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第451話 三つの家庭の夜

やはり俺のスカウト人生は間違っている。 — www.pixiv.net · All chapters

第451話 三つの家庭の夜

エストレヤ千葉がJ2優勝を決めた夜。

選手たちはスタジアムで同じトロフィーを見上げ、同じ金色の紙吹雪を浴びた。

だが、その後に帰っていく場所はそれぞれ違う。

キャプテンとしてトロフィーを掲げた郷田京。

新しいポジションで再び自分の居場所を見つけ始めた小林庄雅。

そして最終節、キャプテンマークを巻いて最終ラインを支えた長谷川智樹。

三人にも、家に帰ればサッカー選手とは違う顔があった。

◇

## 郷田家

「ただいま」

郷田京が玄関を開けると、普段なら静かになっている時間にもかかわらず、家の奥からすぐに足音が聞こえてきた。

「パパ!」

「パパ、おかえり!」

五歳の長女と三歳の長男が競うように走ってくる。

「おいおい、まだ起きてたのか」

郷田は苦笑しながら屈み、飛び込んできた二人をまとめて受け止めた。

その後ろから、妻のカトリーヌも姿を見せる。

「おかえり、京!」

「ただいま」

「そして……優勝、おめでとう!」

満面の笑み。

日本へ来て長いカトリーヌの日本語は、日常生活で困ることなどほとんどない。それでも感情が大きく動いた時だけ、ときどき母国語が混ざる。

「本当に、ほんっとうにすごかった! Félicitations!」

「ありがとう」

「パパ、これ!」

長女が何かを持ち上げた。

画用紙だった。

金色や青色のクレヨンで大きなトロフィーが描かれ、その横には四人らしき人物が並んでいる。

上には少し歪んだ字で、

**パパ ゆうしょうおめでとう**

と書かれていた。

郷田はしばらく何も言わず、その絵を眺めた。

「これ、二人で描いたのか?」

「うん!」

「ぼくも!」

「そっか」

長女の頭を撫で、続けて長男の頭にも手を置く。

「ありがとう。パパ、大事にするよ」

◇

リビングへ入ると、テレビにはまだ優勝決定戦の映像が流れていた。

試合終了後。

長谷川からキャプテンマークを受け取る場面。

そして表彰式。

郷田が優勝トロフィーを頭上へ掲げた瞬間、金色の紙吹雪が舞い上がる。

「パパだ!」

長男がテレビと目の前の父親を交互に見る。

「これ、重かった?」

「結構重かったぞ」

「ぼくももちたい!」

「これは家にはないからな」

「なんで?」

「クラブのものだから」

三歳児には納得できなかったらしく、長男は不思議そうな顔をしていた。

カトリーヌが笑いながらキッチンから料理を運んでくる。

「京、お腹空いてる?」

「少しな」

「今日、頑張って作った」

その言葉に、郷田の動きがほんの僅かに止まった。

「……頑張った?」

「何、その反応」

「いや、何でもない」

カトリーヌはフランス料理も日本料理も作る。

ただし、得意かと聞かれれば微妙だった。

味が濃すぎたり、逆に薄かったり。

見た目が予定していたものと全く違う料理になることもある。

それでも家族のために毎日作り続けていることを、郷田は誰より知っていた。

「今日は大丈夫だから」

「その言い方が一番怖いんだよ」

「失礼ね!」

郷田が笑いながら席へつく。

優勝した夜でも、家に帰ればいつもの郷田家だった。

◇

「でも」

食事を始めて少し経った頃、カトリーヌが静かに口を開いた。

「京、今日試合に出なかったでしょう?」

「ああ」

「悔しかった?」

郷田の箸が一瞬止まる。

今日のゴールを守ったのは玉縄幸三だった。

長年、自分の後ろで準備を続けてきたGK。

優勝を懸けた最終節で、ゴールマウスを任されたのは郷田ではない。

「そりゃな」

郷田は隠さなかった。

「試合には出たい。俺だって選手だから」

「うん」

「でも幸三が出るって決まった時に、変な感情はなかったよ」

「本当?」

「あいつがどういう準備をしてきたか知ってるからな」

