第458話 最後のゴール
第458話 最後のゴール
十二月三日。
エストレヤスタジアム。
選手入場を告げる音楽が流れ始めると、スタンドから大きな拍手が起こった。
公式戦ではない。
対戦相手も、いつも隣で練習している仲間たち。
それでも、今日のスタジアムに練習試合のような空気はなかった。
ユニフォーム1チーム。
ユニフォーム2チーム。
二つに分かれたエストレヤ千葉の選手たちが、選手用通路から次々とピッチへ姿を現す。
そして最後に。
背番号32。
元原太陽。
その姿が見えた瞬間だった。
「元原ぁぁぁぁぁぁ!」
「太陽ー!」
「最後まで決めろよー!」
スタンドから一段大きな歓声が降り注いだ。
元原は少し照れくさそうに右手を上げ、その声に応えながらピッチへ入っていく。
このスタジアムでユニフォームを着て試合へ出るのは、今日が最後になる。
本人も。
サポーターも。
全員がそれを知っていた。
◇
『皆さま、大変長らくお待たせいたしました』
場内に響いたのは、天童くれはの声だった。
『ただいまより、エストレヤ千葉・背番号32、元原太陽選手の引退記念試合を行います』
大きな拍手。
実況席のように用意された特設スペースでは、その隣に材木座義輝とマティアス・ベニテスが座っていた。
「ついにこの時が来たか……!」
『材木座選手、最初から声量を抑えてください』
「まだ何もしておらぬ!」
「もう大きいぞ」
ベニテスが笑う。
『本日の解説は、エストレヤ千葉のFW、背番号11・材木座義輝選手。そして背番号9、マティアス・ベニテス選手です』
「よろしくお願いします」
「我に任されよ!」
『材木座選手』
「……よろしくお願いします」
開始前から。
スタンドにも笑いが広がった。
◇
ユニフォーム1チーム。
監督は郷田京。
GK古賀悠斗。
最終ラインは右から安原翼、橋本翔、宇津木健太、高山俊樹。
中盤の底には戸塚彩加と小林庄雅。
右に川崎大志。
左に塩川康文。
トップ下に戸部翔。
そして最前線。
背番号32。
元原太陽。
一方。
ユニフォーム2チーム。
監督は鬼塚純一郎。
GK玉縄幸三。
右から毛利良一、長谷川智樹、坂本湊、葉山隼人。
中盤にはエミリオ・アルバレスと笹森正義。
右に佐久間浩二。
左に森川佑。
トップ下、ダニエル・ロドリゲス。
CF、栗林宰三。
ベンチ横では村上渉、黒崎隼吾、中田正和、宍道務の四人が、すでに完全に応援する側の顔になっていた。
「元原さーん!」
宍道が大きな声を出す。
「一本決めてください!」
「相手側に聞こえてるぞ」
中田が笑った。
◇
『では、まもなくキックオフです』
元原がセンターサークルへ立つ。
向かい側には栗林。
二人が軽く言葉を交わした。
「お願いします」
「ああ。手加減するなよ」
「もちろんです」
元原が笑う。
主審役のスタッフが笛を吹いた。
前半開始。
元原太陽。
現役最後の試合が始まった。
◇
開始直後から。
試合は意外なほど真剣だった。
「川崎! もっと幅取れ!」
ユニフォーム1のベンチから郷田の声が飛ぶ。
「安原、先に行きすぎるな! 大志が持ってからだ!」
「監督、細かいっす!」
「黙ってやれ!」
一方。
反対側。
「葉山! 上がっていいぞ!」
鬼塚も監督役を楽しんでいた。
「佐久間、戻れ!」
「もう走らせるのかよ!」
「試合始まったばっかりだぞ!」
「三十七なんだって!」
スタンドから笑いが起こる。
だが。
ボールが動けば。
全員の表情は変わった。
◇
前半5分。
最初にチャンスを作ったのはユニフォーム2。
エミリオが中央でボールを持つ。
小林がパスコースを消しながら前へ出るが、エミリオは無理に縦へ入れない。
一度。
笹森へ。
そこから右。
毛利。
佐久間が少し内側へ入り。
空いた外を毛利が使う。
「おい! 本当に上がるのか!」
佐久間が叫ぶ。
「お願いします!」
「何をお願いしてるんだ!」
毛利のクロス。
中央。
栗林。
