第六話 梅雨となる前に(後編) ー祭りの後でー
第六話 梅雨となる前に(後編) ー祭りの後でー
「ただいま……」
リビングのローテーブルに座り、タブレットで学校関係の資料を読んでいた時、カチャリと玄関ドアが閉まる音と一緒に瑠美子の声がした。
今日は縣神社のお祭が行われていて、瑠美子は友達と一緒に行くと言い、放課後一旦帰宅してから出かけていっていたが、今21時ちょい過ぎ。思ったより早く帰ってきたようだ。
「お帰り。どうだった?楽しかった?」
「うん、楽しかったよ」
うん?その割にはちょっとテンション低いな。
「どうする?もう何か食べてきたんでしょ?なら、お風呂入ってきなさいよ」
「うん……その後、聞いてもらいたいことあるんだけど……いい?」
あ、やはり何かあったのか。じゃあ、久しぶりに相談所の開設だな。
「もちろん、いいよ。じゃ、入ってきなさい。お母さん最後に入るから、お湯はそのままにしていいからね」
「うん……瑛斗は?あれもお祭りに行ったでしょ?」
「瑛斗は1時間前ぐらいには帰ってきて、もう寝てるわ。随分と楽しんできたみたい」
「ふーん、お父さんは?」
「いま、そこでうたた寝し出したところ」
瑠美子の位置からは見えないところで、秀一は横になって寝てしまっている。
「ふーん、……お風呂行ってくる」
「うん、そうして」
とたとたとゆっくりした足取りで、瑠美子は自分の部屋の方に歩いて行く。うーん、これは女同士だけで話したほうが良さそうだ。ソファーで寝ているお父さんには退場してもらおう。
「お父さん、寝るなら寝室に行って。お父さん……起きない……秀一!起きて!」
「あ、……ああ」
耳元で声を張り上げたら、ようやく薄目を開ける。のそのそと体を起こしながら、あくびをする秀一。
「ふわ〜〜、あー、寝てしもうてたわ。あ、瑠美子は帰ってきた?」
「さっき帰ってきて、今お風呂入ってる。……もう、さっさと寝室に行って寝たら?」
「ああ、そうするわ。んじゃ、お先」
「うん、お休み」
あくびをしながら寝室の方へと歩いて行く。疲れてるんだろう。
「さてと、もうちょっと見ておこう」と私は再びタブレットに向かい、学校で配布された資料を読み進める事にした。
約30分後、お風呂からあがり、寝巻きに着替えた瑠美子がリビングにやってきて、私の斜め前にぺたんと座り込む。ふむ、まだ浮かない顔してるね。
「何か飲む?」
「うーん、ホットミルク飲んでいい?」
「いいよ、じゃあ温めるね」
「あ、自分でするから」
立ち上がった瑠美子は、冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、カップに牛乳を入れレンジで90秒。暖かくなったカップを持って、再びローテーブル前にぺたんと座り込み、ずずっと一口啜っている。
「ふう。……あのね、今日ね……色々あって、頭の中が疲れたというか……」
「うん」
「未来とは紫式部像の前で待ち合わせする約束してて、私少し早めに着いたので、じーっと待ってたの。するとね、……お母さん、これ見て」
瑠美子から手渡されたのは、一枚の名刺。
「名刺?……え、中川夏紀!?」
夏紀先輩の名刺だ!裏を見ると、電話番号とメモがある。この字覚えてる、確かに夏紀先輩の字だ。なぜ、瑠美子がこのようなものを?