郷田は長い間、玉縄を近くで見てきた。

出場機会が少なくても腐らない。

練習を手を抜かない。

いつでも出られる準備を続ける。

「今日も何本も止めた。最後のボールも幸三が取った。あいつが守って勝った試合だ」

「そっか」

「それに」

郷田がテレビを見る。

画面では、自分がトロフィーを掲げている。

「最後にあんな役までやらせてもらったしな」

カトリーヌが少し笑った。

「すごく似合ってたよ、キャプテン」

「そうか?」

「うん。私、ちょっと泣いた」

「ちょっと?」

「……いっぱい」

「だろうな」

「なんで分かるの?」

「表彰式の時、スタンド見たから」

「見えてた!?」

「目立ってたぞ」

カトリーヌが急に恥ずかしそうな顔をする。

「もう……」

「今さらだろ」

◇

「来年もパパ、サッカーする?」

長女が聞いた。

「ああ。するよ」

「J1?」

「そうだ」

「すごいところ?」

「J2よりもっと厳しいところだ」

長女は少し考えると、父親を見つめた。

「じゃあパパ、もっといっぱい止めないとね」

「そうだな」

「ぜんぶ止めて!」

長男まで参加する。

「全部は難しいな」

「パパならできる!」

何の根拠もない。

だが。

父親にとっては、それで十分だった。

三十五歳。

若い頃には日本代表としてワールドカップにも出た。

フランスでもプレーした。

代表通算四十二試合。

長いキャリアを歩いてきた。

それでも。

来季。

また新しい挑戦が始まる。

郷田は二人の子どもを見ながら、小さく笑った。

「じゃあ、できるだけ止めるよ」

「約束!」

「ああ。約束だ」

◇

子どもたちがようやく寝た後。

郷田はリビングへ戻り、ソファへ深く腰を下ろした。

隣にカトリーヌが座る。

「疲れた?」

「さすがにな」

「今日は試合出てないのに?」

「キャプテンにも色々あるんだよ」

「ふふ。冗談」

少しの沈黙。

カトリーヌが郷田の肩へ寄りかかる。

「京」

「ん?」

「優勝できてよかったね」

「ああ」

「日本に戻ってきてから、ずっとこのクラブのこと考えてたでしょう?」

「……そうだな」

郷田は天井を見上げた。

自分が主役だった試合ではない。

それでも。

今日ほど嬉しい試合もなかった。

「来年はJ1だ」

「うん」

「また競争だな」

「京なら大丈夫」

「簡単に言うな」

「奥さんだから言っていいの」

カトリーヌは笑った。

郷田も、少しだけ笑う。

その夜。

トロフィーを掲げたキャプテンは、家では二児の父親として。

家族に囲まれながら、静かに優勝の余韻へ浸っていた。

◇

## 小林家

「ただいま」

「パパ!」

小林庄雅が玄関へ入った瞬間、八歳の長女が勢いよく走ってきた。

その後ろから五歳の長男も追いかけてくる。

「パパ、優勝した!」

「知ってるよ。俺もそこにいたから」

「一番!」

「ああ。一番」

「トロフィー見た!」

「テレビで?」

「うん!」

長女の興奮はまだ収まっていなかった。

長男も父親の足へ抱きつきながら何度も「ゆうしょう」と繰り返している。

「二人とも、パパ疲れてるんだから少し落ち着きなさい」

奥から聞こえてきた声。

小林天音。

二十九歳。

庄雅とは幼い頃から一緒に育ってきた幼馴染であり、今は妻として二人の子どもを育てている。

「おかえり、庄雅」

「ただいま」

「優勝おめでとう」

「ありがと」

短いやり取り。

だが。

庄雅にとってはそれで十分だった。

◇

リビングへ入る。

長女がすぐに尋ねた。

「パパ、今日は試合出なかったね」

「ああ」

「出たかった?」

子どもは遠慮がない。

庄雅は苦笑した。

「そりゃ出たかったよ」

「じゃあなんで出なかったの?」

「今日は監督が、他の選手の方が必要だと思ったからだな」

「ふーん……」

まだ完全には理解できない。

それでも長女は、少し考えてから言った。

「でも優勝したからいい?」

庄雅が少し笑う。

「まあ、今日についてはな」

「じゃあいいじゃん!」

