LNCrawler

第432話 厄介な助言

やはり俺のスカウト人生は間違っている。 — www.pixiv.net · All chapters

第432話 厄介な助言

北海道フェニックスFCのロッカールーム。

「行くぞ」

キャプテンの石原一成が立ち上がり、グローブを締め直した。

神谷直人。

佐々木俊郎。

林卓也。

林達也。

カサーツノ。

カストロ。

他の選手たちも次々に腰を上げる。

1対2。

後半。

あと一点取れば、優勝条件は再び北海道へ戻る。

やるべきことは整理された。

あとはピッチで実行するだけ。

選手たちがロッカールームを出ようとした。

その時だった。

扉が。

突然。

開いた。

「ちょっと待って」

聞き覚えのある女の声。

北海道の選手たちが一斉に振り返った。

「…………」

監督の表情が止まる。

スタッフの何人かは。

露骨に。

嫌そうな顔をすることもできず。

何とも言えない表情になった。

そこに立っていたのは。

北海道フェニックスFCのスタッフではない。

選手でもない。

それどころか。

本来ならば試合中のロッカールームで戦術ミーティングに加わるような立場でもない。

だが。

このクラブで。

誰も彼女を知らない者はいなかった。

**神宮寺小町。**

北海道フェニックスFCのクラブ代表。

その妻だった。

◇

「……小町さん」

監督が呼ぶ。

「何?」

「もう後半が始まります」

「知ってるわよ」

当然でしょう、とでも言うような顔。

神宮寺小町は、そのままロッカールームの中へ入ってきた。

石原が小さく息を吐く。

林達也は兄の卓也へ顔を寄せ、小声で呟いた。

「来たよ……」

「聞こえるぞ」

卓也が返す。

「聞こえてるわよ」

「ほら」

達也が黙る。

神宮寺小町。

我儘。

気分屋。

言いたいことは遠慮なく言う。

自分が納得しなければ、相手が誰であっても文句を言う。

選手だろうが。

監督だろうが。

クラブスタッフだろうが。

関係ない。

そして。

何より面倒なのが。

サッカーについて完全な素人というわけではないことだった。

「前半、何なの?」

開口一番。

それだった。

監督が眉間へ指を当てる。

「何とは?」

「二失点」

即答。

「優勝決定戦なのにホームでもない相手に……じゃなくて、今日は向こうのホームだから雰囲気が厳しいのは分かるけど、それでも二失点は多いでしょ」

誰も答えない。

小町は止まらない。

「最初の失点もそう。マティアスに最後だけ決められたように見えるけど、その前からあの人に気を取られすぎ」

カストロが日本語を完全には理解できず、石原を見る。

石原は。

まだ訳さない。

まず最後まで聞くつもりらしい。

「カストロ」

小町が直接指を差す。

カストロが一瞬。

自分を指した。

「俺?」

「そう、あなた」

日本語で返されても。

当然。

全部は分からない。

石原がポルトガル語で短く伝える。

カストロが理解した。

小町は続ける。

「マティアスが裏へ走るたびに、ずっと一緒に競走してるじゃない」

カストロの眉が少し動く。

「速さで負けてないからって、毎回同じ勝負する必要ないでしょ」

監督が。

少しだけ。

小町を見る目を変えた。

確かに。

それは。

先ほど自分たちも確認したことだった。

ベニテスが背後へ走る。

カストロが追う。

何度も。

一対一。

カストロは大半を止めている。

それでも。

ベニテスを相手に。

毎回。

個人能力だけで処理する必要はない。

「それと」

小町の視線が。

今度は。

神谷へ向く。

「神谷」

「はい」

「前半、下がりすぎ」

神谷が少し目を細めた。

監督も黙っている。

「ボール触りたいのは分かるけど、あなたが下がりすぎると佐々木との距離が遠くなるじゃない」

「……」

「前半途中から千葉もあなたを最後まで追わなくなってたでしょ?」

神谷は。

否定しなかった。

まさに。

そうだった。

序盤。

戸塚は神谷が下がると。

かなり深くまでついてきた。

だが。

途中から。

追わない場面が増えた。

戸塚とエミリオが。

受け渡し始めた。

「低いところでボール触って満足しても意味ないじゃない。そこなら千葉も怖がらないわよ」

言い方。

かなり腹が立つ。

だが。

内容。

間違っていない。

それが。

余計に。

面倒だった。

◇

「あと林兄弟」

今度は。

二人。

「はいはい」

達也が適当に返した。

「返事一回」

「はい」

「卓也」

「はい」

「あなた、パス選びすぎ」

