番外編 恒例の宿題発表会⑥
番外編 恒例の宿題発表会⑥
最後に残った小林庄雅の宿題。
左足のアラウンド・ザ・ワールド、右足のアラウンド・ザ・ワールド、左足のダブルアラウンド・ザ・ワールド、クロスオーバー。さらに踵で背後へボールを浮かせてネックキャッチし、最後は足元へ回収する。
制限時間は十分。
神林康孝は何度も失敗した。
左のダブルで引っかかる。そこを越えてもクロスオーバーで乱れる。ようやく踵まで繋がったかと思えば、今度はネックキャッチの位置がずれた。
残り四分を切ったところでは、とうとうネックキャッチまで完璧に成功した。
「あっ、来た!」
原口敦が身を乗り出す。
神林は首の後ろからボールを浮かせ、最後の回収へ入った。
だが、右足の外側へ僅かに当たった。
ボールが横へ転がる。
「…………」
神林は数秒固まり、その場へ崩れ落ちた。
「うわああああああっ! 最後ぉぉぉぉ!」
スタジオに笑いが広がる。
「あと一個だったじゃん!」
「そこまで含めて技ですからね」
「分かってますよ!」
それでも、神林は立ち上がった。
時間は減っていく。
残り一分。
左ダブルで失敗。
もう一度。
今度はクロスオーバーで崩れる。
残り四十秒を切った。
神林はボールを拾い、一度だけ大きく息を吐いた。
「……これで最後にします」
「まだ時間ありますよ?」
「何回もやろうと思うと焦るから。最後の一回だと思ってやる」
原口が頷いた。
「それでいきましょう」
◇
残り三十三秒。
神林がボールを浮かせる。
左足。
一周。
成功。
右足。
こちらも抜けた。
次は最大の難所。
左足ダブル。
一周。
二周。
「っ!」
成功。
そのままクロスオーバー。
ここも繋がる。
神林の踵がボールを捉えた。背後へ綺麗に上がったボールが落ちてくる。
身体を前へ倒す。
首の後ろ。
ぴたり。
「来た!」
局アナの声。
神林は焦らない。
ネックキャッチからボールを前へ浮かせ、右足、左足と繋ぐ。そして最後は足元へ。
ピタッ。
ボールが止まった。
神林自身も止まった。
「……成功です」
原口が言う。
「え?」
「成功です!」
大型モニターに、
**CLEAR!!**
の文字が現れた。
残り時間、十二秒。
「…………」
神林は数秒それを見つめたあと。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
この日最大の声を上げた。
「できたぁぁぁぁぁ! 終わったぁぁぁぁぁ!」
両腕を高く上げ、スタジオの中を走り回る。
「六個全部クリア!」
「はい。持ち越しなしです」
「よっしゃああああ!」
原口と勢いよくハイタッチ。
「小林ぁぁぁ! やったぞぉぉぉ!」
「だから小林選手との勝負じゃないですって」
「今日だけは勝ったことにしてください!」
◇
しばらくして。
神林は椅子へ座り、水を飲んでいた。
顔には疲労がはっきり出ているが、表情だけは非常に満足そうだった。
「終わった……。今年は全部終わった。俺、もう今日はボール触らないからね」
「六つすべて成功です」
「最高」
「来年への持ち越しもありません」
「最高!」
ところが。
局アナが手元の台本へ目を落とした。
「神林さん」
「……何?」
神林の顔が一瞬で警戒する。
「その言い方、嫌なんだけど」
「宿題はもう終わりです」
「本当に?」
「はい。ただ、最後に一つ映像があります」
「映像?」
「以前、小林庄雅選手が『神林SC』で三回目の宿題を出してくださった回、覚えてますよね?」
「忘れるわけないでしょ。今やった最後のやつ、その時の宿題なんだから」
「その収録後の未公開映像で、比企谷八幡さんが技を披露してくださったじゃないですか」
神林の顔が止まった。
「……あ」
原口も思い出したように笑う。
「ありましたね」
「ちょっと待って」
神林が急に身を起こす。
「どっち?」
「どっち、とは?」
「比企谷さん、最初にとんでもない方やったでしょ!?」
局アナは笑顔のまま。
「まずは、そちらからご覧ください」
