第九話 暑さの砌 ー久しぶりの訪問客ー
第九話 暑さの砌 ー久しぶりの訪問客ー
7月中頃、今年は平年よりも随分早く梅雨が明け、連日の猛暑が宇治の町をジリジリと蒸し焼きにしているような感じもする。校舎の裏山からは蝉の合唱も始まり、吹部の誰かが個人練する音と不思議とハーモニーになる時もある。
私はこの4月に北宇治高校に入学してから3ヶ月が過ぎ、学校生活にようやく慣れてきたところ。周りからは、慣れるのが遅いとか揶揄されるけど、まぁ、私らしくていいじゃない、と返事している。勉強の方は、なんとかなっている。5月の中間も今月初めの期末考査も、10位以内には入れた。私は試験直前にまとめて勉強するということができない質なので、毎日少しずつやっていくしかなく、吹部の練習で帰りが遅くなっても日々のルーチンはできるだけ守るよう頑張っている。余談だけど、未来は中間も期末も2位だった。英単語でLを一文字多く書いてしまったとか、因数分解できたと思ったらまだ途中だったとか、トップクラスの成績の割には変なところで間違えてしまうのが未来らしく、修行が足らんと自分に怒っている姿が微笑ましかった。
部活では、期末考査が終わった日の午後に吹奏楽コンクール京都府大会のオーディション結果の発表があり、私は無事Aメンバーとして府大会に挑めることになった。オーディションを受ける前、指がうまく回らないフレーズがあったのだけど、里美先輩に「替え指で工夫すればすんなり行くよ」と教えてもらってからは、少しの練習で成功率が格段にあがり心配事が一つ払拭できた。先輩のおかげでオーディションに合格できたかと思うと、嬉しいというより感謝の気持ちでいっぱいになる。
コンクールに向けての合奏練習では、顧問の丸尾先生の指示が微に入り細に入るようになり、北宇治サウンドの完成度を上げようと部全体の熱量が増してきている。私も負けじと日々ユーフォを腕に抱いて、自分の役割以上にいい演奏をしたいと努力し続けている。
そんな土曜日の午後、練習を終えて帰宅すると、賑やかな声とともに玄関先に見慣れないパンプスとシューズを発見。もしやと思って、そのままリビングに行くと、ローテーブルで母の向かい側に座っているポニーテールの女性が2人いた。
「あら、瑠美子ちゃん、お帰りなさい」
母が私に気づいてくれると、他の二人も体を捻り私の方へ振り向いてくれた。
「瑠美子、お帰り」
「おー、瑠美ちゃん、お帰りなさい。お邪魔してるよ」
「麗奈ちゃ……さん!順菜さん!」
私の憧れの人たちがリビングにいる!プロとして音楽の世界で走り続けている二人、高坂麗奈さんと井上順菜さん。母の以前からのお友達で、私が生まれた時からずっと二人には可愛がってもらっている。
私はローテーブルに近寄り、制服のまま母の隣に座り込む。
「ほんと、久しぶりだよね。今日はどうしたの?」
「ん〜、少し時間ができたんで、実家の様子を見に帰って来たのよ。父が長期で家を開ける時は、母一人はちょっと心配なんでね」
「あたしも似たような理由でね。じゃあ、宇治にちょっと帰ろうかってなって、今ここ。来月は来月で、また帰って来るよ」
「そうなんだ」
「あなた達が実家のマンションに帰って来てるっていうから、実家から直接こっちに来たのよ」
「もう、麗奈なんか勝手知ったる人の家で、もうずかずか上がるんもんやから」
「人聞きの悪いこと言わないで!」
「あはは、いいっていいって。ここも二人の家みたいなもんだし、いつでも来ていいんだから」
「うん、そう言ってもらえると、嬉しい。ありがと」
みんなしてニコニコと笑っている。
「ほら、瑠美ちゃん、着替えておいで」
