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第449話 二つの家族の夜

やはり俺のスカウト人生は間違っている。 — www.pixiv.net · All chapters

第449話 二つの家族の夜

エストレヤ千葉がJ2優勝を決めた夜。

比企谷家では、八幡がソフィアと三人の子どもたちに迎えられた。葉山家では、隼人と雪乃が相変わらず不器用ながらも、ほんの少しだけ互いの気持ちへ踏み込んだ。材木座家では、義輝が大声を出すたびに優美子から注意されながら、二歳の息子と優勝の喜びを分かち合っていた。

同じクラブで一年間を戦ってきた選手たちにも、それぞれ帰る家がある。

そしてその夜を家族と過ごしていたのは、もちろん彼らだけではなかった。

◇

## アルバレス家

玄関の鍵が開き、少し疲れの滲んだ声が家の中へ響いた。

「ただいま」

「おかえり!」

エミリオ・アルバレスが靴を脱ぐより早く、リビングから南が姿を見せた。

南・アルバレス。二十五歳。旧姓は相模南。

昨年エミリオと結婚し、今年八月には二人にとって初めての子どもを出産したばかりだった。

アルゼンチンから日本へ渡り、エストレヤ千葉でプレーを始めて二年目。背番号7をつけるエミリオは、中盤の底からチームを支え続け、そして今夜、J2王者となった。

南はそんな夫の顔を見るなり、抑えきれない笑顔を浮かべた。

「優勝おめでとう!」

「ありがとう」

「本当に優勝したね!」

「ああ」

「最後なんて、心臓止まるかと思った」

「それは困るな」

「例えだから!」

南が笑うと、エミリオも疲れた顔のまま口元を緩めた。

「ハルは?」

「寝てるよ。途中までは一緒に試合見てたけど、さすがに最後までは無理だった」

「まだ三か月だからな」

「そりゃそうでしょ」

荷物を置いたエミリオは、自然と声を落とした。

「ちょっと見てくる」

「起こさないでよ?」

「分かってる」

そう答えて寝室へ向かっていく夫の背中を、南は少し疑わしそうに見送った。

エミリオがこういう時にどれだけ息子へ甘くなるのか、もう十分知っていた。

◇

寝室のベビーベッドでは、陽翔・アルバレスが静かな寝息を立てていた。

八月二十二日生まれ。

まだ生後三か月しか経っていない。

小さな胸が一定の間隔で上下する様子を見ながら、エミリオはベビーベッドの横へしゃがみ込んだ。

ピッチに立っている時の彼とは、まるで別人だった。

試合では常に周囲を確認し、ボールを受ける前から次のプレーを考える。相手へ激しく寄せ、ボールを奪い、正確に味方へ預ける。アルゼンチン代表としてプレーした経験もあり、今日の北海道戦でも戸塚彩加とともに中盤を支え続けた。