卓也も。

少しだけ目を丸くする。

「毛利が中を警戒してるなら、もっと縦行けばいいじゃない」

監督が。

無言。

つい先ほど。

同じことを言った。

「一回縦へ行って、『こいつ今日は自分でも来る』って思わせれば、中へのパスも使いやすくなるでしょ」

卓也は。

一拍置いて。

「……はい」

反論。

なし。

「達也は逆」

「え?」

「行きすぎ」

「……」

「毎回抜こうとしなくていいじゃない。葉山だって途中からあなたとの距離取ってたでしょ。だったら一回戻して、もう一回走ればいいのよ」

達也が。

監督を見る。

監督は。

視線を逸らした。

また。

同じ。

先ほど自分が話した内容と。

ほぼ同じだった。

「監督」

達也が小さく言う。

「何だ」

「同じこと言ってましたよね」

「言った」

「ですよね」

小町が腕を組む。

「じゃあ私が合ってるってことでしょ」

監督は答えなかった。

そこ。

認めると。

面倒になる。

◇

「小町さん」

石原がようやく口を開いた。

「それを言うために来たんですか?」

「まだあるわよ」

「……そうですか」

三十八歳。

日本代表としてワールドカップを二大会経験した大ベテラン。

北海道一筋。

クラブの象徴。

その石原ですら。

小町相手だと。

若干。

疲れた顔になる。

「一番大事なのまだ言ってないし」

小町は。

ホワイトボードを見る。

そこには。

千葉の布陣。

CF。

背番号9。

マティアス・ベニテス。

小町は。

そこを指差した。

「後半」

一拍。

「マティアス潰したら?」

室内が。

止まった。

「…………」

監督。

無言。

神谷。

無言。

カストロ。

意味を確認するように石原を見る。

達也が。

恐る恐る言った。

「それ、言い方大丈夫?」

「何が?」

「いや……潰すって」

「別に怪我させろって意味じゃないわよ」

「ですよね」

「そんなことしたら退場するじゃない」

「基準そこ?」

「勝てなくなるでしょ」

やはり。

我儘。

だが。

小町の言う「潰す」は。

選手を壊せという意味ではない。

**試合から消す。**

その意味だった。

◇

小町がボードへ近づく。

「前半、北海道が一番嫌だったのってダニエルに持たれた時でも、森川に持たれた時でもないと思うけど」

指。

ベニテス。

「この人でしょ」

監督が。

黙って聞く。

「一点取られてるから?」

スタッフの一人が尋ねた。

「それだけじゃない」

小町は即答した。

「この人がいるからカストロが下がるじゃない」

ベニテスは。

常に。

背後を狙う。

そのため。

カストロは。

簡単にラインを押し上げられない。

「ダニエルが前向いた時も、森川が中へ入った時も、結局後ろでマティアスが走るから嫌なんでしょ?」

誰も。

否定しない。

「カストロ一人で全部やらせるから面倒になるのよ」

カストロが。

石原から通訳され。

少しだけ眉を寄せた。

「後半はカストロだけでマティアスを見るのやめれば?」

監督が初めて問い返した。

「どうする?」

「パスを入れさせなきゃいいじゃない」

「簡単に言うな」

「簡単なんて言ってない」

小町は。

すぐに返す。

「カサーツノ」

名前を呼ばれ。

今度は石原がイタリア語で伝える。

「ダニエルからマティアスへの縦を先に消す」

小町がボード上のカサーツノを動かす。

「カストロは後ろ」

そして。

ベニテスの磁石を。

二つの磁石の間へ置く。

「足元へ入った時に、カストロが前から全部潰しに行くんじゃなくて、カサーツノを使う」

監督の目が。

少し細くなる。

「ベニテスが下がったら?」

「全部カストロがついていかない」

即答だった。

「それやったら、さっき自分たちで話してたみたいに後ろをダニエルとか森川に使われるでしょ」

監督が。

完全に黙った。

選手たちも。

何となく。

察する。

どうやら。

また。

当たっている。

「下がったらカサーツノのところで受けさせる。前向かせない。背後に走ったらカストロが見る」

「つまり受け渡し?」

神谷が尋ねる。

「そう。それでマティアスがボール触る場所を決めちゃえばいいじゃない」

小町は。

言葉を続ける。

「一番嫌なのは、マティアスが好きなタイミングで下がったり裏行ったりすることでしょ?」

前半。

まさにそうだった。

背後。

足元。

カストロを何度も迷わせる。

「だったら北海道側で決めればいいのよ。足元ならここ。裏ならカストロ。中途半端なところで自由に受けさせない」

石原が。

腕を組んだ。