「まずは!?」
大型モニターが切り替わった。
「やめろって! 俺もう知ってるから!」
◇
映し出されたのは、あの仙台戦後のバーバリスタジアム。
小林が神林への三回目の宿題を披露した後、カメラが回り続けていた未公開映像だった。
スーツ姿。
ネクタイ。
革靴。
比企谷八幡が足元へボールを置いている。
神林は見る前から頭を抱えた。
「無理だから! これは本当に無理だから!」
「まだ始まってませんよ」
「もう見たことあるんですよ!」
画面の中で。
八幡が動く。
右足でボールを引っかけ、左脚へ沿わせるように上へ転がしていく。足首、脛、膝の横まで駆け上がったボールを、今度は右足の踵で床へ叩きつけた。
跳ね返ったボールを左足の踵ですくい上げ、自分の頭上へ抜く。
「はい無理!」
神林が即座に叫ぶ。
「もう無理!」
だが八幡は止まらない。
落ちてきたボールを右足で受け、そのままダブルアラウンド・ザ・ワールド。
左へ繋ぎ。
クロスオーバー。
背後へ流したボールを踵で再び頭上へ戻す。
「ちょっと待って! 今の時点で俺が今日やった技、何個混ざってるの!?」
原口は笑うどころか、途中から真剣な顔で映像を見ていた。
「改めて見ると、やっぱり難しいですね」
「元日本代表がそう言ってる時点で俺にやらせるな!」
◇
まだ続く。
右肩。
左肩。
後頭部で押し上げ、ネックキャッチ。
そこから右肩、胸、膝。
両足を交差させて跳ね上げ、さらに空中で足を一周。着地して反対足も回し、最後は革靴の甲へボールを乗せた。
完全に静止。
「…………」
神林は呆然とモニターを見ていた。
画面の中でも、撮影スタッフが固まっている。
そして小林だけが、比較的冷静だった。
『いや』
八幡が見る。
『何だよ』
『それは無理だぞ』
神林が勢いよくモニターを指差した。
「そう!!」
原口が吹き出す。
映像では小林が続ける。
『何がって、神林さんがやるんだろ? できないだろ、今の』
『そうか?』
「そうだよ!!」
神林の絶叫。
『神林さんに出すなら、もっと簡単にしろ』
『じゃあ、どこ削ればいい?』
『全部見直せ』
「もっと言って、小林選手!」
スタジオは完全に笑いに包まれていた。
◇
そして決定打。
八幡は心底不思議そうな顔で小林へ言った。
『でも、何回か練習すればできるだろ』
小林は数秒黙った。
『できないだろ』
『そんなに難しいか?』
「うわああああああああああああああ!!」
神林が今日何度目か分からない悲鳴を上げた。
「本人が一番分かってない!」
原口も肩を揺らしている。
「八幡君、自分基準なんでしょうね」
「その基準が怖いんですよ!」
神林は大型モニターへ詰め寄った。
「スーツ! 革靴! 一発成功! それで『何回か練習すれば』じゃないの!」
画面の中では、小林がまだ八幡を止めていた。
『自分基準で考えるな』
『そんなつもりないけど』
『ある』
「小林選手だけがまともだよ!」
◇
やがて映像の中で、八幡はようやく技を考え直した。
『じゃあ、かなり落とすか』
『かなり落とせ』
神林が胸を撫で下ろす。
「そう。ここから。俺に見せるならこっちでしょ」
画面が少し進む。
八幡は普通のリフティングから始めた。
数回。
左足で少し高く上げる。
アラウンド・ザ・ワールド。
そのまま右足でクロスオーバー。
「……うん」
神林が小さく頷く。
ここまでなら、今日も散々やってきた。
八幡は数回普通にリフティングを続けると、ボールを少し背後へ流した。
右足を後ろへ。
踵で前へ戻す。
そこから胸。
太腿。
最後は左足の甲へ。
ぴたり。
静止。
終了。
さっきの技に比べれば。
圧倒的に簡単だった。
「……そうそう」
神林が何度も頷く。
「これだよ。こういうのでいいの!」
原口は冷静に映像を見ていた。
「ただ、これも普通に難しいですよ」
「今それ言わなくていいです」
「左のアラウンドからクロスオーバー、その後に背後へ流して踵で戻す。最後は胸、太腿、足の甲で静止ですから」
「でもさっきの化け物みたいなのより全然いいでしょ?」
