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第21話 知らない客

心が読める会社員は、詐欺師の情報を売って子どもたちの居場所を守る — solispia.com · All chapters

第21話 知らない客

青葉の家への支援が始まってから、直人の一日は以前よりもきれいに切り分けられるようになった。

昼は山吹商事の社員として働く。

夜は Silent Ledger の窓口を開き、必要な依頼だけを拾う。

月に一度、美咲から送られてくる簡潔な報告に目を通し、振込の履歴を確認する。

やることは増えたのに、不思議と最初よりは回っていた。

少なくとも、表面上は。

青葉の家のことを考える時間は、直人の中で少し特別な場所に置かれていた。

そこだけは、金の流れも依頼の文面も、数字や癖としてではなく、生活の重さとして見える。

買い足した毛布。

補充した調味料。

急に必要になった交通費。

美咲の文面は短いが、そこに書かれている一つひとつが「人がここで暮らし直している」ことに結びついていた。

直人はそういう報告を読むたびに、自分が今扱っている金の中にも、本来なら別の生活に落ちていたはずのものがあると考えるようになっていた。

だからこそ、Silent Ledger の画面に新しい問い合わせが来た夜、直人は最初の数行で少しだけ手を止めた。

依頼内容そのものは、珍しくもない。

ある人物について、過去の接触先と最近の動きを知りたい。

偽名の可能性があるため、複数の表記揺れも確認したい。

企業間取引の予備調査として扱いたいので、必要なら継続依頼も考える。

それだけ読めば、企業調査や内部不正の下調べとして通る文面だった。

ただ、いくつかの部分が妙に引っかかった。

社名の表記が、途中で一度だけ変わっている。

国内法人の話をしているはずなのに、連絡先の書式だけ海外案件に慣れた人間のものに近い。

質問の順番も、普通の依頼人のそれではなかった。

何が欲しいかを説明するより先に、こちらがどこまで出せるかを測るような並びになっている。

名義の整理。

過去接触先。

資金経路の癖。

情報そのものより、情報の出口を知りたがっている聞き方だった。

直人は画面を見たまま、椅子に少し深く座り直した。

違和感は小さい。

だが、小さい違和感ほど後で残ることがある。

これまでの依頼でも、危ない案件は最初から露骨に危ない顔をしているわけではなかった。

丁寧な言葉遣い。

もっともらしい理由。

急いでいないふり。

そういう形の中にだけ、妙な慣れが混じる。

直人は一度ブラウザを閉じ、ログだけを別画面に残した。

すぐには返さない。

それが最近、自分の中で少しずつ身についたやり方だった。

以前なら、気になる文面にはそのまま潜っていた。

探れば分かることがある。

返せば相手の癖も拾える。

そうやって前に出るのが、自分の仕事の仕方だった。

だが今は、前に出ることで相手に渡す情報もあると知っている。

返信の速さ。

食いつく条件。

どこに違和感を覚えるか。

そういうものも含めて、こちらは見られている。

机の横に置いたスマートフォンが短く震えた。

美咲からだった。

「来週、灯油代が少しかさみそうです。急ぎではないですが共有だけ」

それだけの文面だった。

余計な説明も、感謝を強く押し出す言葉もない。

必要なことだけを伝える短さに、直人は少しだけ肩の力を抜いた。

返信も簡潔に返す。

「了解しました。次回分で調整します」

送ってから、しばらく画面を見ていた。

青葉の家では、足りないものは足りないと書かれる。

必要なことは、必要なこととして届く。

それに比べると、今目の前にある依頼文は、必要を伝えるための文章というより、こちらの手持ちを探るための文章に見えた。

直人はもう一度、問い合わせ全文を開いた。

文面を最初から下まで追い、引っかかった箇所にだけ印をつけていく。

所属会社名の表記が一度だけ略称になる。

国内の肩書きに、外資系の順序が混じる。

担当者名のカナ表記が、途中で別の規則に寄る。

そして何より、金の動きに対する質問の粒度が細かすぎる。

企業調査の依頼人なら、ここまで最初から知りたがらない。

むしろ、知っている人間が、どこまで照合できるか試しているようだった。

直人は短く息を吐いた。

同じような文面を、どこかで見た気がした。

まったく同じではない。

ただ、こちらを値踏みするような慣れ方に、覚えがある。

過去ログを開き、似た問い合わせをいくつか遡る。

二か月前。

四か月前。

形式は違うが、質問の組み方に共通した硬さがある。

表面は別件でも、欲しがる情報の方向が似ている。

人の素性より、金の流れ。

個人の事情より、接続点。