「あ……うん、着替えてきます」
「はーい、行ってらっしゃーい」
私はローテーブルに手をついて立ち上がって自分の部屋へと移動し、いそいそと部屋着のダボっとしたTシャツとハーフパンツに着替える。
洗面台でうがい、手洗いをしてからリビングに戻り、冷蔵庫から冷やしていた緑茶を自分のマグカップに入れ、ローテーブルの母の隣に再び座り込む。ローテーブルの真ん中には、個包装のクッキーやらおかきやらが入れられた菓子器が用意されており、私はプレーンのクッキーを一つ取って包装をを開け、サクっとした食感とほのかな甘さを口の中で味わった。
「へぇ〜、瑠美子、ちょっと見ない間に背が高くなったわね」
「今何センチ?」
二人からの質問に返答する。
「えーっと、4月の身体測定の時は、165」
「165?私たち見下ろされてるよ」
「久美子ちゃん、身長それぐらいあったんじゃない?」
「私、去年抜かれたよ。瑠美ちゃん去年ぐっと伸びたもんね」
「うん、170は超えたいね」
もうちょっと身長は欲しいかな。父は背が高いから、その分私にも望みはあると思う。
「最近の子は成長が早いわね。サイズも誰かさんは当時やけに気にしてたけど、娘が仇討ちしてくれたじゃない」
「あー、もうその話はいいって!」
麗奈さんがニヤニヤしながら話すのを、母が身を乗り出して遮ろうとする。
「なんのこと?ね、ね、順菜さん、なんの話?」
「瑠美ちゃんは知らなくていいよー」
「お母さんは、お静かに」
「あなたのお母さんね、今のあなたと同い年の頃、スレンダーで強弱が少ないことを随分気にしていてね。高校に入れば、すぐCになるって信じていたんだって。ね、麗奈」
「そうそう。その頃、夏休みにみんなで太陽公園のプールに行った時あったのよ。なぜかみんなビキニでね……緑ちゃんは違ってたか、確か……よせばいいのに、私も大人っぽい水着にしたら、この人に胸元ばかりジロジロ見られてね……」
「もう、いーから!私のことはいいから!」
あはは、と笑っているお二人。この二人にかかると母は若い頃に戻るのか、らしくないのが私にはとても新鮮に映り、自分の母ながら可愛いらしく思える。
「あははっ、あー、その頃から、麗奈はすでに良いものをお持ちだったようで」
「そうだよ。憧れない方が無理ってもんだよ」
「二人とも、それセクハラ」
「はいはい」
「ま、悪い気はしないけど」
「どっちなんだよ」
小さい頃からこの3人の会話を聞いてるんだけど、ちょっとした漫才みたいに聞こえて、私は正直言って面白い。ずーっと仲がいいって言うの、羨ましい。
「さーて、今度は娘の方を色々聞いていこうかな。瑠美子、北宇治で吹部に入ったって?」
「うん、来月のコンクールに向けて、合奏練習を中心にやってる」
「課題曲はあの中からのどれかだろうけど、自由曲は何するん?」
「"三日月の舞"です」
「「おおー」」
驚きの声を上げる時もハモるんだね。
「これはまた……今や古典になるだろうけど、コンクールで取り上げるとは。誰が選曲したの?」
「部長さん達が決めたって聞いた」
「ふーん、もう顧問の先生が決めるんじゃないんだね」
「私が昔、部員達が決めるように持っていったからね」
母が、チョコレートの銀紙を剥がしながら話し出す。
「どうして?」
「それは、自分達で決めた曲の方がやらされている感が無いと考えたから。いやいや、私たちの時がやらされていたとか、そう言うつもりは全くないよ。私が副顧問していた頃は、そっちにした方がみんなのモチベーションが高かったからね」
「へぇ〜。で、顧問の先生のお名前は?」
「丸尾先生っていうんだけど」
「丸尾……久美子ちゃん、知ってる?」