「瑠美ちゃん、夏紀先輩に……いやいや、中川さんに会ったの?」
瑠美子は静かに、こくんと頷く。
「私ね、その中川さんに、お母さんと間違われて話しかけられたの。で、間違ったごめんね、って去ろうとしたので、お母さんを知ってるんですか?と聞いたら、知ってるよという話になって」
「そうなんだ……」
そうか……夏紀先輩、瑠美子に会ったんですね。
「世話になったから、って言ってたよ」
「ううん、お世話になったのは私。お母さん、この人に救ってもらったんだ。ちょうど今の瑠美ちゃんと同じ頃ね、その頃持っていたトラウマをね、消し去ってくれたの。だから、この人は私の恩人……この中川さん、他に誰か一緒じゃなかった?」
「吉川さん、ていう人も一緒だった」
「優子先輩が……ふふ。前にも言ったことあるんだけど、お母さん吹部で部長してたって話ね」
「うん」
「その吉川さんは、私の一つ前の部長さんでね、皆の前で話すのが上手な人だった。私がその役割を引き継いだ頃は、吉川さんの真似するところから始めたりしてね……」
「ふーん、そうなんだ。……あ、その中川さんが連絡してって言ってたよ、名刺の裏の番号に」
名刺を裏返しその懐かしい文字を見ると、当時楽譜に書き込んでくれたいろんな文句が脳裏に浮かび上がってくる。……会いたくなったな、無性に。
「ありがと、電話してみるわ」
「でね、そうしてたら、やっと未来が来たのでその人たちとはそこで別れて、参道を縣神社へ向かって歩いて行ってね」
「屋台、たくさん出てたでしょ?何食べた?」
「えーと、焼きそばでしょ、ケバブでしょ、抹茶飲んで、鈴カステラも食べたっけ」
指折り数えながら、食べたものの記憶を掘り起こしている。
「瑠美ちゃんにしては、たくさん食べたね。タコせんとかみかん飴とかなかった?」
「タコせん?みかん飴?」
「半分に折り畳んだエビせんべいにたこ焼きを挟んだもので、ソースがたっぷりかかっててね。みかん飴はりんご飴のみかん版。どっちも麗奈が好きで食べてたんだよ、昔」
「え?そうなの?意外……どっちかというと、チーズ食べながらワイン飲んでるイメージしかない。あ、順菜ちゃんもそうか……」
「あはははっ、そうかもしれないねぇ。あの二人、B級グルメって結構好きなのよ。また、お盆の頃には帰ってくるだろうから、聞いてみたら?」
「うん、そうする……えーとね、ここからが本題なんだけど」
ホットミルクを瑠美子はこくんと一口喉に送る。
「一緒に見て回ってて大体一周した頃、またばったり会った人がいて」
「うん」
「未来のお母さんだったの。未来が家を出る時、自分も行こうかどうしようかなって言ってたんだって。で、思い直して、未来の後を追うようにして来てみたって言ってた」
「へぇ〜」
「でね……ちょっと遅れて、未来のママも来てたの」
「え?」
「私、その時紹介されたの。未来のお母さんとママの二人を」
「え?」
え?どういうこと?疑問符がいっぱいになってしまう。
「すると、未来のお母さんが私に、伝言頼むね、って言って。いや動画の方が面白いかも、とも言ってたので、私撮ってきたの。ちょっと待ってて」
瑠美子が立ち上がり自分の部屋へ行ったようで、スマホを持って戻ってきた。
「これ、伝言だって」
瑠美子がスマホをタップすると、動画が再生される。かなりの喧騒の中の映像だけど、その人の姿と声は十分判別できる。
『お久しぶり、黄前ちゃん……塚本さんやね』
ああっ、ええっ?あ、あすか先輩!?
『元気してる?黄前ちゃんの娘さん、瑠美子さんっていうの?うちの娘の未来と同級生で、同じ吹部なんだって?なんか、運命感じるね。まぁ、よろしくね……ほら、何か言うことは?……ああ、黄前さん。お久しぶりですね。今、あすかが言った通りです。娘ともども、よろしくお願いしますね……もういいの?んじゃ、多分どこかで会えるよ、縁がつながったようだしね。その時はよろしくね。じゃね……あ、塚本さんありがとう、もういいよ……』
なに……なにこれ?え?どういうこと?あすか先輩と、香織先輩と……うちの娘?ええ?それに、二人ともちっとも変わってない!私の記憶の中のお二人そのままだし!?
