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第15話 子ども

心が読める会社員は、詐欺師の情報を売って子どもたちの居場所を守る — solispia.com · All chapters

第15話 子ども

陽介と出会ったのは、駅前の公園だった。

直人は仕事帰りに、いつもより少し遠回りをした。理由は特にない。ただ、人混みを避けたい気持ちと、頭の中のざらつきを少しでも薄めたい気持ちが重なっただけだ。駅前の雑踏を抜け、公園の入り口へ向かう。通りの店先の明かりが、すでに点き始めている。人の流れが、夕方の色に染まっている。直人は、その流れの中で、自分の足音を意識した。靴底が、アスファルトに落ちる感触。少し重い。肩にかけた鞄の位置が、わずかにずれている。それを直しながら、公園の入り口を見た。

公園の入り口近くのベンチに、小さな男の子が一人で座っていた。年齢は小学校低学年くらい。スニーカーの紐が片方ほどけていて、膝には古い絆創膏が貼ってある。手元のスマートフォンの画面を、じっと見下ろしている。画面の光が、小さな顔を青白く照らしている。その光の中で、男の子の目が、何かを探しているように見えた。直人は、その姿を見て、足が自然と止まった。通り過ぎるつもりだった。子どもに声をかけるのは、今の自分には荷が重い。能力のことも、詐欺のことも、頭の中に残っている。なのに、足が動かなかった。

空はすでに、夕方の薄い紫に傾いていた。公園の街灯が、一つずつ点き始めている。ブランコの鎖が、風でわずかに鳴る。その音が、妙に耳に残った。遊具の影が、地面に細長く伸びている。誰も使っていないブランコが、風でわずかに揺れている。直人はベンチの端に腰を下ろした。距離を保つ。近づきすぎない。能力が動くかどうかは、わからない。だが、今は動かしたくなかった。この子の中に沈んでいるものを、勝手に拾いたくない。ベンチの表面が、指先に冷たい。その冷たさを、意識の端で捉えた。

「……大丈夫?」

声をかけた瞬間、直人は自分の声が意外に柔らかかったことに気づいた。男の子は顔を上げた。目は大きくて、少し赤みがかった。泣いたあとではない。ただ、長い時間、何かを我慢していたような目だった。直人は、その目を見て、自分の子どもの頃の感触が、遠くからかすめるのを感じた。家の空気が冷えていた時期。何も言えないまま、大人たちの機嫌が戻るのを待っていた、あの時間。食卓の沈黙。ドア越しに聞こえる低い声。金の話だけが、子どもにも分かるほど家の中の温度を変えていた、あの感じ。直人は、その感触を、胸の奥に沈めた。

「ママが、まだ来ない」

小さな声だった。直人は、その声を聞きながら、男の子の手元を見た。スマートフォンの画面には、まだ返事のないメッセージが並んでいる。ママ、どこ? もう着く? そんな短い言葉が、青白く光っている。直人は自分の鞄の中から、買ったままのペットボトルの水を取り出した。蓋を開けて、差し出す。ボトルの表面が、指先に冷たい。その冷たさが、わずかに頭を澄ませた。

「のど、渇いてない?」

男の子は少し迷ってから、受け取った。小さな手が、ボトルを握る。指先が白い。冷えている。直人は、その白い指先を見て、胸の奥がわずかに縮んだ。自分の子どもの頃の、家の空気が冷えていた時期の感触が、再びかすめた。何も言えないまま、待っていた時間。その時間が、今、この子の待つ時間と重なった。直人は、その重なりを、意識の端で捉えた。能力が動けば、この子の中に沈んでいる何かが浮かぶかもしれない。母親の焦り。仕事の疲れ。家の空気。そんなものが、勝手に流れ込んでくるかもしれない。直人は、意識を自分の中に閉じ込めた。拾いたくない。この子の傷を、覗き見したくない。