橋本が身体を寄せる。
栗林は直接狙えず、一度ダニエルへ落とした。
ダニエル。
右足。
低いシュート。
だが。
「よし!」
古賀が正面でしっかりキャッチした。
『最初のシュートはダニエル選手でした』
「さすがダニエル。狭いところでも落ち着いている」
ベニテスが分析する。
「しかし古賀殿も盤石! まさに守護神――」
『まだ5分です』
「くれは殿、我への当たりが強くないか?」
『気のせいです』
◇
7分。
今度はユニフォーム1。
戸塚がエミリオの前でボールを受ける。
小林が少し下がってサポート。
戸塚。
右。
川崎。
葉山が寄せる。
川崎は速さで抜こうとはしない。
身体を入れ。
ボールを守りながら。
じりじりと前へ進む。
「大志、それそれ!」
郷田の声。
川崎が右足で切り返す。
直後。
左足。
中央へクロス。
「元原さん!」
ボールが入る。
長谷川と元原。
二人が競る。
元原がわずかに先へ入った。
頭。
しかし。
シュートはゴール左へ外れた。
「あー……!」
スタンドからため息。
元原は天を仰ぐ。
「惜しい!」
川崎が声を掛ける。
「今のいいぞ!」
郷田もベンチから手を叩いた。
元原は。
笑いながら親指を立てた。
◇
10分を過ぎる。
元原は。
思っていた以上に動けていた。
もちろん。
全盛期とは違う。
スピードも。
運動量も。
若い選手たちには敵わない。
それでも。
ゴール前での立ち位置だけは。
変わらない。
長谷川と坂本。
二人の間へ立つ。
次の瞬間には。
どちらかの背後へ消える。
「やっぱり嫌だな……」
坂本が呟いた。
「何が?」
長谷川が聞く。
「元原さん、動く量はそんな多くないのに、気づいたら見えない場所にいます」
「それがあの人だよ」
長谷川も。
元原から目を離さなかった。
「ボールじゃなくて元原さん見とけ。最後の瞬間だけ来るぞ」
「はい」
引退試合だから。
楽にはさせない。
その約束通りだった。
◇
前半15分。
ユニフォーム2。
森川が左で受ける。
安原ではなく。
ユニフォーム1の右SBは安原。
その前には川崎。
森川は安原との距離を見ながら、中へ入った。
ダニエルとワンツー。
戸塚が寄せる。
森川。
右足でシュート。
宇津木に当たり。
こぼれる。
「栗林!」
栗林が反応する。
だが。
その前。
小林庄雅。
「……!」
パスの落下地点へ。
先に入っていた。
インターセプト。
栗林が苦笑する。
「小林さん、それ取ります?」
「取れるところに来たからな」
小林は無理に長いボールを蹴ず。
戸塚へ短くつないだ。
『小林選手、また読みましたね』
「ストライカーだったからこそ分かる動きもある」
ベニテスが言う。
「栗林がボールを欲しい場所へ、小林の方が先に入った」
「なるほど! 敵の心を読む魔眼というわけだな!」
「違う」
「即否定!?」
◇
20分。
スコアは0対0。
だが。
試合は停滞していない。
むしろ。
時間が進むほど。
選手たちは本気になっていた。
元原へゴールを取らせたい。
そんな気持ちは。
ユニフォーム1の選手たちにはもちろんある。
だからといって。
元原へ無理にボールを集めることはしない。
戸部が中央で組み立て。
戸塚と小林が後ろから支える。
川崎と塩川が幅を取る。
安原と高山も。
機を見て前へ出る。
普段の公式戦と同じように。
まず相手を崩す。
その先に。
元原がいる。
◇
前半23分。
戸部が中央で前を向いた。
エミリオが寄せる。
「翔!」
右。
川崎。
戸部は使わない。
左。
塩川。
葉山が外へ引っ張られる。
その瞬間。
元原が。
長谷川の背後から。
坂本との間へ動いた。
「元原さん!」
戸部の縦パス。
通る。
元原。
右足。
だが。
「させません!」
玉縄が前へ出る。
シュートコースを狭めた。
元原が流し込もうとしたボールを。
右足で弾く。
「うおおお!」
スタンドから。
大きな声。
元原が笑いながら玉縄を見る。
「幸三、空気読めよ」
