第416話 記事にしたいものが多すぎる
第416話 記事にしたいものが多すぎる
試合終了から、およそ三十分後。
都内にあるスポーツ系ネットメディアの編集部では、まだバーバリスタジアムの映像が大型モニターに流れていた。
画面の中では、エストレヤ千葉の選手たちがアウェーゴール裏へ挨拶を終え、仙台アステルFCの選手たちが悔しそうに引き揚げていく。
最終スコアは0対2。
千葉は七連勝。優勝争いを最終節まで繋いだ。
それだけでも十分に大きな記事になる試合だった。
けれど、今日に限っては、それだけでは足りない。
「……何から書く?」
一人の記者が、パソコンの前で腕を組んだ。
隣のデスクから、間を置かずに声が返ってくる。
「小林でしょ」
「やっぱり?」
「むしろ他にある?」
「いや、あるんだよ。ありすぎるんだよ」
その言葉に、周囲から笑いが漏れた。
実際、その通りだった。
今日の千葉には、記事にしたくなる題材が多すぎた。
小林庄雅の公式戦初DMF。
十九歳の宍道務がプロ公式戦初出場、初先発で初アシスト。
玉縄幸三は先発して完封。
塩川康文は追加点を奪った。
後半三十八分には森川佑を投入し、消耗した安西清勝の前へぶつけた。
さらに終盤は、宍道から材木座義輝へ替えて前線で時間を作らせ、最後には小林を下げて戸部翔をOMFへ入れ、戸塚彩加とエミリオ・アルバレスをいつものダブルボランチへ戻している。
若手ライターがそこまでメモを読み上げたところで、思わず手を止めた。
「……やっぱり多すぎません?」
「だから言っただろ」
編集者が笑った。
試合結果だけを追えば単純だ。
ダニエル・ロドリゲスと塩川の得点で、千葉が仙台に2対0で勝利。
だが、九十分を見た人間ほど、それだけではこの試合を説明できないと感じていた。
◇
「俺は、スタメン出た時点で千葉ちょっと危ないと思ったけどな」
ベテラン記者がそう言うと、周囲から何人も同意の声が上がった。
「俺もです」
「俺も」
「だよな」
郷田京がベンチ。
ベニテスも森川も材木座も控え。
そしてCFには、公式戦出場経験のない宍道。
何より目を引いたのは、小林庄雅のDMFだった。
「最初、表記ミス疑ったもんな」
「確認しましたよ。クラブ公式とリーグ公式、両方」
「俺も」
「それくらい違和感あった」
また笑いが起きる。
けれど、試合が始まると、その違和感は一つずつ意味へ変わっていった。
大型モニターには、前半序盤の場面が映し出される。
宍道が仙台のセンターバックへ寄せていく。
ただ真っ直ぐ追いかけるのではなく、中央へのパスコースを消しながら外へ追いやる。
GKへ戻れば、そこからさらに角度を変えて走る。
若手ライターが映像を止めた。
「ここですね」
「初出場の選手にやらせる仕事じゃないな」
「そうなんですよ」
若いから走れる。
それだけではない。
宍道は、どこへ追い込みたいのかを理解していた。
自分が奪う必要はない。
中央を使わせない。
仙台に後方から落ち着いて前進させない。
そうやって選択肢を狭めた先に、小林がいる。
「これ、小林だけ取り上げると宍道の仕事が消えちゃうんですよね」
「そうなんだよな」
「小林があれだけパスを取れたのも、前でコースを限定してたからですし」
「戸塚とエミリオも含めてな」
一人だけで完成した守備ではない。
その点は、記事を書く側も間違えたくなかった。
◇
それでも、主役を一人挙げろと言われれば、やはり小林庄雅だった。
「経歴を考えたら、今日のプレーはかなり面白いよ」
ベテラン記者の言葉に、編集者も頷く。
小林庄雅。
29歳。
高校時代から将来を期待されたストライカーだった。
全国の舞台で得点を重ね、選手権得点王。年代別代表にも名を連ね、五輪世代、その先の日本代表、さらには海外まで期待されていた。
「昔の小林、覚えてます?」
若手が尋ねる。
「もちろん。左で思い切り振る選手だった」
「今と全然違いますよね」
「ああ」
転機になったのは、24歳の頃の大怪我だった。
身体そのものは復帰できる状態まで戻った。
