第八話 夏越の祓 ー祓給へ清給へ守給へ幸給へー
第八話 夏越の祓 ー祓給へ清給へ守給へ幸給へー
「蒸し暑い……」
京阪宇治駅を降りて歩いていると、じわっと全身汗が浮き出てくる。薄曇りのため、太陽の日差しは直接降り注いではいないけど、湿気が体にまとわりついてくる。少しでも涼しさを得るため、髪を後ろでまとめポニーテールにしてはいるが、このまとわりつく湿気のおかげで何の意味もなしていない。ふぅ、暑いなぁ。
6月ももう直ぐ終わり、7月の声が聞こえ始めた。この時期は梅雨の真只中のはずなのに、今日のこのお天気は一体なんなんだろう。確かに、今週の火曜日は、バケツどころか、水が満ち満ちたタライを一気にひっくり返したぐらいの大雨となり、校門から出たところの水路は濁流が溢れんばかりの状況だった、とクラスメートが言っていた。その時間、私はパート練習をしていた頃だったので直接大雨には会わなかったけど、時々、チラッと窓ガラス越しで外の様子を見やると、土砂降りの雨が水煙の様にも見えた。
それほどの雨が降る日があるかと思うと、この週末は時々晴れという予報。しかも、蒸して気温も上がるという。今年の梅雨も、なんか変。
そんな中、来週の月曜日から期末考査ということもあり、金曜日の授業が終わると、期末考査が終わるまで約一週間は部活動は禁止。その間、部活の代わりに試験勉強のため机に釘付けになる予定だけど、今の私はまっすぐ家に帰らず、少しだけ寄り道を実行中であったりする。
”夏越の祓”という言葉を最近目にした。一年の前半に積もった罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を願う儀式で、神社によっては境内に設けられた大きな「茅」で編まれた輪を、作法に則ってその輪っかをくぐる事で心身の穢れを祓う、と歳時記の紹介サイトが説明していた。
今年の前半を振り返ると、春に宇治に引っ越して来て高校に進学した等と環境が大きく変わったこともあり、この”夏越の祓”を受けてみたくなったのと、気になっていたけどまだ行ってない神社を発見したので、学校帰りに行ってみようと考えたのが昨晩のこと。
誰か誘おうかとも考えたが、期末考査前なので誘っても気軽に応じてくれるような人物はいなかった。未来も「試験勉強する」と言って今日は真っ直ぐ帰ってしまったので、今は一人で京阪宇治の駅から山の方へ向かって歩いている。この暑い中。
しばらく歩いて住宅街を抜けると、目的の場所に辿り着く。そこは、その場所だけが大きな木々が鬱蒼としていて異空間のようにも見える。年季の入った石の鳥居を中心として周りに大きな広葉樹がいくつも並んで参道を覆っており、風に煽られ枝葉がサワサワと擦れ合っている。
この大きな広葉樹、寺社仏閣でよく見かける大きなもの。なんていう名前なのか、スマホのカメラを向け尋ねてみた。
「これ、なんて言う木?」
『ムクロジです』
「神社とかお寺で見るよね」
『はい。名前の漢字は「子が患わ無い」と書き、「子どもが病気にならないように」という意味が込められた縁起木とされています。昔から厄除けや安産祈願、子どもの健康を願う象徴として植えられてきたようです』
へぇ〜、なるほど、道理で。スマホをバッグにしまって一礼してから鳥居を潜り、大きな縁起の良い木に守られた参道の左端を歩いていく。途中、手水鉢があったので、ここで一旦手を清める。
ハンカチで水気を吹き再び参道を歩くと、朱色の鳥居が現れると同時に開けた空間に出てきた。真正面は拝殿だけど真ん中を潜るようになっている。右手の大きな馬の像をちらっと見つつ、そのまま進むと本殿の手前に茅の輪が設置されていた。
「あった。これこれ」
ここで、茅の輪の潜り方をスマホで確認。
えーと、まず、一礼。一回目を潜って左に回る。二回目を潜って右に回る。三回名を潜って左に回る。そして最後にもう一度潜って、そのまま本殿前の拝所に行く、と。よし、目的達成。