「サンフェスとか、合同イベントで挨拶した程度しか面識なくて……滝先生が去年の春に退職される前に来た方、だったかな」
「滝先生、シニアでずっと続けると思ったのになぁ。案外あっさり辞めちゃったみたいやね」
「今の世代のOGOB達がお礼の会を企画していたらしいんだけど、滝先生が固辞したって」
「……瑠美ちゃん、滝先生ってわかる?」
私は楽器室の棚にあった、以前の吹部のアルバムを先輩に見せてもらった時、そういうすごい顧問がいたという程度しか知らない。あとは、母から聞いたぐらい。
「いや、わかんない……」
「まぁ……仕方ないか……さっきから麗奈サン静かなんですけど、何かご発言は?」
「え?いや、その、私もその丸尾って人、知らないなぁって考えてたの」
麗奈さんは手にしているコーヒーカップを口に運び、褐色の飲み物を啜っている。
「ふ〜ん……で、瑠美ちゃん、コンクール全国行けそう?みんなの意思の統一ってできてそう?」
「今は、大丈夫だよ。全国、行きたい」
「今はって?」
「あっ……えーと、正直にいうと、自由曲のソロのことでちょっと波風はあったけどね……」
しまった。ついつい素直に話してしまった……。
「何かあったんだ」
「うーん……三年生を差し置いて、一年生がソロを指名されてね。そのことについて、他のパートから反対意見が出されて」
「似たような話、昔あったなぁ」
「で、今日みんなの前で再オーディションがあって……やっぱり、未来が……いや、一年生がうまいってなって。三年生の先輩も“私は納得できる理由が欲しかった。ソロはあなたが吹くべき”ってなって、波風が収まったの」
「そんなことがあったの……」
こくんと頷く私。
「そうだ。私、検証用に録画してたんだ。ちょっと待ってて」
一旦部屋に戻り、スマホを手にしてからリビングに戻ってくる。そして、動画を探して再生ボタンをタップすると、まず先輩のソロが再生され、続いて未来のソロが再生される。
「どうですか?」
「うーん、スマホのマイクというのを考慮しても、後半の方があたしは好みだなぁ。前半の子は、もちろん上手だけど、音が周りに響くという感じ。後半の子は音がどこまでも伸びやかに真っ直ぐ来る感じ、かな」
「この音って……」
麗奈さんが腕を組み首を傾げて、何か思い出そうとしているようだ。
「香織先輩の音……」
「あ、そうだよ。懐かしいな、香織先輩の音だよ」
「やっぱり、そうなんだ」
母が頷きながら、お茶を啜っている。
「やっぱりって、何?」と順菜さん。
「……瑠美ちゃん、彼女の話、していいの?」
「未来の事?……うん、家の中だからいい」
「ん……その後半の子が、瑠美ちゃんが仲良くしてるお友達でね」
「うん、田中未来っていうの。とても仲良くさせてもらってる」
「ほお」
「その子のお母さん……いや、ママはね……香織さんっていうの」
「ふーん……」
菓子器のチョコレートを取ろうとしている順菜さんの手が、チョコを掴んだままはたと止まる。
「へ?香織……さん?」
「看護師さんしてるって」
「え?何それ?」
「瑠美子、それどういう……」
「瑠美ちゃんのお友達の未来さんのママは、中世古先輩だって」
「「!!」」
あまり見たことがない、二人の驚いた顔。力が入り過ぎて、掴んだチョコを潰してしまったようだ。
「何!?その繋がり?」
「でも、でも名前が違うんじゃ……」
「ここからが、話が難しくて……」
私はちょっと言い淀んだけど、この二人には話しても大丈夫、わかってくれるだろう。と言っても、私もまだよくわからないところもある。母は理解しているようだけど。
