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第三十九話 旅は道連れ世は情け − 私たちの修学旅行 −

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第三十九話 旅は道連れ世は情け − 私たちの修学旅行 −

六月もちょうど真ん中。梅雨独特の、体にまとわりつくような湿気が鬱陶しい季節に入って十日ほどが過ぎた。けれど今、私はそんな不快なジメジメとはおよそ無縁の場所にいる。

ここは北の大地、北海道は札幌の大通公園のそばにある、ホテルの一室。なかなか広いトリプルルームで、ベッドが三台並んでいる。窓際のベッドがみみちゃん、真ん中が私、入り口側に未来がそれぞれ陣取り、それぞれいつでも寝れる格好、私やみみちゃんはルームウェアで、未来はパジャマを着て、北海道最後の夜を満喫していた。

なぜ私たちがこんな場所にいるかといえば、理由は単純……修学旅行である。

北宇治高校二年生の私たちは、六月十五日から三泊四日の行程で北海道へやってきていた。今夜は、その三日目の夜にあたる。

めくるめくように過ぎ去った三日間の記憶を、頭の中でそっとなぞってみる。

初日は朝七時に京都駅に集合し、貸切バスで伊丹空港へ向かった。白と青の飛行機に揺られて新千歳空港へ降り立ち、そこからさらにバスで二風谷のアイヌ文化博物館へ。木彫りの工芸体験を楽しんだ後、さらにバス移動して十勝で一泊目を迎えた。

二日目の午前中は、十勝の大自然を相手にしたネイチャーツアー。ラフティングやマウンテンバイクでさんざん体を動かした後、午後は、お菓子メーカーや食品加工の工場見学。その工場付設のだだっ広いお土産物屋さんで家族への品定めをして、二回目の十勝泊。

そして三日目の今日、私たちは十勝から札幌へと一気にバスで移動し、班ごとの終日自主研修に臨んだのだった。班の組み方はクラス関係なく組んで構わなかったので、そもそもの計画通り、吹部の北宇治六人衆が集まっての班とした。

せっかくの札幌なのだからと、私たちの班は王道の鉄板コースを選んだ。大通公園を歩き、時計台を仰ぎ、ラーメン横丁で熱々の味噌ラーメンをお昼にすする。赤れんが庁舎を巡り、最後は白い恋人パークへ。……実に、盛りだくさんな内容だった。

そんな三日目も、ようやく終わろうとしている。

さっき、ホテルの最上階にある大浴場へ行き、文字通り烏の行水で戻ってきたところだった。本当は大通公園の夜景を眺めながらゆっくりお湯に浸かり、旅の疲れを落としたかったのだけれど、このホテルに泊まっている北宇治の女子だけで百人近くいるのだ。湯船に浸かれたとしても、その後に待つ脱衣所のコンセント争奪戦は想像に難くないので、早々に退散してきたのは賢明だったと思う。まぁ、明朝少し早起きして、朝風呂に行ってみるのもいいかもしれないな。

私たちの部屋は八階の角部屋で、カーテンを開けた窓の外には、きらめく札幌の夜景が一面に広がっていた。少し離れた場所に、さっぽろテレビ塔の赤いランプが規則的に点滅しているのが見える。昼間、あの塔の下で、香ばしい焼きとうもろこしをみんなで分け合って食べた。それがなぜだか、もう何日も昔のことのように感じられるのは不思議だった。旅の魔法、というやつかもしれない。

「なぁ、もう来る頃ちゃう?」

入り口側のベッドから、パジャマ姿の未来が声を潜めて言った。

「多分ね、もうすぐだと思う」

実はこの後、別の部屋の千紗、陽菜、凛々の三人が、私たちの部屋に遠征してくることになっていた。昨日と一昨日はそれぞれのクラスメートたちと過ごしていたのだが、「最後の夜は、いつもの六人で集まろう」という話になったのだ。