ポケットに入れておいた白銅の硬貨を手に持ち、お賽銭箱へそっと入れると、小さくチャリンと音が響く。天井に取り付けられている大きな鈴から垂れ下がっている重たい鈴尾を持ち、2回ほど振ると上の方でカランカランと鈴の音が鈍く響く。そして、二礼二拍手一礼。最後の一礼を少し長めにして元に直ると、ふと目の右上の方で小さく何か光ったような気がしたが、気分がスッキリするというか、こういうのを清々しいっていうんだろうな。
振り返り、もと来た道を戻ろうとすると、左側に絵馬を奉納してあるのが目に入った。近寄ってみると、そこそこの数の絵馬が吊り下げられていて、それぞれに願い事が書かれている。アニメのイラストが描かれているものもあったりするが、その中に”北宇治高校”の文字が書かれた絵馬を発見。
「あ、誰だろう」
そこには”北宇治高校吹奏楽部 取るぞ、全国金賞!”とだけ書かれてあり、名前は書かれていない。日付は昨年の10月になっていて、女性の文字に見える。……昨年は、関西の金までで全国に行けてないから、その後に誰かが書いたのだろうか。
「ようこそのお参りで」
「ふぇいっ!」
突然背後から声をかけられたので、変な声を出して驚いてしまった。振り返ると、そこには白い小袖の上に緋袴を着用している巫女さんが立っていた。長い黒髪を低い位置で緩くまとめていらっしゃる。その巫女さんと目があった瞬間「綺麗な人……」と呟いてしまった。
「驚かせてごめんなさい。驚かすつもりじゃなかったんです」
「いえ、こちらこそスミマセン、大袈裟に驚いちゃって……」
「いえね、通りがかったら、そちらの絵馬をじっと眺めているようだったので、つい……制服からすると、北宇治高校の学生さんですか?」
「え?……はい、そうです」
「そうですか……お時間あります?冷たいお茶をご用意してますので、社務所へどうぞ」
「いや、そんなお構いなく」
「ここは暑いですし。ささ、ご遠慮なさらずに」
「いえいえ……」
「さ、どうぞ」
「じゃ、じゃあ、お邪魔します」
巫女さんの是非どうぞという笑顔と冷たいお茶の誘惑に負け、エアコンが程よく効いている社務所の中に導かれ、長椅子を案内される。キョロキョロと辺りを見回すと、神社の案内や祭事のポスターが貼られており、机の上には絵馬やらお守りやらお札とかが陳列されている。
「お待たせしました。お茶をどうぞ」
「ありがとうございます」
巫女さんは冷えたお茶を手渡してくれるのだけど、イメージしていたグラスではなく、お薄の入ったガラスの平茶碗を渡してくれる。
「え?よろしいんですか?」
「ええ、どうぞ」
「あ……では、いただきます」
両手で受け取った冷たいガラスの平茶碗。抹茶の緑が穏やかで、まるでここの神社の木々たちの緑のようだ。時計回りに平茶碗を回し一口啜ると、一瞬抹茶の苦味を感じた後、お茶の甘みが口の中に広がり、良い香りが鼻から抜け、そして柔らかな冷たさが喉を通っていく。
「美味しい……」
お抹茶は好きなので時々家でもいただくのだけど、これは私の中で一番と思う美味しさ。二口目も甘さ、香りの良さ、冷たさを感じつつ、気持ちが澄んでくる。
私がお薄をいただいてる様子を、私の向かい側に腰掛けた巫女さんはニコニコしながら見ている。
飲み進め、最後にすっと音を立てて飲み干し、口をつけたところを軽く指で拭いてから、反時計回りに平茶碗を回しお返しする。
「ありがとうございます。こんなに美味しいお薄をいただいたのは初めてだと思います」
「お粗末さまでした。お気に召されて良かったです」
冷たいお抹茶がこんなに美味しいなんて。今度家でもやってみよう。
「あの〜、いつもお抹茶を立ててらっしゃるんですか?」
「時々ですけどね。今日はこのように後輩の方が見えられ、嬉しくなったので」
「と言いますと?」
「ええ、私も北宇治高校の出身ですので。あなた様の制服でわかりました」
そうなんだ!
