番外編 恒例の宿題発表会⑤
番外編 恒例の宿題発表会⑤
残されたカードは、あと一枚。
ここまで神林は五つの宿題をすべて成功させていた。
一つ目は開始わずか八秒。
二つ目は約五分かかったものの、最後の肩への静止まで成功。
三つ目は短時間で片づけ、四つ目も少し苦戦しながら突破した。
そして五つ目。
足首と踵を使い、背中側へ上げたボールを後頭部付近で止める技は、制限時間残り十一秒というぎりぎりのところでクリアした。
五戦五勝。
持ち越しなし。
残るは一つだけ。
「……あと一個」
神林は荒い呼吸を整えながら、テーブルの上に残った最後のカードを見る。
肉体的にはかなり疲れている。
四十五歳の身体で、何度も足を回し、ボールを追い、身体を捻り続けてきたのだ。当然だった。
だから先ほど局アナに「大丈夫ですか?」と聞かれた時も、顔色が悪い理由は単純に疲労だと思われていた。
しかし。
神林は、最後の一枚をじっと見ているうちに。
別のことに気づいた。
「……あれ?」
「どうしました?」
局アナが聞く。
神林は返事をせず、横に置かれた五枚のクリア済みカードを一枚ずつ確認していく。
「踵で後ろ……やった」
「はい」
「肩に乗せるやつ……やった」
「はい」
「膝裏……やった」
「やりましたね」
「左右で足回すやつも……やった」
「先ほど成功しました」
「後頭部……今やった」
「はい」
神林の動きが止まった。
原口敦が、その様子を見て何となく察したように笑い始める。
「神林さん」
「……ちょっと待って」
「気づきました?」
「待って」
神林の顔色が。
さっきとは違う意味で。
悪くなっていった。
「最後……誰のやつ?」
局アナが笑顔になる。
「もう分かってますよね?」
「言わないで」
「最後に残りました」
「言わないでって!」
「小林庄雅選手からの宿題です」
「うわああああああああああ!!」
神林が頭を抱えた。
◇
スタジオに笑いが広がる。
だが神林だけは、本気で笑えない。
「最悪だ!」
「何がですか」
「よりによって最後に残った!」
「カードを引いたのは神林さんです」
「そうだけど!」
神林はテーブルへ両手をつく。
「一番嫌なの最後に残しちゃったよ……」
原口が笑う。
「カードだから仕方ないですよ」
「原口さん、これ覚えてます?」
「もちろん」
「笑ってますよね?」
「ちょっと」
「やっぱり!」
モニターが切り替わる。
今年、三度目となる小林庄雅からの宿題。
お手本映像が流れ始めた。
神林は。
見たくないものを見るような顔で、ゆっくりとモニターへ振り返る。
◇
まず。
**左足でアラウンド・ザ・ワールド。**
綺麗に一周。
続けて。
**右足でもアラウンド・ザ・ワールド。**
「ここまでは、まあ……」
神林が小さく呟く。
問題は。
ここからだった。
次。
**左足ダブルアラウンド・ザ・ワールド。**
ボールが落ちる前に。
左足を二回。
一気に回す。
「これなんだよ……」
神林の声が低くなる。
さらに。
着地から間を置かず。
**クロスオーバー。**
そして。
落ちてきたボールを。
**踵で背面へ持ち上げる。**
最後。
背中側から上がってきたボールを。
**ネックキャッチ。**
首元へ静止。
そこから再びボールを浮かせ。
**足元へ回収。**
映像の中の小林は。
ほとんど乱れず。
一連の動きを終えた。
映像終了。
スタジオ。
数秒の沈黙。
神林は。
口を半開きにしたまま。
モニターを見ていた。
「……これさ」
「はい」
「改めて見てもおかしくない?」
「何がですか?」
「全部だよ!」
◇
神林がモニターを指差す。
「左一回、右一回だけなら分かるよ!」
「はい」
「その後なんで急に左二回になるの!?」
「ダブルアラウンド・ザ・ワールドですね」
「名前聞いてない!」
原口が笑う。
「しかもその後すぐクロスオーバーですからね」
「そうなんですよ!」
神林が勢いよく振り返る。
「原口さん、分かってるじゃないですか!」
「分かってます」
「普通、一回落ち着かせたくないですか?」
「技としては繋げるから難しいんですよ」
「そこなんだよ!」
さらに。
神林は指を折りながら確認する。
「で、クロスオーバー成功したと思ったら踵で後ろ」
「はい」
「後ろに上げたら?」
「ネックキャッチ」
「見えねえんだよ!」
今日。
すでに後頭部付近でボールを止める宿題をやっている。
その直後に。
再び。
背後から落ちてくるボールを首元へ止めなければならない。
「しかも最後、ちゃんと足元まで戻さないと駄目なんでしょ?」
「もちろんです」
「ネックキャッチした時点で成功にしようよ!」
「小林選手のお手本は、足元への回収までです」
「小林ぁ!」
本人は。
もちろんスタジオにはいない。
◇
原口はモニターを見ながら、少し真面目に技を分析する。
「これ、一番きついのはやっぱり左のダブルですね」
「ですよね」
「神林さん、普通のアラウンド・ザ・ワールドはかなり安定してきてます。でもダブルは回転速度が全然違う」
「そうなんです」
「しかもダブルを成功させただけじゃ終わらない」
「クロスオーバーが待ってる」
「そうです。だからダブルで体勢を崩すと、その次に繋がらない」
神林が。
どんどん真顔になる。
「やめてもらえます?」
「何がです?」
「冷静に難しい理由並べるの」
「解説なんで」
「今だけ解説者らしくならなくていいんですよ!」
スタジオに笑いが起きる。
◇
「それでは」
局アナが台本を見る。
神林が。
ものすごく嫌そうな顔で横を見る。
