりません」
この時期、学校外の演奏会等は例年あまり行われておらず、演奏会が好きになってきた私は少し寂しく思ってしまう。まぁ、夏は暑いし、今からの時期にある吹部の大イベントに対して集中しないといけないから、仕方ない。
「では、次に今年のコンクールの話をします」
教室内に緊張が走る。
"全日本吹奏楽コンクール"、私たち吹奏楽部員にとって、最大のイベント。例えていうなら、野球部員が甲子園を目指したり、放送部がNコンを目指すようなものだ。私たちが目指すことができる究極の目標。
……コンクールの存在意義について色々な意見が飛び交うけど、夢中になって仲間たちと一緒に何かをやり遂げたいという動機であり目標でもある、ということでいいじゃないかって私は思っている。
「吹コンにおける私たちの目標は、四月の頭にみんなで決めた通り、”全国金賞”です。確かに、全国への壁は厚く、残念ながら私たちの先輩方も、ここ何年かは壁を超えることができていません。でも、今の私たちならやれる。私も部長としてみんなの音を聞いてきて半年経ちましたが、みんなとなら壁を越えていけると信じてます。みんなで目標を同じくして、全国金賞を目指してやり遂げましょう!」
「「はいっ!」」
部員みんなの力強い返事を聞き、山岡部長は満足そうに頷いていた。
「それでは、今年の課題曲と自由曲の楽譜をみんなに配信します。フルスコアを送りますので、アプリで自分のパートを見るようにしてください。副部長、よろしく」
「了解」
受信完了のポップアップをタップすると、スコアが二つ、フォルダ内に入っている。
「まずは課題曲ですが、課題曲は IIの”風花の詩”です。作曲者は、伊藤士恩さん。自由曲は、”風紋譚〜四つの風が織りなす物語〜"です」
教室がざわめく。
「え……?」
「知ってる?」
「いや〜……」
「”リズ”じゃないんや」
「聞いたことないよなぁ」
周りの先輩達がこそこそと話し合ってるが、みんながこそこそ話すことが積み重なって、結構な音量になっている。
私も聞いたことがない曲、でも作曲した人は聞いたことがある。たしか、”リズと青い鳥”を書いた人だったはず。色々と思い浮かべようとした時、チラリと隣に座っている未来を見ると、真剣な眼差しで、少し緊張しているような面持ちでタブレットの楽譜を見ている。
「はい、静かに!」
部長がパンパンと両手を叩くと、ざわついていた教室が元の静けさに戻っていき、みんなの視線が指揮台の山岡部長に集まる。
「まずは課題曲から少し説明します。この曲は、北宇治の音にいちばん合っていると判断しました。派手さはないけど、フレーズの流れや透明感がすごく大事な曲で、北宇治の良さが自然に出ると思っています」
みんな、部長の説明に静かに頷いている。
「それから、木管のソロとアンサンブルのバランスが良いのも理由の一つです。フルート、オーボエ、クラのソロが要所にあり、それを周りがどう支えるかがポイントです。……後一つは、……後で言おうか」
ここで部長は一度言葉を切り、教室を見渡した。
「……じゃあ、自由曲の説明です」
授業形態に机が整然と並べられている音楽室の空気が、また少しだけ張りつめる。
「自由曲は、”風紋譚〜四つの風が織りなす物語〜”。作曲は、”リズと青い鳥”の卯田百合子さんです」
再び教室がざわつく。でも今度は、驚きと期待が混ざったざわめきだった。
「はい、静かに」
部長は落ち着いた声で話を続ける。
「もうスコアに添付している解説文を見ている人もいるだろうけど、改めて。……卯田百合子さんの名は、吹奏楽部なら誰でも知ってる名前やけど、この”風紋譚”は、その卯田さんが昨年発表した最新作になります。ですので、調べた限りでは、コンクールの自由曲として演奏するのは私たちが最初であり、それゆえ、かなりチャレンジングなことになります」
最新作か……卯田さんが作る吹奏楽の曲はストーリー性が強いものが多い。この曲も同様に、何かの物語がベースになっているんだろうか。
