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第421話 二十分の未公開映像

やはり俺のスカウト人生は間違っている。 — www.pixiv.net · All chapters

第421話 二十分の未公開映像

番組終了後。

『神林SC』のスタジオでは、収録が終わったというのに、まだ神林康孝の自主練習が続いていた。

左足でボールを浮かせ、そのままアラウンド・ザ・ワールド。続けて右足へ繋ぎ、今度は逆方向へ一周させる。

そこまでは、練習を始めた直後に比べればかなり安定してきていた。

問題は、その先だ。

再び左足へボールを送り、少し高めに浮かせる。足を一周させ、続けて二周目へ入る。

「うおおおおお……!」

神林は必死に左足を回した。

だが、足を回し切るよりも先にボールが落ちてくる。

つま先へわずかに当たり、そのまま数メートル先まで転がっていった。

「うわあああああああっ!」

番組が終わり、静かになりかけていたスタジオへ、また神林の絶叫が響き渡る。

壁際でその様子を見ていた原口敦が、楽しそうに笑った。

「でも、さっきよりかなり惜しくなってますよ」

神林は息を切らしながら振り返る。

「その『惜しい』、今日だけで何回聞いたと思ってるんですか!」

「数えてません」

「俺もだよ!」

転がったボールを拾いに向かう神林の姿は、もはや収録中とは別人だった。

ジャケットは脱ぎ、ネクタイも外している。シャツは汗で背中へ張りつき、髪も少し乱れていた。

そんな神林を横目に、番組スタッフたちは撤収作業を続けていた。

その時だった。

映像素材を整理していた一人のスタッフが、不意に手を止める。

「あれ?」

神林がボールを脇に抱えたまま振り返った。

「今度は何?」

「さっきの小林選手の素材なんですけど……まだ続いてますね」

「何?」

局アナも気になったのか、スタッフのモニターを覗き込む。

「どれくらい残っているんですか?」

「ええと……」

スタッフがタイムコードを確認する。

すると、少し驚いたような顔になった。

「小林選手が『神林さん、三回目も頑張ってください』って挨拶したあとから、二十分ちょっとあります」

「二十分?」

神林の顔が露骨に曇った。

原口は逆に興味を引かれたらしく、モニターへ近づいてくる。

「結構長いですね」

「カメラ切ってなかったみたいです。現場の雑談も、そのまま全部入ってます」

神林はボールを抱えたまま、大型モニターへ目を向けた。

「……嫌な予感しかしないんだけど」

「じゃあ見ないですか?」

「それはそれで気になるだろ!」

原口が吹き出した。

ほどなくして。

大型モニターが再び点灯した。

◇

映し出されたのは、仙台戦直後のバーバリスタジアムだった。

画面の中では、小林庄雅がカメラへ向かって軽く手を振っている。

『神林さん、三回目も頑張ってください』

『ありがとうございました』

「ありがとうございました」

小林も一礼する。

番組で実際に使用されたのは、ここまでだった。

ところが。

映像は終わらない。

小林はその場へ残り、足元のボールを左足で軽く転がしながら、撮影スタッフと雑談を続けていた。

『今回、結構難しくないですか?』

スタッフが尋ねると、小林は本気で分からないというように少し首を傾げた。

「そうですか?」

その瞬間。

スタジオの神林が即座に反応した。

「そうですかじゃない!」

原口が笑う。

当然。

映像の中の小林には届かない。

『神林さん、かなり苦戦すると思いますよ』

「でも、前の二回も最後はできてたじゃないですか」

『かなり練習されたらしいです』

「なら今回も大丈夫じゃないですか」

神林は思わず大型モニターへ一歩近づいた。

「その信頼が重いんだよ!」

局アナも笑っている。

小林にとって、この企画へ技を出すのは今回が三度目だった。

最初に出題したのは十九歳の頃。

あれから十年。

小林自身も、その頃のことを意外なほどよく覚えていた。

『十九歳の時、十年後にまた出すとは思ってました?』

