第4話 一本の電話
第4話 一本の電話
社長室を出た八幡は、そのまま分析室へ戻った。
扉を閉めると、壁一面のモニターが静かな光を放っている。
時計を見る。
**午後一時十五分。**
「……向こうは朝か。」
スペインとの時差を計算しながら、机の上の資料を広げる。
**ダニエル・ロドリゲス**
23歳。
スペイン人。
所属クラブでは監督交代以降、ベンチが続いていた。
しかし、映像を何十時間も見た八幡は確信している。
(Jリーグなら必ず通用する。)
スマートフォンを手に取り、一つの番号へ発信した。
数回の呼び出し音。
『Hola.』
若い男の声だった。
「久しぶりだな。」
一瞬の沈黙。
『……¡Hachiman!』
電話越しでも分かるほど嬉しそうな声だった。
『元気だったか!』
「ああ。」
『電話を待ってた。』
八幡は苦笑する。
「まだ正式決定じゃない。」
『でも話はあるんだろ?』
「ある。」
短く答える。
「日本へ来ないか。」
返事は、一秒も掛からなかった。
『行く。』
「……。」
『俺は、お前が呼ぶなら世界のどこへでも行く。』
八幡は少しだけ笑う。
「まだクラブ間交渉が残ってる。」
『そんなの関係ない。』
『俺は比企谷八幡を信じてる。』
その言葉に、八幡は静かに目を閉じた。
スカウトとして、一番嬉しい瞬間だった。
「即答だな。」
『当たり前だ。』
ダニエルは笑いながら続ける。
『三年前のこと、覚えてるか?』
「ああ。」
『二十歳だった俺は、自信を失ってた。』
『監督が代わって、出場機会も減って……。』
『「もう終わりかもしれない」って、本気で思ってた。』
『でも、お前だけは違った。』
『何度もスペインまで来てくれた。』
『試合に出られなくても俺を見てくれた。』
『映像を送って、改善点を教えてくれた。』
『「お前の価値は変わらない」って言い続けてくれた。』
ダニエルは少し照れくさそうに笑う。
『この三年間、お前には本当に世話になった。』
『その恩は、一生忘れない。』
『だから、お前が呼ぶなら行く。』
『リーグがJ2でも関係ない。』
『俺はハチマンと一緒に戦いたい。』
八幡は静かに頷く。
「ありがとう。」
『礼を言うのは俺だ。』
『正式なオファーが来たら、クラブにも代理人にも俺から話をする。』
「助かる。」
『日本で会おう、ハチマン。』
「ああ。」
通話が切れた。
八幡はスマートフォンを机へ置き、ゆっくりと息を吐く。
その表情には、珍しく安堵の色が浮かんでいた。
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一方その頃。
スペイン。
ダニエル・ロドリゲスはクラブハウスのロッカールームで電話を切った。
「日本か?」
チームメイトが声を掛ける。
「ああ。」
「行くのか?」
ダニエルは迷わず頷いた。
「行く。」
「スペインを離れるのか?」
「監督には必要とされてない。」
ロッカーを閉める。
「でも、一人だけ。」
「俺を必要としてくれた人がいる。」
「……。」
「比企谷八幡。」
その名前を口にすると、自然と笑みがこぼれた。
「俺は、あの人に恩を返したい。」
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その日の夕方。
エストレヤ千葉。
トップチームの練習は終わり、選手たちはクラブハウスへ戻っていた。
「はぁ……。」
材木座義輝がベンチへ腰掛ける。
今日もゴールは決まらなかった。
「よう。」
隣へ郷田京が座る。
「元気ねぇな。」
「……はい。」
「SNS見たか?」
「見ました。」
「見るな。」
「でも……。」
「見るな。」
郷田は強い口調で言う。
「お前はサポーターのためにサッカーしてるのか?」
「違います。」
「記者のためか?」
「違います。」
「じゃあ誰のためだ。」
材木座は少し考え、小さく答えた。
「……チームのため。」
「それでいい。」
郷田は立ち上がる。
「点が取れなくても、お前はチームを勝たせてる。」
「俺はそう思ってる。」
材木座は何も言えなかった。
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その様子を、クラブハウス二階の窓から八幡が見ていた。
隣には監督マルコ・ベッルーニ。
「ダニエルは?」
監督が尋ねる。
「『行く』と言いました。」
「本人は即答でした。」
「残るはクラブ間交渉だけです。」
監督は静かに笑った。
「そうか。」
「お前は本当に人に好かれるな。」
「そうですか?」
「少なくとも。」
監督はグラウンドを見下ろした。
「ダニエル。」
「エミリオ。」
「そして、このクラブ。」
「皆、お前を信じている。」
八幡は照れくさそうに視線を逸らした。
「信じられるだけの仕事をしてるだけです。」
「それが一番難しい。」
監督は小さく笑う。
「さて。」
「次はクラブ同士の交渉だ。」
「忙しくなるぞ。」
「ああ。」
八幡は夕焼けに染まるグラウンドを見つめた。
エストレヤ千葉の逆襲は、静かに動き始めていた。