「簡単だなあ」

横で聞いていた天音も笑った。

プロ選手にとって。

試合に出られるかどうかは軽い問題ではない。

だが。

八歳の娘には。

父親のチームが優勝した。

それが一番重要らしい。

◇

「パパ、アンカーした?」

今度は長男が聞いた。

「今日はしてない」

「なんで?」

「だから今日は試合に出てないって」

「次やる?」

「どうだろうな」

「ボールいっぱい取って!」

「全部取りに行ったら駄目なんだって前にも言っただろ」

「でもいっぱい!」

「話聞いてないな」

長男は楽しそうだった。

少し前まで。

小林庄雅は。

家でこんな話をすることすら少なかった。

二十四歳の時。

左足で踏み込んだ瞬間に受けた激しいタックル。

身体は治った。

だが。

左足を強く振り抜こうとすると、身体が固まるようになった。

かつて。

その左足で何度もゴールを決めた。

高校選手権得点王。

年代別日本代表。

オリンピック。

日本代表や海外移籍まで期待された。

その未来が。

少しずつ。

遠ざかっていった。

試合に出る時間も減った。

サッカーの話をすることそのものが。

苦しくなった時期もあった。

それでも。

今は。

「パパ、アンカー上手い?」

長女に聞かれて。

「まだ勉強中だよ」

そう答えられる。

それだけで。

天音には。

大きな変化だった。

◇

子どもたちがテレビの優勝映像に夢中になった頃。

天音はキッチンで飲み物を用意していた。

庄雅も隣へ立つ。

「天音」

「ん?」

「今年、ありがとな」

「何、急に」

「いや……」

「優勝して感傷的になってる?」

「違う」

「昔から分かりやすいよね、庄雅って」

「うるさい」

幼馴染。

小学生になる前から。

互いを知っている。

そのため。

庄雅が何かを誤魔化そうとしても。

天音には。

大抵。

通用しない。

「試合出られなかったの、悔しい?」

天音が聞く。

「悔しいよ」

庄雅は即答した。

「でも」

一度。

言葉を探す。

「前とは違うかな」

「どう違うの?」

「昔なら、試合に出られないと『もう駄目だ』って思ってた」

FW。

ゴール。

左足。

それしか。

自分の価値がないと思っていた。

「でも今は、アンカーもある。練習でもやることがある。来年どうなるかは分からないけど……まだ自分にできることを探せる気がする」

天音は少しだけ笑った。

「それならいいんじゃない?」

「簡単に言うな」

「昔から言ってるじゃん。私は昔の庄雅に戻れなんて一度も言ってないよ」

「分かってる」

「ゴール取らなくても、子どもたちはあんな感じだし」

リビングを見る。

長男がテレビに映る選手たちを見ながら、なぜか一人でボールを奪う真似をしている。

長女がそれを見て笑っている。

「アイツらは何でも喜ぶからな」

「それでいいじゃん」

天音が言う。

「昔すごかったパパじゃなくて、今のパパを見てるんだから」

庄雅は。

返事をしなかった。

ただ。

少しだけ。

表情を緩めた。

◇

「来年、J1だね」

「ああ」

「どう?」

「怖いよ」

それも。

素直な言葉だった。

「昔だったら、J1で点取る自分しか考えてなかったと思う」

「今は?」

「J1のFWがどこへパス欲しがるのか考えてる」

天音が吹き出した。

「本当に変わったね」

「自分でも思う」

ストライカーとして積み上げた経験。

それを。

今度は守備側から使う。

相手FWが欲しい場所。

出してほしいタイミング。

身体の向き。

その全てを読んで。

先に立つ。

「まだ終わってないんだなって思えるよ」

庄雅が静かに言う。

天音は夫を見る。

「最初から終わったなんて言ってないけどね」

「俺が勝手に思ってただけだ」

「じゃあ、やっと気づいた?」

「遅かったな」

「かなりね」

二人で笑った。

◇

「パパ!」

長女が呼ぶ。

「何?」

「来年も試合見に行く!」

「おう」

「アンカーでも応援する!」

