第456話 ベテランに厳しくないか?
第456話 ベテランに厳しくないか?
元原太陽の引退試合へ向けたメンバーが発表された翌日。
エストレヤ千葉のクラブハウスには、普段の公式戦前とは少し違った空気が流れていた。
勝ち点は懸かっていない。
順位も動かない。
それでも、元原にとっては現役最後の試合。
だからこそ選手たちは、冗談を言い合いながらも、どこか本気でその日を楽しみにしていた。
そんな中。
メンバー表の前で、一人だけ妙に渋い顔をしている男がいた。
背番号17。
佐久間浩二。
三十七歳。
ユニフォーム2チームの右サイドハーフとして、堂々のスタメンである。
「……なあ、中田」
「何です?」
隣にいた中田正和が振り返る。
背番号22。
三十五歳。
今回の紅白戦ではベンチから応援する側に回っている。
佐久間はホワイトボードを指差した。
「これ、ちょっとベテランに厳しくないか?」
「何がです?」
「俺、スタメンなんだけど」
「知ってますよ」
「お前ベンチじゃん」
「そうですね」
「なんで二歳上の俺が走らされて、二歳下のお前が座って応援なんだよ」
中田は数秒だけ佐久間を見た。
「日頃の行いじゃないですか?」
「どういう意味だよ」
「監督に評価されたんでしょう」
「鬼塚だぞ?」
今回のユニフォーム2チームを率いるのは、背番号4の鬼塚純一郎。
現役選手でありながら、この日だけは監督役だ。
「むしろ嫌がらせの可能性あるだろ」
「鬼塚さんに何したんです?」
「何もしてねえよ」
「じゃあ実力です」
「急に褒めるじゃん」
「嫌なら代わります?」
「……いや」
「出たいんじゃないですか」
「出たいよ」
即答だった。
中田が笑う。
「じゃあいいじゃないですか」
「でも九十分はきついだろ」
「まだ九十分出るって決まってないですよ」
「鬼塚なら面白がって最後まで使いそうなんだよ」
その言葉に。
ちょうど後ろを通りかかった鬼塚が反応した。
「何が俺なら?」
「うわ」
「聞こえてたぞ」
鬼塚が笑いながら近づいてくる。
◇
「監督」
佐久間がわざとらしく呼ぶ。
「なんだ、佐久間選手」
「このスタメンについて異議があります」
「却下」
「まだ何も言ってないだろ!」
「スタメンから外せって話だろ?」
「いや、そこまでは言ってない」
鬼塚が眉を上げる。
「じゃあ何だ」
「三十七歳を右サイドハーフで走らせるの、ちょっと酷くないか?」
ユニフォーム2チーム。
右サイドには。
RSBの毛利良一。
その一列前に。
佐久間浩二。
反対側には森川佑。
中央にはダニエル・ロドリゲス。
後ろにはエミリオ・アルバレスと笹森正義。
決して遊びの布陣ではない。
「しかも相手の左サイド、高山と塩川だろ?」
「そうだな」
「普通に上下動させられるじゃねえか」
「頑張れ」
「軽いな!」
中田が横で笑っている。
「佐久間さん、現役ですよね?」
「現役だけど三十七だぞ」
「元原さん三十九ですよ」
「元原さんは主役だろ!」
「じゃあ二歳若い佐久間さんなら余裕ですね」
「その計算おかしいからな?」
◇
そこへ、長谷川智樹まで近づいてきた。
「何やってるんです?」
「佐久間さんがスタメン嫌だって」
中田が即座に答える。
「嫌とは言ってない!」
「じゃあ何なんです?」
長谷川も笑う。
「体力が心配なんだよ」
「佐久間さん、いつも若手に『走れ』って言ってるじゃないですか」
「それは若手だからだよ」
「今回は佐久間さんが走る番ですね」
「お前ら急に冷たくない?」
ベテランとして長くチームにいる。
若手へ声を掛けることも多い。
練習では経験を伝える側になることも増えた。
だからこそ。
こういう時。
後輩たちは遠慮がない。
◇
「でもさ」
佐久間は改めてメンバー表を見る。
「普通に相手強いんだよな」
ユニフォーム1。
右には川崎。
左には塩川。
トップ下は戸部。
ボランチには戸塚と小林。
そしてCFには元原。
「引退試合なんだから、もうちょいゆるい感じかと思ってた」