だが、眠る息子の前では、そんな肩書きは何の意味も持たない。

ただの父親だった。

「……ハル」

小さく名前を呼ぶ。

当然、返事はない。

それでもエミリオは嬉しそうに笑った。

「パパ、優勝したぞ」

「起こさないでって言ったじゃん」

後ろから聞こえた声に、エミリオが振り返る。

寝室の入口に南が立っていた。

「起こしてない」

「話しかけてるでしょ」

「小さい声だ」

「そういう問題?」

南は呆れながらも隣まで来ると、夫と一緒に息子の寝顔を覗き込んだ。

「今日、試合見てたのか?」

「途中まではね」

「どこまで?」

「前半はほとんど見てた。後半は寝たり起きたり」

「俺のプレーは?」

「ちゃんと見てたよ」

「そうか」

安心したように頷く夫を見て、南が笑う。

「そこ気になるんだ」

「息子だからな」

「まだ三か月だよ」

「三か月でも息子だ」

「それはそうだけど」

南には、そんなところも含めて分かりやすい夫だった。

◇

二人は陽翔を起こさないよう寝室を出ると、リビングへ戻った。

テレビには、今日の試合を振り返るスポーツニュースが流れていた。

ちょうど後半、イエローカードを受けていた戸塚が笹森正義と交代し、それまでダブルボランチの一角だったエミリオが一列高い位置へ出始めた時間帯だった。

「ここ」

南が画面を指差した。

「後半から、エミリオ前に出るようになってたよね」

エミリオが意外そうに妻を見る。

「分かったのか?」

「何その反応。一年以上あなたの試合見てるんだけど」

「いや、そういう意味じゃない」

「スペイン語もサッカーも、少しずつ詳しくなってます」

「それは頼もしい」

「誰のせいだと思ってるの」

南は笑いながら隣へ座った。

画面の中では、高い位置まで出たエミリオがボールを受け、ダニエル・ロドリゲスへパスをつないでいる。

「後半、かなりきつかった?」

「ああ」

エミリオは迷わず頷いた。

「北海道は強かった。神谷もカサーツノも、簡単に自由にさせてくれる相手じゃない」

「でも勝った」

「勝った」

「一位」

「ああ」

「八連勝」

「ああ」

「J2優勝」

「……ああ」

何度も同じことを確認してくる南に、エミリオはとうとう笑った。

「何回言うんだ?」

「だって凄いじゃん」

「まだ実感がないんだ」

「選手でも?」

「選手だからかもしれない」

試合中は、優勝という言葉を考える余裕などなかった。

考えていたのは、次に何をすべきかだけだ。

3対2へ逆転された時も。

材木座のゴールで3対3へ追いついた時も。

後半46分、戸部のフリーキックがゴールへ吸い込まれた時ですら、まだ試合は終わっていなかった。

最後の笛が鳴るまで、完全には喜べなかった。

スタジアムではそのまま表彰式が始まり、仲間たちとトロフィーを掲げ、次から次へと人に囲まれた。

だからなのかもしれない。

こうして家へ帰り、妻の顔を見て、眠る息子を見たことで、ようやく少しずつ優勝したという事実が自分の中へ入ってきた。

「日本に来てよかった?」

不意に南が聞いた。

エミリオが妻を見る。

「どうした、急に」

「なんとなく聞きたくなっただけ」

エミリオが日本へやって来るきっかけを作ったのは、義弟である比企谷八幡だった。

実妹ソフィアの夫。

そして、エストレヤ千葉の国際スカウト兼分析官。

八幡から誘われなければ、日本でプレーすることもなかった。

当然、南と出会うこともなかっただろう。

陽翔が生まれることもなかった。

少し考えたあと、エミリオははっきり答えた。

「来てよかった」

「即答だね」

「迷う理由がない」

「サッカーだけじゃなく?」

「もちろん」

エミリオは南の手へ自分の手を重ねる。

「日本へ来なければ、南にも会っていないからな」

「……そういうの急に言うの、ずるくない?」

「本当のことだ」

「はいはい」

照れたように南がテレビへ視線を戻した。

「八幡君には感謝だね」

「あいつには言わない」

「なんで?」

「調子に乗る」

「八幡君って、そういうタイプじゃなくない?」

「それでも言わない」

「変なところで意地張るよね」

二人が笑った、その時だった。

寝室の方から小さな泣き声が聞こえる。

「ふぇ……」

「あ、起きた」

南が立ち上がるより早く、エミリオも腰を上げた。

「俺が行く」

「今日試合したばっかりで疲れてるでしょ?」

「だから何だ?」

「いや、休んでもいいじゃん」

「息子を抱くくらいできる」

そう言って先に寝室へ向かってしまった夫を、南は呆れ半分、嬉しさ半分で見送った。

「本当に親バカ」

誰にも聞こえない程度の声で呟き、後を追った。

