第81話〜第100話
第81話〜第100話
## 第81話 速度を上げろ
マルコ・ベッルーニ監督の笛が鳴る。
「もう一本!」
選手たちが再びポジションへ散っていく。
Aチームの最前線。
鈴木太郎がセンターサークル付近で構えた。
エミリオ・アルバレスがボールを受ける。
周囲を見渡しながら、前線の鈴木へ視線を送った。
「太郎!」
鋭い縦パス。
しかし、そのボールはまだ鈴木が足元へ収められる速さだった。
鈴木は右足で止めようとする。
その一瞬。
相手センターバックが身体を寄せる。
ボールは足元から離れ、そのまま奪われた。
「止め!」
八幡の声がグラウンドへ響く。
笛が鳴り、全員が動きを止めた。
八幡はゆっくりとエミリオのもとへ歩いていく。
「エミリオさん。」
「何だ?」
「まだ遅いです。」
エミリオは少し首を傾げた。
「遅い?」
「はい。」
八幡は鈴木へ視線を向ける。
「鈴木さんに、考える時間があります。」
「……。」
「考える時間があるから、止めようとする。」
「止めようとするから、相手に奪われる。」
「なら。」
「最初から考えさせないでください。」
周囲の選手たちも耳を傾ける。
八幡はホワイトボードを持たず、その場で説明を始めた。
「欲しいのは、収まるパスじゃありません。」
「鈴木さんが反応するだけのパスです。」
「止める必要もありません。」
「当てるだけでいい。」
「相手センターバックへぶつけるくらいの速さで出してください。」
鈴木が思わず顔をしかめる。
「おいおい。」
「本人の前で言うことか、それ。」
八幡は表情一つ変えない。
「事実です。」
「ひでぇな、お前。」
苦笑が広がる。
しかし八幡は続けた。
「中途半端なボールが一番駄目です。」
「止められるかもしれない。」
「繋げるかもしれない。」
「そう考える時間が、一番いりません。」
今度は戸塚彩加へ視線を向ける。
「戸塚さんも同じです。」
「思い切り出してください。」
戸塚は小さく笑った。
「優しくしない方がいいんだね。」
「はい。」
「優しさは不要です。」
森川佑が腕を組みながら笑う。
「鈴木には珍しい注文だな。」
「普通は収めろって言われるのに。」
「今回は逆です。」
八幡は森川を見た。
「森川さん。」
「はい。」
「鈴木さんへパスが入った瞬間、中へ。」
「迷わずです。」
「了解。」
続いて川崎大志を見る。
「川崎。」
「はい。」
「逆サイドから一気に中へ。」
「セカンドボールだけを狙ってください。」
「分かりました。」
ダニエル・ロドリゲスも口を開く。
「私は?」
「一番重要です。」
八幡は静かに答えた。
「鈴木さんの真正面。」
「相手センターバックより、一歩早く。」
「そこだけ見てください。」
ダニエルは力強く頷いた。
「任せてください。」
最後にエミリオと戸塚を見る。
「もし回収できなければ。」
「その瞬間に奪い返してください。」
「絶対にカウンターは出させません。」
エミリオが笑みを浮かべた。
「なるほど。」
「セカンドボール勝負か。」
「はい。」
「この戦術は。」
「そこが生命線です。」
マルコが前へ出る。
「説明は終わったか。」
「はい。」
「なら、やるぞ。」
再び笛が鳴る。
エミリオがボールを持つ。
今度は迷わなかった。
ズドンッ!