「そうなんですか。先輩ですね」
「はい、私の頃は今と違って、夏は半袖の白いセーラー服でした。襟とスカートは水色で、可愛かったですよ。ご存じです?」
「はい、家にあります」
「え?あるの?」
ああっ!しまった……つい話の流れで喋ってしまった。
「え……いや……あのぉ〜、私の母が記念にと言って取っておいてあったのを、私が偶然見たことがありまして……」
私が口を濁しながら答えるので、何かを察してくれたのか、先輩はニコッと笑ってくれる。
「うふふふ、では、親子で同じ学校なんですね。それはそれは、素敵なことです」
「そうでしょうか?」
「ええ、親としては、自分の子供には学校は好きに選んでいいのですが、子供が通っている学校が自分の母校だった場合、親は子供を通して自分の存在意義を確信できて、とても嬉しく思うものなんですよ。あなたは、北宇治高校に通うことで十分親孝行をなさっています」
「そうなんですかぁ」
えへへ、そうなんだ。前にもお母さん、同じようなことを言ってたなぁ。
「あ、そういえば、まだ名乗っていませんでしたね、失礼しました。私は義井と言いまして、当社の宮司をしています」
「宮司さんでしたか。私、塚本です。今一年生です」
「塚本さんですか……えーと?……いやいや。よろしく、塚本さん」
義井さんはちょっと首を傾げるような仕草をする。なんだろう。
「塚本さんは今日はどんな用事で、お参りいただいたのですか?」
「ええ、実はつい最近”夏越の祓"という言葉を知りまして。茅の輪を潜り、半年間の穢れを落とし残りの半年を無事に過ごすことを願うそうですが、私は春に宇治に引っ越して来て高校入学、と環境が大きく変わりましたから、なんとなくですが、”夏越の祓"受けてみたいなぁと思ったためです」
頷きながら話を聞いてくれる、義井さん。
「そうでしたか」
「そして、こちらの神社。地図を見て知ってはいたのですが、まだ来たことがなかった、ということもあるんです」
「なるほど。それで、先ほど茅の輪を前にして何か考えてらしたんですね」
「ご覧になってましたか?」
ありゃ、恥ずかしいところ見られてたんだ。
「はい、女子高生が当社に来るのはちょっと珍しいものでして。でも、時々は来るんですよ、吹奏楽部の子達が」
「へぇ〜」
「コンクールやオーディションの前とかですね。当社は開運・厄除け・五穀豊穣以外にも、神馬像があるように馬に縁も深いし、そして必勝祈願とありますので」
「じゃあ、私オーディションの結果発表前だから、タイミング良かったようですね。あ、オーディションに受ける前じゃないと意味ないかな……」
そこまで私が話すと、義井さんがぴたりと動きが止まった。
「??」
「え……と、塚本さんも吹奏楽部?」
「はい、そうなんです。来週から期末考査なので、今日からしばらく部活がお休みでして、それでこちらに来させてもらう時間ができたんです」
「パートは何を」
「パートでしたら、低音ですが……ご存じでしょうか、ユーフォニアムという楽器なんですが。人気が無い楽器ですけど、昔のアニメの影響か少しは増えたよ、と母が言ってました」
「え……ちょっと待って。塚本さん、今高校一年生ですよね。で、お母様も同じ学校で」
「そうです」
真剣な表情をされている。拙いことでも言ったかな……。まさか……。
「お母様がユーフォニアムが少しは増えたとおっしゃったということは、お母様も吹奏楽部経験者ですか?」
「はい」
「まさかまさか……いや、どうだろう……でも話は合うし……あのぉ〜〜、塚本さん」
「はい」
義井さんの表情、ちょっと怖いのは気のせいだろう。
「もしかして、黄前……部長……ですか……?お母様は」
「母ですか?……旧姓は、黄前です……」
「お名前は、……久美子さん……ですか……?」
「もしかしなくても、その久美子、です……」
やっぱり。このパターン多いな!
「!!!!」
口を押さえて、大層驚いてらっしゃる。あーー、私の母はどこまで人脈が広いんだ??それとも、私がそういう方達に出会う確率が高いってことなのか?