「と、いうことなんです」
「なに、それ。ちょっと理解が追いつかない」
カップからこくこくとミルクを飲み、ふーっと息を吐く。
「お母さんがそれだから、私なんか尚更なんだけど……このあとね、未来のお母さん達はもう少し回ってくるから、先帰っててとか言って、人混みに消えて行ったんだけど」
「うん」
「私たちはあがた通りから離れて、宇治川の橋のところに行ったの。未来が話を聞いて欲しいって言うから」
「うん」
「未来は、私ともっと仲良くなりたいから、自分のことを話すねって。そしたら、未来は本当は養子で3歳の時に田中になったって」
「養子?……3歳……13年前か……」
「うん。この話、中学を卒業して北宇治に行くことが決まった時、お母さんからそう教えられて。高校生になる時、本当のことを話しておこうと予定していたからって」
「つい、この前だね」
話を聞いていて、私はフーッと長い息をついてしまう。
「詳しくはまだ理解が難しいから、と言って話してはくれないそうなんだけど」
「うん」
「未来の本当のお母さんは、未来を保育園に預けに行こうとして、交差点で信号待ちしていた時、トラックが飛び込んできて、すぐ近くにいた他の人も巻き込まれて亡くなったって」
「なんてこと……」
私はその惨状を想像してしまい、その光景を払いのけるように頭を左右に振る。でも、なんとなくその頃のニュースで聞いた事があるような……府内ではかなり傷ましい事故だったから、自分に置き換えて身震いした記憶が微かに残っている。
一息入れ、瑠美子は一点を見つめながら、ゆっくりと話を続ける。
「その亡くなった本当のお母さんはシングルマザーで、元々身寄りが無い人だったので、事故にあっても運良く助かった未来は長い間施設に入っていて」
「うわぁ……」
「でも、未来自身は小さかったこともあったためか、そのことは全く覚えてないって。そして、未来の今のお母さんはその事故の民事裁判を担当していて、その間色々あって、結局今のお母さんに引き取られて、長女になったとかで……」
「特別養子縁組か……」
瑠美子の喋るトーンが下がって行く。
「でね、未来が泣きながら話すの。中学卒業するまで何も知らなかったし、お母さんはお母さんなのに、本当のお母さんはもういないだなんて。突然そんなこと教えられて、平気でいられるわけないって言って」
「うん……」
「それに、お父さんじゃなくお母さんとママがいるのは他の家とは違うけど、それが当たり前と思っていたら、実は二人はそう言うことだったって教えられて……訳がわからなくて、気が変にならなかったが不思議なくらい、とまで言ってたの」
さっきから、瑠美子は膝を抱えて、下を向いて話している。
「お休みの期間中何も考えられない中で、なぜか学校へは行かなくちゃと思ったって。で、北宇治に行くようになったら、隣が私で。私、何にも考えなくて未来と話していただけなのに、未来は、私と話していたら気分が落ち着くんだって言ってくれて。部活も偶然吹部で一緒だから、二人でいる時間も増えていって……」
「うん」
「そうしたら、家に帰っても以前の様に、お母さんやママとも接することができるようになったって言って」
「うん」
「ありがとう、って何回も何回も、何回も私に言って。私、未来には何もしてあげてないのに」
少しづつ涙声になってきた……。
「もっと仲良くなろうねって……嬉しいけど、なんだか今私の心の中に、未来の苦しさや戸惑いの様な気持ちが、ざざーって流れ込んできて、私まで苦しくなっているの……どうしたらいいんだろう……って……私、未来には何もしてあげられることなんて、何もないのに……明日からどんな顔して会えばいいんだろう……」
フーッと息を吐き、腕組みをする私。
瑠美子はどこか人を惹きつける力がある子だとはわかっていたけど、この感受性の豊かさもその要因の一つだろうな。上手くコントロールできるようになって欲しい。
「そうだねえ……今言えることは……いつも通りでいいってことだね」