「思わないですよ」

小林が笑う。

「むしろ、まだコーナー続いてるんだなって思いました」

「続いてるよ!」

神林が即座に叫ぶ。

原口が肩を揺らした。

「神林さんが毎回頑張ってるからですよ」

「俺の犠牲で続いてるみたいに言わないで!」

◇

映像が始まって数分。

画面の奥から、一人の男が歩いてきた。

スーツ姿。

ネクタイ。

足元は革靴。

片手には資料を持っている。

エストレヤ千葉の国際スカウト兼分析官、比企谷八幡だった。

「あ、比企谷さん」

神林が気づく。

原口も画面を見る。

「試合後の仕事中でしょうね」

八幡は小林の近くまで来ると、撮影が続いていることには特に反応せず、その足元にあるボールへ視線を落とした。

「まだいたのか」

「今終わったところ」

「取材?」

「神林SC」

「ああ」

「『この技やってみて』」

その言葉を聞いて、八幡は少しだけ納得したような顔になる。

「まだやってるんだ、あのコーナー」

神林が大型モニターを指差した。

「ここにもいた! また『まだ』って言った!」

局アナが笑いを堪える。

画面の中では、小林が左足でボールを軽く持ち上げていた。

「今回これ出した」

そう言って。

先ほど番組で披露したばかりの一連の技を、もう一度見せ始める。

左足でアラウンド・ザ・ワールド。

続けて右足で逆方向へ一周。

再び左足へ戻し、そのままダブル・アラウンド・ザ・ワールド。

クロスオーバー。

数回リフティングを挟み、踵で背後へボールを浮かせる。

最後は落下地点へ身体を入れ、首の後ろで受け止めるネックキャッチ。

そこから前へ落とし、左足で足元へ収める。

一連の動きを。

小林はまた。

何事もなかったように成功させた。

八幡は黙って見ている。

そして。

ごく普通の調子で言った。

「簡単なのにしたんだな」

スタジオ。

一瞬。

誰も声を出さなかった。

神林がゆっくり原口たちの方を見る。

「……え?」

原口はもう笑い始めている。

局アナも口元を押さえた。

神林は大型モニターへもう一歩近づく。

「今なんて言った?」

「『簡単なのにしたんだな』ですね」

「聞こえてるよ!」

◇

映像の中の小林は、特に驚いた様子もなかった。

「神林さんがやるから」

「なるほど」

「過去二回もかなり練習したみたいだし」

「でも成功したんだろ?」

「成功した」

「なら、これくらいならいけるだろ」

「いけてないんだよ!」

神林は両手を広げた。

原口が楽しそうに言う。

「まだ年末じゃないですから」

「今その理屈いらない!」

すると。

画面の中の小林が。

足元のボールを八幡へ転がした。

「じゃあ、やってみる?」

八幡は自分の格好を見下ろす。

スーツ。

革靴。

手には仕事用の資料。

「今?」

「簡単なんだろ?」

八幡は少しだけ考える。

そして、持っていた資料を近くにいたクラブスタッフへ差し出した。

「ちょっと持ってて」

スタジオの神林が、一気に嫌そうな顔になった。

「やめろ。これ絶対成功する流れじゃん」

原口が笑う。

「まだ分かりませんよ」

「テレビって、こういう流れ知ってるんですよ!」

もはや八幡たちはテレビ番組の演出などまったく意識していないのだが、神林には関係なかった。

八幡が革靴のまま、足元のボールを軽く浮かせる。

一回。

二回。

三回。

まずは感触を確かめるような普通のリフティング。

「ほら、革靴だぞ!」

神林が言う。

「やりにくいですよね?」

原口が頷く。

「スパイクやトレーニングシューズよりは扱いにくいでしょうね」

「じゃあ失敗して!」

「応援する方向がおかしいです」

八幡が少し高めにボールを上げる。

左足。

一周。

アラウンド・ザ・ワールド。

そのまま右足へ繋ぎ、逆方向へ一周。

再び左へ。

少し高く浮かせる。

一周。

二周。

ダブル。

神林の口が少しずつ開いていった。

「……は?」

そのままクロスオーバー。

数回のタッチ。

踵で後方へ跳ね上げる。