「まだアンカーで出るって決まってないぞ」

「FWでも応援する!」

「結局どっちでもいいのか」

「パパならいい!」

庄雅は。

言葉を失った。

天音が。

横で笑う。

「最強でしょ?」

「……勝てないな」

「昔からね」

元エースストライカー。

今は。

新しい役割を見つけ始めた二十九歳。

それでも。

家族にとって。

肩書きなど。

何も変わらなかった。

ただ一人の。

父親だった。

◇

## 長谷川家

「ただいま」

長谷川智樹が玄関を開けた瞬間。

「パパー!」

三つの声が重なった。

「うおっ!」

九歳。

七歳。

五歳。

三人の娘が一斉に走ってくる。

「ちょっ、待て待て! 一人ずつ!」

「パパ優勝!」

「テレビ映ってた!」

「キャプテンだった!」

三方向から一気に話しかけられる。

百八十センチを超えるFWと空中戦をしても平然としているセンターバックが。

三人の娘を前にして。

完全に押されていた。

「分かった! 全部聞くから! ちょっと待ってくれ!」

「ほら」

奥から。

呆れた声。

「帰ってきたばっかりなんだから、少しくらい休ませてあげなさい」

長谷川翔子。

四十歳。

智樹より七歳年上の妻。

現在は専業主婦として、三人の娘を育てている。

元女優。

そして。

長谷川家で。

夫が最も頭の上がらない相手だった。

「翔子、助けてくれ」

「自分の娘でしょう」

「三対一は無理だって」

「今日もっと大人数相手に守ってたじゃない」

「サッカーとは違う!」

娘たちが笑う。

翔子も。

笑っていた。

◇

「とりあえず」

翔子が智樹を見る。

「優勝おめでとう」

「ああ。ありがとう」

「お疲れさま」

「……そっちの方が嬉しいな」

「でしょうね」

今日。

北海道フェニックスFCを相手に。

長谷川は九十分を超えて最終ラインに立ち続けた。

佐々木俊郎。

神谷直人。

林達也。

林卓也。

J2屈指の攻撃陣。

そして。

三失点。

簡単な試合ではなかった。

むしろ。

苦しい時間の方が長かった。

「パパ、三点取られたね」

九歳の長女が言う。

「お前、いきなりそこ言う?」

「でも四点取った!」

「それは俺が取ったわけじゃない」

「じゃあ勝ったからいいじゃん」

「お前ら本当に簡単だな……」

翔子が笑いながらキッチンへ向かう。

「子どもはそれでいいのよ」

「まあな」

◇

着替えを済ませてリビングへ戻ると、テーブルには翔子が作った料理が並んでいた。

調理師免許まで取得した妻の料理。

長谷川にとって。

外食よりも。

何よりも落ち着く味だった。

「今日これ全部作ったの?」

「そうだけど」

「試合見てた?」

「全部見たわよ」

「いつ作ったんだよ」

「朝から準備してたの」

「さすがだな……」

「誰の妻だと思ってるの」

「俺の妻です」

「分かってればよろしい」

三姉妹が笑う。

「パパ弱い!」

「ママに負けた!」

「最初から勝負してない!」

長谷川は反論したものの。

家庭内の序列は。

娘たちにも。

完全に理解されていた。

◇

「でもさ」

食事を始めて少し経つと。

翔子が夫の左腕を見るようにした。

「今日、キャプテンマーク巻いてたでしょう」

「ああ」

「似合ってたよ」

「そうか?」

「京さんが出てなかったからでしょ?」

「うん」

郷田京がベンチスタート。

そのため。

先発メンバーの中で。

長谷川がキャプテンマークを巻いた。

「緊張した?」

「試合前はな」

「パパ緊張するの?」

次女が驚く。

「するよ。人間だからな」

「いつも怖い顔してるからしないと思った」

「怖い顔は余計だ」

翔子が吹き出す。

「子どもって正直ね」

「翔子まで笑うなよ」

◇

「表彰式で京さんに戻したんだね」

翔子が続ける。

「ああ」

「迷わなかった?」

「全然」

そこには。

長谷川の中で迷いはなかった。

「今日巻いてたのは俺だけど、キャプテンは京さんだから」

勝てなかった時。

ロッカールームが沈んだ時。