「義井さん、ご存知のようですね。うちの母を」
「知ってるも何も!黄前部長は私にとって永遠に部長ですから!」
「あははは……娘としては嬉しいですけど、ちょっと複雑です」
「そうなんですか……黄前部長は、私が一年生の時に部長をされてまして。あの時は、部全体がより高みを求めて、皆切磋琢磨していた時でした。そういう時はどうしても軋轢が出てくるものでして、そこを部長は優しく、時には強く皆をまとめて行ったんです」
「ええ」
「そして、コンクールの全国金賞へと導いて行かれたんですから……すごかったです。私は尊敬していました」
「あはは、ありがとうございます」
私がこういう返事をするのは変なんだけど。母への賛辞を聞くのは嬉しくもあり、困ったことでもあり。
「私もその次の次に部長をしましたが、うまく行かず瓦解寸前まで行ってしまいました。結局、黄前部長に教えを請うて立て直すことはできたんですけど、時間がなく関西止まりでしたね。悔しかったですが、今となってはいい思い出です」
「義井さんは、もう音楽はされてないのですか?」
「いえ、クラリネットしています。京都市内の楽団に入ってますので、時々演奏会にも出ていますし、八月に定演もありますよ。そこにポスター貼ってますから、よかったら聞きに来てくださいな」
わぁ、そうなんだ。クラリネットされてるのか。義井さんの清楚なイメージにぴったりだ。
「ええ、ぜひ行かさせてもらいます」
「黄前部長は……お母様は、今どちらかで先生されているんですか?」
「はい、今は立華高校で教鞭を取ってます。吹部の座奏のコーチもしてますよ」
「そうですか……続けてらっしゃるんですね……私も頑張らないと……」
「ママー、お祖父ちゃんが呼んでるでー!」
突然、社務所のドアが開き、小さい利発そうな男の子が入ってきた。
「しーっ、今お客様がおいでだから、静かになさい」
「わかった……あ、お客さん、こんにちは」
その子は私の方へ振り向き、ぺこりとお辞儀をする。その仕草が可愛らしく、小型の義井さんのようだ。
「はい、こんにちは」
「あ、この子は長男です。小学校2年生でして、この子の3つ下に女の子がいるんですよ」
「そうなんですか。とても可愛いですね」
「うふふ、ありがとう」
「ねー、ママ、お祖父ちゃんが……」
「わかったから、先にお家に戻っておいで」
男の子が義井さんの小袖を引っ張っている。その微笑ましい光景を見ながら、チラと腕時計を見ると、長い間こちらに居座っていたようだ。
「あ、義井さん、私そろそろお暇いたします。すっかり長居してしまって申し訳ありません」
「あら、もう少しゆっくりして行けばいいのに」
「ありがとうございます。ですが、そろそろ帰宅する時間でして」
「そうですか……」
残念そうな表情をされる。もう少しお話を聞きたかったけど、縁ができたのでまた来させてもらおう。
「最初の目的の茅の輪も潜れましたし、先輩とお知り合いにもなれました。今日はこちらにきて良かったです」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、嬉しいです」
「あ、スマホお待ちですか?よろしければ、電話番号交換させてもらってもいいですか?」
「ええ、ぜひお願いします」
義井さんは事務机からスマホを取り出してきた。私は連絡帳を開いて、番号を選択し送信する。義井さんも同様にしてくれた。
「ありがとうございます。母のスマホの番号も送りましたので、また電話してみてください。その旨、今日母に伝えておきますので」
「何から何まで、ありがとうございます」
「とんでもありません。私こそお礼を言わなくちゃ……先輩!どうもありがとうございます。また寄らさせてもらいます」
私が深く一礼をすると、ニコッと微笑んで、お辞儀をしてくれた。男の子も一緒にお辞儀をする。
「あ、下のお名前を聞いてなかったわ」
「ああー、そうでした。瑠美子です。塚本瑠美子と申します」
「瑠美子さんね……わかりました」
「では、失礼します。今日はありがとうございました」
「じゃあ、また。ありがとうございました」
「お姉ちゃん、ばいばーい」
「うん、またね」
社務所のドアを開け外に出る。一度振り返って、軽く会釈し、ドアを閉めた。
先ほどまで涼しい部屋の中にいたものだから、再びムワッとした湿気がまとわりつく。空を見上げると、太陽は薄曇りの向こう側でも、まだまだ高い位置にいる。
私は元来た道を引き返し、朱色の鳥居をくぐり、ムクロジ並木の参道を歩き、最初の石の鳥居まで戻ってきた。ここで振り返り、本殿の方へ向かって深く一礼する。
なんだか、今は来て良かったと、文字通り清々しい気持ちになっている。しかし、私が宇治の街をうろうろしていると、あちこちでお母さんの情報と出会ってしまうというのはなぜなんだろう。それだけ世間が狭いのか、私の行動が若い頃のお母さんと似通っているのか……その両方なんだろうな。
さて、家に帰ろう。帰って試験勉強しないといけないけど、その前に先ほどの出来事をお母さんに報告しないと。さぞ驚くだろうな。
今年ももう半分。茅の輪を潜って今年前半の穢れを払うことができたはずだから、すっきりした気分で、後半頑張りましょう。