しばらくすると、予言通りに入口のドアから、トントン、と遠慮がちなノックの音が三回響く。

「はーい」

ドアに一番近かった未来が立ち上がり、防犯チェーンをかけたまま”かちゃり”と隙間を開けた。

「消灯の時間です。早く寝るんですよ」

「は、はい! わかりました、おやすみなさい!」

大林先生の硬い声だった。未来が慌ててドアを閉める。

静まり返った部屋の中で、私たち三人は顔を見合わせ、たまらずクスクスと笑い合った。

「あー驚いた! 三人が来たんかと思ったら、よりによって大林先生やんか」

「タイミング、バッチリすぎたね」

それから五分ほどして、再びトントン、と小さなノックが三回。

「今度こそ間違いないやろな……」

未来が小声で呟く。今度は私がベッドから下り、チェーンをかけたまま静かにドアを開けた。

廊下の薄明かりの中に身を寄せ合うようにして立っていたのは、遠征してきた三人だった。凛々はパジャマ姿、千紗と陽菜はめいめいのルームウェアを着ている。三人とも、先生に見つからなかったスリルからか、笑いを堪えきれないといった顔をしていた。

「来たよ」

「どうぞどうぞ、早く入って」

囁き声で迎え入れると、三人は滑り込むようにして部屋へ飛び込んできた。

「どこでも適当に座ってて」

私の言葉が終わるか終わらないかのうちに、三人は三つのベッドのそこかしこに、思い思いの格好で腰掛けた。

「さっき、巡回中の大林先生いたでしょ?」

私は三人に部屋に来る直前の様子を尋ねてみる。

「おったおった! タッチの差で見つかるところやったわ。自販機で飲み物買ってて遅くなったんやけど、それが逆に助かったみたい」

「三人が来る直前にノックがあってな、開けたら大林先生の顔がドーンってあったから、もう心臓止まるかと思ったわ」

未来の愚痴に、部屋の空気が一気に和む。あはは、と小さな笑い声が広がった。

「いやー、しかし今日も楽しかったなぁ」

千紗が両腕を上げて、うーんと大きく伸びをする。隣で凛々が深く頷いた。

「白い恋人パーク、めっちゃよかったわ。……あそこのソフトクリーム、ほんま美味すぎて罪やろ」

「美波、何個食べてんの?って感じやったもんなぁ」

凛々がからかうように視線を送ると、みみちゃんは「二個やし」と不満げに口を尖らせる。

「しっかり食べてるやんか」

「だって、チョコとミックスと、どっちが美味しいか確かめなあかんかったんやもん」

「研究熱心なこっちゃ」

「で、結局どっちが美味しかったん?」

陽菜の問いかけに、みみちゃんは真面目な顔で一瞬沈黙し、

「……決められへんかった」

「そりゃそうやろな」

またみんなの笑いが弾ける。誰かが「しーっ、先生来るって!」と指を立てると、その仕草自体がまた可笑しくて、私たちは肩を揺らした。

「瑠美子は今日、どこが一番よかった?」

不意に陽菜から水を向けられ、私は少しだけ考えた。

「うーん、そうだなぁ。どれも印象的だったけど……強いて挙げるなら、時計台、かな」

「えっ、あんなちっちゃかったのに?」

未来が意外そうな顔をして目を丸くする。

「ちっちゃいから、よかったのかも。なんか……ちゃんとあそこに、健気に建ってるんだなって感じがして。それに、日本三大がっかり名所の一つをこの目で確認できたっていう、達成感もあるし」

うまく言葉にできなかったけれど、陽菜は「あ、なんかそれわかる気がする」と賛同してくれた。

「あとの二つってどこなん?」

「……高知のはりまや橋と、もう一つは諸説あるんやって。京都タワーが入るっていう説もあるんやな」

手元のスマホでさっそく検索していたみみちゃんが、画面を見つめたまま呟く。

「京都タワー? そんなん該当してたまるかいな。事あるごとにライトアップの色変えてくれて面白いのに」

凛々の地元愛に溢れた反論に、またみんなの口元が緩む。

「じゃあ、凛々はどこがよかった?」

未来が尋ねると、凛々は迷いなく答えた。

「うち? うちはラーメン横丁やな」

「「それは、ただラーメンが食べたかっただけやろ」」

陽菜と千紗の息の合った突っ込みに、凛々は一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

「ちゃうちゃう! いや、ラーメンももちろん美味しかったけどな、 あの狭い路地の中で、六人でどこの店にするかって、あーだこーだ言いながら選んでるときが一番楽しかったんやって。あの湯気がもくもくしてる雰囲気、なんかよかったやん」