背中側から頭上へ抜けたボールの落下地点へ入り、八幡が身体を屈めた。

首の後ろ。

ぴたり。

ボールが止まる。

数秒。

静止。

そこから前へ落とし。

革靴で一度受け。

そのまま足元へ収める。

一発。

失敗なし。

小林が笑った。

「革靴でもできるじゃん」

「これくらいならな」

八幡は小林へボールを返し、ほんの少しだけ肩をすくめる。

「ほらね」

「うわああああああああああああああああ!!」

神林の絶叫がスタジオ中へ響いた。

原口は机へ突っ伏す。

局アナもとうとう耐えきれずに笑い出した。

「何でだよ!!」

神林は大型モニターを指差す。

「スカウト兼分析官だろ!?」

「はい」

「選手じゃないだろ!?」

「はい」

「何でスーツに革靴で一発なんだよ!」

原口は笑いすぎてまともに答えられない。

神林は自分の汗で張りついたシャツをつまんだ。

「俺、さっきからこれだぞ!」

局アナが笑う。

「かなり練習しましたね」

「向こう試合後なのに汗一つかいてないじゃん!」

◇

ところが。

未公開映像は。

まだ序盤だった。

神林がふとタイム表示へ目を向ける。

「……待って」

「はい?」

「今、何分?」

スタッフが確認した。

「六分くらいです」

「あと十四分あるの?」

「ありますね」

神林は頭を抱えた。

「もう十分だって……」

原口は完全に観客の顔で椅子へ座り直す。

「せっかくですから最後まで見ましょう」

「原口さん、完全に楽しんでるでしょ」

「はい」

「否定して!」

◇

映像の中では、小林と八幡がまだ雑談を続けていた。

「相変わらず上手いな」

小林が言う。

「昔よくやっただろ」

「革靴ではやらないけどな」

「思ったより普通だった」

「普通じゃない!」

神林が反射的に叫ぶ。

スタジオにまた笑いが起こった。

小林はボールを両手で持つ。

「今回、これ簡単すぎた?」

「神林さんがどれくらいできるか知らないからな」

「過去二回は成功してる」

「なら問題ないだろ」

「だよな」

神林は呆然とする。

「二人で勝手に結論出すなよ……」

局アナは笑いながら肩を震わせていた。

◇

しばらくすると。

会話は自然と、先ほど終わった仙台戦へ移っていった。

話題は小林のDMF起用。

八幡は先ほどまで革靴でボールを扱っていた人物と同一人物とは思えないほど、いつもの淡々とした調子へ戻っていた。

「初戦にしては悪くなかった」

「初戦にしては、ね」

「まだ一試合だぞ」

「分かってるよ」

「仙台だから使えた部分もある。相手が変われば、同じ守り方で全部通るわけじゃない」

スタジオの空気も、少しだけ落ち着く。

原口が頷いた。

「やっぱりクラブ側は冷静ですね」

神林もボールを抱え直し、画面を見る。

「でも、取りに行かないところはかなり我慢したぞ」

小林が言った。

「そこは良かった」

「戸塚とエミリオに任せろって散々言われたからな」

「全部自分で取りに行ったら、相手に動かされるだけだからな」

「分かってる」

「今日できたなら、次は別の相手でどうなるかだな」

小林は軽く肩をすくめる。

「次も使われればだけど」

「それは監督が決める」

「知ってるよ」

神林が感心したように呟いた。

「さっきまで革靴でリフティングしてた人とは思えないくらい、ちゃんと分析官してる」

原口が笑う。

「本職ですから」

「そうだった」

◇

映像はさらに続いた。

途中。

小林が十九歳の頃、このコーナーで最初に出題した技の話になった。

「一回目って、何やったっけ」

「これ」

小林がボールを足元へ落とし、十年前の技をそのまま再現する。

年月は経っている。

それでも。

身体は覚えているらしい。

ほとんど淀みなく成功した。

八幡も記憶を掘り起こしたように頷く。

「これだったか」

「そう」

しばらく技を見たあと。

八幡が何でもないことのように言った。

「今見ると簡単だな」

「うわああああああ!」

スタジオの神林が突然絶叫した。

全員が笑う。

「当時これでめちゃくちゃ練習したんだぞ!」

