第439話 値千金の二点目
第439話 値千金の二点目
後半29分。
スコアは2対3。
北海道フェニックスFCに逆転を許したエストレヤ千葉は、ここでマティアス・ベニテスを下げ、材木座義輝を投入した。
残された時間は多くない。
しかも、千葉が優勝するためには追いつくだけでは足りなかった。
3対3にしても、得失点差で上回る北海道が首位のまま。
つまり。
あと二点。
千葉がJ2王者になるためには、ここから二度ネットを揺らさなければならない。
材木座はピッチへ入ると、すぐに最前線へ向かった。
役割はベニテスとは違う。
何度も背後へ走り、カストロを後ろへ下げ続けるのではない。足元へ入ってくるボールを身体で収め、相手を背負い、その間に後ろから上がってくる味方を使う。
北海道が後半開始から続けていたベニテス対策とは、まったく別の問題を突きつける。
そのための交代だった。
◇
後半30分。
笹森正義からエミリオ・アルバレスへボールが入る。
戸塚彩加が下がったことで、エミリオはそれまでより一列高い位置へ出ていた。
北海道側も変化している。
ベニテスがいなくなったことで、カサーツノが見るべき相手も、守るべき場所も少し変わった。
その前方。
材木座がカストロの前へ入り、背中を預ける。
「義輝!」
エミリオから縦パスが入った。
材木座が右足で収めた瞬間、カストロが背後から強く身体を当てる。
押し出そうとする。
だが。
材木座も簡単には動かなかった。
腰を落とし、重心を下げ、ボールと相手の間へ身体を入れる。
「ぬぅ……!」
押されながらもボールを失わない。
そして、無理に反転しなかった。
そのまま後方へ落とす。
ダニエル・ロドリゲス。
前向きで受けた。
そこへカサーツノが出る。
ダニエルはすぐ右へ振った。
川崎大志。
川崎が中へ持ち込み、外側では毛利良一が追い越していく。
北海道の守備が横へ動かされる。
毛利へ渡る。
クロス。
中央では材木座とカストロが競り合った。
しかし、その前へ石原一成が飛び出す。
両手でしっかりとキャッチした。
得点にはならない。
それでも。
今までとは明らかに違った。
「収まったな」
佐藤智成が言う。
八幡も頷いた。
「はい。カストロをその場に残せます」
ベニテスがいた時、北海道は足元へ下がる動きをカサーツノに任せ、背後への走りをカストロに処理させていた。
材木座は、その二択を相手に与えない。
最初からカストロの前に立つ。
身体を当てる。
背負う。
そこでボールを収める。
カストロにとっては、今までとは違う守り方を要求される。
北海道はもう一度、前線への対応を考え直さなければならなかった。
◇
後半31分。
北海道はリードしていることもあり、無理に攻撃を急がなかった。
カサーツノから神谷直人へ。神谷から林卓也へ渡し、前がなければ戻す。
また中央へ。
再び神谷。
千葉が前へ出てくれば横へ逃がし、そこから後ろへ戻る。
自分たちの形を崩さない。
2対3。
北海道にとっては、このまま時間が進めばいい。
「前から行け!」
長谷川智樹の声が響く。
材木座がカストロへ寄せ、ダニエルもその横へ出た。
森川佑と川崎も両サイドへの出口を消す。
北海道も、先ほどまでのように簡単には前進できなくなった。
ボールは最後尾の石原まで戻る。
石原は左へ出そうとした。
そこへ森川が一気に距離を詰める。
北海道はもう一度中央へ逃がした。
神谷。
その前に笹森。
神谷は前を向く前にカサーツノへ戻す。
だが今度は、そのカサーツノへエミリオが一歩前へ出ていた。
プレッシャーをかける。
北海道の中盤が、少しずつ窮屈になり始めた。
材木座の投入によって変わったのは、攻撃だけではなかった。