先発を外れた時。

若手が増えた時。

郷田は。

ずっと。

同じようにチームを支えてきた。

「最後にトロフィー持つなら京さんだろ」

「智樹らしいね」

「そうか?」

「そういうところ」

翔子はそれ以上説明しなかった。

夫も。

聞かなかった。

二十歳の頃から。

長い時間を一緒に過ごしてきた。

全部を言葉にしなくても。

分かることは多い。

◇

「でも」

翔子の声が少し変わる。

「今日の三失点は気になってるでしょう?」

長谷川が。

一瞬。

止まった。

「……やっぱり分かる?」

「何年一緒にいると思ってるの」

「隠してたつもりなんだけどな」

「全然」

1対1。

2対2。

そして。

2対3。

三度。

北海道にゴールを許した。

そのたびに。

センターバックとして。

もっと何かできなかったか。

考える。

「一失点目、俺のクリアが中途半端だった」

「うん」

「二点目も、もう少しラインを――」

「はい、そこまで」

「え?」

翔子が止めた。

「反省は明日」

「でも」

「今日は優勝した日」

「プロとしては――」

「智樹」

名前を呼ばれ。

長谷川が黙る。

妻の方が七歳年上。

長い付き合い。

この声の時に。

逆らっても。

勝てない。

「明日から好きなだけ考えればいいでしょ?」

「……はい」

「今日は家族と優勝を喜ぶ」

「はい」

三人の娘が笑う。

「パパ怒られた!」

「ママ強い!」

「お前ら、そこだけ拾うな!」

◇

食事が終わる頃には。

長谷川も。

ようやく。

試合の反省を横へ置いていた。

長女が優勝メダルを見せてほしいと言い。

次女が触りたいと言い。

三女は。

首へ掛けたいと言い出した。

「落とすなよ?」

「大丈夫!」

「絶対?」

「大丈夫!」

三女の首へメダルを掛ける。

大きな優勝メダルが。

小さな身体の胸元まで下がった。

「重い!」

「だろ?」

「パパこれもらったの?」

「ああ」

「すごい!」

その一言だけで。

長谷川は笑った。

「パパ」

長女が聞く。

「来年はJ1なんでしょ?」

「ああ」

「もっと強い?」

「強いよ」

「パパ大丈夫?」

長谷川は。

一瞬だけ。

答えを考えた。

三十三歳。

ベテラン。

来年。

相手FWのレベルは。

間違いなく上がる。

スピード。

フィジカル。

技術。

今日以上に。

苦しい試合もあるだろう。

「大丈夫かどうかは分からない」

「え?」

「でも」

長谷川が娘を見る。

「大丈夫にするために練習するんだよ」

長女は。

少し考えて。

頷いた。

「じゃあ頑張って」

「ああ」

「みんなで応援行くから」

「頼むよ」

◇

娘たちを寝かせた後。

長谷川はソファへ座り。

ようやく。

長い息を吐いた。

「疲れた……」

「試合と娘、どっち?」

翔子が隣へ座る。

「両方」

「正直でよろしい」

「でも」

長谷川は笑った。

「悪くない疲れだな」

「でしょうね」

翔子が。

夫の肩へ軽く手を置く。

「一年間、お疲れさま」

「ありがとう」

「来年も頑張りなさい」

「はいはい」

「返事は一回」

「はい」

「よろしい」

「選手より妻の方が厳しいな」

「今さら?」

「今さらだな」

二人が笑う。

◇

郷田家では。

キャプテンが。

二人の子どもと妻に囲まれていた。

小林家では。

かつての自分ではなく。

今の自分を応援してくれる家族がいた。

長谷川家では。

三人の娘に振り回されながら。

守備陣の柱が。

ようやく肩の力を抜いていた。

同じJ2優勝でも。

その受け止め方は。

それぞれ違う。

だが。

共通しているものもあった。

ピッチで戦う選手たちを。

家で待っている人がいる。

勝った日も。

負けた日も。

試合に出た日も。

出られなかった日も。

変わらず。

帰る場所がある。

J2王者となった夜。

三つの家庭にも。

それぞれの形で。

穏やかな一日の終わりが訪れていた。