第455話 最後のメンバー表
第455話 最後のメンバー表
元原太陽の現役引退がクラブへ伝えられてから数日。
エストレヤ千葉は、来週行われる引退試合へ向けた準備を進めていた。
公式戦ではない。
他クラブを招いて行う記念試合でもない。
同じエストレヤ千葉の選手たちを二つに分けて戦う紅白戦。
それでもクラブは、普段の練習で行う紅白戦とはまったく違う形で開催することを決めていた。
スタンドにはサポーターを入れる。
場内アナウンスも行う。
試合後には、元原本人からの引退挨拶も予定されている。
そして何より。
最後の試合だからといって、元原に簡単にゴールを取らせるような内容にはしない。
最後まで一人のプロサッカー選手として戦ってもらう。
それが、クラブ全体の考えだった。
◇
トレーニングセンターの会議室。
ホワイトボードの前には、二つのチーム名が並んでいた。
**ユニフォーム1チーム。**
**ユニフォーム2チーム。**
「で、本当に俺が監督なのか?」
ホワイトボードを眺めながら、郷田京が何とも言えない顔をしていた。
「決まったんだから諦めろ」
隣から鬼塚純一郎が笑う。
三十六歳。
DF。
チーム屈指のベテランである。
「お前もだろ」
「俺は楽しんでるぞ」
「絶対ろくなこと考えてないだろ」
「失礼な」
二人が今回の紅白戦で指揮を執ることになっていた。
ユニフォーム1チーム。
監督。
**郷田京。**
ユニフォーム2チーム。
監督。
**鬼塚純一郎。**
普段チームを率いるマルコ・ベッルーニをはじめとしたコーチ陣は、今回はあえてベンチの中心には入らない。
選手たち自身で。
元原の最後の試合を作る。
その意味も込めた人選だった。
「京さん、現役選手なのに監督って珍しいですね」
川崎大志が笑う。
「俺もそう思ってるよ」
「采配外したらどうするんです?」
「その時はお前のせいにする」
「なんで俺なんですか」
「一番言いやすい」
「ひどいっすね」
近くにいた戸塚彩加と戸部翔も笑った。
◇
「はいはい、遊んでないで確認しますよ」
声を上げたのは天童くれはだった。
広報部長。
そして今回。
引退試合では司会も担当する。
「当日はサポーターも入ります。いつもの練習みたいな感覚でダラダラされると困りますからね」
「くれはさん、完全にイベント運営モードですね」
八幡が言う。
「当然です。誰が準備してると思ってるんですか」
「広報部」
「分かってるなら余計な仕事増やさないでください」
「俺何もしてませんよ」
「比企谷さんは普段から仕事増やす側です」
「理不尽だ」
八幡の抗議を無視し、くれははホワイトボードを見る。
「まずユニフォーム1チーム。監督、郷田選手」
「選手じゃなくて今日は監督な」
「当日だけです」
「厳しいな」
「ではスタメン確認します」
全員の視線がボードへ向いた。
◇
ユニフォーム1チーム。
ゴールキーパーには背番号15。
**古賀悠斗。**
右サイドバック。
背番号29。
**安原翼。**
センターバックは。
背番号35。
**橋本翔。**
そして。
背番号5。
**宇津木健太。**
左サイドバック。
背番号24。
**高山俊樹。**
中盤の底には二人。
背番号18。
**戸塚彩加。**
そして。
背番号25。
**小林庄雅。**
かつてエースストライカーだった小林が、今ではDMFとして名前を連ねている。
右サイドハーフには。
背番号19。
**川崎大志。**
左サイドハーフ。
背番号8。
**塩川康文。**
トップ下。
背番号20。
**戸部翔。**
そして。
センターフォワード。
そこだけは。
最初から決まっていた。
背番号32。
**元原太陽。**
「……こう見ると」
元原が腕を組みながらボードを眺める。
「結構ちゃんとしたチームだな」