前線でボールが収まる可能性が増えたことで、千葉全体が一歩高い位置を取れるようになっていた。
◇
後半32分。
千葉が再びボールを持つ。
宇津木健太から笹森。
そしてエミリオ。
エミリオは迷わず前を見た。
ダニエル。
北海道がすぐに寄せる。
ダニエルはワンタッチで左へ逃がした。
森川。
前向きで受ける。
北海道の右サイドが森川へ出る。
その外を葉山隼人が追い越していた。
森川は一度、葉山を見る。
相手も外へのパスを警戒する。
そこで森川は内側へ一歩入った。
前半46分。
ほぼ同じ場所から、森川は一度ゴールを決めている。
当然、北海道も覚えている。
中央から一人が出る。
シュートを打たせない。
その意識が強くなる。
森川は打たなかった。
近くのダニエルへ短く預ける。
ダニエルもワンタッチ。
材木座へ。
足元。
カストロがすぐに背後から寄せる。
しかし材木座は反転せず、ワンタッチで森川へ戻した。
森川がもう一度前向きになる。
そこで。
北海道の守備が、ほんの少しだけずれた。
「そこ!」
八幡がベンチから反応する。
材木座が中央でカストロを引きつけている。
ダニエルにはカサーツノが意識を向けている。
北海道の守備が中央へ寄った。
その外。
葉山が空いている。
森川はすぐに左へ出した。
葉山。
ダイレクトでクロス。
中央では材木座が飛ぶ。
カストロも競った。
材木座が頭で合わせる。
だが。
ボールは石原の正面。
北海道の守護神が落ち着いてキャッチした。
「くっ……!」
材木座が悔しそうに顔を歪める。
石原はボールを抱えたまま、すぐ味方へ声を飛ばした。
「落ち着け!」
残りは十三分ほど。
北海道はまだ一点前にいる。
だが。
千葉の攻撃は、確実に変わり始めていた。
◇
後半33分。
ホームスタンドからの声がさらに大きくなる。
「行け!」
「まだある!」
「あと二点!」
選手たちも分かっている。
一点では足りない。
それでも。
まず一点を返さなければ、二点目など存在しない。
北海道が自陣から繋ぐ。
カストロ。
カサーツノ。
そこへエミリオが寄せる。
カサーツノは横へ逃がした。
神谷。
今度は笹森が距離を詰める。
神谷は左の卓也へ。
毛利が前へ出た。
卓也は無理をせず戻す。
北海道はボールを失わないよう慎重に回している。
それでも、千葉の前線も下がらない。
材木座。
ダニエル。
森川。
川崎。
その後方には、いつもより高い位置へ出たエミリオ。
北海道がカストロまで戻した瞬間、材木座が前から寄せた。
カストロは石原へ戻す。
石原は大きく蹴った。
中央。
佐々木俊郎と長谷川が競る。
長谷川が頭で勝った。
落ちたボールを笹森が拾う。
すぐエミリオへ。
千葉は再び前を向いた。
北海道が時間を使おうとするたび。
千葉はその時間を奪い返そうとしていた。
◇
後半34分。
エミリオが中央でボールを持った。
北海道の中盤が正面に並ぶ。
ダニエルが少し右へ動いた。
カサーツノの視線も、そちらへ向く。
その隙に。
材木座がカストロの前へ身体を入れた。
「義輝!」
エミリオから縦パス。
材木座が受ける。
カストロもすぐ身体を寄せた。
だが。
材木座は潰れない。
右足でボールを止め、カストロを完全に背負った。
無理に振り向かない。
左から入ってきた森川へ落とす。
森川が前向きで受けた。
北海道のDFが一人、森川へ出る。
その瞬間だった。
材木座が反転した。
カストロの前から離れ。
ゴール方向へ一歩踏み出す。
森川は、その動きを見逃さなかった。
左足から低いパスを通す。
DFとDFの間。
「材木座!」
ボールがペナルティーエリア中央へ入った。
材木座が走り込む。
背後からカストロも追う。
しかし。
ほんの半歩。
材木座が前にいた。