「マルコさんから本気でやれって言われてますから!」
「今日くらい一本入れさせろよ」
「嫌です!」
玉縄も笑っていた。
◇
30分。
今度は。
ユニフォーム2が押し込む。
ダニエル。
エミリオ。
笹森。
中央で細かくつなぐ。
そこから。
左。
葉山。
高い位置まで上がる。
森川が中へ入り。
高山を引きつける。
葉山。
クロス。
栗林。
宇津木が競る。
こぼれた。
ダニエル。
しかし。
戸塚が身体を入れる。
「彩加!」
小林が声を出す。
戸塚が小林へつなぎ。
ユニフォーム1が一気に前へ出た。
小林。
戸部。
川崎。
右へ展開。
川崎が葉山の戻る前に前進する。
長谷川が中央を見る。
坂本も。
元原を確認。
元原は。
走らない。
ペナルティーエリアの少し手前。
ゆっくり歩いている。
「……」
長谷川の視線が一瞬。
ボールへ向いた。
その時。
元原が動いた。
◇
## 前半36分
「安原!」
川崎が後方から上がってきた安原へ戻す。
安原。
一度。
中央を確認。
長谷川。
坂本。
元原。
そして。
戸部。
「中!」
戸部が要求する。
安原は戸部へつけた。
エミリオが寄せる。
戸部は。
トラップした瞬間。
前を向かない。
右足のアウト側で。
わずかに角度を変える。
元原へ。
長谷川が動く。
「元原さん!」
だが。
元原は。
長谷川の前へ出なかった。
一度。
背後へ下がるように見せ。
坂本の視線をずらす。
次の瞬間。
二人の間。
ほんの一歩。
前へ。
戸部のパスが。
そこへ届いた。
「……!」
長谷川が足を伸ばす。
届かない。
元原。
トラップ。
大きくない。
右足の前へ。
玉縄が出る。
ゴールが。
狭くなる。
全盛期のような強烈なシュートではない。
元原は。
玉縄の動きを最後まで見た。
右足。
インサイド。
低く。
逆。
ゴール左。
ボールが。
静かに。
ネットへ転がり込んだ。
◇
一瞬。
静寂。
次の瞬間。
「うおおおおおおおおおおおおおっ!!」
エストレヤスタジアムが。
爆発した。
『ゴール!!』
くれはの声も。
歓声に掻き消されかける。
『前半36分! 背番号32! 元原太陽選手!!』
「来たぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
解説席。
材木座が立ち上がった。
『材木座選手、座ってください!』
「座っていられるかぁぁ!」
「これは立つだろ」
ベニテスまで笑いながら立っていた。
『ベニテス選手まで!?』
◇
ピッチ。
元原は。
ゴールを確認したまま。
数秒。
動かなかった。
「元原さぁぁぁん!」
最初に飛び込んできたのは戸部。
「ナイスです!」
川崎。
塩川。
安原。
小林。
戸塚。
次々に仲間たちが集まる。
「やりましたね!」
「最後までストライカーじゃないですか!」
「まだ最後って決まってないだろ、試合終わってないぞ」
元原は笑う。
その声は。
少しだけ。
震えていた。
スタンド。
背番号32。
タオル。
記念ユニフォーム。
無数に掲げられている。
元原は。
仲間たちから離れると。
スタンドへ向かって右手を上げた。
さらに。
大きな拍手。
◇
ユニフォーム2側。
玉縄はゴールの中からボールを拾う。
「……やられたな」
その横。
長谷川が苦笑する。
「言っただろ、最後の瞬間だけ来るって」
坂本は。
元原を見たまま。
小さく息を吐いた。
「分かってても消えました」
「それが二十年以上ゴール取ってきたFWだよ」
長谷川も。
悔しそうではありながら。
どこか。
嬉しそうだった。
◇
ユニフォーム1ベンチ。
監督の郷田は。
腕を組んだまま。
ゆっくり頷いた。
「……やっぱり決めるか」
黒崎が横から声を上げる。
「京さん、監督なのに全然喜ばないですね」
「嬉しいよ」
「顔怖いですよ」
「元からだ」
一方。
反対のベンチ。
鬼塚は。
頭を掻く。
「長谷川と坂本でもやられるか」
中田が笑う。