「時間、何分?」
「最後の宿題ですから」
「うん」
「制限時間は――」
少し間を置く。
「**十分です**」
神林が目を見開いた。
「十分!?」
「はい」
「今日最長?」
「最長です」
「九分より長いじゃん!」
「それだけ難しいということで」
「やっぱり番組側も分かってるんじゃん!」
モニターに。
大きく。
**10:00**
と表示される。
神林は。
それを見上げた。
十分钟。
さっきまでなら。
長く感じたかもしれない。
だが。
この技を見た後では。
「……短くない?」
「十分ですよ?」
「これで十分って短くない?」
原口が苦笑する。
「まあ、簡単ではないですね」
「簡単じゃないどころじゃないでしょ」
「練習では成功したことあるんですよね?」
「……ある」
「じゃあいけます」
「一回だけ」
「え?」
局アナが聞き返す。
神林は。
非常に重い声で答えた。
「最初から最後まで全部繋がったの、一回しかない」
スタジオがざわつく。
◇
「練習したんですよ」
神林が説明する。
「左のアラウンドはできる。右もできる。ダブルも単体なら、何回かに一回はいける」
原口が頷く。
「クロスオーバーも?」
「それ単体ならできます。踵からネックキャッチも、何度かできました」
「じゃあ」
「でも!」
神林が遮る。
「全部繋げると、どっかで絶対ミスるんですよ!」
左。
成功。
右。
成功。
左ダブルで失敗。
あるいは。
そこまで成功しても。
クロスオーバーで崩れる。
さらに。
そこも突破したのに。
踵の位置がずれる。
そして。
奇跡的にネックキャッチまで行っても。
最後の回収で落とす。
「一個一個はできるんですよ!」
「繋がらない?」
「繋がらない!」
神林が両手を広げる。
「この技、失敗ポイント多すぎるの!」
まさに。
それだった。
◇
さらに。
神林には。
もう一つ問題がある。
「しかも今の俺、もう疲れてるからね?」
「五つやりましたからね」
「さっき四分ほぼ動きっぱなしだったよ?」
「はい」
「足、結構来てるんだけど」
神林が太腿を軽く叩く。
「なのに最初からアラウンド、アラウンド、ダブルでしょ?」
「そうですね」
「足回らなくない?」
「やってみないと」
「正論で返すな!」
原口も笑っているが。
神林の疲労そのものは。
本物だった。
すでに汗だく。
呼吸は落ち着いてきたものの。
何度も足を高速で動かしてきたことで。
身体には確実に疲れが蓄積している。
そして。
最後に残ったのが。
六つの中でも。
最も連続動作の多い技。
◇
「神林さん」
局アナが確認する。
「もし十分以内に成功できなかった場合は――」
「言わなくていい」
「来年に」
「言うな!」
「持ち越しです」
「うわあああ!」
神林が再び頭を抱える。
「これ来年まで練習するの!?」
「そうなります」
「嫌だよ!」
「さらに来年、新しい宿題も追加されます」
「だから借金方式やめろって言ってるだろ!」
スタジオは笑いに包まれる。
しかし。
神林本人は。
本気で困っていた。
「これだけは持ち越したくない……」
小さく呟く。
「小林の技、来年また一年練習するの嫌だ……」
「小林選手、三回目ですからね」
「三回とも難しいんだよ!」
神林は。
最後のカードを見る。
そこに書かれている。
**小林庄雅。**
「なんで毎回俺に厳しいんだよ、この人……」
◇
原口が立ち上がり。
少し神林の近くへ来た。
「でも神林さん」
「はい」
「一回はできてるなら、可能性はありますよ」
「今日の身体で?」
「そこは……」
「今一瞬止まりましたよね?」
「まあ、疲れてはいますから」
「ほら!」
「でも十分あります」
「十分しかない!」
「考え方次第ですね」
神林は。
モニターの**10:00**を見る。
そして。
ボールを見る。
「……いや」
一度。
大きく息を吐く。
「正直」
顔には。
さっきまであった余裕が。
一切ない。
「クリアできる気しない」
局アナが笑う。
「ここまで全部成功してきたじゃないですか」
「これは別」
「そんなに?」
「別格」
神林は即答した。
◇
ボールを拾う。
足元へ置く。
何度か。
太腿を軽く叩く。
足首を回す。
「もう一回だけ映像見ていい?」
「もちろんです」
再び。
小林の映像。
左。
右。
左ダブル。
クロスオーバー。
踵。
背面。
ネックキャッチ。
足元へ回収。
成功。
神林は。
途中から。
無言だった。
映像が終わる。
「……小林、上手すぎるんだよ」
原口が笑う。
「元々技術の高い選手ですからね」
「知ってるけどさあ……」
神林は。
最後に一度。
深呼吸する。
残された宿題。
一つ。
制限時間。
十分。
失敗すれば。
来年へ持ち越し。
神林はボールを右足で軽く転がしながら、タイマーを見上げた。
「……マジで嫌だ」
局アナが笑顔で手を上げる。
「それでは神林さん」
「待って、心の準備が」
「今年最後の宿題です」
「聞いて?」
「小林庄雅選手からの連続技」
「ちょっと待ってって!」
原口が横から笑いながら声を掛ける。
「頑張ってください」
「原口さんまで!」
神林はもう一度ボールを見る。
五つの宿題を突破し。
最後に残った。
最大の難関。
「……これ成功したら、俺今日は本当に帰るからね」
「成功しても番組は続きます」
「帰らせろよ!」
最後まで笑いが起きる。
だが神林本人の顔だけは真剣だった。
今年最後。
そして最難関。
小林庄雅からの宿題。
制限時間。
**十分。**
神林にはまだ成功する自分の姿がまったく想像できていなかった。