それでも、以前のように強く左足を振るプレーは減り、激しい接触にも慎重になった。
かつて期待されたストライカー像には戻れないまま、時間だけが過ぎていった。
「だから普通なら、DMFって発想にはならない」
記者がそう言う。
「むしろ遠ざけますよね。接触も多いし」
「そう。ところが千葉は、接触しなくていい守り方にした」
モニターの中で、小林がフォーレンへの縦パスを切る。
一度。
二度。
三度。
どの場面も、相手に身体をぶつけて奪ってはいない。
ボールが届く前に、先にその道へ入っている。
「ここが一番記事になる」
ベテラン記者が少し身を乗り出した。
「小林が守備的MFになった、だけじゃ弱いんだよ」
「というと?」
「できなくなったものを、無理に取り戻したわけじゃない」
画面を指差す。
「できるものを組み合わせて、新しい選手になってる」
その言葉に、周囲が少し静かになった。
◇
FWだった頃の小林は、どこへボールが欲しいのかを知っていた。
どのタイミングで受ければ前を向けるのか。
どんな縦パスが入れば、攻撃側が楽になるのか。
長年、受け手として考えてきた。
今日、その経験を逆側から使っているように見えた。
「元FWだからこそ、受け手の欲しい場所が分かる」
若手がそう言うと、編集者がすぐに釘を刺した。
「そこは断定するなよ」
「はい」
「本人やスタッフが明言してないなら、あくまでプレーから見える特徴として書く」
「分かってます」
「あと、“完全復活”みたいな見出しもやめた方がいい」
別の記者が口を挟む。
「同感」
「昔に戻ったわけじゃないですもんね」
「むしろ逆だよ」
今日の小林は、昔のストライカーへ戻ったわけではない。
シュートを何本も打ったわけでもない。
得点もアシストもない。
それでも、試合の流れへはっきり影響した。
「タイトルなら……『元得点王FWがアンカーで再生』とか?」
若手が試しに言う。
「煽りすぎ」
「じゃあ『29歳で見つけた新境地』」
「そっちの方がまだいい」
「ただ、一試合だから“定着”とは書くなよ」
「はい」
今日、仙台に対して機能した。
そこまでなら事実として書ける。
しかし、それが今後すべての相手に通用するかは、また別の話だった。
◇
別のデスクでは、宍道の記事を担当する記者が、後半二十八分の映像を何度も見返していた。
塩川から宍道。
宍道はワンタッチで返す。
その瞬間、仙台CBが一歩前へ出る。
空いた背後へ塩川。
シュート。
ゴール。
「これ、初アシストって結果だけ見ると地味なんですよ」
「まあ、ワンタッチで返しただけにも見えるからな」
「でもCBを引っ張ってるんですよね」
「そこは書けるな」
それだけではない。
前半からのプレス。
仙台のビルドアップに対して、宍道は得点以外の部分で大きく働いていた。
十九歳。
初出場。
初先発。
それだけ聞けば、派手なドリブルやシュートを期待したくなる。
だが、今日の宍道が評価されたのは、むしろそういう部分ではなかった。
チームの戦術を理解し、その中で自分の役割を遂行した。
その結果として、一つのアシストまでついてきた。
「若手の記事って、“彗星のごとく現れた”とか書きたくなるけど」
「やめろよ」
「言ってみただけです」
「今日の宍道は、そういうタイプじゃないだろ」
「ですよね」
目立つプレーを重ねたというより、必要な仕事を積み重ねた結果、気づけば試合へ深く関わっていた。
その方が、今日の宍道には合っていた。
◇
「でも、戦術記事なら一番面白いのは後半だろ」
別のライターが椅子を回しながら会話へ入ってきた。
「フォーレンの修正に対する千葉の対応?」
「そう」
前半終了間際。
仙台はフォーレンを右へ動かした。
小林のいる中央から外し、その位置からこの試合最大級の決定機を作った。
仙台が突破口を見つけたように見えた場面だった。
「俺、ハーフタイムの記事メモに“仙台、フォーレン右移動が鍵”って書いたからな」
「そのまま出さなくてよかったですね」
「本当にな」
後半。