「当たり前でしょう」
郷田が即答した。
「元原さんの引退試合だからって遊びじゃないですよ」
「監督らしいこと言うじゃん」
「もう入ってるんで、監督スイッチ」
「早いな」
その横で安原が笑う。
「京さん、俺の上がるタイミング細かく言ってきそう」
「言うぞ」
「やっぱり」
「元原さんにクロス入れたいなら、適当に上がるなよ」
「もう采配始まってるじゃないですか」
川崎が笑った。
◇
一方。
ユニフォーム2チーム。
監督は鬼塚純一郎。
こちらもメンバーは本気だった。
GK。
背番号21。
**玉縄幸三。**
右サイドバック。
背番号6。
**毛利良一。**
センターバック。
背番号26。
**長谷川智樹。**
そして。
背番号2。
**坂本湊。**
左サイドバック。
背番号33。
**葉山隼人。**
ダブルボランチには。
背番号7。
**エミリオ・アルバレス。**
背番号3。
**笹森正義。**
右サイドハーフ。
背番号17。
**佐久間浩二。**
左サイドハーフ。
背番号10。
**森川佑。**
トップ下。
背番号14。
**ダニエル・ロドリゲス。**
そしてセンターフォワード。
背番号16。
**栗林宰三。**
「普通に強くない?」
元原が思わず言う。
「何だと思ってたんですか」
長谷川が笑う。
「もう少し老人に優しいメンバーになるかと」
「駄目です」
鬼塚が即答した。
「こっちは容赦しません」
「監督が一番やる気じゃん」
「当然でしょう。元原さん相手だからこそ本気で守らせますよ」
元原は苦笑する。
「長谷川と坂本か……」
中央を守る二人を見る。
経験豊富な長谷川。
そして若い坂本。
「楽させてくれそうにないな」
「するわけないでしょう」
長谷川が答えた。
「最後なんですから、ちゃんと潰しますよ」
「言い方が怖いんだよ」
周囲から笑いが起きた。
◇
ただ。
全選手がどちらかのチームで出場するわけではない。
今回はベンチから応援へ回る選手たちもいた。
GK。
背番号31。
**村上渉。**
DF。
背番号34。
**黒崎隼吾。**
MF。
背番号22。
**中田正和。**
FW。
背番号23。
**宍道務。**
「俺ら、完全に応援団っすね」
黒崎が言う。
「いいじゃないですか」
村上が笑う。
「先輩の最後の試合ですよ」
「どうせなら旗でも持つか?」
中田が冗談めかして言うと。
「それは広報に確認してください」
くれはが真顔で返した。
「本当に用意するんですか?」
「中田選手が責任持って振るなら検討します」
「いや、いいです」
「早い」
宍道が笑った。
◇
「で」
八幡が資料を見ながら言う。
「一番気になるのはここなんですけど」
視線の先。
司会。
**天童くれは。**
そこまでは分かる。
問題は。
その隣だった。
解説。
背番号11。
**材木座義輝。**
背番号9。
**マティアス・ベニテス。**
「なんでこの二人なんです?」
「何か問題が?」
くれはが聞き返す。
「片方が材木座ですよ」
「比企谷氏!?」
すぐに大声が飛んだ。
「我の何が不満だというのだ!」
「全部うるさい」
「説明になっておらぬ!」
隣に座っていたベニテスが笑っている。
「俺は楽しみだけどな」
「マティアス、お前ちゃんと止めてくれよ」
「何を?」
「材木座」
「無理だろ」
「早いな」
「試合中ならDFが止める。解説席の材木座は誰が止める?」
「広報部長」
三人の視線が。
くれはへ向く。
「度が過ぎたらマイク切ります」
「なんと!?」
「最初から対策済みだった」
八幡が感心したように頷く。
「感心するところじゃないです」
◇
「しかし!」
材木座は懲りずに立ち上がった。
「この我が! 盟友たる元原殿の最後の戦いを言葉によって後世へ伝えるという大役――」
「元原さん、お前の盟友じゃないだろ」