「わかる」

真っ先にみみちゃんが同意の声を上げる。

「狭くて、熱気があってな」

「そうそう。映画のワンシーンみたいやったわ」

……それからの時間は、本当に他愛のない、けれど愛おしい思い出の答え合わせだった。時計台の前で不格好に撮った集合写真のこと、大通公園のとうきびワゴンから漂う醤油の香ばしさ、赤れんが庁舎の前で全員でポーズをあわせたときのこと。

言葉にして語るたびに、つい数時間前までの出来事が、遠い過去の綺麗な記憶へと変わっていくような寂しさがあった。

「あーあ、修学旅行も明日で終わりかぁ……」

誰からともなく、ため息混じりの声が漏れる。

「明日のこの時間には、もう京都の家にいるんやもんな」

「そう考えると、本当にあっという間やった」

「で、明後日からはまた、怒涛の練習漬けの日々やねぇ……」

「う、うん……」

部屋の空気が、ふっと重くなる。楽しい非日常の魔法に浸っていたからこそ、一瞬にして突きつけられた”現実”の重みに、全員が沈黙してしまう。コンクールに向けての、あの張り詰めた日々がまた始まるのだ。練習の日々が戻ってくるのは、少しだけ気が重くもなるけれど、私たち六人でならきっと乗り越えられる。大丈夫。根拠はないけど、そんな予感が胸の奥でふわりと浮かびあがる。

「……まぁ、練習のことは今は置いておこう。私たち、それこそ毎日学校の行き帰りでミーティングしてるようなもんだしね。明日家に帰るまでは、目一杯楽しもうよ」

私の言葉に同意する声を探したけれど、ふと、千紗と陽菜の声が途切れていることに気づいた。見れば、二人はすでにベッドの壁にもたれかかったまま、規則正しい寝息を立てている。

「……寝てるわ」

凛々が小声で指摘して、くすりと笑った。けれど、その凛々自身も大きなあくびをひとつ漏らす。

「あかん、わたしももう限界かも……」

「部屋、戻る?」

「……うんにゃ、もう歩くのめんどい。ごめん、これ借りるわ」

凛々はふらふらと立ち上がると、目の前のみみちゃんのベッドの掛け布団をずいっと引っぺがした。

「ああっ、それあたしの!」

凛々は床の上に器用に剥がした布団を広げると、壁に寄りかかっていた千紗と陽菜の肩をゆすってからそのまま倒れ込み、芋虫のように丸まった。千紗も目を閉じたまま、ずるずると床の布団へとずり落ちていく。陽菜も無言のままその塊に合流し、三人が床の上でひとかたまりになった。

「あ〜あ、しょうがないなぁ」

掛け布団一枚では三人が丸まるには足らなさそうなので、私の掛け布団もベッドから外し三人の上から被せる。

また、未来もベッドの端に腰掛けたまま、カックンと大きく舟を漕いでいる。

「未来、ちゃんとベッドに入り」

みみちゃんに肩をそっと押され、未来は「んー……」と消え入るような声を出して、そのままもぞもぞと布団の中へと潜り込んだ。そして、動きの止まった未来をしばらく見ていたかと思うと、おもむろにすいっとメガネをはずし、サイドテーブルに置いていた。

「もう、メガネは外さんとあかんよ」

部屋が静寂に包まれる。凛々の寝息、千紗の寝息、陽菜の寝息、未来の寝息。それから少し遅れて、未来を寝かしつけたみみちゃんも隣のベッドに倒れ込み、残っている毛布を体に巻き付けてからゆっくりと深く規則的な呼吸へと変わっていった。