先ほどとは比べものにならない速度。
鈴木は止めようとしない。
右足へ当てるだけ。
ボールは勢いそのままに相手センターバックへ当たり、大きくこぼれた。
「ダニエル!」
森川が叫ぶ。
ダニエルが一歩早く飛び込む。
身体を入れ、セカンドボールを回収。
ワンタッチで森川へ。
森川はさらに右へ展開する。
川崎が走り込んでいた。
右足で迷わずクロス。
ゴール前。
鈴木はすでにペナルティエリア中央へ走り込んでいる。
二メートルの長身が競り勝つ。
力強いヘディング。
ボールは惜しくもクロスバーを叩いた。
乾いた音がグラウンドへ響く。
「惜しい!」
森川が声を上げる。
マルコは満足そうに頷いた。
「今の形だ。」
「もう一度!」
笛が鳴る。
八幡は静かにその様子を見つめていた。
普通なら欠点とされるプレー。
しかし、その欠点を前提に全員が動けば、攻撃は止まらない。
むしろ相手守備を乱す起点になる。
その可能性を、選手たちも少しずつ実感し始めていた。
## 第82話 欺くための演技
紅白戦は続く。
何本目かのプレー。
再び鈴木太郎へ鋭い縦パスが入る。
鈴木は身体を張る。
しかし、ボールは足元からこぼれた。
ダニエル・ロドリゲスが素早く回収。
攻撃が続く。
マルコ・ベッルーニ監督が笛を吹いた。
「止め!」
全員が集まる。
八幡は少し考え込んだあと、鈴木へ視線を向けた。
「鈴木さん。」
「何だ。」
「一つ訂正します。」
鈴木は眉を上げる。
「訂正?」
「はい。」
「今までどおりプレーしてください。」
周囲の選手たちも首を傾げた。
森川佑が口を開く。
「さっきと言ってることが違わないか?」
八幡は頷いた。
「違います。」
「狙いが変わりました。」
マルコも興味深そうに聞く。
「説明してくれ。」
八幡はホワイトボードの前へ立つ。
「鈴木さんには。」
「収めようとしてもらいます。」
「え?」
川崎大志が思わず声を漏らした。
「収めるんですか?」
「はい。」
八幡は頷く。
「ただし。」
「収まるとは思っていません。」
鈴木が苦笑した。
「結局そうなるのかよ。」
「はい。」
「でも。」
「収めようとはしてください。」
「……。」
「理由は一つです。」
八幡はセンターバック役の橋本翔を指差した。
「橋本。」
「はい。」
「もし鈴木さんが、最初から流すつもりだと分かったら?」
橋本は少し考える。
「無理に潰しに行かないです。」
「距離を取ります。」
「そうです。」
八幡は頷いた。
「相手はプロです。」
「すぐに気付きます。」
「ロストを狙っている。」
「そう思われた瞬間。」
「この戦術は終わります。」
マルコが腕を組む。
「つまり。」
「騙すのか。」
「はい。」
八幡は静かに答えた。
「鈴木さんには。」
「いつもどおり。」
「収めようとしてもらいます。」
「相手には。」
「普通のポストプレーに見せます。」
中村敏三郎が納得したように頷く。
「だからセンターバックは食い付く。」
「はい。」
「止められる。」
「奪える。」
「そう思って。」
「全力で潰しに来ます。」
八幡は続ける。
「その瞬間が狙い目です。」
「こぼれ球は。」
「こちらが回収します。」
ダニエルが笑みを浮かべた。
「なるほど。」
「相手を信じ込ませるんですね。」
「はい。」
「鈴木さんが。」
「本気で収めようとするから。」
「相手も本気で奪いに来ます。」
鈴木は鼻で笑った。
「つまり。」
「俺は普通にやればいい。」
「そのとおりです。」
「無理にプレーを変える必要はありません。」
「いつもどおり。」
「収めようとしてください。」
「失った後だけ。」
「すぐゴール前へ。」
「そこだけ変えてください。」
鈴木はゆっくり頷いた。
「それならできる。」
「普段どおりやって。」
「失ったら走るだけだな。」
「はい。」
マルコが笛を口へ運ぶ。
「もう一度。」
「今度はそこを意識しろ。」
練習が再開される。
エミリオから鋭い縦パス。
鈴木は本気で身体を入れた。
右足で収めようとする。
相手センターバックも迷わず身体をぶつける。
激しい接触。
ボールは大きくこぼれた。
「今だ!」
ダニエルが飛び出す。
森川も中央へ。
川崎も一気に内側へ絞る。
鈴木は振り返ることなく、一直線にゴール前へ走り出した。
橋本は一瞬迷う。
こぼれ球へ行くか。
鈴木を離さないか。
その一瞬の迷い。
そこに、この戦術の狙いがあった。
## 第83話 誰が考えた?
午後の練習が終わった。
マルコ・ベッルーニ監督が笛を吹く。
「今日はここまで!」
「お疲れ様でした!」
選手たちが一斉に頭を下げる。
それぞれが給水をしながらクラブハウスへ戻り始めた。
その途中。
森川佑がタオルで汗を拭きながら口を開く。
「しかし……。」
「今日の戦術。」
「今まで見たことないな。」
川崎大志も苦笑する。
「俺もです。」
「ロストする前提なんて、聞いたことありません。」
エミリオ・アルバレスが笑う。
「アルゼンチンでも見たことない。」
「普通は、ロストを減らそうとするからな。」
戸塚彩加も頷いた。
「最初は無茶だと思った。」
「でも。」
「やってみたら意外と形になってたね。」
橋本翔が不思議そうな表情を浮かべる。
「誰が考えたんですかね。」
宇津木健太も腕を組む。
「監督かな。」
長谷川智樹は首を横に振った。
「違う気がする。」
「マルコ監督らしい発想でもあるが、どこか違う。」
そこへ戸部翔が笑いながら近付いてきた。
「いや。」
「多分だけど。」
「八幡だろ。」
その一言で全員の視線が戸部へ集まる。
「八幡?」
森川が聞き返す。
戸部は迷わず頷いた。
「今までだってそうだったろ。」
「ダニエルの使い方もそう。」
「相手の分析もそう。」
「普通じゃ思い付かない発想は、だいたい八幡。」
川崎も思い返すように頷く。
「言われてみれば……。」
「確かに。」
橋本は感心したように息を漏らした。
「欠点を消すんじゃなくて。」
「欠点を利用するなんて……。」
「普通は考えませんよね。」
少し離れた場所。
万条富隆がスポーツドリンクを飲みながら、その会話を聞いていた。
隣には万条グループの選手たち。
万条は鼻で笑う。
「……気に食わねぇ。」
誰も口を挟まない。
万条は続けた。
「ロストを戦術にするなんて。」
「頭おかしいだろ。」
背番号8が苦笑する。
「でも。」
「機能してましたよ。」
万条は舌打ちした。
「だから腹立つんだよ。」
「普通なら失敗する。」
「なのに。」
「ちゃんと理屈になってやがる。」
背番号13も頷いた。
「俺も驚きました。」
「鈴木さんにしかできない戦術でした。」
万条は腕を組み、少しだけ空を見上げる。
「認めたくねぇけど。」
「比企谷の野郎。」
「頭だけは本物だ。」
背番号15が小さく笑う。
「珍しいですね。」
「万条さんが褒めるなんて。」
「褒めてねぇ。」
万条は即座に否定する。
「ムカついてるだけだ。」
「ただ……。」
一拍置く。
「俺でも。」
「あの戦術は思い付かなかった。」
その言葉に、万条グループの選手たちは静かに顔を見合わせた。
誰よりも比企谷八幡を敵視している万条。
その万条でさえ、
戦術そのものは否定できなかった。
## 第84話 ただいま
その日。
エストレヤ千葉トレーニングセンター。
練習を終えた比企谷八幡は、珍しく早い時間にクラブを後にした。
午後六時前。
車は住宅街へ入る。
七月に入り、夕暮れはまだ明るい。
信号待ちの間、八幡は車窓から空を見上げた。
「……たまには、早く帰るか。」
分析室に残れば、朝まで映像を見続けてしまう。
今日は違った。
第16節・仙台アステルFC戦へ向けた戦術の土台はできた。
あとは選手たちへ落とし込んでいくだけ。
だからこそ、今日は帰ることにした。
---
比企谷家。
玄関のドアが開く。
「ただいま。」
その一言と同時だった。
「パパーー!!」
四歳のレオンが勢いよく駆けてくる。
「おかえりー!」
続いて三歳のユウも負けじと走る。
八幡は苦笑しながら二人を受け止めた。
「危ねぇって。」
「パパ!」
「今日は早い!」
「うん!」
「遊べる!」
二人とも大はしゃぎだった。
その奥から、小さな足音が聞こえる。
一歳のルナが、よちよちと歩いてくる。
「ぱ……ぱ。」
八幡は自然と頬が緩んだ。
しゃがみ込み、ルナを抱き上げる。
「ただいま。」
「ぱぱ!」
小さな手が八幡の頬へ伸びた。
その様子を見ていたソフィアが、キッチンから顔を出す。
「おかえりなさい、八幡!」
満面の笑み。
エプロン姿のソフィアは、嬉しそうに近付いてきた。
「今日は早いですね!」
「ああ。」
「珍しく。」
ソフィアは目を輝かせる。
「嬉しいです!」
そう言うと、自然に八幡の腕へ抱き付いた。
「今日はみんな、パパが帰ってくるの待ってたんですよ。」
「そうか。」
レオンが元気よく手を挙げる。
「ママね!」
「今日ずっと。」
『今日はパパ早く帰ってくるかなぁ』って言ってた!」
ソフィアの顔が一瞬で赤くなる。
「レ、レオン!」
「それ言わなくていいです!」
ユウも負けじと言う。
「ママ。」
「時計いっぱい見てた!」
「ユウまで!」
八幡は思わず笑った。
「悪かったな。」
「最近、遅かったから。」
ソフィアは首を横に振る。
「そんなことありません。」
「八幡がお仕事を頑張ってるの、知ってます。」
「でも……。」
少し照れたように笑う。
「やっぱり。」
「早く帰ってきてくれる日は、とっても嬉しいです。」
八幡は照れ隠しのように頭をかいた。
「……そうか。」
ソフィアはルナを抱く八幡を見つめながら、優しく微笑む。
大学一年生の時。
初めて見たあの日から変わらない。
大好きな人。
学生結婚しても。
子どもが三人できても。
その気持ちは少しも変わらなかった。
「八幡。」
「何だ。」
「今日は。」
ソフィアはいたずらっぽく笑う。
「ご飯のあと、家族みんなで遊びましょう。」
レオンとユウが一斉に声を上げる。
「やったー!」
「パパ遊ぼう!」
ルナも小さく手を叩く。
「ぱぱ!」
八幡は三人の子どもたちを見回し、小さく笑った。
「ああ。」
「今日は付き合う。」
その一言だけで、家の中はさらに明るい笑い声に包まれた。
## 第85話 変わり始めたエストレヤ千葉
翌朝。
エストレヤ千葉トレーニングセンター。
いつものように選手たちがクラブハウスへ集まってくる。
ロッカールームへ向かう者。
ストレッチを始める者。
コーヒーを片手に談笑する者。
そんな中、戸部翔がテーブルの上に置かれていたスポーツ新聞を手に取った。
「……あ。」
「上村さんの記事だ。」
その一言に、森川佑、川崎大志、戸塚彩加らが自然と集まる。
橋本翔も興味深そうに覗き込んだ。
一面には大きな見出しが載っていた。
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## 『エストレヤ千葉復活の裏側――躍進の理由と、消えない火種』
**上村俊**
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開幕五試合終了時。
エストレヤ千葉は未勝利。
勝ち点二。
リーグ最下位。
攻守ともに噛み合わず、クラブ全体に重苦しい空気が漂っていた。
しかし現在。
第十五節終了時点で五勝四分三敗。
勝ち点十九。
順位は五位。
J2優勝争いへ食い込める位置まで浮上した。
わずか数か月で、ここまで変わると予想できた者は少ないだろう。
では、何が変わったのか。
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一つ目は補強である。
シーズン途中に加入したスペイン人OMF、ダニエル・ロドリゲス。
ドリブル、得点力、パス、運動量。
そのすべてが高いレベルにあり、攻撃へ新たな選択肢をもたらした。
森川佑、川崎大志との連携も日に日に向上している。
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二つ目。
これは数字には表れない。
**分析力**だ。
試合を見ていて感じる。