右足を伸ばす。
ボールへ合わせた。
石原が反応する。
右へ飛ぶ。
腕を伸ばす。
それでも。
届かない。
ボールは石原の手の先を抜け、ゴール左側へ飛び込んだ。
ネットが。
大きく揺れた。
◇
「――っしゃあああああああああっ!!」
材木座義輝が吠えた。
次の瞬間。
エストレヤスタジアムが爆発した。
後半34分。
エストレヤ千葉。
同点。
背番号11。
材木座義輝。
今シーズン2得点目。
その二点目が。
優勝決定戦。
2対3で迎えた終盤。
残り十数分という時間で。
千葉をもう一度、北海道と同じ場所まで引き戻した。
値千金の同点ゴール。
スコアは3対3。
◇
材木座はゴールへ入ったことを確認すると、そのまま両腕を大きく広げた。
「我が一撃を見たかぁぁぁぁぁっ!」
「うるさい!」
最初に追いついた森川が、そう言いながら材木座の背中を強く叩く。
「ナイス!」
ダニエルも駆け寄る。
川崎。
エミリオ。
次々と仲間たちが集まった。
材木座は興奮したまま、森川を指差す。
「今のは完璧であったぞ!」
「当たり前だ」
森川も珍しく笑った。
前半46分には自らゴール。
そして後半34分には、材木座の同点弾をアシストした。
この優勝決定戦で。
森川は二つの得点へ直接関わっていた。
◇
ベンチでも全員が立ち上がっていた。
戸塚彩加。
小林庄雅。
戸部翔。
塩川康文。
中田正和。
黒崎隼吾。
鬼塚純一郎。
郷田京。
そして、先ほどピッチを退いたばかりのベニテスも両手を叩きながら叫んでいた。
「Yoshiki!」
その声が届いたのか、材木座が一瞬だけベンチの方を見る。
八幡も小さく拳を握った。
「……よし」
隣では佐藤が大きく息を吐く。
「取ったな」
「はい」
「材木座、今季二点目か」
「ですね」
「よりによって今日か」
八幡は少しだけ笑った。
「こういう一点なら、何点目でもいいでしょう」
ただ。
マルコ・ベッルーニだけは、喜んでいる選手たちへすぐに手を叩いた。
「戻れ!」
その一声で。
選手たちの表情が変わる。
そう。
追いついた。
3対3。
だが。
まだ足りない。
◇
材木座も、その意味を理解していた。
ゴールを喜んだのは、本当に数秒だけだった。
すぐゴールの中へ入ると、ネットの奥からボールを拾い上げる。
抱えたまま石原へ視線を向けた。
「早く!」
北海道の選手たちも、それを見て表情を変える。
3対3。
このまま試合が終われば。
得失点差で上回る北海道がJ2王者となる。
だから北海道には急ぐ理由がない。
しかし。
千葉にはまだ。
もう一点が必要だった。
材木座はボールをセンターサークル方向へ放る。
「まだ終わっておらぬぞ!」
その声にダニエルが頷いた。
「もちろん」
森川もすぐ左サイドへ戻り、エミリオと笹森も自分の位置へ向かっていった。
誰一人。
この同点ゴールを終着点だとは思っていなかった。
◇
後半35分。
スコアは3対3。
千葉は前半18分にマティアス・ベニテス、前半46分に森川佑、そして後半34分に材木座義輝。
北海道は前半27分に佐々木俊郎、後半4分に林達也、後半28分に林卓也。
六つのゴールが生まれた。
それでも。
J2王者はまだ決まっていない。
いや。
正確には。
このまま終われば北海道フェニックスFCが王者になる。
エストレヤ千葉が優勝するためには。
もう一点。
どうしても必要だった。
八幡は時計へ目を向ける。
後半35分。
残りは十分。
そこにアディショナルタイムが加わる。
「あと一点だな」
佐藤が言った。
八幡はピッチから目を離さないまま頷く。
「はい」
追いついた。
だが、追いついただけでは終われない。
優勝するためにはここからもう一度、北海道を追い越さなければならなかった。