「……なるほどな」

小町が。

すぐ反応する。

「でしょ?」

「まだ褒めてないです」

「褒めたようなものじゃない」

「違います」

◇

北海道の監督は。

もう一度。

ボードを見る。

ベニテス。

ダニエル。

森川。

川崎。

前半。

千葉の攻撃は。

ベニテスの動きによって。

北海道の最終ラインが下げられたところから始まる場面が多かった。

そして。

ベニテスだけに集中すれば。

ダニエル。

森川。

川崎。

他が出てくる。

だから。

単純に二人で囲めばいいわけではない。

必要なのは。

ベニテスへ二人を張り付けることではなく。

**ベニテスが自由にプレーできる場所をなくすこと。**

「……カサーツノ」

監督が呼んだ。

石原がイタリア語で補助する。

「後半、ベニテスが降りた時はお前が見る」

カサーツノが頷く。

「カストロ」

今度はポルトガル語。

「全部追うな。背後に入った時だけ強く行け」

カストロも頷いた。

「その代わり」

監督が続ける。

「ベニテスへ入る縦パスそのものを簡単に通させるな」

神谷も。

少し後ろから聞きながら。

意図を理解する。

ベニテスが前線で起点になれない。

そうなれば。

千葉の攻撃は。

ダニエルへ寄る。

そこで。

プレスを掛ける場所も明確になる。

「本当に採用するの?」

小町が聞いた。

「使える部分は使います」

「全部使えばいいのに」

「それを決めるのは私です」

「頑固」

「あなたに言われたくありません」

ロッカールームに。

ほんの少し。

笑いが起きた。

◇

だが。

小町は。

まだ不満そうだった。

「あと前半二点目」

「まだあるんですか?」

石原が聞く。

「あるわよ」

森川の得点。

前半46分。

「石原」

「はい」

「あれ止めてよ」

「簡単に言いますね」

「ワールドカップ二大会出てるんでしょ?」

「関係ないでしょう」

「キャプテンでしょ?」

「それも関係ないです」

「三十八歳でしょ?」

「もっと関係ないです」

林達也が。

耐えきれず。

吹き出した。

「達也」

「はい」

「笑ってる場合じゃないから。あなたも前半一本くらい決めなさいよ」

「急に俺!?」

卓也が顔を伏せる。

神谷も。

少しだけ笑った。

緊張していたロッカールームの空気が。

ほんの僅かに。

軽くなる。

小町は。

それを狙ったわけではない。

ただ。

思ったことを。

そのまま言っているだけだった。

◇

最後に。

小町は。

全員を見渡した。

「とにかく」

腕を組む。

「負けて優勝逃すとか嫌だから」

ものすごく。

個人的な理由。

「私、優勝するつもりで今日来てるの」

石原が苦笑する。

「俺たちもですよ」

「だったら追いついて」

簡単に言う。

「一点でいいんでしょ?」

「はい」

「じゃあ取ればいいじゃない」

佐々木俊郎が。

そこで初めて。

少し笑った。

「簡単に言うなあ」

「あなた前半取ったでしょ」

「取りましたね」

「じゃあもう一回」

「頑張ります」

「頑張るじゃなくて決めて」

「要求高いな」

「優勝決定戦なんだから当然でしょ」

佐々木は。

笑いながら。

立ち上がった。

◇

監督が時計を見る。

もう。

本当に時間がない。

「小町さん」

「何?」

「そろそろ出てください」

「分かったわよ」

小町は。

不満そうにしながら。

扉へ向かう。

そして。

出る直前。

一度だけ。

振り返った。

「マティアス」

全員が見る。

「後半、消しなさいよ」

そう言い残し。

扉を閉めた。

数秒。

沈黙。

林達也が。

最初に口を開く。

「……相変わらずだな」

卓也が頷く。

「うん」

石原が。

グローブを見ながら。

小さく息を吐く。

「言い方はあれだけど」

神谷が続けた。

「言ってること、結構合ってましたね」

「それが一番厄介なんだよ」

石原が即答した。

今度こそ。

ロッカールームに。

笑いが起きた。

だが。

監督の視線は。

すでに。

ボードへ戻っている。

マティアス・ベニテス。

前半。

一得点。

何度もカストロの背後を狙い。

北海道の守備陣を下げさせた。

後半。

その自由を。

奪う。

カサーツノ。

カストロ。

二人の役割を分ける。

ベニテスを壊すのではない。

**試合から消す。**

我儘なクラブ代表夫人が。

勝手に入ってきて。

勝手に文句を言い。

勝手に置いていった助言。

それが。

後半の北海道に。

新しい狙いを。

一つ。

加えることになった。