さらに小林が二回目に出題した技も再現する。

こちらも難なく成功。

八幡は少し考えるように見てから。

「これも今なら、そんなに難しくないな」

「うわああああああああ!」

二度目の絶叫。

原口はもう笑いっぱなしだった。

「俺の努力を十年越しで軽く扱うな!」

局アナが笑いながら宥める。

「でも本番ではちゃんと成功されてますから」

「慰めになってない!」

◇

映像開始から十五分ほどが経過した。

スタジアムの通路では、千葉の選手やスタッフが何人も行き来している。

通りがかった選手が小林へ声をかけ、小林もそのたびに軽く返す。

八幡は邪魔にならないよう少し端へ寄る。

すでに正式な撮影は終わったつもりなのだろう。

二人とも。

カメラをほとんど意識していなかった。

その自然な雑談を見ながら、神林は再びタイム表示を確認する。

「あと五分くらいか」

「そうですね」

「このまま平和に終わってくれ」

原口が笑った。

「フラグみたいなこと言わない方がいいですよ」

「嫌なこと言うな!」

◇

その直後だった。

撮影スタッフの一人が、八幡へ声をかけた。

『比企谷さん』

「はい?」

『せっかくなので、一個お願いしてもいいですか?』

八幡が眉をひそめる。

「何をです?」

『この技やってみて用に』

スタジオ。

神林が固まった。

「……え?」

原口の表情が、一気に楽しそうになる。

局アナも大型モニターへ身体を向けた。

映像の中の八幡は、少し呆れたような顔をする。

「いや、俺選手じゃないんですけど」

『でも今の技、普通にできてましたし』

「たまたまです」

その瞬間。

小林がすぐ横から口を挟んだ。

「嘘つけ」

八幡が小林を見る。

「何が」

「昔からリフティング系、俺より上手かっただろ」

「別に」

「一個出せば?」

神林が大型モニターへ詰め寄った。

「小林選手、余計なこと言うな!」

当然。

届くはずがない。

スタッフも完全に乗っていた。

『神林さんにやってもらう技、何かありません?』

八幡はしばらく黙った。

足元のボールを見る。

次に。

撮影スタッフ。

そして。

小林を見る。

「……俺が考えるんですか?」

『はい』

「神林さんが?」

『年末まで練習します』

その説明を聞いた八幡が。

ほんの少しだけ。

口元を緩めた。

スタジオの神林の顔色が変わった。

「今笑った!?」

原口が吹き出す。

「ちょっと笑いましたね」

「嫌な予感しかしない!」

画面の中では。

小林が八幡へボールを渡している。

「せっかくだからやれよ」

八幡は受け取ったボールを見下ろした。

「難易度どれくらい?」

『特に制限ないです』

「そのルールを比企谷さんに教えるなあああ!」

神林が悲鳴を上げた。

原口はまた机へ突っ伏している。

八幡は少し考え込んだ。

「制限なし……」

小林が笑う。

「神林さん、経験者だから」

「それさっきから余計なんだよ!」

神林は完全に焦っていた。

大型モニターの中。

八幡が革靴のつま先でボールを一度だけ転がす。

どんな技を組み合わせるのか。

頭の中で考えているらしい。

数秒。

そして。

「ああ」

何か思いついたように頷いた。

「じゃあ、一個ある」

神林。

硬直。

「待って」

局アナが笑う。

「決まったみたいですね」

「待って待って待って」

原口も顔を上げる。

「どんな技でしょうね」

「見たくない!」

「でも見ますよね?」

神林は数秒。

本気で葛藤した。

そして。

「……見るけど!」

「ですよね」

スタッフが八幡から少し距離を取った。

小林も邪魔にならないよう横へ避ける。

スーツ姿。

革靴。

足元にはサッカーボール。

八幡はネクタイをほんの少しだけ直した。

そして。

ボールを前へ置く。

『では、お願いします』

「はい」

大型モニターの前。

神林は両手を頭へ置いた。

「絶対やばいやつじゃん……」

画面の中の八幡が。

ボールを挟んだその瞬間――。

映像はまだ終わっていなかった。