フォーレンが右へ動けば戸塚。
左ならエミリオ。
中央へ戻れば小林。
誰もフォーレン一人を追い回さない。
ゾーンごとに受け渡していく。
「小林を動かさなかったのが重要だよな」
「ですね。普通ならフォーレンに釣られて追いたくなる」
「それをやったら中央が空く」
「でも千葉は、小林を中央に残した」
その結果、フォーレンはボールを求めて自分から動き続けた。
千葉はその移動へ最低限の選手だけを出す。
時間が経つほど、フォーレンの方が消耗していった。
「で、最後はキレが落ちる」
「安西もですね」
「そこで森川」
全員が苦笑した。
後半三十八分。
塩川に代えて森川。
同じLSH。
システムを変えたわけではない。
けれど、前半から走り続けていた安西の前に、フレッシュな森川を置く。
「俺が安西なら嫌になる」
「たぶん本人もそう思ってますよ」
「記事タイトル、“仙台に恨みでもあるのか”にする?」
「やめろ」
編集者が即座に止めた。
「本人が言ったならまだしも、お前らの感想で書くな」
また編集部に笑いが起こる。
◇
それでも、今日の千葉が仙台という相手を徹底して見ていたことは、誰も否定しなかった。
前線からビルドアップを制限する。
小林をアンカーに置く。
フォーレンが外へ逃げれば、受け渡して中央を空けない。
安西の消耗が大きくなったところで森川を投入する。
終盤は宍道から材木座へ替え、前線で収めて時間を作る。
最後は小林を下げて戸部をトップ下に置き、戸塚とエミリオをいつものダブルボランチへ戻す。
「最初は特殊な形で入って、最後は一番慣れてる形に戻して締める」
一人の記者が言った。
「そう考えると、交代もきれいなんだよな」
「奇策だけじゃない」
「そこは大事だな」
変わったことをすること自体が目的ではない。
相手に合わせて必要なものを使い、必要がなくなれば戻す。
今日の千葉には、そんな印象があった。
◇
編集者が時計を確認した。
「で、誰が何を書く?」
その一言で、空気が一気に仕事へ戻る。
「俺、小林」
「じゃあ俺、戦術全体」
「宍道やります」
「試合レビューは?」
「俺が書く」
「玉縄も入れてくれよ。前半最後のセーブ重要だったから」
「もちろん」
「塩川も二点目だけじゃなく、安西への守備込みで頼む」
「分かってる」
あちこちでキーボードを叩く音が増えていく。
そんな中、ベテラン記者だけは、もう少しだけモニターを見ていた。
画面では、試合終了後の小林庄雅がアウェーゴール裏へ頭を下げている。
「……二十九で新しいポジションか」
誰に言うでもなく呟く。
隣の若手が聞きつけた。
「珍しいですよね」
「珍しい。でも、それ以上に面白いキャリアだよ」
期待された未来を、そのまま歩いてきたわけではない。
怪我があった。
苦しんだ時期があった。
できなくなったプレーもあった。
失った武器もある。
それでも、サッカー選手として別の道が残っていた。
ベテラン記者はしばらく画面を見たあと、ゆっくりキーボードへ手を置いた。
「“復活”じゃないな」
若手が振り返る。
「はい?」
「小林の記事」
記者は画面の背番号25を見たまま続ける。
「復活って書くと、昔のストライカーに戻ったみたいだろ」
「そうですね」
「今日のあれは違う」
少しだけ考えてから。
言った。
「再出発だ」
若手も画面を見る。
そして、静かに頷いた。
◇
しばらくして。
編集部のあちこちで記事の仮タイトルが並び始めた。
十九歳の宍道務。
初出場、初先発、初アシスト。
塩川康文。
勝利を大きく引き寄せた追加点。
玉縄幸三。
優勝争いの重圧の中で完封。
そして。
最も多くの記者が、何度も映像を巻き戻した選手。
背番号25。
小林庄雅。
試合前は、なぜDMFなのか誰にも分からなかった。
九十分後。
その疑問は、別のものへ変わっていた。
どうして、こんな守り方ができるのか。
そして。
次もあるのか。
たった一試合。
それでも。
今日の小林庄雅は。
ネットニュースのライターたちにとって。
記事を書かずにはいられない存在になっていた。