「曲のテーマは、“四つの風が織りなす物語”。春の風、夏の風、山を越える風、そして地表をなでる風。それぞれの風が、音として、色として、物語として現れ、最後に一つの大きな流れになります。エンディングへ向かっての盛り上がりが、ハンパなく強い作品だと思います。そして……」
部長が話を続けようとしている時、藤村副部長や東山DM、そして種崎先輩がそれぞれ顔を見合わせてから、正面を見つめるような仕草をしている。
「この曲の大きなポイントとして、ソリが2箇所あります。前半がフルートとオーボエのソリ、そして後半にトランペットとユーフォニアムのソリです。この4つの音が“風の語り部”として、曲全体を導いていきます。ソリはもちろん難しいけど、それ以上に大事なのはそのソリを支える周りの音が、どれだけ“風の質感”を作れるかです」
ブラスバンドで”風の質感”かぁ……ウィンドマシンだけじゃダメなんだろうな。
「この曲、技術的にはグレード6に相当しますが、この曲の本当の難しさは、音楽の“成熟度”が問われるところにあります。ただスコアをなぞるだけでは、当然ながら音楽は成立しません。音の温度、風の方向、呼吸の揺れ。そういう“見えないもの”を全員で共有しないと、この曲は絶対に形になりません。……じゃあ、なんでこの曲を選んだのか。理由は簡単です。北宇治なら、この曲を“物語”として成立させられると思ったからです」
教室内は静まり返り、山岡部長のはっきりした声だけが響いている。
「木管の透明感、金管の柔らかさ、低音の支え。そして、今年のメンバーの個性。全部合わせて、今の北宇治にしかできない音楽があると、判断しました。……ここで、さっき説明を一つ保留にした課題曲"風花の詩”ですが、この自由曲との相性がいいと思います。どちらも“風”をテーマにしていて、課題曲が“風の始まり”、自由曲が“風の物語”という流れになります。課題曲と自由曲の12分間で一つの物語になるようにしたかったんので、課題曲はⅡを選びました」
なんだか、聞いていて結構難しいと思ってきた……いや、昨年のコンクールで演奏した曲も十分難しかったけど、今回はもう一段レベルが上がったようだ。
山岡部長はみんなを見渡してから、教卓に両手をついて話を続ける。
「……簡単ではありません。むしろ、これまでで一番しんどい夏になると思います。でも、このメンバーなら、絶対にできる。そう信じて、自由曲に"風紋譚"を選びました。みんなで、この風の物語を作り、全国の舞台に立ちましょう。……みんなで、今年の夏を最高の夏にするよ!!」
「「はいっ!!!」」
教室中に響いた返事は、大きく、そして強く感じた。
「私からは以上です。副部長、ドラムメジャー、何かありますか」
「もう全部言われちゃったから、何もないわ」
「あたしも」
「……じゃ、ええんやね。では、……あ、言い忘れとった。えー、参考音源は部内のフォルダに置いてあるものを聞いてください。多分ネットを探しても見つかんないと思うんで。それと、各自譜読みしといてください。週明けからコンクール曲の練習に入りますので。……それじゃ、ミーティング終了します」
「「ありがとうございました」」
全体ミーティングが終わった今からは、個人練の時間。席を立ち楽器室に行く者、まだ座ったまま隣と話している者、そのまま机にうつ伏せになる者、等々ざわざわとしている音楽室の中で、右隣の珠里ちゃんがスクッと立ち上がった。
「瑠美子先輩、わたし先に行って始めておきます」
「うん、わかった」
珠里ちゃんを見送り、私は足を前に投げ出して、座ったままうーんと伸びをして、細長く息を吐く。
ふと左隣をみると、未来がタブレットを見ながら固まっている。
「未来?どうしたの?」
私が声をかけても、こちらを振り向かない。ぼーっとしているのではなく、集中している時の顔だ。
「おーい、未来」
手を伸ばし肩をポンポンと叩くと、ハッと驚いて私の方に振り向いた。
「あ……瑠美子か」
「集中している時にごめん。個人練に行くんだけど、まだここにいる?」
「え?……あ、いや、うちも練習に行く」
