第431話 前半の答え合わせ
第431話 前半の答え合わせ
前半終了。
エストレヤ千葉、2。
北海道フェニックスFC、1。
選手たちがピッチを離れ、それぞれのロッカールームへ戻っていく。
ホーム側。
千葉のロッカールームへ入ってきた選手たちの表情に、浮ついたものはなかった。
勝っている。
このまま終わればJ2優勝。
それでも。
誰も笑ってはいない。
長谷川智樹がキャプテンマークを巻いたまま椅子へ腰掛け、タオルで顔を拭く。
その隣では宇津木健太が飲み物を口へ運びながら、前半27分の失点を思い返していた。
「悪かった」
宇津木が小さく言う。
長谷川はすぐに首を横へ振った。
「俺も触り切れなかった。あれは二人の問題だ」
「でも佐々木に先に入られた」
「だから後半は入らせない。それで終わりだ」
短い会話。
それ以上。
引きずることはなかった。
佐々木俊郎が何を狙っているのかは、試合前から分かっていた。
それでも。
一度やられた。
なら。
二度目を許さなければいい。
◇
選手たちがある程度落ち着いたところで。
マルコ・ベッルーニが前へ出た。
「まず」
室内が静かになる。
「前半、悪くない」
簡潔だった。
「北海道にボールを持たれる時間はあった。だが、完全に崩され続けているわけではない。こちらも二点取っている」
マルコはボードの前へ立つ。
磁石を動かす。
北海道。
中央。
神谷直人。
左。
林卓也。
右。
林達也。
最前線。
佐々木俊郎。
「問題はここだ」
神谷の磁石を指す。
「神谷が低い位置まで下りると、彩加かエミリオが前へ引っ張られる」
戸塚が顔を上げた。
前半。
何度もあった。
神谷が本来のトップ下の位置から少し下り、ボールを引き出す。
そこへ戸塚が出る。
あるいはエミリオが出る。
すると。
その背後。
佐々木。
あるいは林兄弟が入るスペースが生まれる。
「全部ついていく必要はない」
マルコが言う。
「神谷が下がったなら、下がらせておけ」
エミリオが頷く。
「前向きだけ止めればいい」
「そうだ」
マルコは続けた。
「後ろ向きで触る神谷まで追いかける必要はない。怖いのは、前を向いた時だ」
比企谷八幡も横から口を挟む。
「前半12分のシュートもそうです。佐々木の落としから神谷が前向きになった。ああいう二度目の受け直しを減らしたいです」
戸塚が頷いた。
「最初のパスじゃなくて、戻ってきたところ」
「そう」
神谷へ一度入る。
その時に奪えなくてもいい。
問題は。
神谷が味方へ預け。
もう一度。
前向きで返してもらう形。
そこから。
左足が生きる。
林兄弟への展開。
佐々木への縦。
自身のシュート。
すべてが選べる。
「一回目より、二回目を警戒してください」
八幡が言った。
◇
続いて。
マルコが両サイドを指す。
「毛利」
「はい」
「卓也はどうだ」
毛利良一は少し考えて答える。
「縦だけじゃないです。俺が寄せると、中見てます」
「前半からそうだ」
林卓也。
自分で縦へ突破することより。
周囲を使うことを優先する。
毛利が強く寄せれば、神谷。
あるいはカサーツノ。
中へ戻す。
そして。
また外。
「一人で奪おうとするな」
マルコが言う。
「大志と二人で止めろ」
川崎大志も頷く。
「はい」
次。
反対側。
「葉山」
「はい」
「達也の最初の一歩は?」
葉山隼人は苦笑した。
「速いです」
室内にほんの少しだけ笑いが起きる。
だが。
葉山はすぐ真顔へ戻った。
「でも、最初の十五分よりは距離分かってきました。近づきすぎると一気に取られるので、少し余裕持って見ます」
「それでいい」
林達也。
卓也とは違う。
ボールを持てば。
まず自分で仕掛けてくる。
「達也に縦を全部消そうとする必要はない」
八幡が言う。
「完全に止めようとして間合いを詰めすぎる方が危ないです。縦へ行かせても、その先でクロスを限定できればいい」
「了解」
葉山が短く返す。
◇
そして。
最重要。
佐々木俊郎。
八幡が失点場面を改めて説明する。
「前半27分。最初のクロスは長谷川さんが触っています」
長谷川が頷く。
「でも完全には外へ出せなかった」
「はい。問題はそのあとです」
ボールが落ちる。
宇津木が行く。
戸塚も戻る。
その一瞬。
佐々木は。
もう。
落下地点へ入っていた。
「佐々木は、最初の競り合いで勝てなくても終わらない」