「元原さんですからね」
「玉縄も本気だったのにな」
「だから価値あるんじゃないですか」
鬼塚は。
少しだけ笑った。
「そうだな」
◇
1対0。
再開。
しかし。
ユニフォーム2も。
そのまま終わるつもりはなかった。
「ほら! ここからだ!」
鬼塚が声を上げる。
「引退試合だからって負けて終わるな!」
「監督っぽくなってるな」
佐久間が笑う。
「佐久間、戻れ!」
「そこだけずっと同じじゃねえか!」
笑いが起きる。
だが。
ユニフォーム2は。
さらに攻勢を強めた。
◇
40分。
エミリオからダニエル。
ダニエルが中央で二人を引きつける。
左。
森川。
森川が高山との一対一。
右へ持ち出す。
シュート。
古賀。
横っ飛び。
弾く。
「惜しい!」
森川が頭を抱える。
こぼれ球へ佐久間が走り込む。
「俺に走らせるな!」
言いながら。
しっかり走っていた。
だが。
安原が先にクリア。
「佐久間さん、走れてるじゃないですか!」
ベンチから中田。
「うるせえ!」
佐久間の返事に。
再びスタンドから笑いが起こった。
◇
## 前半44分
前半終了が近づく。
ユニフォーム2。
エミリオが中央でボールを持った。
目の前には小林。
小林は。
縦パスを狙っている。
相手が出したい場所を読む。
エミリオも。
それを知っている。
だから。
一度。
右へ振った。
毛利。
佐久間が外へ開く。
高山も動く。
その瞬間。
毛利から。
中央。
笹森。
笹森がワンタッチ。
ダニエル。
戸塚が寄せた。
「ダニエル!」
左から森川が動く。
ダニエルは。
森川を見る。
しかし。
出さない。
一歩。
中央へ。
宇津木が反応する。
その背後。
栗林が。
少し下がった。
ダニエルのパス。
栗林。
足元。
橋本が前へ出る。
栗林は。
細かなタッチ。
右。
左。
大きく抜こうとはしない。
橋本の重心が。
ほんの僅かに動いた。
その一瞬。
右足。
シュート。
低い。
ゴール右。
「っ!」
古賀が飛ぶ。
だが。
指先の先。
ネット。
揺れた。
◇
『ゴール! ユニフォーム2チーム!』
歓声。
『前半44分! 背番号16! 栗林宰三選手! これで1対1です!』
栗林は。
ゴールを確認すると。
小さく拳を握った。
「よし!」
森川とダニエルがすぐに寄ってくる。
「ナイス!」
「栗林さん、いいシュート!」
栗林は笑いながら。
「こういう日に限って入るんだよな」
と呟いた。
◇
解説席。
「栗林、冷静だったな」
ベニテスが言う。
「大きく抜き切らなくても、シュートを打つための半歩さえ作ればいい」
「まさに一瞬の隙を――」
材木座が言いかける。
その横で。
ベニテスが続けた。
「CFとして良いゴールだった」
「我の台詞を取った!?」
『どちらが言っても構いません』
「くれは殿!?」
◇
元原は。
センターサークルへ戻りながら。
栗林を見る。
「やるじゃん」
栗林が少し笑う。
「元原さんだけに取らせて終われないですから」
「そうこなくちゃな」
二人のCFが。
軽く拳を合わせた。
そして。
試合再開。
◇
アディショナルタイムはほとんどない。
ユニフォーム1が最後に一度攻める。
戸塚。
小林。
戸部。
左。
塩川。
クロス。
元原。
もう一度。、長谷川と競る。
今度は長谷川が先に頭で弾いた。
「二点目は駄目です!」
「一回くらい空気読めよ!」
「一回取られたでしょう!」
元原が笑う。
こぼれ球をエミリオが回収したところで。
笛。
前半終了。
◇
スコア。
**ユニフォーム1 1―1 ユニフォーム2。**
36分。
元原太陽。
44分。
栗林宰三。
元原はゆっくりとベンチへ向かって歩き出す。
スタンドから拍手が降り続けている。
今日。
記録には残らない。
公式戦のゴールでもない。
それでも現役最後の試合で背番号32は確かにもう一度ネットを揺らした。
元原太陽。
三十九歳。
最後の四十五分を残してスコアは1対1だった。