このチームは試合中の修正が異様に早い。
相手が何を嫌がるか。
どこを突けば崩れるか。
選手交代だけではない。
立ち位置。
守備の開始位置。
攻撃の優先順位。
九十分の中で変化し続けている。
その中心にいる人物の名前を、取材を進める中で何度も耳にした。
**比企谷八幡。**
強化部国際スカウト兼分析官。
外国人補強だけでなく、相手分析、自チーム分析、試合中の戦術提案まで担う存在だ。
裏方でありながら、今のエストレヤ千葉を語るうえで欠かせない人物となっている。
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しかし。
順位が上がったからといって、問題がなくなったわけではない。
むしろ、クラブ内部には今も大きな火種が残っている。
**万条グループ。**
万条富隆を中心とした一派である。
所属する複数の選手は、以前から素行面に問題を抱えてきた。
寝坊。
遅刻。
遠征拒否。
首脳陣への反発。
能力以前に、チームとして最も重要な規律を乱してきた集団でもある。
現在は大きな騒動こそ起きていない。
しかし、それは改善したという意味ではない。
あくまで表面上、静かになっているだけだ。
昇格争いが本格化した時。
出場機会。
契約。
移籍。
そうした問題が絡めば、再びクラブを揺るがす可能性は十分にある。
エストレヤ千葉最大の不安要素は、今もなお消えてはいない。
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もう一つ。
注目すべき選手がいる。
背番号9。
鈴木太郎。
二メートルという恵まれた体格。
高さと決定力は魅力だ。
しかし、ポストプレー、ボールキープ、トラップには明確な弱点を抱えている。
さらに、これまで首脳陣と衝突を繰り返してきた。
今夏にはドイツ移籍が決まっているものの、郷田京の負傷、材木座義輝の疲労を考えれば、近いうちに出場機会は訪れるだろう。
その時、この難しい駒をどう生かすのか。
それもまた、今後のエストレヤ千葉を左右する要素となる。
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そして、私自身も訂正しなければならないことがある。
これまで私は材木座義輝へ厳しい評価を書いてきた。
得点が少ない。
決定力不足。
エースとして物足りない。
そう考えていた。
しかし、試合を重ねて見続けるうちに、その評価は変わった。
材木座は点を取るだけのFWではない。
前線でボールを収める。
味方を生かす。
守備のスイッチを入れる。
数字では測れない仕事を、九十分間続けている。
1得点11アシストという数字以上に、このチームに欠かせない存在であることは間違いない。
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現在のエストレヤ千葉は、まだ完成されたチームではない。
万条グループという火種。
鈴木太郎という扱いの難しい大型FW。
郷田京の負傷離脱。
課題は数多く残されている。
それでも。
開幕当初の迷いは消えた。
クラブ全体が、一つの方向を向いて進み始めている。
常識に縛られず、勝つための最善を探し続ける。
そんなクラブへ、少しずつ変わり始めている。
第十六節。
仙台アステルFC戦。
エストレヤ千葉が本当に上位争いへ加わる力を持ったチームなのか。
その答えが、もうすぐ明らかになる。
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記事を読み終えた森川は、静かに新聞を閉じた。
「……上村さんらしい記事だな。」
戸塚も頷く。
「良いところも、悪いところも書いてある。」
川崎は苦笑した。
「万条グループのことまで全国に載っちゃいましたね。」
その言葉に、少し離れた場所で新聞を読んでいた万条富隆の手が止まる。
記事を最後まで読み終えた万条は、小さく舌打ちした。
「……余計なことまで書きやがる。」
背番号8が恐る恐る口を開く。
「でも……嘘は書いてないですね。」
万条は新聞を折りたたみ、机へ置いた。
「気に食わねぇ。」
「だが。」
「記事としては、よく見てやがる。」
その一言に、周囲の万条グループの選手たちは思わず顔を見合わせた。
敵視している記者の記事を、万条が認めることは珍しかった。
クラブは確実に変わり始めている。
その変化は、グラウンドの中だけではなく、外から見ても分かるほど大きくなっていた。
第86話 試合前のにぎわい
第16節。
エストレヤスタジアム。
午後。
キックオフまでは、まだ三時間以上ある。
それでも、スタジアム周辺には大勢のサポーターが集まり始めていた。
「今日はすごい人だな。」
「イベントもあるからね。」
親子連れ。
友人同士。
カップル。
スタジアム前広場は、いつも以上の活気に包まれていた。
---
広場中央。
エストレヤ千葉の人気マスコットが姿を現す。
クラブカラーのネイビー、ゴールド、ホワイトのユニフォームを身にまとった、ウサギモチーフのマスコット。
「きたー!」
「かわいい!」
子どもたちが一斉に駆け寄る。
マスコットは両手を大きく振りながら、一人ひとりとハイタッチを交わしていく。
写真撮影の列も長く伸びていた。
「順番にお願いしまーす!」
スタッフの声にも、笑顔が絶えない。
---
その隣では、
**『千葉うまいものB級グルメフェス』**
と書かれた大きな横断幕が掲げられていた。
スタジアムグルメだけではない。
今回は、千葉県内の企業や飲食店が数多く出店している。
香ばしい匂いが風に乗って広場を包んでいた。
「これおいしそう!」
「どれから食べる?」
サポーターたちは嬉しそうに店を見て回る。
---
一軒目。
クラブスポンサーでもある、
**千葉カレー株式会社**。
看板商品。
『エストレヤ必勝カレー』
千葉県産野菜をふんだんに使用した限定メニューだった。
「一つください!」
「ありがとうございます!」
昼前にもかかわらず、長蛇の列ができていた。
---
その向かいには、
スポンサー企業の
**千葉落花生食品**。
「落花生ソフト!」
「落花生コロッケ!」
「落花生プリン!」
千葉県名産の落花生を使った商品が並ぶ。
「これ初めて食べる!」
「うまっ!」
「お土産にも買おう。」
試食をした客が次々と商品を手に取っていた。
---
さらに奥では、
一際多くの子どもたちが集まるブースがあった。
**雪ノ下建設**
大型パネルには、
**『工事体験会』**
と書かれている。
ヘルメットを被り、
子ども用ショベルカーを操作する体験。
測量体験。
ブロック積み体験。
普段できない仕事を楽しめるイベントだった。
「すごーい!」
「ぼくもやる!」
笑顔ではしゃぐ子どもたち。
その様子を見ながら、一人の女性がスタッフへ指示を出していた。
長い黒髪。
凛とした立ち姿。
雪ノ下建設営業部長補佐。
**葉山雪乃。**
旧姓、
**雪ノ下雪乃。**
母が経営する雪ノ下建設で働いているが、その役職は親の七光りではない。
営業成績と企画力を評価され、実力で今の地位まで昇進した。
「体験希望のお子さんはこちらへお願いします。」
「列が長くなってきましたので、案内を増やしてください。」
スタッフが一斉に動く。
無駄のない指示だった。
そこへ、一人の女性スタッフが笑顔で近づいてくる。
「雪乃さん。」
「今日もすごいですね。」
雪乃は広場を見渡し、小さく微笑んだ。
「想像以上です。」
「これだけ来ていただけるなら、企画した甲斐がありました。」
このイベント。
企画をクラブへ持ち込んだのは、雪乃自身だった。
『試合だけではなく、一日楽しめるスタジアムにしましょう。』
その提案に、クラブとスポンサー企業が賛同。
今日のイベントが実現したのである。
---
その頃。
会場へ姿を見せた葉山隼人は、少し離れた場所から妻の仕事ぶりを眺めていた。
子どもたちに笑顔で話しかけ、
スポンサー企業とも打ち合わせをこなし、
スタッフへ的確に指示を飛ばす。
その姿は、クラブで見せる雪乃とはまた違う表情だった。
「葉山選手!」
サポーターから声を掛けられる。
葉山は笑顔で応じる。
「ありがとうございます。」
「今日は勝ちましょう!」
「はい。」
短く答える。
そして、再び視線は雪乃へ向いた。
雪乃も葉山の存在に気付く。
一瞬だけ目が合う。
しかし、人前だった。
雪乃は軽く会釈するだけで、すぐに仕事へ戻る。
仕事の場では、夫である葉山を立て、自分は一歩引く。
それが雪乃の流儀だった。
葉山も小さく頷くと、そのままスタジアムの中へ歩いていった。
---
イベント開始から約一時間。
広場はさらに人で埋め尽くされていた。
「今年一番人多くない?」
「グルメもイベントも全部回りきれない!」
「試合前から楽しいな!」
サポーターたちの笑顔が広がる。
エストレヤ千葉は、ピッチの中だけではない。
クラブ全体で、人を集めるクラブへと少しずつ変わり始めていた。
広場の奥へ進むと、まだまだ多くのブースが並んでいた。
「全部スポンサー企業なんだ。」
「地域密着って感じがするな。」
サポーターたちは、試合前とは思えないほどゆったりとイベントを楽しんでいた。
---
大きなのれんが掲げられた一角。
**「房総なめろう亭」**
千葉県内で飲食店を展開するスポンサー企業が出店していた。
職人が手際よくアジを包丁で叩く。
味噌。
生姜。
青じそ。
香りが辺り一面に広がった。
「はい、お待たせしました!」
出来上がったなめろうは、ご飯に乗せた丼や、そのまま酒の肴として楽しめる一品として販売されている。
「これ、本場の味だ。」
「試合前だけど、ご飯食べたくなるな。」
「うまい!」
一口食べたサポーターたちは、思わず笑顔を浮かべた。
行列は途切れることがない。
---
その隣には、
**「銚子ぬれ煎餅本舗」**
千葉県名物のぬれ煎餅を製造するスポンサー企業である。
焼きたてのぬれ煎餅へ特製しょうゆだれを何度も塗り重ねる。
香ばしい香りが風に乗る。
「焼きたてですよー!」
「限定二百枚でーす!」
「一枚ください!」
子どもから年配のサポーターまで、次々と列へ並んでいく。
「柔らかい!」
「普通の煎餅と全然違う。」
「これは毎回来てほしい。」
スタッフも笑顔で応えていた。
---
さらに進むと、音楽が聞こえてきた。
特設ステージの横には、
千葉県内限定で店舗を展開するカラオケチェーン、
**「カラオケ・ハーモニー千葉」**
のブースが設けられていた。
「エストレヤ応援ソング大会!」
「優勝者には一年間無料券プレゼント!」
司会者の声に、大きな拍手が起こる。
マイクを握る子ども。
家族で歌う親子。
友人同士で盛り上がる学生たち。
ステージ前は笑い声で包まれていた。
「次の挑戦者、どうぞ!」
「頑張れー!」
歌い終えるたび、大きな拍手が送られる。
試合前とは思えないほど和やかな空気だった。
---
広場全体を見渡した雪乃は、小さく息をついた。
「想像以上ですね。」
隣にいた雪ノ下建設の社員が笑顔で答える。
「どのブースも大盛況です。」
「スポンサー企業の皆さんも喜んでいます。」
雪乃は静かに頷いた。
「地域の企業とクラブが一緒になって盛り上げる。」
「それが、このイベントの目的です。」
「試合だけを見て帰るのではなく、一日楽しんでもらう。」
「その結果、また来たいと思っていただけるなら成功です。」
社員は感心したように頷いた。
「さすが営業部長補佐ですね。」
雪乃は首を横に振る。
「私一人ではありません。」
「クラブの皆さんと、スポンサー企業の皆さんが協力してくださったからです。」
そう言って、再び会場全体へ視線を向ける。
スタジアムへ続く道には、ネイビーとゴールドのユニフォームを着たサポーターが次々と歩いていく。
笑顔。
活気。
地域企業とのつながり。
エストレヤ千葉は、九十分の試合だけではない。