そう言いながら、タブレットをスリープしてバッグに入れて立ち上がる。なんだか慌てているような、未来にしては珍しい行動だ。
「お待たせ、行こ」
「ああ、うん」
私もつられたようにばたつきながら席を立ち、並んで教室の出口へと向かった。
「めっちゃ大変やな、あの曲」
「あの曲って……自由曲?」
「そう、"風紋譚”」
今日は久しぶりに未来と二人だけで、学校の門扉を出た。ほとんど毎日、私たちは六人セットで登下校しているんだけど……あ、そうだ。この前、副顧問の高田先生から言われたんだ。
「私の時も、北宇治カルテットや南中カルテットがいたけど、六人は珍しいね。セクテットというよりかは、"北宇治六人衆"って呼んであげる」
……なんてみんなの前で言われて以来、先輩や後輩からもそう呼ばれるようになってしまって……その私たち以外の四人は、それぞれ所用があるからと言うことで先に帰ってしまっていた。こうして、二人並んで、勢いよく流れる用水路の水の音を耳にしながら学校前の坂道下りていくのも、なんだか結構久しぶりな感じだ。
「初見で大体こう吹いたらいいってわかるもんやけど……あの曲なんかわからんくて、何回も読み直してしもうてん。お陰でペットを吹く時間が無くなってしもうたわ」
「未来でもわからないって言うのがあるんだ」
「そりゃあるよ。うちは全知全能の神様ちゃうで」
「そうなの?私、その全知全能の神様の写真を部屋の机においていて、拝礼してから寝起きしてるのに」
「何それ?」
「お正月の時の、着物姿の未来の写真飾ってるの」
ちょっとイタズラっぽく言ってみたら、赤縁の眼鏡の奥で眼を見開き、未来の顔が瞬く間に紅くなった。
「えー?!何やってんのー?!そんなん、やめてやー!」
そう言いながらブンブンと手を上下に振る未来が、ちっちゃい子がするように見えてとても可愛い。
「ごめんごめん、冗談だって」
「もう〜、揶揄わんといてよ」
でも、フォトフレームではないけど、常に見れるところにはおいてあるんだけどね。これはナイショ。
「大事な相談しようと思っとったのに、いけずな瑠美子には言わん」
「え?なになに?ごめんごめん、謝るから。未来さーん、相談ってなーに?教えてよ〜」
頬を膨らませ、ぷいと横を向いている未来に、目一杯、自分では可愛いと思っている作り笑顔と仕草で取り入ろうとする私。
「ほんま、調子ええんやから……えーっと、瑠美子は自由曲”風紋譚”の譜読みしてみた?」
「自分のパートは読んだけど、全部を通してはまだ読んでない」
「そっか。……やっぱ言うのやめとこ」
「読んどかないと、わからないこと?」
「う〜〜ん……ま、いいか。後でスコア見て驚いたらええわ。……とにかくあれは、むちゃくちゃ難しい」
「部長がこの曲は難しいって言ってたけど……未来が言うんだから、相当だね」
駐輪場横の階段を下りきり、住宅地の東端を囲むような坂道を私たちは下りていく。梅雨の季節が近くなってきているためか、今日は湿度が高く感じ、肌にじめっとした空気がまとわりつく。でも、時々この季節によく吹く爽やかな風が、そのまとわりつく空気をふっと散らしていくようだ。
「全体を通して音数が多くて……音の層を幾重にも重ねながら、ppからffまで振り切ってるところがあるんよね。そうやって、地上では微風だけど、高度を上げていくにつれ風が強くなっていくのを表現しているような……」
「そうなんだ、大変そう……」
「全体を通して、作曲者は”地球讃歌”を表現してるのかな、と思う。風が生まれて、巡って、世界を形づくっていく……そんなイメージかなぁ」
「ふーん、壮大なテーマだね」
「うん」
今日もらった自由曲について色々と話をしていたら、未来が突然立ち止まる。それも、ちょっと俯き加減に。私も未来に合わせて、足を前に運ぶのを止めた。
「……ねぇ、瑠美子。この曲って、前半にフルートとオーボエのソリ、そして後半に、トランペットとユーフォニアムのソリがあるやんか」
「うん、あるね」
「その後半のソリなところ……どうする?うちらで演らん?」
「ソリのところって?」