◇

しばらくして、エミリオは陽翔を胸に抱いて戻ってきた。

まだ眠気の残る赤ん坊を驚かせないよう、試合中からは想像できないほど慎重な足取りで歩いている。

「パパだぞ」

「三か月の子に毎回自己紹介しなくていいって」

「覚えてもらわないと困る」

「毎日会ってるじゃん」

エミリオがソファへ腰を下ろす。

陽翔は父親の胸に抱かれたまま、すでに再び目を閉じ始めていた。

南もその隣へ座る。

「来年はJ1だね」

「ああ」

「もっと大変になる?」

「なるだろうな」

「試合も?」

「もちろん」

J1へ上がれば、相手の強度もスピードも個人能力も今年以上になる。

アルゼンチン代表経験のあるエミリオであっても、簡単な戦いが待っているとは思っていなかった。

「でも」

エミリオは腕の中の息子を見た。

「俺のやることは変わらない」

「サッカーする?」

「ああ。勝つためにサッカーをする。それだけだ」

「シンプルだね」

「難しく考えすぎても仕方ない」

南が笑う。

「八幡君とは正反対だね」

「八幡は考えすぎなんだ」

「本人の前で言えば?」

「言ってるぞ」

「あ、言ってるんだ」

そこは妙に遠慮のない義兄弟だった。

やがて陽翔が完全に眠り始める。

エミリオはその小さな頭へ、そっと手を添えた。

遠く離れたアルゼンチンから日本へやって来た。

その日本で妻と出会い、家族ができた。

そして今日は、所属クラブで優勝した。

「南」

「ん?」

「来年も頑張る」

「うん」

「ハルのためにも」

「私のためには?」

エミリオが一瞬だけ黙る。

「……もちろん、南のためにも」

「今、間があった」

「なかった」

「絶対あったよ」

南が笑った途端、陽翔が腕の中で少し身体を動かした。

二人は同時に黙り込む。

「……起きるぞ」

「エミリオのせいでしょ」

「南が笑ったからだ」

「そもそもエミリオが変な間を空けるからじゃん」

さっきまでとは違い、二人とも囁くような声だった。

そんな両親のやり取りなど知らず、陽翔は何事もなかったように眠り続けている。

J2王者となった夜。

アルバレス家には、大きな歓声も紙吹雪もない。

代わりにあったのは、まだ生後三か月の息子を起こさないよう声を潜めて笑い合う、いつもと変わらない夫婦の時間だった。

◇

## 玉縄家

「ただいま」

玄関の扉を開けた玉縄幸三は、家の中が静かなことに少しだけ安心した。

帰宅はすでに遅い時間になっている。

三歳になる双子の長男と長女は、とっくに眠っているはずだった。

「おかえり」

小さな声で迎えたのは、妻の玉縄かおりだった。

二十五歳。

旧姓、折本かおり。

高校時代から交際を続け、二十一歳で結婚。現在は三歳の双子を育てながら、事務職として働いている。

「二人は?」

「寝たよ」

「よかった」

「何が?」

「起きてたら大変だから」

「さっきまで起きてたけどね」

「え?」

「パパが帰ってくるまで待つって」

幸三が少し困ったような顔をした。

「こんな時間まで?」

「さすがに途中で寝たよ。でも試合は最後まで見てた」

「最後まで?」

「うん」

幸三は少し考えてから、真顔で聞いた。

「……怖くなかった?」

「何が?」

「俺は怖かった」

かおりが思わず吹き出した。

「GK本人が言う?」

「本人だから言うんだよ」

今日、エストレヤ千葉のゴールを守ったのは背番号21、玉縄幸三だった。

クラブには長年、絶対的守護神として君臨してきた郷田京がいる。

幸三はその後ろで、長い時間をセカンドGKとして過ごしてきた。

試合へ出られなくても練習を怠らず、郷田のプレーを見て学び、いつ呼ばれてもいいよう準備する。

出番が来るのが一週間後なのか、一か月後なのか、それとももっと先なのか。

分からなくても続けた。

その姿勢を七年間、ほとんど崩さなかった。

そして今日。

J2優勝が懸かった北海道フェニックスFCとの最終節。

先発メンバーのGK欄には、玉縄幸三の名前があった。

◇

「幸三」

「ん?」

かおりが玄関に置かれたままのバッグへ視線を向ける。

「とりあえず着替えたら?」

「ああ」

「その前に一個だけ」

「何?」

かおりは少し笑ってから言った。

「優勝おめでとう」

幸三の動きが止まった。

「……ありがとう」

「それと、今日は本当にお疲れさま」

優勝おめでとう。

その言葉ももちろん嬉しかった。

だが、続いて言われた「お疲れさま」の方が、不思議と胸へ強く残った。

「三点取られたけどな」

幸三がぼそりと言う。

かおりはすぐに眉を寄せた。

「何その言い方」

「GKだからさ」