**「千葉から世界へ」**――そのクラブスローガンのもと、地域全体を巻き込みながら、新たなクラブの形を築き始めていた。
第87話 託された十一人
試合開始一時間前。
エストレヤスタジアム。
イベントを楽しんでいたサポーターたちが、次々とスタンドへ戻ってくる。
スタジアムDJの声が場内へ響き渡った。
「皆さん、お待たせしました!」
「まもなく、本日のスターティングメンバーを発表します!」
場内が暗転する。
エストレヤ千葉のエンブレムが大型ビジョンいっぱいに映し出された。
ドンッ――。
重低音とともに、一人目の選手が紹介される。
---
「ゴールキーパー!」
**『背番号21! 玉縄幸三!!』**
スタンドから大きな拍手が起こる。
郷田京の脳震盪による離脱で、ゴールマウスを託された男。
今季一度スタメンを経験している玉縄だったが、今回の先発はその時以上に重要な意味を持っていた。
「玉縄!」
「頼んだぞ!」
「落ち着いていけ!」
玉縄はゴール裏へ向かって右手を挙げた。
その表情には、緊張よりも覚悟が見えた。
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「ライトサイドバック!」
**『背番号6! 毛利良一!!』**
二十一歳。
若き右サイドバック。
「毛利!」
「思い切っていけ!」
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「センターバック!」
**『背番号26! 長谷川智樹!!』**
守備の柱。
経験豊富なベテランが、若い守備陣をまとめる。
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「センターバック!」
**『背番号35! 橋本翔!!』**
ユース出身。
十九歳。
一九八センチの大型センターバック。
「橋本!」
「今日も跳ね返せ!」
橋本は照れくさそうに頭を下げた。
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「レフトサイドバック!」
**『背番号24! 高山俊樹!!』**
守備力に定評のある左SB。
安定感を買われ、この日もスタメンだった。
---
「ダブルボランチ!」
**『背番号18! 戸塚彩加!!』**
危険なエリアを刈り取るクラッシャー。
続いて。
**『背番号7! エミリオ・アルバレス!!』**
アルゼンチン代表経験を持つ司令塔。
スタンドから歓声が沸き起こる。
---
「ライトサイドハーフ!」
**『背番号19! 川崎大志!!』**
力強い突破が武器の若きサイドアタッカー。
---
「レフトサイドハーフ!」
**『背番号10! 森川佑!!』**
経験豊富な元日本代表。
攻撃をまとめる存在だ。
---
「オフェンシブミッドフィールダー!」
**『背番号14! ダニエル・ロドリゲス!!』**
スペインから加入した司令塔。
今やエストレヤ千葉攻撃の中心。
ダニエルが手を挙げると、スタンドからひときわ大きな歓声が上がった。
---
そして。
場内が少し静まり返る。
「フォワード!」
「背番号9!」
**『鈴木太郎!!』**
スタジアムがどよめいた。
「おぉ!」
「鈴木だ!」
「今季初出場!」
「材木座じゃない!」
「ついに使うのか!」
「何かあるぞ……。」
サポーターたちは顔を見合わせる。
十五試合連続で先発してきた材木座義輝の名前がない。
代わりに立つのは、今季まだ公式戦出場のなかった鈴木太郎。
誰もが驚きを隠せなかった。
鈴木は歓声にも反応せず、真っ直ぐピッチだけを見つめて歩いていく。
---
続いてベンチメンバーが発表される。
「ゴールキーパー!」
**背番号27!**
「ディフェンダー!」
**背番号33 葉山隼人!**
**背番号34 黒崎隼吾!**
「ミッドフィールダー!」
**背番号20 戸部翔!**
**背番号3 万条富隆!**
**背番号17 佐久間浩二!**
「フォワード!」
**背番号16 栗林宰三!**
そして最後。
「フォワード!」
**『背番号32! 元原太陽!!』**
スタンドから温かい拍手が送られる。
「元原さん!」
「久しぶり!」
「まだまだ頑張れ!」
元日本代表。
ワールドカップ三大会連続出場。
日本代表歴代十一位の得点を誇るレジェンド。
昨年夏から公式戦出場はないものの、その存在感は今なお健在だった。
元原は少し照れくさそうに笑いながら、軽く頭を下げた。
---
ベンチ横。
ウォーミングアップへ向かう若手たちを見ながら、佐久間浩二が穏やかに笑った。
「いやぁ……。」
「若いねぇ。」
毛利が全力でスプリントを繰り返し、
橋本が長谷川と競り合い、
川崎が何本もダッシュを重ねる。
その姿を眺めながら、佐久間は目を細める。
「見てるだけで元気もらえるよ。」
元原が笑った。
「お前も昔はあんなだった。」
「そうそう。」
「走っても走っても疲れなかった。」
佐久間は苦笑しながら肩を回す。
「今じゃ準備運動だけで息が上がりそうだけどね。」
二人は顔を見合わせて笑った。
---
その頃、大型ビジョンにはベンチ外メンバーも表示される。
**背番号5 宇津木健太。**
コンディション不良。
そして――
**背番号11 材木座義輝。**
十五試合連続出場を続けてきた男は、この日、完全休養となった。
スタンドからは驚きの声が漏れる。
「材木座、ベンチ外か……。」
「ここまでずっと出てたもんな。」
「思い切った決断だ。」
「鈴木を使うってことは、何か考えがあるはず。」
サポーターたちは期待と不安を胸に、大型ビジョンを見つめていた。
誰もまだ知らない。
エストレヤ千葉が、この試合のためだけに準備してきた"常識外れ"の戦術を。
## 第88話 キックオフ
午後七時。
エストレヤスタジアム。
照明がピッチを明るく照らす。
両チームの選手がトンネルから姿を現した。
「エストレヤ千葉!」
「オーーッ!!」
ホームゴール裏から大歓声が響く。
ネイビーとゴールドのフラッグが一斉に揺れた。
先頭を歩くのはキャプテン不在の中、ゲームキャプテンを任されたエミリオ・アルバレス。
その後ろには長谷川智樹。
戸塚彩加。
森川佑。
ダニエル・ロドリゲス。
そして――
背番号9。
鈴木太郎。
スタンドからは、まだ驚きの声が続いていた。
「本当に鈴木が先発なんだ……。」
「材木座を休ませるとは思わなかった。」
「八幡さん、何か仕込んでるな。」
そんな会話があちこちで聞こえてくる。
---
対する仙台アステルFC。
現在十位。
勝ち点十六。
守備を固め、素早いカウンターを武器とするチームだ。
試合前の円陣。
エストレヤ千葉。
エミリオが全員を見渡す。
「今日も自分たちのサッカーをする。」
「慌てない。」
「焦らない。」
「九十分。」
「全員で戦うぞ。」
「おう!」
十一人の声が重なる。
その輪の中で、鈴木も静かに拳を中央へ伸ばしていた。
---
一方。
ベンチ前。
マルコ・ベッルーニ監督の隣には比企谷八幡が立っていた。
マルコが静かに口を開く。
「緊張しているか。」
八幡は首を横に振る。
「いえ。」
「練習どおりやるだけです。」
「鈴木が迷わなければ、機能します。」
マルコは小さく笑う。
「迷うのは相手か。」
「そのための戦術です。」
八幡の視線は、仙台のセンターバック二人へ向けられていた。
---
ピッチ中央。
主審が両キャプテンを呼ぶ。
コイントス。
エミリオがコインを見つめる。
「表。」
コインは芝へ落ちる。
主審が確認し、頷いた。
「エストレヤボール。」
エミリオは静かにボールを受け取る。
---
スタンドではサポーターがタオルマフラーを掲げていた。
「俺たちの千葉!」
「勝つぞー!」
応援団の太鼓が鳴り響く。
ドンドンドン――。
リズムに合わせ、スタジアム全体が一つになっていく。
---
鈴木はセンターサークル内で深呼吸した。
隣にはダニエル。
ダニエルがスペイン語で小さく話しかける。
「落ち着いて。」
「いつもどおりでいい。」
鈴木は短く答えた。
「ああ。」
その"いつもどおり"が、今日だけはチームの武器になる。
それを知っているのは、ピッチ上ではエストレヤ千葉の選手たちだけだった。
---
主審が腕時計へ目を落とす。
そして、高く笛を掲げた。
**ピーーーッ!!**
第16節。
エストレヤ千葉対仙台アステルFC。
九十分間の戦いが、幕を開けた。
エミリオが軽くボールを後ろへ落とす。
戸塚。
長谷川。
そして再びエミリオへ。
エストレヤ千葉は、いつもどおり後方から丁寧にボールを動かし始めた。
しかし、その"いつもどおり"の先には――
仙台アステルFCがまだ知らない、比企谷八幡が仕掛けた新たな一手が待ち受けていた。
## 第89話 仕掛け
試合開始一分。
エストレヤ千葉がボールを保持する。
戸塚からエミリオ。
エミリオはゆっくりと左右へ散らす。
仙台アステルFCは自陣まで引き、4-4-2のブロックを形成していた。
「焦るな!」
仙台のキャプテンが声を飛ばす。
「中央締めろ!」
エストレヤも慌てない。
長谷川。
橋本。
高山。
後方で丁寧にボールを回す。
仙台の前線が少しずつ寄せ始めた。
その様子をベンチから見つめる八幡。
「……。」
まだ動かない。
まだ早い。
あと少し。
仙台の守備が前へ出た、その瞬間を待っていた。
---
四分。
橋本から戸塚。
戸塚はワンタッチでエミリオへ。
エミリオは前を向く。
中央には鈴木太郎。
仙台の二人のセンターバックが視線を向ける。
「付け!」
「潰せ!」
二人が一歩前へ出た。
その瞬間――
ベンチの八幡が小さく呟く。
「今です。」
エミリオの右足が振り抜かれる。
ズバッ!!
鋭い縦パス。
鈴木の足元へ一直線。
「来た!」
鈴木は身体を入れ、収めようとする。
胸で落とそうとした。
しかし。
トラップがわずかに流れる。
「よし!」
仙台のCBが身体をぶつける。
ボールがこぼれた。
スタンドから声が漏れる。
「取られた!」
「またロストか!」
だが――。
その瞬間だった。
「ダニエル!」
森川が叫ぶ。
ダニエル・ロドリゲスが、こぼれ球へ真っ先に飛び込む。
仙台のボランチより半歩早い。
右足で回収。
そのまま前を向いた。
「なっ!?」
仙台守備陣が慌てる。
鈴木へ寄せたことで、中央に小さな隙間が生まれていた。
ダニエルは持ち過ぎない。
右へ展開。
川崎大志。
「来い!」
川崎が力強く運ぶ。
右サイドを突破。
仙台の左SBが寄せる。
「クロス!」
右足を振り抜く。
高いボールがゴール前へ上がった。
「鈴木!」
長谷川の声が響く。
鈴木はすでにゴール前へ走り込んでいた。
二メートルの身体が大きく跳ぶ。
仙台CBも必死に競る。
ドンッ!!
ヘディング。
しかし、わずかに当たり損ねる。
ボールはゴール右へ逸れ、そのままゴールラインを割った。
「惜しい!」
スタンドから大きなどよめきが起こる。
---
鈴木は舌打ちした。
「……くそっ。」
ダニエルが近寄る。
「いい動きでした。」
森川も頷く。
「もう少しだった。」
エミリオは何も言わず、ベンチへ目を向けた。
---
八幡は腕を組んだまま、小さく頷く。
「形になりました。」
マルコも静かに笑う。
「練習どおりだ。」
中村が驚いたようにピッチを見る。
「本当に……。」
「ロストが始まりになるのか。」
八幡は視線を外さない。
「はい。」
「あれが狙いです。」
仙台ベンチでは、監督が険しい表情でピッチを見つめていた。
「……何だ、今の攻撃は。」
鈴木はボールを失った。
それなのに。
エストレヤ千葉の攻撃は、むしろそこから勢いを増していた。
### 第90話 勢いの起点
前半六分。
仙台アステルFCゴールキック。
GKが短くつなぐ。
だが、前線からダニエルが素早く寄せる。
無理はしない。
コースだけを切る。
仙台は一度最終ラインまで下げた。
---
そのボールを森川が奪う。
「エミリオ!」
ワンタッチ。
エミリオが中央へ持ち出す。
顔を上げる。
そして迷わない。
「鈴木!」
ズバッ!!