八幡が言う。
「二球目に必ず来ます」
宇津木が頷く。
「分かってたんだけどな」
「だから後半は、クリアした瞬間に終わったと思わないことです」
長谷川。
宇津木。
二人とも。
もう一度。
頷いた。
「ファーストを跳ね返したあと、どっちか一人は佐々木を見続ける」
「了解」
「分かった」
◇
守備の確認が終わる。
次は。
攻撃。
マルコはボードの反対側へ磁石を動かした。
「こちらは二点取れている」
前半18分。
ベニテス。
前半46分。
森川。
「カストロは強い」
マルコが言う。
ベニテスが少し笑った。
「知ってる」
何度も。
直接ぶつかった。
速い。
強い。
簡単に飛び込まない。
背後へ走ってもついてくる。
「でも嫌がってないだろ?」
八幡が尋ねる。
ベニテスは即答した。
「全然」
むしろ。
楽しんでいるような顔だった。
「抜ける」
その一言。
八幡も小さく笑う。
「なら続けてください」
ただし。
同じ走り方だけではない。
「ずっと背後だけ狙うと、カストロも合わせてきます。足元も使ってください」
「一回下りる?」
「そうです。下りた時にカストロがついてくれば、その後ろをダニエルか森川が使える」
ダニエルが頷く。
「来なかったら?」
「マティアスが前向ける」
「分かりやすい」
ベニテスが答えた。
◇
そして。
前半最後に得点した森川。
マルコが見る。
「森川」
「はい」
「今のままでいい」
森川が少しだけ目を細める。
「それだけ?」
「それだけだ」
ダニエルが笑う。
森川も肩をすくめた。
「了解」
前半46分。
左から中央へ持ち込み。
パスを見せ。
相手の重心を動かし。
右足。
石原の届かないコース。
完璧に近い得点。
ただ。
マルコが言いたいことは。
ゴールそのものだけではなかった。
「北海道はダニエルを警戒して中央へ寄る」
森川を見る。
「だから、お前が空く」
次に。
川崎。
「逆も同じだ」
中央にダニエル。
最前線にベニテス。
その二人を警戒すれば。
両サイドに。
少しずつ空間が生まれる。
「後半も中央だけで崩そうとするな」
マルコが全員を見る。
「横へ動かせ。北海道を走らせろ」
◇
そして。
最後。
マルコがスコアを指した。
**2-1**
「一番大事なことを言う」
ロッカールームが静まった。
「守るな」
全員の視線が集まる。
「もちろん無謀に前へ出ろという意味じゃない」
マルコは続ける。
「だが、一点を守ろうと思った瞬間に北海道へ押し込まれる」
その通りだった。
しかも。
この試合。
千葉にとって。
引き分けは負けに等しい。
北海道が一点取れば。
2対2。
その瞬間。
優勝条件は。
北海道へ戻る。
「一点差を守るのではなく」
マルコは言った。
「三点目を取るつもりで入れ」
選手たちの表情が変わる。
「北海道は後半、必ず来る。来たところにスペースもできる」
ダニエルが笑った。
「なら、そこ使えばいい」
「ああ」
マルコも頷く。
「あと四十五分」
そして。
静かに。
言った。
「自分たちで終わらせろ」
◇
一方。
アウェー側。
北海道フェニックスFCのロッカールーム。
こちらも。
重苦しい沈黙ではなかった。
1対2。
負けている。
それでも。
状況は明確。
あと一点。
取ればいい。
2対2。
それだけで。
得失点差によって。
北海道が首位のままになる。
キャプテン。
石原一成が。
グローブを外しながら。
最初に口を開いた。
「下を向く必要ないぞ」
選手たちが見る。
「一点だ」
それだけ。
「一点取れば、またこっちだ」
佐々木俊郎も。
静かに頷く。
前半。
自分で一点取った。
なら。
もう一点取れない理由もない。
◇
北海道の監督が前へ立った。
「前半、形は作れている」
ボード。
千葉の4-2-3-1。
戸塚。
エミリオ。
その前。
ダニエル。
「こちらが神谷を使った時、千葉のダブルボランチはかなり反応している」
神谷直人は。
タオルを首へ掛けたまま。
黙って聞いていた。
長期離脱明け。
最終節。
先発。
前半45分以上を終えた。
呼吸は多少荒い。
それでも。
表情に大きな疲労はない。
「直人」
「はい」
「後半も下りていい」
神谷が頷く。
「ただし、ずっと同じ場所で受けるな」
「分かってます」
神谷自身も。
前半で分かっていた。
