第419話 早速やってみた
第419話 早速やってみた
番組終了後。
『神林SC』のスタジオでは、スタッフたちが撤収作業を始めていた。
大型モニターの映像も消え、照明も本番中より少し落とされている。
出演者たちも順番に楽屋へ戻り始める中。
神林康孝だけは。
帰ろうとしていなかった。
というより。
帰れなかった。
「……ボール持ってきて」
近くにいたスタッフが振り返る。
「え?」
「ボール。さっきのやつ練習する」
局アナが驚いた顔をした。
「もうですか?」
「もうじゃない!」
神林は真剣だった。
「年末まで時間あると思ってたら、絶対やらないから! 俺は自分を信用してない!」
原口敦が笑う。
「そこだけは自己分析できてるんですね」
「うるさい!」
数分後。
スタジオ横の簡易スペースへ、サッカーボールが一つ運ばれてきた。
神林はジャケットを脱ぎ、ネクタイも外した。
袖をまくる。
本気だった。
◇
「まず、何からでしたっけ」
神林が聞く。
局アナがスマートフォンで先ほどのVTRを確認する。
「左足でアラウンド・ザ・ワールド。そのあと右足で逆回転。続いて左足でダブル――」
「もういい!」
神林が両手を上げた。
「一個目からやる!」
原口が笑いながら壁際に立つ。
「利き足じゃないんですよね?」
「右です」
「じゃあ小林選手と逆ですね」
「そこも腹立つんですよ!」
小林は左利き。
神林は右利き。
それだけでも、映像をそのまま真似しようとすると微妙に感覚が違う。
「でも指定は左からですよね?」
「映像通りならそうですね」
「……よし」
神林が深呼吸する。
左足。
一回。
右足。
一回。
また左。
普通のリフティング。
ここまでは問題ない。
サッカー経験者だけあって、二十回、三十回程度なら普通に続く。
問題は。
そこから。
「行くぞ」
左足でボールを少し高く上げる。
その周囲へ足を回す。
――はずだった。
コツッ。
「……あ」
ボールが脛に当たって横へ飛んだ。
数メートル先。
スタッフの足元まで転がっていく。
一瞬。
静寂。
原口が小さく拍手した。
「惜しい」
「どこがだよ!」
一回目。
失敗。
◇
神林はすぐにボールを拾った。
「今のは準備運動」
「本番前に言う人のセリフですよ」
「うるさい!」
二回目。
リフティング。
左で上げる。
足を回す。
ボールの下へ戻す。
トン。
「おっ!」
成功。
神林の顔が明るくなる。
「できた!」
「一個目ですね」
「そうだよ!」
「まだ五個くらいあります」
「今言うな!」
それでも。
最初のアラウンド・ザ・ワールドは、思ったより早く形になった。
神林は調子に乗る。
「ほら! 俺だって経験者なんだから!」
原口が笑う。
「じゃあ右足いきましょう」
「……右も?」
「小林選手は左のあと右です」
「そうだった」
少しだけ。
嫌な顔。
◇
左。
成功。
そのまま右足へ。
右でボールを上げる。
今度は逆方向。
神林の得意足。
だから。
余裕。
そう思った。
足を回す。
ボールが落ちる。
足を戻す。
――間に合わない。
ボールが太腿に当たり。
前へ。
「うわああああああ!」
スタジオ横に神林の絶叫が響いた。
撤収中のスタッフが一斉に振り返る。
「何!?」
「どうしました!?」
遠くから声が飛ぶ。
局アナが笑いながら答える。
「練習してます!」
「ああ!」
なぜかそれだけで、全員納得した。
神林が振り返る。
「『ああ』じゃないよ! もうこの番組のスタッフ全員、俺が苦しむ前提じゃん!」
◇
五分後。
左。
成功。
右。
失敗。
また。
左。
成功。
右。
成功。
「よし!」
神林が拳を握る。
「繋がった!」
原口が時計を見る。
「ここまで七分ですね」
「思ったより早いだろ?」
「じゃあ次、左のダブルですね」
笑顔。
神林の顔が固まる。
「……ダブルって本当に必要?」
「小林選手がやってました」
「一周でよくない?」
「二周でした」
「確認しなくていい!」
◇
神林はスマートフォンのスロー映像を見る。
小林が左足でボールを高く上げる。
一周。
そのまま。
もう一周。
そして。
何事もなかったように。
ボールを拾う。
神林は。
十秒ほど。
無言になった。
「これさ」
「はい」
「映像が二倍速とかじゃない?」
「通常速度です」
「嘘だろ」
「スローもあります」
「余計に絶望するだけだよ!」
原口が少し近づく。
「ポイントは、最初の上げ方ですね。高さが足りないと二周できません」
「なるほど」
神林が真剣に聞く。