「名前、なんていうの?」

「陽介」

「陽介くん。ママ、もうすぐ来ると思うよ。一緒に待ってていいかな」

陽介は小さくうなずいた。直人はベンチの背もたれに体を預けた。空の色が、さらに暗くなっていく。公園の遊具は、すでに誰も使っていない。ブランコの鎖が、風でわずかに鳴る。その音が、妙に耳に残った。陽介は水を一口飲んで、ボトルを膝の上に置いた。視線は、入口の方へ何度も流れる。直人は、その小さな横顔を見ながら、自分の中に沈んでいる古い傷が、わずかに疼くのを感じた。陽介の肩が、わずかに内側に縮こまっている。その縮こまり方が、待つ時間の長さを、正確に表しているように思えた。街灯の光が、ベンチの表面に細長い影を落としている。その影を、ぼんやりと見つめた。

「ママ、仕事で遅くなるって。でも、もう暗くなってきた」

陽介の声は、我慢しているように聞こえた。直人は、何も言わなかった。言うべき言葉が見つからなかった。ただ、隣に座っているだけだった。能力が動けば、この子の中に沈んでいる何かが浮かぶかもしれない。だが、今は動かしたくなかった。この子の傷を、覗き見したくない。風が、顔に当たる。春の風なのに、少し冷たい。直人は、その冷たさを、胸の奥に沈めた。陽介の視線が、再び入口の方へ流れる。その視線の先に、誰もいない。直人は、その空の入口を見て、自分の子どもの頃の感触が、再びかすめるのを感じた。

陽介の母親が現れたのは、十五分ほどあとだった。息を切らし、申し訳なさそうな顔で走ってくる。直人は立ち上がり、軽く会釈をした。母親は何度も頭を下げ、陽介の手を引いて去っていった。陽介が振り返って、小さく手を振った。直人は、その小さな手を見て、胸の奥に残っていたざらつきが、少しだけ形を変えるのを感じた。母親の背中が、公園の入り口を出ていく。その背中が、街灯の光の中で、細く見えた。直人は、その背中を見送りながら、自分の中に、何か新しいものが静かに沈んでいくのを感じていた。

助けたわけではない。ただ、少しだけ一緒に座っていただけだ。なのに、帰宅して部屋に入ったあと、直人はしばらく窓の外を見ていた。街灯の光が、アスファルトに細長い影を落としている。その影を眺めながら、自分の中に、何か新しいものが静かに沈んでいくのを感じていた。陽介の白い指先。画面の青白い光。入口の方へ何度も流れる視線。それらが、頭の中で何度も繰り返された。直人は、その繰り返しの中で、自分の子どもの頃の感触が、再びかすめるのを感じた。家の空気が冷えていた時期。何も言えないまま、待っていた時間。その時間が、今、陽介の待つ時間と重なった。部屋の暗さの中で、自分の心臓の音が、少し大きく聞こえた。

直人はノートを開いた。ページの端に、まだインクの乾いていない字が残っている。能力の条件。拾った断片の傾向。そして、今日の陽介の顔。

子どもは、まだ何も知らない。

それでも、待つ時間の長さは、大人と同じだ。

そう書いて、ペンを止めた。部屋の暗さの中で、自分の心臓の音が、少し大きく聞こえた。明日もまた、会社へ行く。人の中へ入る。近づけば、何かが浮かぶかもしれない。浮かばないかもしれない。それでも、見えてしまったものからは、もう目をそらせない。その性質を、今夜は少しだけ、自分のものとして受け入れていた。窓の外で、誰かが自転車のベルを鳴らした。短い音が、夜の空気に溶けていく。直人は、その音を聞きながら、ノートを閉じた。カーテンの隙間から差し込む街灯の光が、床の上に細長い影を落としている。その影を、ぼんやりと見つめた。影の中に、自分の足の形が薄く映っている。その形を見ながら、直人は小さく息を吐いた。