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第425話 最終節の朝

やはり俺のスカウト人生は間違っている。 — www.pixiv.net · All chapters

第425話 最終節の朝

11月28日、朝。

エストレヤスタジアム。

まだキックオフまでは何時間もあるというのに、スタジアムの周囲にはすでに多くの人の姿があった。

今日は最終節。

今季最後のホームゲームであり、エストレヤ千葉にとってはJ2優勝が懸かった一戦でもある。

前節終了時点で、首位の北海道フェニックスFCと勝ち点71で並び、得失点差によって千葉は二位。自動昇格そのものはすでに決まっている。来季、J1で戦う。その事実はもう変わらない。

だが、クラブの中で「昇格できたから十分」と考えている者はもういなかった。

ここまで来たのなら、最後に欲しいものは一つしかない。

**J2優勝。**

その決着の日だった。

◇

もっとも、スタジアムの外に広がっている光景だけを見れば、張り詰めた優勝決定戦というより、大きな祭りに近かった。

「はい、そっちのテント、もう少し右です!」

朝からスタジアム外周を歩き回っているのは、エストレヤ千葉広報部長の天童くれはだった。

片手には無線。もう片方には今日一日のイベント進行表。歩きながら次々に指示を飛ばしていく。

「サッカー体験コーナーは予定通り九時半開始! ボールの数、もう一回確認してください!」

『了解です』

「キックターゲットは子ども用と一般用で距離が違いますからね! 間違えないでください!」

『はい!』

「ステージ側、音響チェック終わってます?」

『今やってます!』

次々に無線から返事が返ってくる。

天童は一度時計を確認した。

まだ開場前。

それでも、今日に限っては通常のホームゲームとは準備量がまるで違う。

「部長!」

広報部員の一人が走ってきた。

「昇格記念フォトスポット、設置終わりました!」

「確認します」

「あと、優勝した場合の――」

「それは今は表に出さない」

天童が即座に遮った。

部員が口を止める。

「まだ優勝してません」

「あ……はい」

「昇格は決まってる。だから昇格記念は出していい。でも優勝は今日、ピッチで勝ち取るものです」

「分かりました」

部員は大きく頷いた。

天童もそれ以上は言わない。

もちろん、クラブとして優勝後の準備をしていないわけではない。今日優勝が決まれば、その瞬間から必要になるものはいくらでもある。

だが、それを試合前から表へ出すつもりはなかった。

ピッチで決まるまでは。

エストレヤ千葉は、まだ二位だ。

その線だけは、広報部でも徹底されていた。

◇

スタジアム正面広場で、最も大きなスペースを使っていたのはサッカー体験エリアだった。

普段から人気の企画だが、今日は最終節ということもあり、通常より規模を拡大している。

小さな子ども向けには、カラーコーンの間をドリブルで抜け、最後にミニゴールへシュートするコースが用意されていた。

その隣にはキックターゲット。

番号の書かれた的を狙い、決められた枚数を抜けばクラブグッズがもらえる。

さらに少し先には、シュート速度を測るスピードチャレンジも設置されていた。

「お父さんもできますよー!」

スタッフに声をかけられた父親が、連れてきた子どもを見ながら苦笑する。

「いや、お父さんはいいよ」

「やってよ!」

「絶対足痛めるって」

そんなやり取りが、あちこちから聞こえてくる。

少し離れた場所にはGK体験コーナーもあった。

スタッフが蹴る柔らかいボールを、子どもたちがGKグローブを着けて止める。安全を考え、横っ飛びをする必要はない簡単な内容だったが、ゴール前へ立った子どもたちの表情は真剣そのものだった。