「少し身体の外へ流して、足を回す時間を作る」
「分かった」
「多分」
「最後いらない!」
◇
挑戦。
左足。
高く。
上げる。
一周。
そして。
二周目。
「うおおおお――!」
足を回す。
間に合わない。
ボールが落ちる。
ポスッ。
神林の頭。
直撃。
「痛ぁっ!」
スタジオ。
爆笑。
局アナが笑いながら言う。
「惜しかったですよ」
「さっきから皆それしか言わない!」
原口は腹を抱えている。
「頭で受ける技なら完璧でした」
「そんな技ないだろ!」
◇
二回目。
失敗。
三回目。
一周半。
失敗。
四回目。
足がボールへ当たる。
五回目。
ボールだけ高く飛びすぎる。
六回目。
一周したところで着地。
「うわあああああああ!」
神林がその場にしゃがみ込んだ。
「無理!」
「まだ十分もやってません」
局アナの冷静な声。
「十分で心折れる難易度なんだよ!」
「年末まであります」
「その言葉もう聞きたくない!」
◇
原口がボールを拾う。
「じゃあ僕、一回やってみましょうか」
「え?」
神林が顔を上げる。
「できます?」
「一発では分かりません」
そう言いながら。
原口。
軽くリフティング。
左。
高く。
一周。
二周。
トン。
普通に成功。
沈黙。
神林。
無言。
局アナ。
拍手。
スタッフ。
拍手。
原口は少し照れたように笑う。
「久しぶりですけど、意外と」
神林が立ち上がった。
「帰れ!」
「え?」
「今すぐ帰れ!」
スタジオ爆笑。
「何で成功するんだよ!」
「元プロですから」
「そうだったよ!」
◇
さらに二十分。
神林は練習を続けた。
左のアラウンド。
右の逆回転。
ここまでは少しずつ安定する。
しかし。
左のダブル。
ここで毎回止まる。
一周半。
一周と四分の三。
あと少し。
それでも成功しない。
「うああああ!」
失敗。
「何でだよ!」
また失敗。
「今の行っただろ!」
ボールは床へ。
「行ってないです」
局アナ。
即答。
「ちょっとくらい甘く判定してよ!」
「年末本番ではカメラが抜きますから」
「急に厳しい!」
◇
やっと。
二周。
足が戻る。
ボール。
落ちる。
左足。
触れる。
トン。
「……」
神林。
止まる。
周囲。
止まる。
成功。
一度だけ。
できた。
神林の目が見開かれる。
「……できた?」
原口が頷く。
「できましたね」
「できた?」
「はい」
「できたぁぁぁぁぁぁぁ!!」
両腕。
上げる。
まるで。
ゴール。
決めたような喜び。
スタッフから拍手。
局アナまで拍手している。
神林は興奮したままボールを指差す。
「見た!? 今見た!?」
「見てました」
「カメラ回ってる!?」
スタッフ。
首を振る。
「回ってません」
神林。
停止。
「……何で?」
「番組終わってますから」
「回しとけよおおおおおお!!」
今日一番の絶叫。
◇
そこから。
次。
クロスオーバー。
神林は。
成功したダブルの余韻に浸る暇もなく。
また。
失敗する。
「もうやだ!」
踵で後ろへ上げるところでは。
ボールが真横へ飛んでいく。
「違う!」
首の後ろで止めようとすれば。
肩に当たり。
転がる。
「うわあっ!」
背中。
「どこ行くんだよ!」
床。
「待て!」
ボール相手に。
完全に会話。
していた。
原口と局アナは。
もう笑い疲れている。
◇
番組終了から。
約四十分。
神林は。
床に座り込んでいた。
シャツ。
汗。
びっしょり。
ネクタイ。
とっくに。
どこかへ置いた。
髪。
少し乱れている。
足元には。
ボール。
「……まだ最初の半分くらいなんだけど」
原口が言う。
神林は。
天井を見る。
「聞こえない」
「左右アラウンドとダブルまでです」
「聞こえない」
「このあとクロスオーバーから踵」
「聞こえない」
「最後ネックキャッチ」
神林は。
両手で顔を覆った。
「小林選手……」
静かな声。
局アナが見る。
「はい」
「俺、さっき番組で応援してるって言ったじゃん」
「言いましたね」
「今も応援してる」
「はい」
「でも」
少し間。
「これ本当に難しすぎるって……」
力のない声。
その直後。
神林はもう一度ボールを手に取った。
原口が驚く。
「まだやるんですか?」
「やるよ!」
立ち上がる。
「ここで帰ったら明日絶対やらない!」
「自己分析だけは完璧ですね」
「うるさい!」
再び。
リフティング。
左。
右。
左。
そして。
「行けぇぇぇぇぇ!」
番組終了後の静かなスタジオに。
神林康孝の絶叫が。
再び。
響き渡った。