またしても鋭い縦パス。
ボールは鈴木の足元へ突き刺さる。
「来た!」
仙台CB二人が一気に寄せる。
鈴木は身体を入れる。
右足で止めようとする。
しかし――。
トラップが浮いた。
「今だ!」
CBが足を伸ばす。
ボールがこぼれた。
スタンドから再び声が上がる。
「取られた!」
「またロスト!」
だが。
その瞬間。
「大志!」
川崎が真っ先に飛び込む。
身体をぶつける。
相手ボランチを弾き飛ばした。
こぼれ球は森川へ。
森川は迷わない。
ダニエルへ預ける。
ダニエルはワンタッチで左へ展開。
高山が駆け上がる。
クロス。
中央。
鈴木。
二メートルの身体が再び跳ぶ。
ドンッ!!
今度は芯で捉えた。
しかし。
仙台GKが横っ飛び。
右手一本で弾き出す。
「ナイスキー!」
仙台サポーターから歓声が上がる。
---
「惜しい!」
ホームスタンドから大きな拍手。
鈴木は悔しそうに頭を掻いた。
「決めたかった……。」
ダニエルが親指を立てる。
「次があります。」
---
前半九分。
今度は戸塚がインターセプト。
エミリオへ。
そして。
「鈴木!」
また縦。
また強い。
鈴木は収めようとする。
だが。
ボールは足元から離れる。
ロスト。
「よし!」
仙台CBが奪う。
その直後。
「行け!」
森川。
川崎。
ダニエル。
三人が一斉に襲いかかる。
仙台は前を向けない。
慌ててクリア。
しかし。
そのクリアを橋本が頭で跳ね返す。
長谷川が拾う。
戸塚。
エミリオ。
再びエストレヤボール。
仙台の選手たちは思わず顔を見合わせた。
「何だよ……。」
「取っても終わらない。」
「また来るぞ!」
---
ベンチ。
中村敏三郎が思わず笑う。
「鈴木がロストするたびに……。」
「攻撃の勢いが増してる。」
マルコも静かに頷く。
「ああ。」
「相手は奪った気になる。」
「その一瞬が隙になる。」
八幡はピッチから目を離さない。
「鈴木選手を止めた。」
「そう思った瞬間には、もう次の攻撃が始まっています。」
「相手の意識が、鈴木選手に集中する。」
「だから周囲が生きる。」
---
前半十二分。
仙台ベンチ。
監督が険しい表情で腕を組んでいた。
「……おかしい。」
コーチが頷く。
「鈴木はボールを失っています。」
「なのに、攻撃が終わりません。」
監督は苦々しく息を吐く。
「普通なら。」
「ロストしたら守備へ切り替えられる。」
「だが千葉は違う。」
「ロストした瞬間が、一番人数を掛けてくる。」
仙台守備陣は混乱し始めていた。
鈴木太郎は確かにボールを失っている。
それなのに――
**ロストするたびに、エストレヤ千葉の攻撃は勢いを増していく。**
それは、仙台アステルFCがこれまで一度も経験したことのない、異質な攻撃だった。
## 第91話 初ゴール
前半十七分。
仙台アステルFCの攻撃。
左サイドからクロスが上がる。
「クリア!」
長谷川智樹が頭で跳ね返す。
こぼれ球。
戸塚彩加が身体を入れた。
「エミリオ!」
エミリオ・アルバレスがボールを受ける。
仙台はすぐに守備へ戻る。
だが、エミリオは落ち着いていた。
ゆっくり前を見る。
そして――
「鈴木!」
ズバッ!!
またしても鋭い縦パス。
鈴木太郎の足元へ突き刺さる。
「来た!」
仙台のセンターバック二人が同時に飛び出した。
鈴木は右足で止めようとする。
しかし、トラップが流れる。
「取った!」
仙台CBがボールへ足を伸ばす。
ボールは再びこぼれた。
「今!」
ダニエルが猛然と飛び込む。
相手ボランチより一歩早く触る。
そのまま前へ運ぶ。
仙台の最終ラインが慌てて下がる。
「寄せろ!」
「ダニエルを止めろ!」
二人がダニエルへ食いついた。
その瞬間だった。
「森川!」
左へ展開。
森川佑がフリーで受ける。
ワンタッチ。
さらにオーバーラップした高山俊樹へ。
高山は迷わない。
左足でクロス。
鋭く速いボールがゴール前へ向かう。
その時。
鈴木は、もうそこにいた。
ロストした直後。
八幡に言われた通り、一目散にゴール前へ走っていた。
「鈴木!」
二メートルの巨体が跳ぶ。
仙台CBも飛ぶ。
だが――。
高さが違う。
ドンッ!!
完璧なヘディング。
ボールは叩きつけられ、
GKの手をかすめながらゴール右隅へ突き刺さった。
**ゴール!!**
一瞬の静寂。
次の瞬間。
「うおおおおおおおおーーー!!」
エストレヤスタジアムが爆発した。
「決めたぁぁぁ!!」
「鈴木ーーー!!」
「初ゴールだ!!」
ホームゴール裏が大きく揺れる。
鈴木は両拳を強く握った。
「しゃああああっ!!」
今季初出場。
そして。
今季初ゴール。
ダニエルが真っ先に駆け寄る。
「ナイス!」
森川も笑顔で抱きつく。
「だから言っただろ!」
「お前はそこにいればいい!」
川崎が背中を叩く。
「最高!」
エミリオも静かに笑った。
「これが、お前の仕事だ。」
戸塚は小さくガッツポーズを作る。
「狙いどおり。」
---
ベンチ。
マルコ・ベッルーニ監督が拳を握る。
「よし!」
中村敏三郎は思わず笑ってしまった。
「本当に決めた……。」
佐藤智成も驚きを隠せない。
「ロストから得点なんて……。」
その横で、八幡だけは静かだった。
「予定どおりです。」
誰よりも冷静だった。
「鈴木選手がロストした時点で。」
「仙台のセンターバック二人は前へ出ました。」
「ダニエル選手に食いつき。」
「森川選手にも引っ張られた。」
「最後にゴール前へ残ったのは。」
「二メートルの鈴木選手だけです。」
マルコは八幡の肩を軽く叩いた。
「欠点を武器に変えたな。」
八幡は小さく頷く。
「欠点は消せません。」
「だったら。」
「利用するだけです。」
---
仙台ベンチ。
監督は頭を抱えた。
「……完全にやられた。」
コーチも苦い表情を浮かべる。
「鈴木を止めたと思った瞬間。」
「周りにやられます。」
監督はピッチを見つめる。
「そして最後は……。」
「結局、鈴木が決める。」
誰も予想できなかった。
**ロストを前提とした戦術。**
その異質な攻撃が、ついに公式戦で結果となって現れた。
エストレヤ千葉が先制。
**1―0。**
## 第92話 何が起きている
前半十九分。
**エストレヤ千葉 1―0 仙台アステルFC。**
キックオフで試合が再開される。
だが――。
一番混乱していたのは、仙台ベンチではなかった。
---
「何なんだ、あれ……!」
仙台のセンターバックが顔をしかめる。
もう一人のCBも周囲を見渡した。
「分からない!」
「鈴木に付くのか!?」
「付かなきゃヘディングでやられる!」
「でも行ったら後ろ使われる!」
「どうすりゃいい!」
たった一本のプレー。
それだけで、守備の共通認識が崩れ始めていた。
---
仙台のボランチも混乱する。
「さっきはダニエルに行ったら森川が空いた!」
「森川見たら高山が上がってきた!」
「クロス上げられたら鈴木!」
「意味分かんねぇ!」
全員が少しずつ遅れる。
誰を見るべきか。
誰を捨てるべきか。
答えが出ない。
---
右サイドバックが叫ぶ。
「もう鈴木放っとけ!」
その瞬間。
CBが怒鳴り返した。
「放っとけるか!」
「二メートルだぞ!」
「あんなの一人で競れるか!」
「でも寄ったらまたやられる!」
「じゃあどうしろってんだ!」
完全に意思統一が崩れていた。
---
その様子を見たダニエルが小さく笑う。
「もう迷っています。」
森川も頷いた。
「一回決まると嫌なんだよな。」
川崎は仙台守備陣を見ながら口元を緩める。
「誰も鈴木さんを見たくない。」
戸塚は冷静だった。
「でも見ないわけにもいかない。」
---
鈴木本人は何が起きているのか分かっていなかった。
「……。」
「俺。」
「普通に収めようとしてるだけなんだけどな。」
ダニエルが笑う。
「それでいいんです。」
「考えないでください。」
「いつもどおりです。」
鈴木は首を傾げる。
「いつもどおりで点入ったぞ。」
「はい。」
「それが一番です。」
---
一方。
仙台ベンチ。
監督は立ち上がった。
「落ち着け!」
「慌てるな!」
「いつもどおり守れ!」
しかし。
コーチが首を横に振る。
「監督。」
「あれ……。」
「いつもどおりじゃ守れません。」
監督も分かっていた。
普通のCFなら。
トラップを失敗すれば攻撃は終わる。
だから奪えばいい。
しかし鈴木は違う。
**奪った瞬間から、千葉の攻撃が本格的に始まる。**
守備の常識が通用しない。
---
「CB!」
監督が叫ぶ。
「鈴木に行くな!」
ピッチのCBが振り返る。
「無理です!」
「放っといたら頭でやられます!」
「じゃあ一人で行け!」
「一人じゃ止まりません!」
そのやり取りを聞いたボランチも叫ぶ。
「俺がカバーします!」
「ダニエル空くぞ!」
「じゃあどうすればいいんだ!」
仙台の選手たちは互いに声を掛け合う。
だが、その声には迷いが混じっていた。
---
ベンチ前。
八幡は静かにその様子を見つめる。
マルコが口元を緩めた。
「完全に迷わせたな。」
八幡は短く答える。
「はい。」
「鈴木選手を止めるか。」
「周りを止めるか。」
「その判断を毎回迫られます。」
「迷った時点で、こちらの狙いどおりです。」
ピッチでは再びエミリオがボールを受ける。
仙台守備陣の視線は、一斉に背番号9へ集まっていた。
## 第93話 理想の前半
前半二十六分。
エストレヤ千葉は勢いを緩めなかった。
仙台アステルFCは、鈴木太郎への対応を修正しようとする。
しかし、その修正がさらに新たな隙を生み出していた。
---
「鈴木を一人で見ろ!」
仙台ベンチから指示が飛ぶ。
センターバックは一人だけが鈴木へ付く。
もう一人はカバーへ回る。
それを見た八幡が小さく呟いた。
「来ました。」
マルコも頷く。
「ああ。」
---
前半二十八分。
長谷川から戸塚。
戸塚はエミリオへ預ける。
エミリオは前を向いた。
「鈴木!」
また鋭い縦パス。
鈴木はいつもどおり収めようとする。
右足。
トラップは少し流れる。
「取った!」
仙台CBがボールへ飛び込む。
だが、その瞬間。
森川が内側へ走る。
ダニエルも前へ飛び出す。
仙台ボランチが迷った。
「どっちだ!」
一瞬。
その一瞬だけ。
ダニエルがフリーになった。
鈴木は倒れ込みながらも、こぼれたボールへ右足を伸ばす。
完全には奪われていなかった。
ボールはダニエルの前へ転がる。
「ダニエル!」
フリーで受けたダニエルは、迷わない。
右足を振り抜く。
ゴンッ!!