「でも四点取ってくれたじゃん」

「そうだけど」

「幸三だっていっぱい止めてたでしょ?」

「……まあ」

「ほら。またそういう顔してる」

「どういう顔?」

「素直に喜べない顔」

「俺、そんな顔してる?」

「してるよ」

高校時代から幸三を知っているかおりは、昔から思ったことを比較的はっきり言うタイプだった。

学生時代より随分丸くはなった。

それでも夫を相手にする時には、今でも遠慮は少ない。

◇

着替えを済ませてリビングへ戻ると、テレビでは今日の試合のダイジェストが流れていた。

「まだ見てたの?」

「録画してたの。幸三が帰ってきたら一緒に見ようかなって」

「負けてたら絶対見たくないけどな」

「勝ったんだからいいじゃん」

「それはそうだけど」

画面では前半の攻防が流れている。

神谷直人が左足を振り抜く。

鋭いシュート。

玉縄が反応し、指先で外へ弾き出した。

「これ!」

かおりがすぐ画面を指した。

「凄かったじゃん」

「まだ前半だけど」

「今褒めてるんだから、普通に受け取ってよ」

「……ありがとう」

「よろしい」

次の映像では、佐々木俊郎が至近距離からシュートを放った。

玉縄が足を出して防ぐ。

「これも!」

「よく当たったな」

「当たったんじゃなくて、止めたんでしょ?」

「GKなんて止めれば同じだから」

「何それ。急にカッコつけるじゃん」

「別にカッコつけてない」

かおりが楽しそうに笑った。

しかしダイジェストが後半へ進むにつれ、幸三の表情は少しずつ変わっていく。

林達也に決められ、2対2。

さらに林卓也のゴールで、3対2。

どちらも玉縄には止められなかった。

自分が失点した場面になると、幸三は無意識のうちに画面を凝視していた。

「まだ考えてる?」

かおりに聞かれる。

「そりゃ考えるよ」

「優勝したのに?」

「優勝したからって、失点したことを忘れていいわけじゃないだろ」

GKというポジションは、一つの失点がいつまでも頭へ残る。

あと半歩。

あと一瞬。

立ち位置が少し違えば。

もう少し早く動けていれば。

試合が終わってからも、何度も考えてしまう。

「二点目はもう少し早く反応できたかもしれない。三点目だって、逆サイドへ振られた時に――」

「幸三」

「ん?」

「今日くらい、それやめたら?」

かおりの言葉に、幸三が黙る。

「反省するのは明日からでいいじゃん。今日、優勝したんだよ?」

「分かってるよ」

「しかも幸三がゴール守って」

「うん」

「最後のボールだって、幸三が取ったじゃん」

後半48分。

北海道最後の攻撃。

林卓也からクロスが入った。

佐々木俊郎と林達也をはじめ、何人もの北海道の選手がゴール前へ飛び込んでくる。

そこへ玉縄が出た。

「俺!」

両腕を伸ばし、ボールを掴む。

直後に佐々木と接触し、地面へ倒れた。

それでも絶対に離さなかった。

そして、玉縄がボールを胸へ抱えたまま立ち上がろうとした瞬間。

試合終了の笛が鳴った。

エストレヤ千葉、J2優勝。

その瞬間、最後にボールを持っていたのは玉縄だった。

「最後なんて、テレビ見ながら叫んだからね」

「何て?」

「『幸三、そのまま持ってて!』って」

「家から言われても聞こえないよ」

「知ってるよ」

「子どもたち起きただろ」

「その時はまだ起きてたから大丈夫」

「そういう問題か?」

二人で顔を見合わせ、笑った。

◇

「郷田さんは?」

しばらくして、かおりが尋ねた。

「喜んでたよ」

「そっか」

「表彰式の時はキャプテンマークも戻してもらって、トロフィー掲げてた」

かおりは少し迷ってから聞いた。

「幸三は、複雑じゃなかった?」

「何が?」

「今日先発だったのは幸三だったでしょ?」

「それとこれは別だよ」

答えに迷いはなかった。

「京さんはキャプテンだから」

「うん」

「俺が七年このクラブでやれてるのも、京さんから色々教えてもらったからだし」

絶対的守護神、郷田京。

彼がいたことで、試合へ出られない時間が長かったのは事実だ。

悔しくなかったわけではない。

試合へ出たい。

先発で使われたい。

プロのGKなら誰だってそう思う。

だが、だからといって郷田を邪魔な存在だと思ったことはなかった。

むしろ、ずっと追いかけてきた。

自分にとっての基準だった。

「今日も試合前、京さんに言われたんだ」

「何て?」

「『いつも通りやれ』って」

「それだけ?」

「それだけ」

「シンプルだね」

「京さんらしいだろ?」

「でも効いた?」

「めちゃくちゃ効いた」

幸三がそう答えると、かおりは少し嬉しそうに笑った。