「え?」
顔を上げキョトンとしている。
「いつも通りでいいの?」
「そう。未来さんは瑠美ちゃんの中に何かを見つけている。いつもの瑠美ちゃんが、未来さんにとっての特別なのよ」
「……」
「瑠美ちゃんね、未来さんと話す時は、こうして今お母さんと話すようにして、目を見てお話しするんでしょ?」
「うん」
「それが、いいんだよ。お母さん、仕事柄沢山の人と話してきたけど、こうしてお話しする時、ちゃんと相手の目を見て話せる人ってそういない」
「……え……その人を見ないと、話していること、わからないでしょ?」
「そう。あ、勿論病を得て見えづらいという人は別よ。……瑠美ちゃんはそうやって真っ直ぐ見て話す。その姿勢が、未来さんは瑠美ちゃんが好きになった理由なのかもしれない」
「だって、お母さんやお父さん、いつも言ってたから……相手の目を見て話せなくなったら、ちょっと変だぞ、と自分に聞きなさいって……」
「うん、いつも言ってるよね」
私も、人から教えてもらったことなんだけど。でも、ちゃんと考えてくれている。よかった。
「そっか……私いつも通りでいいんだね」
「うん、大丈夫だから。今、瑠美子が感じているその気持ち、払いのけることなくしっかりと受け止めなさい。瑠美子は大丈夫、受け止められる。ちゃんと整理できて、瑠美子の心の中にある引き出しにそっと置くことができる」
「そうかな……」
「ただね、これから未来さんと話していると、時々、なんでこんなこと言うんだろう?って思うことが出てくる」
「うん」
「その時は、未来さんから聞いた話を思い出しなさい。ああ、だからか、仕方がないよねって思えるから。でも、ダメなことがあったら、ダメってはっきり言ってあげなさい。瑠美子の持っている物差しでいいから。おそらく、未来さんも、瑠美子が言ったことに間違いがあったら、それは違うってはっきり言ってくれるはずだから。あとは、二人で話し合うことね」
「うん、わかった……」
「大丈夫だよ。安心して」
「うん」
瑠美子はカップに残っていたミルクを飲み干し、ふっと息を吐く。そして、ちらとスマホを見やる仕草をする。
「あ、もう10時過ぎている。お母さんごめんね、遅くなって。お風呂まだだったよね」
「まぁね、それはいいよ」
「話、聞いてくれてありがとう。私、明日の準備してから寝るね。そして、明日もいつも通りに、未来と話する」
そう言ってシンクに行き、使ったカップを洗って水気を拭き取り、食器棚のもとあった場所に戻す。
「お母さん、ありがとう。おやすみなさい」
「はい、おやすみ」
挨拶を交わし、とたとたと自分の部屋へと行ってしまった。
リビングに一人だけになった私は、うーんと伸びをして、ふーっと細く長く息を吐いた。そして、瑠美子から聞いた話を反芻する。
夏紀先輩、優子先輩。もう何年もの長い間、直接会ってませんね。久しぶりに会いたいです。この週末に電話させてください。
それと、私の娘はどうでしたか。まだまだ成長を続けますが、もうどこへ出しても恥ずかしく無いと思っています。これは、親の贔屓目でしょうか。まだまだ早いでしょうか。お会いした時、ご感想をお願い致します。
あすか先輩、香織先輩。まさか、娘同士が同級生になるなんて、夢にも思っていませんでした。しかも、部活まで同じ吹部で、ユーフォとトランペットだなんて。当時の私に教えてあげたいです……絶対信じないでしょうけど。
それに、お二人とも様々なことについて思案を繰り返されたことと思います。また、特別養子の考えに至るまで、私の想像を遥かに超えるほど悩まれたことでしょう。お二人が選択されたことは、間違いではありません。私は応援します。
北宇治では三者面談やPTAなど、時々親が呼ばれます。その時、お目にかかりたく思います。でも、入学式の時見かけなかったんだけどなぁ。
さて、お風呂入ってこよう。
それにしても……特別、か。……瑠美子、あなたも特別な人に会えたみたいね。