低く鋭いシュート。
ボールはゴール左隅へ突き刺さった。
**ゴール!!**
「よっしゃあああ!!」
エストレヤスタジアムが歓声に包まれる。
ダニエルは拳を握り締める。
最初に駆け寄ったのは鈴木だった。
「ナイス!」
ダニエルも笑顔で応える。
「鈴木さんのアシストです。」
鈴木は少し照れくさそうに笑った。
「……俺、アシストなんて久しぶりだ。」
スコアは――
**2―0。**
---
さらに前半三十八分。
仙台は前へ出るしかなくなった。
ラインを上げる。
その瞬間だった。
橋本がインターセプト。
戸塚。
エミリオ。
ダニエル。
中央で細かくつなぐ。
仙台守備陣は鈴木を警戒して中央へ絞る。
「鈴木を見る!」
「クロスだけは上げさせるな!」
その一瞬。
左サイドが空いた。
ダニエルは迷わない。
ワンタッチで森川へ展開。
森川は左足で持ち出す。
対面のDFを一人かわした。
ペナルティエリアへ侵入。
右足へ持ち替える。
「打つ!」
ドンッ!!
強烈なシュート。
ボールはゴール右上へ突き刺さった。
**ゴール!!**
「森川ぁぁぁ!!」
ホームスタンドが大きく揺れる。
森川は右拳を高々と突き上げた。
「ナイス!」
「最高!」
チームメートが次々と集まる。
スコアは、
**3―0。**
---
仙台ベンチ。
監督は額に手を当てた。
「……止まらない。」
コーチも苦い表情だった。
「鈴木を見れば森川。」
「森川を見ればダニエル。」
「ダニエルを見れば鈴木。」
「完全に振り回されています。」
監督は何も言い返せなかった。
---
やがて。
**ピーーーッ!!**
主審が前半終了を告げる。
エストレヤ千葉の選手たちは、大きな拍手を受けながらロッカールームへ向かう。
大型ビジョンには、前半のスコアが映し出されていた。
**エストレヤ千葉 3―0 仙台アステルFC**
**得点**
* 前半17分 鈴木太郎
* 前半28分 ダニエル・ロドリゲス(アシスト:鈴木太郎)
* 前半38分 森川佑
十五試合無得点だった鈴木太郎は、今季初先発で**1ゴール1アシスト**。
そして、エストレヤ千葉は八幡が考案した新戦術で、前半だけで仙台アステルFCを圧倒していた。
## 第94話 まだ甘い
ハーフタイム。
エストレヤ千葉ロッカールーム。
スコアボードには、
**3―0**
前半をほぼ完璧に終えた。
選手たちは汗を拭き、水分を補給している。
鈴木太郎もベンチへ腰を下ろし、大きく息を吐いた。
「ふぅ……。」
今季初先発。
一ゴール一アシスト。
上出来と言っていい前半だった。
しかし――。
部屋へ入ってきた比企谷八幡の第一声は違った。
「まだ甘いです。」
部屋が静まり返る。
森川が首を傾げた。
「三点取ってるぞ?」
八幡はホワイトボードの前へ立つ。
「だからです。」
「もっと取れます。」
マルコ・ベッルーニ監督も何も言わず、腕を組んで聞いていた。
---
八幡は前半の映像を映した。
前半十七分。
鈴木への縦パス。
「止めようとして。」
「ロスト。」
画面が止まる。
「ここです。」
全員が画面を見る。
「エミリオさん。」
「はい。」
「一本目。」
「少し優しかったです。」
エミリオは映像を見返し、小さく頷く。
「……確かに。」
八幡は続ける。
「鈴木さんが。」
「止められるかもしれない。」
「そう思って出してます。」
「はい。」
「それが甘いです。」
---
次の映像。
二本目。
三本目。
四本目。
鈴木へ出る縦パス。
八幡は一時停止を繰り返した。
「全部。」
「少しだけ。」
「受け手に合わせています。」
「……。」
エミリオだけではない。
戸塚。
森川。
ダニエル。
全員が映像を見つめていた。
---
八幡はホワイトボードへ書く。
**鈴木太郎**
その横へ大きく一本線を引いた。
**収まらない前提**
「皆さん。」
「勘違いしています。」
「鈴木さんに。」
「収めてもらおうとしてはいけません。」
鈴木が苦笑する。
「本人の前で言うなよ。」
ロッカールームに少し笑いが起こる。
しかし八幡は真剣だった。
「今日の前半。」
「結果は出ました。」
「でも。」
「まだ鈴木さんを信じています。」
「信じるな。」
鈴木が即座に突っ込む。
思わず戸部が吹き出した。
「本人が言うんすか、それ。」
---
八幡は構わず続ける。
「皆さんが信じるのは。」
「鈴木さんではありません。」
「セカンドボールです。」
「……。」
「右足でも。」
「左足でも。」
「胸でも。」
「頭でも。」
「絶対に収まらない。」
「そう考えてください。」
部屋が静まり返る。
---
八幡はホワイトボードに矢印を書き込んでいく。
「エミリオさん。」
「はい。」
「もっと鋭く。」
「もっと速く。」
「足元へ。」
「はい。」
「戸塚さん。」
「同じです。」
「分かった。」
「森川さん。」
「受ける準備じゃありません。」
「セカンドです。」
「了解。」
「大志。」
「はい。」
「鈴木さんに入った瞬間。」
「もう走ってください。」
「分かりました。」
「ダニエル。」
「はい。」
「一番近くで回収。」
「任せてください。」
---
八幡は全員を見渡した。
「もう。」
「考える必要はありません。」
「鈴木さんへ出した瞬間。」
「全員。」
「ロストする。」
「そう決めつけてください。」
鈴木が呆れたように笑う。
「ここまで言われると逆に気持ちいいな。」
森川も笑った。
「悪いな。」
「でも、その方が点入る。」
「だろ?」
鈴木は肩をすくめる。
「まあ。」
「前半一点取れたしな。」
---
八幡は最後に一言だけ告げた。
「前半は三点でした。」
「後半。」
「この精度なら。」
「もっと取れます。」
マルコが静かに立ち上がる。
「いい話だった。」
「後半も同じことをやる。」
「ただし。」
監督は鈴木を見た。
「ゴール前では。」
「今までどおり暴れてこい。」
鈴木はニヤリと笑う。
「それなら得意だ。」
ロッカールームに笑いが広がる。
そして選手たちは立ち上がった。
八幡が求めたのは、新しい戦術ではない。
**前半で機能した戦術を、さらに極端にすること。**
エストレヤ千葉は、後半も迷うことなく、鈴木太郎という"ロストの起点"を使い続ける。
## 第94話 まだ甘い
ハーフタイム。
エストレヤ千葉ロッカールーム。
スコアボードには、
**3―0**
前半をほぼ完璧に終えた。
選手たちは汗を拭き、水分を補給している。
鈴木太郎もベンチへ腰を下ろし、大きく息を吐いた。
「ふぅ……。」
今季初先発。
一ゴール一アシスト。
上出来と言っていい前半だった。
しかし――。
部屋へ入ってきた比企谷八幡の第一声は違った。
「まだ甘いです。」
部屋が静まり返る。
森川が首を傾げた。
「三点取ってるぞ?」
八幡はホワイトボードの前へ立つ。
「だからです。」
「もっと取れます。」
マルコ・ベッルーニ監督も何も言わず、腕を組んで聞いていた。
---
八幡は前半の映像を映した。
前半十七分。
鈴木への縦パス。
「止めようとして。」
「ロスト。」
画面が止まる。
「ここです。」
全員が画面を見る。
「エミリオさん。」
「はい。」
「一本目。」
「少し優しかったです。」
エミリオは映像を見返し、小さく頷く。
「……確かに。」
八幡は続ける。
「鈴木さんが。」
「止められるかもしれない。」
「そう思って出してます。」
「はい。」
「それが甘いです。」
---
次の映像。
二本目。
三本目。
四本目。
鈴木へ出る縦パス。
八幡は一時停止を繰り返した。
「全部。」
「少しだけ。」
「受け手に合わせています。」
「……。」
エミリオだけではない。
戸塚。
森川。
ダニエル。
全員が映像を見つめていた。
---
八幡はホワイトボードへ書く。
**鈴木太郎**
その横へ大きく一本線を引いた。
**収まらない前提**
「皆さん。」
「勘違いしています。」
「鈴木さんに。」
「収めてもらおうとしてはいけません。」
鈴木が苦笑する。
「本人の前で言うなよ。」
ロッカールームに少し笑いが起こる。
しかし八幡は真剣だった。
「今日の前半。」
「結果は出ました。」
「でも。」
「まだ鈴木さんを信じています。」
「信じるな。」
鈴木が即座に突っ込む。
思わず戸部が吹き出した。
「本人が言うんすか、それ。」
---
八幡は構わず続ける。
「皆さんが信じるのは。」
「鈴木さんではありません。」
「セカンドボールです。」
「……。」
「右足でも。」
「左足でも。」
「胸でも。」
「頭でも。」
「絶対に収まらない。」
「そう考えてください。」
部屋が静まり返る。
---
八幡はホワイトボードに矢印を書き込んでいく。
「エミリオさん。」
「はい。」
「もっと鋭く。」
「もっと速く。」
「足元へ。」
「はい。」
「戸塚さん。」
「同じです。」
「分かった。」
「森川さん。」
「受ける準備じゃありません。」
「セカンドです。」
「了解。」
「大志。」
「はい。」