最初は戸塚がかなり強くついてきた。
途中から。
エミリオと受け渡すようになった。
なら。
さらに。
位置を変える。
「左へ行ってもいい。右へ行ってもいい」
監督が言う。
「二人を迷わせろ」
◇
次。
林兄弟。
「卓也」
「はい」
「毛利は、お前が中を見ることをかなり警戒している」
卓也が頷く。
前半。
途中から毛利の距離感が変わった。
簡単に飛び込んでこない。
縦と中。
両方を消そうとしている。
「なら、一度縦へ行け」
「はい」
「全部クロスまで行かなくていい。毛利を後ろ向きにさせろ」
そうすれば。
次に。
中へのパスが生きる。
続いて。
「達也」
「はい」
「葉山も距離を取り始めた」
達也が笑う。
「最初より来なくなりました」
「怖がってるんじゃない。対応してる」
達也の笑みが消える。
「だから、無理に全部抜こうとするな」
「はい」
「一度カサーツノか神谷へ戻せ。そこからもう一度走れ」
達也最大の武器。
加速。
それは。
最初の一対一だけで使う必要はない。
一度戻して。
もう一度。
背後へ。
その方が。
葉山にとっては厄介になる。
◇
そして。
佐々木。
「前半と同じでいい」
監督の言葉に。
佐々木は短く答えた。
「はい」
「長谷川と宇津木は、お前の一発目をかなり警戒している」
当然だった。
すでに一点。
取られている。
「だから二球目だ」
佐々木が頷く。
前半27分。
まさに。
それで取った。
最初のクロスで。
自分が綺麗に勝つ必要などない。
誰かが触る。
ボールが落ちる。
そこへ。
入る。
「ゴール前から消えるな」
「分かってます」
佐々木の答えは。
それだけだった。
◇
中盤。
カサーツノ。
「千葉が前へ出てきた時、無理に神谷だけ探す必要はない」
監督が言う。
カサーツノも頷く。
「サイドでもいい。CBへ戻してもいい。焦らせるな」
1対2。
負けている。
だが。
北海道に必要なのは。
二点ではない。
一点。
だからこそ。
焦って形を崩す必要がない。
後半開始から。
ロングボールだけを放り込む必要もない。
自分たちが。
33節かけて積み上げたサッカーを。
そのまま続ければいい。
◇
最後に。
守備。
カストロ。
そして。
石原。
「千葉の9番」
ベニテス。
前半18分。
得点。
さらに。
何度もカストロの背後を狙っている。
「カストロ」
監督が呼ぶ。
カストロが顔を上げた。
石原が必要に応じてポルトガル語も交えながら内容を伝える。
「ベニテスが後半、足元へ下りる可能性がある」
カストロが頷く。
「全部ついていく必要はない」
ベニテスが下がる。
カストロがついていく。
その背後。
ダニエル。
森川。
川崎。
そこを使われれば。
前半とは違う形で危険になる。
「受け渡せるところは受け渡せ」
石原もカストロへ声を掛ける。
カストロが短く返す。
さらに。
石原自身。
前半46分の失点。
森川のシュートを思い出していた。
パスを警戒した。
ほんの僅か。
自分の反応が遅れた。
そして。
届かなかった。
「森川にも打たせるな」
石原が日本語で言う。
「ダニエルだけ見てたら、またやられるぞ」
守備陣が頷く。
◇
北海道の監督が。
最後に。
全員を見る。
「一点だ」
もう一度。
強調する。
「前半でこちらは一点取れている。後半も同じだ」
選手たちは。
黙って聞く。
「追いつけば、優勝条件はこちらへ戻る」
北海道は。
勝たなければならないわけではない。
だが。
それは。
守ればいいという意味でもない。
今は負けている。
まず。
追いつく。
「焦るな」
監督が言った。
「だが、待つな」
神谷が。
タオルを外す。
佐々木が立ち上がる。
林兄弟も。
カサーツノも。
カストロも。
そして。
最後。
石原一成。
三十八歳。
キャプテン。
立ち上がり。
グローブをつけ直した。
「行くぞ」
その一言。
北海道の選手たちが。
次々とロッカールームを出ていく。
◇
ホーム側でも。
エストレヤ千葉の選手たちが。
立ち上がっていた。
2対1。
あと四十五分。
千葉は。
もう一点を狙う。
北海道は。
一点を取り返しに来る。
守れば優勝。
追いつけば優勝。
互いに条件は違う。
だがやることは同じだった。
後半。
もう一度相手のゴールへ向かう。
J2王者を決める最後の四十五分が始まろうとしていた。