この世界の中で、私だけがまだ目を開けている。耳を澄ますと、外の通りを走る車の音が遠い波のように寄せては返していたり、部屋のエアコンの低い唸りが静かな夜の底で一定のリズムを刻んでいる。カーテンの隙間から漏れる街の光が、薄く揺れながら天井に淡い影を作っていて、その揺らぎを見ているだけで、胸の奥がゆっくりとほどけていくようだった。

空いているベッドにごろんと仰向けになり、毛布を被って大きな嘆息を一つ吐く。ぼんやりと天井を見つめていると、この三日間の景色が、水面に浮かぶ泡のようにぽつぽつと脳裏に浮かんでは消えた。

二風谷のアイヌ文化博物館で、黙々と木を削ったこと。千紗が思いのほか器用で、みんなに「なんでそんな上手いん?」と突っ込まれて真っ赤になって照れていたこと。

十勝の自然体験で、カヌーを必死に漕ぎながら、未来が「こんな広い景色、絶対京都にないわ!」と絶叫していたこと。

そして、今日の札幌。六人で大通公園を歩いて、ラーメンを選んで、地下鉄に乗って白い恋人パークで数え切れないほどの写真を撮った。楽しかった。その一言に尽きるけれど、本当にそれ以外の言葉が見つからないくらい、中身の詰まった時間だった。

あ、そうだ。

私は、今日の夕方の、ある一瞬の出来事を思い出した。

白い恋人パークを出て、最寄りの地下鉄の駅に向かって歩いていたときのことだ。ちょうど空から、事前の予報通りにポツポツからサーッと雨が降り始めていた。

「雨、降ってきたやんか」

「急ごう」

私と未来はそんな話をしながら、折り畳み傘をバッグから引っ張り出すために俯き加減で歩いていた。

お互いの会話に夢中になっていたせいもあり、気づけば前を歩く凛々、千紗、陽菜の三人の背中が、雨の霞の中に少し遠ざかってしまっていた。

そのとき、後ろからぽんと肩を叩かれた。

「凛々たちに『ちょっと待って』って声かけてくるな。瑠美子たちはそこで待ってて」

振り返ると、みみちゃんだった。いつから私たちの後ろにいたのだろう。彼女は小走りで前の三人に追いつくと、一言二言言葉を交わし、凛々たちをその場に立ち止まらせた。それからこちらを振り返り、雨の中で小さく手を振ったのだ。

私はそのとき、みみちゃんに「ありがとう」とも言わず、ただ「うん」と頷いて、またすぐに未来との会話に戻ってしまっていた。

……そうか。

胸の奥が、じわリと熱くなる。みみちゃんは、ずっとそうやって動いていたのだ。

この三日間を振り返ってみても、彼女が何かを大きく主導したり、目立つハプニングを起こしたりした場面は思い出せない、あの大食い以外は。けれど彼女はいつも、さりげなく誰かの少し後ろにいた。全員の様子を視野に入れながら、さりげなく気を配り、誰かが遅れればさりげなく動き、そしてまた、何事もなかったかのように輪の中に戻ってくる。

私は、隣のみみちゃんのベッドに目をやった。

掛け布団を凛々たちに持って行かれてしまったみみちゃんは、残った毛布だけを体に巻きつけて、すやすやと静かに眠っている。

その姿を見つめ、薄暗い部屋の中で心の底から思った。

「ありがとう、美波」

声には出せなかった。せっかく気持ちよさそうに眠っている彼女を、起こしてしまうわけにはいかないから。けれど、この修学旅行が終わっても、私たちの日常はこれからもずっと続いていく。だから……いつか、ちゃんと本人の目を見て言おう。

頭のすぐ横に置いてあるスマホの画面を見ると、もう0時を過ぎていた。修学旅行四日目に入ってしまっている。時間を確認したスマホをボトンと手放し、改めてゴソゴソと寝る体制を整え、そして、美波の静かな寝息に守られるようにして、私もゆっくりと、心地よい眠りの中へと目を閉じた。

また、明日……いや、もう今日だったね……。