「鈴木さんに入った瞬間。」
「もう走ってください。」
「分かりました。」
「ダニエル。」
「はい。」
「一番近くで回収。」
「任せてください。」
---
八幡は全員を見渡した。
「もう。」
「考える必要はありません。」
「鈴木さんへ出した瞬間。」
「全員。」
「ロストする。」
「そう決めつけてください。」
鈴木が呆れたように笑う。
「ここまで言われると逆に気持ちいいな。」
森川も笑った。
「悪いな。」
「でも、その方が点入る。」
「だろ?」
鈴木は肩をすくめる。
「まあ。」
「前半一点取れたしな。」
---
八幡は最後に一言だけ告げた。
「前半は三点でした。」
「後半。」
「この精度なら。」
「もっと取れます。」
マルコが静かに立ち上がる。
「いい話だった。」
「後半も同じことをやる。」
「ただし。」
監督は鈴木を見た。
「ゴール前では。」
「今までどおり暴れてこい。」
鈴木はニヤリと笑う。
「それなら得意だ。」
ロッカールームに笑いが広がる。
そして選手たちは立ち上がった。
八幡が求めたのは、新しい戦術ではない。
**前半で機能した戦術を、さらに極端にすること。**
エストレヤ千葉は、後半も迷うことなく、鈴木太郎という"ロストの起点"を使い続ける。
### 第95話 役割
ハーフタイム。
エストレヤ千葉ロッカールーム。
戦術の確認が一段落したところで、比企谷八幡は一人の選手へ視線を向けた。
「高山さん。」
「はい。」
背番号24。
高山俊樹が返事をする。
八幡は前半の映像をスクリーンへ映した。
前半三十八分。
森川佑の追加点。
高山がオーバーラップし、クロスを上げた場面だった。
映像が止まる。
高山が口を開く。
「後半も、積極的に上がった方がいいですか?」
八幡は首を横に振った。
「いいえ。」
「無理に上がる必要はありません。」
部屋が静かになる。
高山も少し驚いた表情を見せた。
「でも、攻撃参加した方が……。」
「違います。」
八幡は即座に否定した。
「高山さんを起用している理由は。」
「攻撃参加ではありません。」
ホワイトボードに、
**高山俊樹**
と書く。
その下へ、
**守備力**
と大きく書いた。
「高山さんの武器は。」
「対人守備。」
「ポジショニング。」
「カバーリング。」
「一対一の強さです。」
「……。」
「もし。」
「攻撃参加を最優先するなら。」
八幡は高山の目を真っ直ぐ見た。
「私は葉山さんをスタメンで起用しています。」
高山は息をのんだ。
葉山隼人。
運動量が豊富で、攻撃参加を得意とする左サイドバック。
「高山さんを選んだ理由は。」
「守備です。」
「そこを捨てる必要はありません。」
森川も頷いた。
「確かに。」
「高山が後ろにいると安心して仕掛けられる。」
ダニエルも続ける。
「攻撃は私たちが責任を持ちます。」
「高山さんは。」
「後ろをお願いします。」
高山は静かに映像を見つめた。
八幡は続ける。
「前半のクロスは素晴らしかったです。」
「ですが。」
「毎回あれを狙う必要はありません。」
「上がるのは。」
「確実に安全だと判断した時だけ。」
「それ以外は。」
「守備を優先してください。」
「はい。」
「森川さん。」
「はい。」
「高山さんが後ろに残るから。」
「思い切って中へ入れます。」
「そうですね。」
「大志も。」
「逆サイドは気にしなくていい。」
川崎も頷く。
「分かりました。」
マルコ・ベッルーニ監督が口を開く。
「サッカーは。」
「全員が同じ仕事をする競技じゃない。」
「攻める者。」
「守る者。」
「それぞれ役割がある。」
「高山。」
「お前は守備で勝負しろ。」
高山は力強く頷いた。
「はい。」
八幡は最後に一言だけ付け加えた。
「今日の左サイドは。」
「攻撃の主役ではありません。」
「攻撃は前の選手がやります。」
「高山さんには。」
「相手の攻撃を終わらせる仕事を期待しています。」
その言葉に、高山は静かに拳を握った。
自分が選ばれた理由。
それは、派手な攻撃ではない。
**誰よりも堅実な守備で、チームを支えるためだった。**
## 第96話 止め方がない
ハーフタイム。
仙台アステルFCロッカールーム。
重苦しい空気が流れていた。
誰一人として口を開かない。
スコアは――
**0―3。**
選手たちは俯いたまま汗を拭いている。
その沈黙を破ったのは仙台の監督だった。
「……まず落ち着け。」
しかし、誰も返事をしない。
---
センターバックの一人が口を開いた。
「監督。」
「鈴木……。」
「どうしますか。」
その一言で部屋の視線が集まる。
監督は腕を組んだまま答えない。
代わりにボランチが言った。
「止められません。」
「いや。」
「鈴木だけなら止められます。」
「でも。」
「止めた瞬間。」
「ダニエル。」
「森川。」
「川崎。」
「全員動いてきます。」
---
左サイドバックが机を軽く叩いた。
「一人で競ればヘディング。」
「二人で行けば周りが空く。」
「どう守ればいいんですか。」
誰も答えられない。
---
コーチが前半の映像を映す。
最初の失点。
鈴木へ縦パス。
ロスト。
ダニエルが回収。
クロス。
鈴木がヘディング。
ゴール。
映像が止まる。
「ここ。」
「何が悪かった。」
センターバックが首を横に振る。
「寄らないとヘディングです。」
「寄りました。」
「でも。」
「ダニエルに拾われました。」
---
二点目。
鈴木へ縦パス。
ロスト。
鈴木が倒れながらボールへ足を伸ばす。
ダニエル。
シュート。
ゴール。
右サイドバックが頭を抱えた。
「これも。」
「鈴木を潰した。」
「はずなんです。」
「なのに。」
「終わらない。」
---
三点目。
ダニエル。
森川。
最後は森川のシュート。
監督がリモコンを置いた。
「分かったか。」
誰も返事をしない。
監督も苦笑した。
「……俺も分からん。」
ロッカールームに苦い笑いが漏れる。
---
ボランチが恐る恐る聞く。
「監督。」
「後半。」
「鈴木は。」
「どうします。」
再び沈黙。
監督は深く息を吐いた。
「……。」
「放っておくことはできない。」
「はい。」
「だが。」
「二人で行くな。」
センターバックが顔を上げる。
「一人ですか。」
「ああ。」
「カバーはボランチ。」
「……。」
ボランチは困った顔をした。
「そうすると。」
「ダニエルが。」
「空きます。」
監督は頷く。
「分かっている。」
「でも。」
「鈴木を自由にしたら。」
「今度は頭でやられる。」
---
右サイドバックが呟く。
「結局。」
「全部見なきゃいけないじゃないですか。」
誰も否定できなかった。
---
監督はホワイトボードを見つめる。
背番号9。
**鈴木太郎。**
そこへ丸を付ける。
さらに、
ダニエル。
森川。
川崎。
戸塚。
エミリオ。
次々に名前を書く。
そして、ペンを置いた。
「……。」
「一人止めても。」
「周りが止まらない。」
コーチも静かに言う。
「千葉は。」
「鈴木を生かしているんじゃありません。」
「鈴木を使って。」
「周り全員を生かしています。」
監督は小さく頷いた。
「後半。」
「耐えるしかない。」
だが、その言葉には確信がなかった。
エストレヤ千葉の新戦術。
その中心にいる鈴木太郎。
しかし本当に厄介なのは――
**鈴木ではなく、鈴木を中心に連動する十人だった。**
## 第97話 決断
ハーフタイム。
仙台アステルFCロッカールーム。
監督はホワイトボードを見つめたまま、静かに口を開いた。
「交代する。」
選手たちが顔を上げる。
「前線を一枚下げる。」
「……。」
「フォワードを下げる。」
「ディフェンダーを入れる。」
部屋がざわついた。
「監督!」
フォワードの一人が立ち上がる。
「一点も返してないんですよ!」
「分かっている。」
監督は冷静だった。
「だが、このままでは四点目、五点目を取られる。」
誰も反論できない。
---
コーチがボードへ新しい布陣を書く。
**4-4-2**
から――
**5-4-1**。
「センターバックを一枚増やす。」
「鈴木には三枚で対応する。」
「……三枚。」
センターバックが驚く。
監督は頷いた。
「一人は競る。」
「一人はカバー。」
「もう一人はセカンドボールの回収。」
「絶対にダニエルへ拾わせるな。」
「はい!」
---
フォワードは悔しそうにスパイクを見つめた。
「俺ですか……。」
監督は静かに頷く。
「すまない。」
「お前が悪いわけじゃない。」
「チームを立て直すためだ。」
フォワードは数秒黙っていた。
そして立ち上がる。
「……分かりました。」
悔しさを押し殺しながら、ユニフォームの裾を引っ張った。
---
入るのは三十一歳のベテランセンターバック。
「お前は中央。」
「鈴木を見ろ。」
「はい。」
「絶対に自由にするな。」
「競り負けてもいい。」
「身体をぶつけ続けろ。」
「分かりました。」
---
ボランチへも指示が飛ぶ。