◇

その時、廊下の方から小さな足音が聞こえてきた。

二人が同時に振り返る。

「……ぱぱ?」

寝癖だらけの長男が、眠そうな顔で立っていた。

「あら」

「起きたのか?」

幸三が立ち上がる。

すると、その後ろからもう一人。

「ぱぱ……」

長女だった。

双子は、なぜか二人揃って起きてきた。

「なんでセットで起きるかな」

かおりが苦笑する。

幸三は二人へ向かってしゃがみ、両腕を広げた。

「おいで」

二人が同時に走ってくる。

長男が右。

長女が左。

それぞれ父親へ抱きついた。

「パパ、おかえり」

「ぱぱ、おかえり」

「ただいま」

幸三は二人をまとめて抱きしめた。

「ぱぱ、かった?」

長男が眠そうな声で聞く。

「勝ったよ」

「いちばん?」

「一番」

「ゆうしょう?」

今度は長女が尋ねる。

「優勝したよ」

二人は顔を見合わせた。

そして、示し合わせたわけでもないのに、ほとんど同時に両手を上げる。

「やったー」

「やったー」

ただし、声は妙に小さかった。

「なんでそんな小声なんだ?」

幸三が笑う。

「寝る時間だからじゃない?」

かおりが言う。

「三歳でそこまで空気読む?」

「うちの子たち天才かもしれない」

「親バカ」

「幸三には言われたくない」

それは否定できなかった。

長男が幸三の手を見ながら聞く。

「ぱぱ、ぼーるとった?」

「取ったよ」

「さいご?」

「最後も取った」

「すごい!」

すると長女が父親の頭へ手を伸ばした。

「よしよし」

「なんで俺が撫でられてるんだ?」

「いいじゃん。今日は褒めてもらいなよ」

かおりが笑う。

「三歳に?」

「三歳でも娘は娘でしょ」

「まあ……そうだけど」

幸三は苦笑しながら、娘に頭を撫でられるままになっていた。

◇

しばらくして、二人をもう一度寝かせることになった。

幸三が長男を、かおりが長女を抱き、寝室へ連れていく。

ベッドへ戻そうとすると、長男が父親の服を掴んだ。

「ぱぱ」

「ん?」

「またかった?」

「次も勝てるように頑張るよ」

「じぇーわん?」

思いがけない言葉に、幸三が目を丸くした。

「J1知ってるの?」

「ままいってた」

かおりが隣で笑う。

「教えた」

「早くない?」

「来年はJ1なんでしょ?」

「ああ」

長女も意味はよく分かっていないらしく、それでも兄の真似をするように呟いた。

「じぇーわん」

幸三は二人へ布団を掛けた。

「そう。来年はJ1だ」

その舞台で自分がどれだけ出場できるのかは分からない。

郷田がいる。

夏に加わった古賀もいる。

十八歳の村上も成長している。

来季、新たなGKが加入しないとも限らない。

競争がどうなるのか、今の段階では誰にも分からない。

それでも、幸三がやることは変わらなかった。

いつ呼ばれてもいいように。

いつ自分の番が来てもいいように。

準備を続ける。

それだけだった。

◇

双子が再び眠ったのを確認して寝室を出ると、かおりが小さな声で幸三を呼んだ。

「ねえ」

「ん?」

「来年さ」

「うん」

「もっと試合出られるといいね」

幸三は廊下で少しだけ足を止めた。

「……そうだな」

「今日みたいに」

「今日みたいに?」

「ちゃんと守って」

「三点取られたけど」

「また言う」

「GKとしては気になるんだよ」

「はいはい」

かおりは夫の腕を軽く叩いた。

「じゃあ来年は全部止めて」

「無茶言うなよ」

「プロでしょ?」

「プロでも無理なもんは無理」

「じゃあ、止められるだけ止めて」

幸三は少し笑った。

「それなら頑張るよ」

「うん。それでいい」

かおりも笑った。

長い間、控えGKとして待ち続けてきた。

次の出番がいつなのか分からなくても、腐らず準備を続けた。

そして、クラブのJ2優勝が懸かったシーズン最後の試合。

七年間の中でも最も重い一戦で、ゴールを任された。

最後の最後。

北海道が放り込んだボールを、自分の両手で掴んだ。

その直後に鳴った終了の笛。

玉縄幸三は、静かな家の中で妻と子どもたちに囲まれて、ようやくあの瞬間を少しずつ自分のものとして受け入れ始めていた。

アルバレス家では、生後三か月の息子を壊れ物のように大切に抱く父親がいた。

玉縄家では、三歳の双子に頭を撫でられながら照れくさそうに笑う父親がいた。

ピッチへ立てば、一人は中盤を支える背番号7。

もう一人はゴールを守る背番号21。

だが家へ帰れば、二人ともただの夫であり、父親だった。

J2優勝という特別な一日を終えた夜。

二つの家には、スタジアムとはまったく違う、穏やかな時間が流れていた。