「じゃ、私から言うね。その子のお母さんは、あすか先輩だって」
「「!!!」」
さっきより、数段驚いている。あんな表情の麗奈さん、見たことがない。
「ええーっ、何でそこで、あすか先輩が出てくるの?」
「ちょ、ちょっと。と言うことは、二人は本当にそういうことで、しかも……ずっとそういうことって言うこと?」
「そう」
「ははぁ……」
「それ、本人から聞いたん?」
「直接会ってはないけど、動画のメッセージを寄越してくれて、本人がそう語ってた」
「そ、そうなんだ……」
二人ともローテーブルに俯し、脱力している。
「はぁー……最近、余りなかったほどのインパクトのある話ね」
「しかし、またあの二人と縁が繋がったってわけ?」
「そうね、娘を通して、ということろでね……生きていたら、不思議なこといっぱいあるよね」
「確かに」
みんなでフーッとため息をついて、沈黙となった時、玄関の方から「ただいまー」という二つの声が聞こえてきた。
「ほーい、買い出し行ってきたで」
父がクーラーボックスと、瑛斗が大きなショッピングバッグを二つ持ってキッチンにやってくる。
「あ、おかえり。ご苦労様」
母は席を立ち、キッチンの方へと移動する。
「お帰り」
「おかえりなさーい」
「もう、暑かったー!お母さん、アイス食べていい?」
「お、俺も食べたい」
「いいよ。好きなの取りなさい」
瑛斗は冷凍庫に駆け寄り、中から買い置きしている井村屋のあずきバーを、お父さんはガリガリくんのソーダ味を口にして、エアコンの吹き出し口のそばにやってくる。
「塚本、ありがとね」
「どういたしまして。外は暑かったわ」
「おかげでゆっくり話せたわ、塚本くん」
「そりゃよかった」
「さて、夕飯の準備するんで瑠美ちゃんも手伝って。今日は二人いるから、手巻き寿司するよ」
「はーい。やったね」
ローテーブルの方では、逃げようとする瑛斗の手をがっちり掴んで離さない順菜さんがいた。
「瑠美ちゃんが席を立ったんで、次は瑛斗を尋問しようかな」
「何?聞かれるようなこと、何もないで」
「まぁ、座りなさいよ。お母さんに聞いたよ。瑛斗、北中でテナーサックスだって?」
「うん」
「そっかー、私も北中だったから、瑛斗は私の後輩になったわけね」
「出身中学の話出されると、あたし仲間外れになるやん」
「それなら、私も京都の中学だったから仲間外れになるよ。お父さんもお母さんも北中だから……順菜さんと私、仲間ぁーっ」
キッチンから、キュウリを軽く水洗いしながら、話に参加する私。
「お、援軍がいた。じゃあ、あたし瑠美ちゃんもらうから、瑛斗は麗奈にあげる」
「うん、確かにもらった。……いや、辞めておこう。また瑠美子に泣かれたら困るし」
「姉ちゃんがどうしたん?」
「瑠美子がこども園に入って間がない頃かな。私、瑠美子と瑛斗二人いるから、一人はもらって帰ろうって言って、小さいあなたを抱いて部屋から出ようとしたら、瑠美子が”連れてっちゃ、嫌だー”って、もうそれは泣いて泣いて」
「あっはっは、あったねー」
「私覚えがないなぁ」
「俺、覚えてるわ」
「そんなわけないやん」
部屋中が笑いで満ちていき、みんな笑顔。母も笑いながら、寿司桶に白ご飯を炊飯ジャーから移し、酢飯の素を振り掛けながらしゃもじで切るように広げている。今日は二人多いから、用意する酢飯も五割り増し。私はきゅうりの両端を切り落とし、細長く切っていく。これのあとは、ツナマヨを作ろっか。それと、納豆も冷蔵庫にあるから、お椀に移してかき混ぜておかないと。
手巻き寿司って、人数が多い分美味しさが増すと思うんだよな。
今日も塚本家は賑やかです。暑中お見舞い、申しあげます。