川崎が突っ込む。
「同じストライカーとして魂で通じ合っている!」
「初耳だな」
当の元原まで笑う。
「元原殿!?」
「でもまあ」
元原が材木座を見る。
「頼むよ」
一瞬。
材木座が黙った。
「変なこと言うなよ?」
「そこ!?」
「そこ大事だから」
「任されよ!」
「急に不安になったな」
また部屋が笑いに包まれる。
ベニテスも日本語を理解しながら楽しそうに笑っていた。
「俺は普通に解説する」
「マティアスがいて助かった」
「なぜ我の信用がここまで低い!」
◇
笑いが落ち着いたところで。
マルコがボードの前へ立った。
今回は指揮を執らない。
だが。
監督として。
全員へ一つだけ伝える。
「楽しめ」
選手たちがマルコを見る。
「ただし、手を抜くな」
元原も静かに聞いていた。
「元原のためにゴールを空けるな。わざとパスを通すな。競るところは競れ。奪うところは奪え」
玉縄が頷く。
長谷川も。
坂本も。
葉山も。
「元原」
「はい」
「お前も同じだ」
「もちろんです」
「引退試合だからといって、シュートを外しても笑って終わるな」
「厳しいなあ」
「最後までFWだろ?」
その一言。
元原は。
少しだけ笑った。
「そうですね」
まだ。
引退していない。
試合が終わるまでは。
背番号32。
エストレヤ千葉のセンターフォワードだ。
◇
会議が終わった後。
元原は一人、ホワイトボードに残されたメンバー表を見ていた。
古賀。
安原。
橋本。
宇津木。
高山。
戸塚。
小林。
川崎。
塩川。
戸部。
そして。
元原。
対する相手には。
玉縄。
毛利。
長谷川。
坂本。
葉山。
エミリオ。
笹森。
佐久間。
森川。
ダニエル。
栗林。
同じユニフォームを着て一年間戦った仲間たち。
その仲間たちが。
最後の日だけは。
敵になる。
「豪華だな」
背後から声がした。
八幡だった。
「な」
「公式戦じゃないのがもったいないくらいですね」
「俺一人だけ明らかに平均年齢上げてるけどな」
「佐久間さんもいます」
「向こうじゃん」
「じゃあバランス取れてます」
「そういう問題か?」
元原が笑う。
◇
「比企谷」
「はい」
「ありがとうな」
「何がです?」
「こういうの」
元原がメンバー表を見る。
「俺のために、ここまでやってもらって」
「決めたのクラブですよ」
「お前も何か言っただろ」
八幡は否定しなかった。
「まあ」
「ほら」
「最後くらい、ちゃんと終わってほしいとは思いました」
「ちゃんと終わる、か」
「はい」
夏。
復帰。
一得点。
それが最後の公式戦。
そして。
来週。
今度こそ。
本当に最後の試合。
「ゴール取りたいな」
元原が呟く。
八幡は。
少しも笑わなかった。
「取ってください」
「簡単に言うなよ。相手、長谷川と坂本だぞ」
「玉縄さんもいます」
「さらに難しくするな」
「でも」
八幡がボードを見る。
「戸塚さん、小林さん、戸部さんがいます。サイドには川崎と塩川。安原さんも上がれる」
「分析始めたな」
「職業病です」
元原が笑った。
「じゃあ、一本くらい来るかな」
「一本どころじゃないでしょう」
「なら決めないとな」
「ストライカーですから」
「ああ」
元原は背番号32と書かれた自分の名前を見る。
「最後までな」
◇
来週。
エストレヤ千葉のホーム。
サポーターの前で。
二つのエストレヤ千葉が戦う。
ユニフォーム1チーム。
監督、郷田京。
センターフォワード、元原太陽。
ユニフォーム2チーム。
監督、鬼塚純一郎。
そして。
司会。
天童くれは。
解説。
材木座義輝。
マティアス・ベニテス。
ベンチから仲間たちも見守る。
記録には残らない。
勝ち点もない。
順位も動かない。
それでも元原太陽にとってそれは間違いなく、プロサッカー選手として戦う最後の九十分になる。