第七話 オーディションの約束と父の日 ー 目標そして感謝の気持ち ー
第七話 オーディションの約束と父の日 ー 目標そして感謝の気持ち ー
「……ということですので、時間厳守でお願いします。では、以上で今日の練習とミーティングを終わります。お疲れ様でした」
「「お疲れ様でした」」
6月ももう半分になろうとする土曜日のお昼。村上沙織部長の音楽室の隅々まで通る声を合図に、今日の部活動が終了した。緊張感が漂っていた音楽室に、和らいだ雰囲気が戻ってくる。
私は学校では吹奏楽部に所属していて、吹奏楽の世界に浸かった日々を送っている。吹部の練習日は、学校行事による部活禁止日以外の平日と土曜日は月に2回。日曜日はコンクールとかイベントがない限り基本的にお休みで、今日はその練習日だった。朝からじっくりと8月の吹奏楽コンクール府大会に向けてパート練習や合奏練習を行い、つい今しがた、12時半をもってそれが終わった所。この後、希望者は17時まで個人練習をしても良いことになっている。コンクールに向けてのオーディションを来週に控え、みんな自身のパートを懸命に練習している。
全日本吹奏楽コンクール。吹奏楽の部活をしている者にとって、頂点のステージの一つ。一度は立ってみたい全国の舞台……コンクールにはA部門B部門があり、A部門の定員は55名。現在吹部は総勢67名なので、全員がA部門に出ることはできない。そこでオーディションを行ない最良のメンバーを選出することによって、ベストの音が本番で出せるように持っていかなければならない。しかしこの55名はあくまでも定員であって、顧問の丸尾先生の考え方によってはそれより人数が減ることもありうる。
お疲れ様でした、と挨拶があちらこちらで飛び交う中、私はユーフォニアムのベルを下に向けて床に置き、楽譜ファイルを一枚ずつめくっては今度のコンクール課題曲と自由曲の流れを眺めていた。梅雨のじめっとした空気が辺りにまとわりつき、気温がそんなに高くなくても襟の辺りから汗が滲み出てくる。膝に置いていたハンドタオルで汗を軽く拭っていると、頭の右上の方から柔らかな声が降ってきた。
「塚本さん、お先」
「うちも先に帰るわ。じゃね、塚本ちゃん」
三年の小早川美奈子副部長、二年の藤村里美先輩が並んで席を立って行く。二人とも、ユーフォ歴が長く上手い。私が入部しようとしてた時の楽器紹介の際、余興だよと言って二人はデュオでとても美しいハーモニーを聴かせてくれたことがある。
「あ、お疲れ様でした。先輩方、今日は上がるんですか?」
「今日は予備校行かなあかん日なんよ」
「うちも。オーディションが終わったら模試があって、その後期末考査もあるし。そちらを疎かにするわけにはいかんけんね」
「そうなんですか」
「そう……結構忙しいんよ。じゃあね」
「あはは。んじゃ、うちも。またね」
「お疲れ様でした」
二人とも手をひらひらさせながら、ユーフォニアムと楽譜ファイルを持って音楽室を出て行った。
音楽室にはまだ数名の部員が残っていて、談笑していたり、楽譜を挟んで話し合ってたりしている。楽譜を見終わり、ファイルをパタンと閉じた時、右隣の椅子に座ってきた人物に気がつく。
「瑠美子、今日はどうするん?帰る?それとも居残り練習する?」
未来だった。隣から、私の顔を覗き込むようにして聞いてくる。光の具合で彼女のメガネの上部がきらっと光るように見えた。
「うーんとね、練習はしたいけど、それより買いたいものがあるので、今から帰るつもり」
「買いたいものって?どこ行くつもりなん?」
「まだ決まってないんだけど……時間的に京都に行けないからアルプラに行ったら何かあるだろうなと思ってて」
「アルプラかぁ……家から近いし、付いて行ってもええ?」
「うん、一緒に行こう」
「よし、そうと決まれば、楽器を片付けよっか」
「うん」
私は返事と同時に立ち上がり、ユーフォと楽譜ファイルを持って、未来と喋りながら隣の楽器室へと向かうことにした。
「どう?ユーフォの調子は」
アルプラの1階にあるマクドで、少々遅めの昼食を取る未来と私。ここ独特のややしんなりした長いフライドポテトを3本まとめて口に運びながら、未来が私に聞いてきた。
「自由曲のこと?」
「そう。好きな曲だけど上手く指が回らんとこがある、とか言ってたやん」
「うーん」と答えに困りながら、ストローでアイスティーをずずっと一口吸い込む。一口飲んだ後、ストローをくるっと混ぜるとカップの中で小さい氷達がぶつかりあい、ジャカジャカと音を立てる。
「ユーフォソロの後のところがねぇ……パッセージが早いのに加え、運指が飛ぶところで指がつんのめってしまって……成功率が低いのが目下の悩み」
「難しいんや」
ポテトを3本をつまみ、また口へと運ぶ。
「でも、副部長や里美先輩は何事もなく吹くんだよ。先輩達は流石だわ」
「ふーん、じゃあ練習するしかないんやな」
「まぁ、そうなんだけどね」
「あ、ポテト残ってるのなら、もらうで」
「え?あ、いいよ。どうぞ」
「やった。もーらいっ」
てりやきバーガーセットを頼んで食べたのはいいけど、ポテトはSサイズにすればよかった。Mサイズは私には量が多かった。
私の手元のトレイにあった赤いパッケージを自分の手元に引き寄せた未来は、またもや3本ポテトをつまみ、口に運んでいく。
「しかし、未来は食べっぷりがいいね」