「それはもちろん」
「ほら!」
◇
映像の中でも。
小林が同じ評価をしていた。
『……まあ、これなら練習すればいけるんじゃないか?』
『さっきより簡単だろ』
『比較対象がおかしいんだよ』
『でもできるだろ?』
『これは練習すればな』
神林が思わず拍手する。
「小林選手から合格出てるから!」
「神林さんもいけるんじゃないですか?」
「原口さん、何を言い始めてるんですか?」
その時。
映像が終わった。
局アナが笑顔で神林を見る。
「というわけで」
「嫌です」
「まだ何も言ってません」
「流れで分かる!」
「比企谷八幡さんが、あの時『これなら神林さんでも』という形で披露されたこちらの技」
「はい」
「今、やってみます?」
「やりません」
即答。
しかも。
冗談ではなく、本気で嫌そうだった。
◇
「神林さん、先ほどもっと難しい小林選手の技を成功させましたよ?」
「それとこれとは別!」
「技術的には今なら十分可能だと思いますけど」
「俺の足見て!」
神林が両足を指差す。
「六個やったの! 最後なんて十分近くずっとアラウンド回してたの! もう今日は終わり!」
「一回だけでも」
「嫌!」
「持ち越しとかありませんよ」
「そういう問題じゃない!」
神林は本気で拒否したあと。
ふと。
横を見た。
原口敦。
原口も。
その視線だけで察した。
「いやですよ」
「まだ何も言ってない!」
「言うこと分かりますから」
神林の顔が、みるみる明るくなる。
「原口さん、元日本代表ですよね?」
「そうですけど」
「MFですよね?」
「はい」
「比企谷さんの簡単にした方、どうです?」
「どうって……」
「できますよね?」
原口はモニターを振り返る。
「まあ、何回かやれば」
「決まり!」
「何が!?」
◇
神林は局アナへ振り返った。
「原口さんにやってもらいましょう!」
「神林さんのための技ですよ?」
「今日はもう俺の役目終わったんです!」
「勝手に終わらせないでください」
「原口さんなら技の難易度もちゃんと検証できますから!」
「急に番組的な理由をつけるなあ」
原口は笑いながら呆れている。
すると。
局アナが何でもないことのように言った。
「ちなみに原口さん用のユニフォームも用意してあります」
「え?」
原口が止まった。
「あるんですか?」
「はい」
「なんで?」
「念のためです」
「最初から俺にもやらせる気だったでしょ」
神林は一気に元気を取り戻した。
「ほら! 着替えましょう!」
「さっきまで死にそうな顔してた人が急に元気だな!」
「見る側は最高なんですよ!」
「それ俺がさっきいた立場だから!」
◇
数分後。
スタジオへ戻ってきた原口敦は、先ほどまでの私服ではなく、サッカーのユニフォーム姿になっていた。
神林は椅子に深く座り、水を飲みながら大きな拍手を送る。
「原口さん、似合ってます!」
「神林さん、本当に腹立つなあ」
「頑張ってください!」
「さっき俺がずっと言ってたやつ、そのまま返してますよね?」
「応援してます!」
「完全に楽しんでるでしょう」
「はい!」
スタジオに笑いが広がる。
原口の足元には、一つのサッカーボール。
大型モニターには、もう一度。
神林向けに難易度を大きく落とした八幡の技が再生される。
左足のアラウンド・ザ・ワールド。
右足のクロスオーバー。
数回のリフティング。
背後へ流して、踵で前へ。
胸。
太腿。
最後は左足の甲で静止。
原口は一度だけ映像を確認し、軽く足首を回した。
「まあ……やってみますか」
神林が笑顔で拍手する。
「さすが元日本代表!」
「神林さん」
「はい?」
「もし俺が成功したら、次は神林さんもやりましょうね」
「嫌です」
「即答するな!」
年内最後の『神林SC』。
六つの宿題をすべてクリアした神林は、完全に観戦する側へ逃げ込み。
次は元日本代表・原口敦が。
かつて**『神林SC』で小林庄雅が三回目の宿題を出した際、その収録後の未公開映像で比企谷八幡が披露した技**へ挑戦することになった。