「マルコが手抜くなって言ったでしょう」
中田が答える。
「それは分かってるけど」
「元原さんも本気ですよ」
「それも分かってる」
佐久間は少し笑った。
「だから出たいんだけどな」
「結局そこなんですね」
「ああ」
三十七歳。
自分だって。
いつまでプロとしてプレーできるか分からない。
元原の引退を。
他人事だとは思えなかった。
「元原さんの最後だからさ」
佐久間が言う。
「同じピッチには立ちたいよ」
さっきまでの冗談とは違う声だった。
中田も。
少しだけ表情を変える。
「……そうですね」
「だからスタメンなのは嬉しい」
「じゃあ文句ないじゃないですか」
「でも走るのはきつい」
「また戻った」
「それとこれは別だろ」
◇
鬼塚が腕を組む。
「佐久間」
「はい、監督」
「右サイド、お前にしたのはちゃんと理由あるぞ」
「本当か?」
「経験」
佐久間が少し黙る。
「毛利が上がった時のバランスも見られる。守備でどこまで戻るべきかも分かってる。ダニエルが中で動いた時も、お前ならスペース見て位置取れる」
「……」
「あと」
「あと?」
「元原さんと長くやってるベテランが、同じピッチにいた方がいいだろ」
佐久間の表情が。
少しだけ柔らかくなる。
「鬼塚……」
「まあ、走らせたら面白そうってのもあるけど」
「最後の一言いらねえよ!」
中田と長谷川が吹き出した。
「やっぱ嫌がらせ入ってるじゃねえか!」
「一割くらいだ」
「あるんじゃねえか!」
◇
「中田もさ」
佐久間が今度は隣を見る。
「笑ってるけど、ベンチからちゃんと応援しろよ」
「しますよ」
「途中から出たくなったら?」
「今回は応援組ですから」
「楽でいいよなあ」
「またそれ言います?」
「だって俺右SHだぞ」
「分かりましたって」
「しかも相手の左SB、高山だぞ。あいつ普通に上がってくるぞ」
「はい」
「塩川も中入ってくるだろ」
「はい」
「俺が戻らないと毛利一人になるだろ」
「はい」
「三十七歳だぞ」
「もう年齢聞き飽きました」
「冷てえな!」
中田がとうとう声を上げて笑った。
◇
少し離れた場所では。
毛利良一が話を聞いていた。
「佐久間さん」
「ん?」
「俺、結構上がりますから」
「おい」
「後ろお願いします」
「お前まで!」
「監督の指示なら」
毛利が真顔で言う。
「鬼塚!」
「俺はまだ何も言ってないぞ」
「じゃあ止めろよ!」
「いや、上がっていい」
「ほら!」
また笑いが広がる。
こんな空気。
公式戦前には。
なかなかない。
だが。
ただふざけているわけでもなかった。
元原の最後の試合だからこそ。
重くしすぎない。
寂しさだけで終わらせない。
最後まで。
いつもの仲間として。
サッカーをする。
それが。
選手たちなりの送り方だった。
◇
佐久間は。
もう一度。
ホワイトボードを見る。
**RSH 17 佐久間浩二。**
「……まあ」
少しだけ笑う。
「最後くらい走るか」
中田が反応する。
「最後って、佐久間さんまで引退するみたいになってますよ」
「元原さんの最後って意味だよ!」
「紛らわしいです」
「俺はまだ辞めねえよ」
「じゃあ来年も走れますね」
「急に来季の話へつなげるな」
中田が笑う。
佐久間も。
結局。
笑った。
◇
三十九歳の元原太陽。
三十七歳の佐久間浩二。
三十五歳の中田正和。
プロの世界では。
十分にベテランと呼ばれる年齢だった。
だが。
同じ時間を戦ってきたからこそ。
最後の日まで。
湿っぽく送り出すつもりはない。
「中田」
「何です?」
「当日、ちゃんと見とけよ」
「何を?」
「俺の華麗な右サイド突破」
「佐久間さん、そんなタイプでしたっけ?」
「そこは乗れよ!」
「じゃあ期待してます」
「軽いなあ」
文句を言いながらも。
佐久間の顔はどこか楽しそうだった。
元原太陽の最後の試合。
そこへ自分も選手として立てる。
それが三十七歳のベテランにとって何より嬉しいことだった。