「だって、お腹すいてたんやもん。午前中ずーっとペット吹いてたし、昼過ぎに練習終わったやろ?で、ここにきて14時近くやん。うち、餓死してまうわ」
ケラケラと左手でアイスコーヒーを持ちながら笑ってる。
「ビッグマックのセットにチキン食べて、今私のポテトでしょ?太るぞ〜、いいの?」
次のポテトをつまんだところで、はた、と止まりジト目で私を見る。
「嫌なこと言わんといて。でも、そんなにしょっちゅう、高カロリーのもの食べんし」
「おや、カロリー気を付けてんの?」
「うん、うちのママがね、管理栄養士の資格も持ってるもんだから、ママが食事作ってくれる時はきっちりと計算するんよ。おいしんだけど、続くともう一つガツンと来るもん食べたなるやん」
「わかるわかる」
頬杖をつき、アイスティーの氷をストローで混ぜながら同意する私。
「だから、今日はうちのチートデイなんで、これぐらい構へんの」
「今日だけで済むのかなぁ?」
「……済ませるもん」
小さい声で答える様が可愛いもんだから、私はつい吹き出してしまった。
「あはは……そうそう、未来はどうなの?ペットの方は」
「ああ、演ってて楽しい。この曲ってペット活躍するやん。やりがいあるわ」
「そうだね。課題曲Ⅳ番と自由曲の”三日月の舞”。自由曲は、ザ・吹奏楽、という感じがして私は好き」
氷が溶けて薄くなったアイスティーをストローで吸う。もう紅茶の味がしなくなってきている。
「先月楽譜もらったやん?家で譜読みしてたら、お母さんがうちの顔を覗いてニヤニヤするんよ。で、”何?”て聞いたら、”なんでもない。せいぜい頑張りたまえ”やって」
「へぇ〜」
「そしたら、ママが”懐かしいね”って。なんでも、二人が高校生の時の自由曲だったって」
未来のお母さん達が知っているというのなら、うちのお母さんも知ってるんだろうな。
「そうなんだ。……なんで先輩達はこの曲選んだんだろうね」
「うーん、昔のビデオを見たとか……」
最後の一本を口に入れた未来は、もぐもぐと口を動かしながら、そうだ、と言わんばかりに両手でパチンと軽く手を叩く。
「うちの吹部って、大昔は全国常連だったけど、10年ぐらい不振が続いてまた全国に度々出れるようになったそうやから……その時演奏した曲が今回のこの曲で、それにあやかってるとか」
「田中探偵、その推理は鋭いね。北宇治が最後に全国に出れたのは3年前だから、先輩達は全国出たことがない。それで今の状況に似たような昔の記録を探し出し、それを再現しようとしているんだね」
「瑠美子って何者なんな?」
あはははっと二人して笑う。
「まぁ、来週オーディションやん。やるからにはAで演りたい。トランペットはうち入れて5人だし、人数的にはみんな合格するだろうけど、ひょっとしたら1人いらんで4人でするとか言うかもしれんし、決して気は抜けん」
「それは私も同じ。ユーフォ3人、チューバ3人、コンバス1人だから、低音パートは構成的には皆大丈夫だろうけど、合わない人がいたら減らすかもしれない」
「そして、ソロをやるつもりで演る。うちはトランペットで負けたくないし、負けることがあったら納得ずくで負けたい」
「私も、ソロを吹きたい。苦手を克服した上で、私のユーフォをみんなに聞いてもらいたい」
大きく頷いた未来は、少しズレたフレームレスのメガネのブリッジを人差し指でついと押し上げる。
「同じステージに立とう。約束な」
「うん。約束」
お互いに右手でグータッチして、カップに残っていたドリンクを飲み干す。私のアイスティーは氷がすっかり溶けて薄まってしまい、ただの冷たい水になっていた。
「よし。じゃ、行こっか。さっき、売り場をぐるっと見た時目星をつけたから、それを買う」
「明日の父の日のプレゼント?」
「そう。2階の紳士物のところに父の日コーナーあったじゃない。そこで、涼しげな扇子があったから、それにする」
「白檀の扇子?」
「そ、そんな高いものは買えないって!せいぜい、2、3千円だよ」
「そやねー。なら、うちも買おっと」
「買うの?」
「うん。ほら、うちんところは母親2人が父親みたいなもんだし。先月もお花あげたから、お安いので我慢してもらおう」
未来は複雑な境遇だから、色んな思いがあるだろう。そう軽々に相槌は打てないけど、あえて何も知らない風を装って、私は返事する。その接し方の方を未来は望んでいると思うから。
「大丈夫だよ。我慢なんて……きっと喜んでくれるって」
「うん、そうだとは思う」
それぞれ席を立ち上がり、目の前のトレーを持って返却口へ持って行き、ゴミを分別してからお店を出る。そのまま建物中央のエスカレータに乗って、私たちは2階の売り場へと足を運んだ。
翌日、日曜日の朝。
朝食前に父に「今日は父の日ですね。いつもありがとうございます」と言って、昨日購入した扇子をプレゼントしたが、瑛斗も同じアルプラ3階の100円ショップで、300円の扇子を2本購入しており、結局扇子を3本父にプレゼントするというオチがついてしまった。
「え〜、なんで瑛斗も扇子なん?」
「姉ちゃんこそ。他にあったやろ?」
母は笑いながら「お父さんよかったね」と言い、父も笑いながら「ありがとう。家と仕事場に置いて使わせてもらうわ」と言って快く受け取ってくれた。
瑛斗と、何をプレゼントするか話を合わせておくんだったなぁ。
お父さん、ごめんなさい。