「止めた!」

「ナイスキーパー!」

周囲から拍手が起こる。

小さなGKが嬉しそうに両手を上げた。

今日これから。

本物のプロ選手たちが戦うスタジアムのすぐ隣で、子どもたちがサッカーへ触れている。

それだけでも、クラブにとっては今日という一日を特別なものにする意味があった。

◇

もちろん、イベントはサッカー体験だけではない。

スタジアム外周には普段より多くの飲食ブースが並んでいた。

地元の店。

クラブスポンサー。

温かい料理。

軽食。

甘いもの。

11月末の空気は冷たく、湯気の立つ料理を手に歩くサポーターの姿も多かった。

そんな広場の一角には、今季を振り返る写真展も設けられている。

開幕戦。

勝てなかった序盤。

選手たちの悔しそうな表情。

夏。

新加入選手たち。

連勝。

ホームでの歓喜。

アウェーで戦う姿。

そして。

第33節、仙台戦。

写真は時系列に沿って並べられていた。

その入口には、大きな文字でこう書かれている。

**『開幕最下位から、J1へ。』**

足を止めるサポーターは多かった。

「これ懐かしいな」

「この頃、本当にどうなるかと思ったよ」

「五試合勝てなかったもんな」

「それが今日、優勝かかってるんだからなあ」

父親と息子。

長年スタジアムへ通ってきた年配の夫婦。

若いサポーター。

それぞれが写真の前で、今季を振り返っていく。

そして展示の最後には、第33節終了時点の順位表があった。

一位。

北海道フェニックスFC。

勝ち点71。

二位。

エストレヤ千葉。

勝ち点71。

その横には。

短い言葉だけが添えられていた。

**『あと一試合。』**

◇

別の場所では、子どもたちが長い列を作っていた。

フェイスペイント。

頬にクラブカラーを入れてもらうための列だ。

紺。

金。

白。

小さなエストレヤ千葉のエンブレムを描いてもらう子もいれば、両頬にラインを入れてもらう子もいる。親子で同じデザインを選んでいる家族もいた。

その隣には巨大な応援メッセージボードが置かれている。

上部には。

**『選手たちへ、最後の一言を。』**

すでにかなりの部分が埋まっていた。

『絶対優勝!』

『J1昇格おめでとう!』

『最後も勝とう!』

『開幕からずっと見てた!』

『七連勝の次は八連勝!』

『来年J1でも応援します!』

小さな字。

大きな字。

イラスト。

背番号。

選手名。

様々な言葉が、ボードの上で重なっていく。

このボードは試合前、選手たちがスタジアムへ入る導線の途中へ移動させる予定だった。

見てくれるかどうかは分からない。

立ち止まる時間があるかも分からない。

それでも。

広報部は用意した。

◇

メイン広場には、小さなステージも設置されていた。

ここでは試合開始までの間、クラブに関する様々な企画が予定されている。

今季のゴール映像を使ったクイズ。

エストレヤ千葉に関する○×クイズ。

子ども向けのじゃんけん大会。

スポンサー提供の抽選会。

さらに、過去のユニフォームを展示しながらクラブの歴史を振り返る企画まで用意されていた。

「今日すごいな」

早く到着したサポーターの一人が、配られたパンフレットを見ながら言う。

隣の友人もページをめくった。

「試合まで普通に時間潰せるぞ」

「っていうか、全部回れるか?」

「無理じゃない?」

二人が笑う。

もちろん。

試合を見るためだけにスタジアムへ来てもいい。

それでも。

今日は朝から来ても一日楽しめる。

それが広報部の狙いだった。

◇

天童はスタジアム二階の通路から、外の広場を見下ろしていた。

キックオフまでは、まだかなり時間がある。

それでも。

人は増え続けている。

家族。

友人同士。

一人で来たサポーター。

ユニフォーム。

マフラー。

フラッグ。

少しずつ。

紺と金が、スタジアムの周囲へ広がっていく。

後ろから広報部員が声をかけた。

「部長、今日かなり早い段階から人来てますね」

「最終節ですから」

「それだけじゃないと思いますけど」

天童は少しだけ笑った。

確かに。

ただの最終節ではない。

昇格はすでに決まっている。

その上で。

優勝が懸かっている。

今季。

開幕から苦しんだチームが。

最後の日に。

タイトルへ手を伸ばしている。

その瞬間を見届けたい。

そう思う人が。

これだけ集まっている。

「今日、どれくらい入りますかね」

「かなり入るでしょうね」

「満員……ありますか?」

天童は広場を見下ろしたまま答える。

「その可能性はあります」

広報部員の顔が明るくなる。

だが。

天童はすぐ仕事の顔へ戻った。

「だからこそ、導線はいつも以上に注意してください。入場開始後に人が一気に動きます」

「はい」

「イベントで混雑させて、試合に間に合わないなんて絶対ダメですから」

「分かりました」

今日の主役は。

イベントではない。

イベントは、あくまでその一日を楽しんでもらうためのものだ。

最後に。

全員が見るのは。

ピッチ。

そこだけは。

忘れてはいけない。

◇

スタジアム内のコンコースにも、この日限定の装飾が施されていた。

柱には今季の選手たちの写真が並んでいる。

ホームゲームで決まったゴール。

GKのセーブ。

守備陣が抱き合う姿。

ベンチで喜ぶ選手たち。

サポーターとともに勝利を祝う瞬間。

夏に加わった選手たちの写真も、当然そこにある。

ダニエル。

ベニテス。

坂本。

笹森。

塩川。

古賀。

そして、シーズンを最初から戦ってきた選手たち。

郷田。

戸塚。

エミリオ。

森川。

川崎。

材木座。

他の選手たちも。

一人ずつ。

今季を象徴する写真が使われていた。

小林庄雅の写真は、少し前までFWとして前線からボールを追う姿だった。

そこへ。

仙台戦の一枚が追加されている。

中盤。

相手の縦パスを読み。

先回りするようにボールへ入る瞬間。

その隣には。

十九歳。

宍道務。

仙台戦で前線から相手CBへ寄せていく写真があった。

公式戦に出たのは。

まだわずか一試合。

それでも。

その一枚は。

もう今季を語る写真の一つになっていた。

◇

その頃。

クラブハウスでは。

選手たちが、いつもの試合日と同じように準備を進めていた。

外でどんなイベントが行われているのか。

来場者がどれくらい集まっているのか。

どんな展示が設置されているのか。

細かく確認する余裕はない。

今日。

彼らに求められていることは。

ただ一つ。

試合に勝つこと。

エストレヤスタジアムの外では。

広報部。

運営スタッフ。

スポンサー。

ボランティア。

多くの人間が。

今日という一日を作り上げている。

そして。

最後。

その中心に立つのは。

選手たちだった。

◇

午前。

時間が進むにつれ、広場にはさらに人が増えていった。

「入ったー!」

キックターゲットから歓声が上がる。

「速っ!」

シュート速度計の前で笑い声が起こる。

「ナイス!」

GK体験で拍手が起きる。

「当たった!」

抽選会では子どもが飛び跳ねる。

ステージでは笑い声。

飲食ブースには長い列。

写真展示では足を止める人。

メッセージボードには。

また一つ。

また一つと。

言葉が増えていく。

そのすべての向こうに。

巨大なエストレヤスタジアムがそびえていた。

今日。

ここで。

今季最後の九十分が行われる。

J1昇格。

それは。

もう決まった。

だが。

タイトルは。

まだ誰のものでもない。

北海道フェニックスFC。

勝ち点71。

エストレヤ千葉。

勝ち点71。

得失点差によって。

北海道が首位。

千葉は二位。

最終節。

11月28日。

エストレヤ千葉。

ホーム。

優勝決定の日。

そして。

試合開始までは。

まだ。

もう少しだけ時間があった。