第45話 揺らぐ居場所
第45話 揺らぐ居場所
試合から二日後。
エストレヤ千葉クラブハウス。
午前9時30分。
まだ全体練習が始まる前の静かな時間。
フロントフロア。
強化部長・佐藤智成の机の上に、一枚の書類が置かれていた。
紙はシンプルだった。
だが、その内容は重い。
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**移籍志願書**
**万条富隆**
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「……来たか。」
佐藤が小さく呟く。
その横で、GM・竹内正樹が腕を組む。
「予想より早かったな。」
「いや……むしろ遅いくらいだろう。」
佐藤は紙を軽く叩いた。
「今の状況で、あのタイプが耐えられるわけがない。」
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そこへノック。
「失礼します。」
入ってきたのは、**比企谷八幡**。
いつも通りの無表情。
だが視線はすぐに机の書類へ向く。
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「……万条ですね。」
佐藤は紙を差し出す。
「読め。」
八幡は一通り目を通す。
数秒。
それだけ。
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「想定内です。」
短い言葉。
竹内が苦笑する。
「やっぱりな。」
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佐藤が椅子に深く座る。
「理由は分かるな?」
八幡は迷わず答える。
「出場機会の欠如。」
「戦術適応の問題。」
「規律面での信頼不足。」
「加えて――」
一瞬だけ間を置く。
「本人の自己評価と現実の乖離です。」
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竹内が思わず吹き出す。
「容赦ないな。」
「事実です。」
八幡は淡々としている。
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「で、どうする?」
佐藤が本題に入る。
八幡は少し考えた。
ほんの数秒。
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「条件次第です。」
「オファーがあれば放出可能。」
「なければ残留。」
「ただし――」
視線を上げる。
「現状の序列は変わりません。」
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沈黙。
それがすべてだった。
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一方その頃。
グラウンド。
選手たちはアップを始めていた。
軽いパス回し。
ストレッチ。
笑い声も少しだけ混じる。
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その中に、万条富隆もいる。
表情はいつも通り。
だが――
空気が違う。
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「万条、右!」
声が飛ぶ。
だがパスは出ない。
一瞬遅れる。
別の選手へ流れる。
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万条の眉がわずかに動く。
「……。」
何も言わない。
だが、確実に感じていた。
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(距離がある。)
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意図的ではない。
だが自然と、周囲が距離を取っている。
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川崎が小声で言う。
「やりにくいな……。」
戸塚が答える。
「……ああ。」
それ以上は言わない。
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万条はボールを受ける。
トラップ。
ターン。
悪くない。
むしろ、キレはある。
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だが、繋がらない。
次がない。
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(……そういうことか。)
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万条は理解する。
チームはもう、**自分を中心に回っていない。**
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練習の合間。
「万条。」
声がかかる。
振り返る。
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そこにいたのは――
**比企谷八幡。**
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二人はグラウンド端へ移動する。
少し離れた場所。
他の選手の声が遠くなる距離。
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万条が先に口を開く。
「聞いてんだろ?」
「ああ。」
八幡は肯定する。
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「移籍志願。」
「はい。」
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万条は笑う。
乾いた笑い。
「隠す気ねぇよ。」
「もういいだろ。」
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八幡は黙って聞く。
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「出れねぇ。」
「使われねぇ。」
「だったら、出れるとこ行く。」
シンプルな理屈。
だが、その裏には積み重なった不満がある。
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「何か問題あるか?」
挑発的な視線。
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八幡は即答した。
「ありません。」
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万条が一瞬止まる。
「……は?」
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「移籍志願は選手の権利です。」
「クラブとして止める理由はありません。」
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あまりにもあっさりした返答。
それが逆に、万条の神経を逆撫でする。
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「じゃあ通せよ。」
「今すぐでも出てってやる。」
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八幡は首を横に振る。
「それは別の話です。」
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空気が変わる。
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「クラブは“売るかどうか”を判断します。」
「あなたは“出たいかどうか”を決める。」
「役割が違います。」
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万条の目が細くなる。
「……じゃあ俺はどっちだよ。」
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沈黙。
数秒。
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八幡は答えた。
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「現状、いなくても成立する戦力です。」
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その言葉は、静かだった。
だが、重かった。
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万条の拳が強く握られる。
「……。」
怒鳴らない。
その代わり、空気が一気に張り詰める。
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「言うじゃねぇか。」
低い声。
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八幡は目を逸らさない。
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「ただし。」
続ける。
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「他クラブなら主力になれる可能性があります。」
「環境が変われば評価も変わる。」
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万条は笑う。
今度は少しだけ、本音に近い笑い。
「……追い出してぇのか?」
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「違います。」
即答。
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「選択肢です。」
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万条はしばらく黙る。
風の音。
遠くのボールの音。
それだけが聞こえる。
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やがて、背を向ける。
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「……気に入らねぇな。」
「お前のその言い方。」
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数歩、歩く。
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止まる。
振り返らずに言う。
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「でもまあ――」
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「悪くねぇ。」
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そのまま歩き出す。
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「夏までに決めろよ。」
「残すか、出すか。」
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少しだけ間を置いて。
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「俺はもう、“待つ側”じゃねぇからな。」
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去っていく背中。
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八幡は何も言わない。
ただ見ている。
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グラウンドでは、いつも通り練習が続いている。
笑い声。
掛け声。
ボールの音。
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チームは前に進んでいる。
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だがその裏で――
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**万条富隆という存在が、確実にチームから外れ始めていた。**
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そしてそれは、
やがてチームにとって無視できない“問題”へと変わっていく。