「……いや、だから、うちらで演ろうかって……」
「未来が吹くのなら大丈夫だよ。見せ場の一つだろうし」
私が返事をすると未来は一旦口をつぐんだが、私より一歩前へ出て振り返り、私の目を見てさっきともう一度同じようことを言った。
「違う違う。曲後半のトランペットとユーフォニアムのソリ、うちは、うちと瑠美子の二人で演ろうって言ってんの!」
「え……」
私は思いもかけないことを言われたため、私は未来を見つめ返した。
「いやいや、トランペットは未来が吹くのは、山岡部長も含め皆納得するだろうけど、ユーフォは藤村先輩が第一人者だよ。私はまだまだだよ」
「なに言うてんの……瑠美子のユーフォは、もう北宇治の代表の音になってるんやで。この前の定演の時を思い出してみ?”リズ”をした時、ソロを先輩と分けたやんか。その時のお客さんの反応、覚えてるやろ。自分でも手応えがあったって言うてたやんか」
うん……言った覚えはある。あの時は、気分は落ち着いているけど適度な緊張が気持ちを高揚させ、それがかえっていい具合に音に出たという感じだった。あの状況が再現できるかと言ったら、それはわからない。
「相談って、そのことなの?」
私が尋ねると、未来はこくんと頷いた。
「……うちは、瑠美子と本番でソリを吹きたい。今年だけやない。来年も同じステージに立って瑠美子とソリをしたい。ううん、コンクール以外でも、いつでも一緒に吹きたい。これは、うちの瑠美子への……告白……うちにこれ以上のこと、言わす……の?」
「未来……」
私を真正面から見て、少しばかり頬が紅潮している未来の発した言葉が、湿った初夏の空気の中でふっと静かに沈んでいく。
胸の奥が、きゅっと何かに掴まれたみたいだ。胸が……熱い。
「……告白って、そんな……」
声に出した瞬間、自分でも驚くほど声が掠れていた。
未来は、私の反応を待つように、でもどこか怯えるように、じっと私を見ている。
あぁ、心臓がうるさい。胸の鼓動が耳の奥まで響いてくる。
「そんな大事なこと、急に言われても……」
言葉が続かない。でも、逃げたいわけじゃない。ただ、今は胸の奥がいっぱいで、うまく言葉にできないだけ。そんな戸惑う私を見た未来は、少しだけ視線を落とした。
「……ごめん、突然言うてしもうて。でも……うちは、ほんまにそう思ってる。瑠美子と一緒に、あのソリを吹きたい。うちの音と、瑠美子の音で……風の物語を作りたいんよ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥にあった“熱さ”が、すっと形を持った。
――ああ、そうか。未来は、音で気持ちを伝えようとするんだ。
私は一歩だけ未来に歩み寄る。未来の赤縁の眼鏡の奥の瞳が、揺れているようだ。
「……未来。私、嬉しいよ。すごく、すごく嬉しい」
未来の肩が、ほんの少しだけ緩んだ。
「でも……私でいいのかなって、思ってしまう。藤村先輩じゃなくて、私を選んでくれた理由……ちゃんと聞きたい」
私がそう尋ねると、未来は迷いなく答えた。
「理由なんか、一つしかない。……うちは、瑠美子の音がいちばん好きやから」
その瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。涙が出そうになるのを必死でこらえた。
「……そんなこと言われたら……断れるわけ、ないじゃん……わかったよ。オーディション、頑張ってソリを勝ち取るよ。そして、私は……未来とソリを吹く。そして、全国まで行く」
未来が、ふっと笑った。その笑顔がやけに眩しく見えた。
「じゃあ……一緒に。うちらのソリを吹こう」
「……うん」
気がつけば、自然と笑っていた。未来も笑っていた。その笑顔を見ながら、私は胸の奥にそっと手を当てる。そこには、さっきまでとは違う鼓動が生まれていた。
「ありがとう。改めて、よろしくお願いします」
「私こそ。よろしくお願いします」
握手を交わす、未来と私。その手は優しく、柔らかく、温かい。
ああ、今年の夏は、きっとすごい夏になる。そんな予感がする。