誰が何をしたかより、どこを通ったか。

そこまで見て、直人は返信文を作り始めた。

依頼の受諾範囲を限定する。

個人特定につながる情報は出さない。

公開情報と、過去案件と重ならない一般情報に絞る。

必要なら別途条件整理。

いつもより固めの文面。

相手に隙を見せず、こちらの線だけを出す書き方だった。

途中まで打って、止める。

受けるべきかどうかではなく、受けた時に何を渡すことになるか。

その計算が、以前より先に来るようになっていた。

青葉の家への支援を始めてから、自分の持っている金や情報が、どこへ流れるかを前より強く意識するようになったせいかもしれない。

出したものは戻らない。

金も、情報も、いったん流れに入れば手元の意図から離れていく。

だから最初の一通が、思っている以上に重い。

結局、直人は完全には断らなかった。

ただし、受ける範囲を極端に狭めた返答だけを返した。

確認可能なのは表に出ている名義整理の一部のみ。

継続依頼は現時点では受けない。

詳細な接触履歴や資金経路については対象外。

必要なら公開情報ベースの一般調査だけ。

そう送って、すぐに窓口を閉じた。

返したあとで、胸の奥に小さなざらつきが残った。

危なさを感じたから制限した。

判断としては間違っていないはずだった。

けれど、それでも何かを開けた感じがする。

あの依頼人は、こちらがどんな線を引く人間かを知った。

全部を出さないこと。

金の流れに反応すること。

継続より切り分けを優先すること。

そういう癖もまた、相手に渡った情報の一つだった。

翌日、会社では何も変わらなかった。

朝の打ち合わせ。

確認待ちの資料。

営業から回ってくる数字の修正。

山田はいつも通りの調子でコーヒーを片手に現れ、隣の席の誰かに軽口を飛ばしていた。

直人も普段と同じように受け答えをする。

だが、昼前に共有ファイルを開きながら、ふと自分の視線が窓の外へ流れていることに気づいた。

別に誰かがいるわけではない。

何か起きたわけでもない。

それでも、昨夜の一通が頭のどこかに残っていた。

見知らぬ相手に返事をしただけだ。

Silent Ledger では珍しいことではない。

今までだって、危ない依頼人はいた。

不自然な金の話をする者も、妙に事情通ぶる者もいた。

それでも今回の違和感は、少し質が違うように思えた。

個人の欲や焦りではなく、もっと乾いたものがある。

情報を欲しがるというより、情報の流れそのものを仕事として扱っている感じ。

その慣れ方が、直人には妙に冷たく見えた。

昼休み、社員食堂で一人になった時、直人は無意識にスマートフォンを取り出していた。

美咲からの昨夜の文面をもう一度見る。

灯油代。

急ぎではない共有。

それだけのメッセージが、今はひどく具体的に感じられた。

寒くなれば灯油がいる。

足りなければ買う。

誰かが眠る部屋を温めるための金が要る。

そういう現実のそばに、昨夜の依頼の気配を並べると、同じ「金」という言葉でも触っているものがまるで違った。

どこかでつながっているのかもしれない、と思う。

まだ何の証拠もない。

ただ、金の流れを知りたがる手つきと、生活を削る金の消え方は、あまりにも無関係な顔をして並びすぎている。

直人はそこまで考えて、箸を置いた。

その夜、帰宅してから再び窓口を開くと、返信が来ていた。

簡潔な一文だけだった。

「承知しました。では確認可能な範囲でお願いします」

それだけなら穏当だった。

だが、末尾に添えられた署名の社名表記が、最初の問い合わせとまた少し違っていた。

前回は英字表記だったものが、今度は国内法人名に寄せてある。

直人は画面を見たまま、ゆっくりと背もたれにもたれた。

雑なのではない。

むしろ逆だ。

複数の顔に慣れた人間の、わずかな綻びに見えた。

普通の依頼人ではない。

そう思った瞬間、部屋の静けさが少しだけ深くなった気がした。

まだ何者かは分からない。

何を背負っている相手かも見えない。

だが、この依頼には今までの案件と違う匂いがある。

個人の詐欺師や焦った依頼人ではなく、もっと組み立てられた何かの気配。

直人は返信欄を閉じ、ログだけを保存した。

受ける。

ただし、深くは入らない。

少なくとも今はそう決める。

それでも、もう最初の一通の前には戻れないのだと分かっていた。

机の上には、まだ開いたままの家計メモがあった。

来月の支援額、普段の生活費、貯金の残り、Silent Ledger から入る予定の金。

数字は静かに並んでいる。

けれど、そのどれもが以前より重さを持って見えた。

守りたいものが増えると、危険は遠くの話ではなくなる。

窓口の向こうにいる誰かが何者であれ、その気配はもう生活の外にはいなかった。