「鈴木のこぼれ球。」
「全部狙え。」
「ダニエルより早く。」
「森川より早く。」
「川崎より早く。」
「遅れたら終わる。」
「はい!」
---
監督は最後に全員を見渡した。
「後半。」
「まず一点返すことは考えるな。」
選手たちが驚く。
「失点しないことだけ考えろ。」
「流れを止める。」
「それが最優先だ。」
---
選手たちは立ち上がる。
「行くぞ!」
「はい!」
ロッカールームを出ていく仙台の選手たち。
その表情に、前半開始前の余裕はなかった。
**0―3。**
この三点差以上に苦しめていたのは、
**どう守ればいいのか分からない**という現実だった。
後半。
仙台アステルFCは攻撃の枚数を削り、
守備を一枚増やす異例の決断を下した。
## 第98話 サポーターの本音
ハーフタイム。
エストレヤスタジアム。
コンコースは多くのサポーターで賑わっていた。
前半を終え、
**エストレヤ千葉 3―0 仙台アステルFC。**
誰もが上機嫌だった。
---
「いやぁ、腹減った!」
「何食べる?」
「さっき気になってた店行こう。」
友人同士のサポーターがイベントブースへ向かう。
千葉カレー。
なめろう丼。
ぬれ煎餅。
落花生を使ったスイーツ。
試合前から好評だったB級グルメは、ハーフタイムも長蛇の列だった。
---
「やっぱりこれだよ。」
男性サポーターが受け取ったのは、
**千葉カレー。**
千葉県産の野菜をふんだんに使ったスポンサー企業自慢の一皿。
「うまっ!」
「スタジアム飯とは思えない。」
隣では家族連れが、なめろう丼を食べていた。
「美味しい!」
「また来たい!」
子どもも笑顔だった。
---
少し離れたテーブル。
常連サポーター四人組が食事をしながら前半を振り返る。
「いやぁ。」
「鈴木には驚いた。」
「俺も。」
「まさかあんな使い方するとは思わなかった。」
一人が苦笑する。
「最初さ。」
「またロストしたって思ったんだよ。」
「俺も。」
「『あー、取られた』って。」
「でも。」
「その後なんだよ。」
全員が頷く。
「あそこから攻撃始まるんだもんな。」
---
年配のサポーターがカレーを食べながら笑う。
「普通なら。」
「FWがロストしたら終わりだろ。」
「千葉は逆。」
「ロストした瞬間が一番怖い。」
「相手かわいそうだったな。」
「CB二人とも完全に混乱してた。」
---
若いサポーターも口を開く。
「鈴木一人じゃないんだよ。」
「森川。」
「ダニエル。」
「川崎。」
「全員動き出す。」
「だから止められない。」
「誰考えたんだろ。」
---
別の男性が笑う。
「八幡さんじゃない?」
「やっぱり?」
「ダニエル連れてきたのも八幡さん。」
「分析も八幡さん。」
「これも八幡さんだろ。」
「確かに。」
「普通の監督なら。」
「鈴木の欠点直そうとする。」
「でも。」
「逆に利用してる。」
全員が感心したように頷いた。
---
女性サポーターが言う。
「材木座を休ませた意味も分かった。」
「うん。」
「疲れてたもんね。」
「ちゃんと休ませる勇気も必要なんだ。」
「後半は出るかな?」
「三点差なら無理させないんじゃない?」
---
別のテーブル。
年配の男性二人が、ぬれ煎餅を片手に話していた。
「昔の千葉なら。」
「一点取ったら守ってた。」
「そうそう。」
「今日は違う。」
「まだ攻める気がする。」
「八幡が満足してる顔じゃなかったからな。」
「ベンチ映った時見た?」
「ああ。」
「三点取っても冷静だった。」
「まだ何かあるぞ。」
---
コンコースでは、ウサギのマスコットが子どもたちと写真撮影を続けていた。
「こっち向いてー!」
「はい、チーズ!」
笑顔が広がる。
スタジアム全体が、お祭りのような雰囲気に包まれていた。
---
しかし、その一方で。
誰もが同じことを考えていた。
「後半。」
「仙台は絶対修正してくる。」
「それでも。」
「千葉はどう戦うんだろう。」
期待を胸に、サポーターたちは再びスタンドへ戻っていく。
後半開始まで、あとわずかだった。
## 第99話 敵地まで来た理由
ハーフタイム。
エストレヤスタジアム。
アウェーゴール裏。
仙台アステルFCサポーターたちも、コンコースへ降りてきていた。
落胆した表情の者。
黙ったまま歩く者。
それでも腹は減る。
「何か食べるか……。」
「そうだな。」
---
四人組のサポーターは、千葉カレーを購入して席へ座る。
「いただきます。」
一口食べる。
「……うまい。」
「悔しいけど、これはうまいな。」
「千葉まで来た甲斐はあった。」
思わず苦笑いがこぼれる。
---
隣のテーブルでは、なめろう丼を食べる親子。
父親が箸を止めた。
「前半。」
「何だったんだろうな。」
高校生くらいの息子も首を傾げる。
「鈴木って選手。」
「そんな上手くなかったよね?」
「うん。」
「トラップも流れてた。」
「なのに。」
「何で三点も取られたんだろ。」
父親も困ったように笑う。
「そこなんだよ。」
---
別の男性サポーターが会話へ加わる。
「鈴木は止めてるんだ。」
「うん。」
「実際、何回もボール奪ってる。」
「でも。」
「その後なんだよ。」
「ダニエル。」
「森川。」
「川崎。」
「次から次へ来る。」
「守備が間に合わない。」
---
年配のサポーターが静かに言う。
「今まで見たことない。」
「FWがロストして。」
「そこから攻撃始まるチームなんて。」
「普通は終わるもんな。」
「そう。」
「だから守備も一瞬止まる。」
「その一瞬でやられてる。」
---
女性サポーターが落花生を使ったジェラートを食べながら話す。
「監督も困ってそうだった。」
「うん。」
「ベンチ映った時。」
「ずっと腕組んでた。」
「後半。」
「どう修正するんだろ。」
---
別のグループでは、ぬれ煎餅を片手に議論が続く。
「鈴木一人を止めても意味ない。」
「でも放っておけない。」
「二メートルあるし。」
「クロス一本で終わる。」
「だから寄る。」
「寄ったら周り。」
全員がため息をついた。
「難しいな……。」
---
その時。
スタジアム内の大型ビジョンへ前半ハイライトが映し出される。
鈴木の先制ゴール。
ダニエルの追加点。
森川の三点目。
仙台サポーターは黙って見つめていた。
やがて一人が静かに口を開く。
「でもさ。」
「まだ終わってない。」
周囲が顔を上げる。
「一点返せば流れ変わる。」
「二点目なら分からない。」
「俺たちは応援するだけだ。」
その言葉に仲間たちも頷いた。
「そうだな。」
「最後まで声出そう。」
「仙台!」
「勝つぞ!」
食事を終えたサポーターたちは立ち上がり、青いタオルマフラーを肩へ掛け直す。
スコアは**0―3**。
苦しい状況であることに変わりはない。
それでも、敵地まで駆け付けたサポーターに諦める者は一人もいなかった。
後半開始の笛まで、あと数分。
仙台アステルFCは意地を見せるため、再びピッチへ向かおうとしていた。
## 第100話 後半開始
ハーフタイムが終わる。
両チームの選手たちが再びピッチへ姿を現した。
エストレヤスタジアムには大きな拍手が響く。
「後半も行くぞー!」
「千葉!」
「勝ち切れ!」
ホームゴール裏から大きなチャントが流れ始めた。
一方、アウェーゴール裏でも仙台サポーターが声を張り上げる。
「仙台!」
「俺たちがついてるぞ!」
三点差。
それでも応援は止まらなかった。
---
ピッチ中央。
エミリオ・アルバレスが周囲を見渡す。
鈴木太郎もセンターサークルへ入る。
ダニエルが小さく笑った。
「後半も。」
「同じです。」
鈴木も頷く。
「ああ。」
---
その時だった。
「おっ?」
森川が相手陣を見る。
「一枚変わってる。」
戸塚も視線を向けた。
「……。」
仙台は交代カードを切っていた。
フォワードを一人下げ、
センターバックを投入。
前半とは明らかに並びが違う。
---
ベンチ前。
中村敏三郎が気付く。
「五枚になった。」
マルコ・ベッルーニ監督は静かに頷く。
「予想どおりだ。」
八幡も冷静だった。
「守備を一枚増やしました。」
「鈴木選手対策です。」
佐藤智成が腕を組む。
「完全に守備固めだな。」
八幡は首を横に振る。
「違います。」
「迷ってます。」
「……?」
「鈴木選手を。」
「二人で見るか。」
「三人で見るか。」
「まだ答えが出ていません。」
マルコは小さく笑った。
「なら。」
「迷わせ続ければいい。」
「はい。」
---
仙台の新しく入ったセンターバックが味方へ声を掛ける。
「俺が鈴木を見る!」
「カバー頼む!」
「分かった!」
「セカンド!」
「絶対拾え!」
前半よりも細かく確認している。
だが、その表情には余裕はなかった。
---
鈴木はその様子を見ながら首を傾げる。
「何か増えてるな。」
ダニエルが笑う。
「怖いんですよ。」
「鈴木さんが。」
「俺?」
「はい。」
「別に普通にやってるだけなんだけど。」
「それが一番怖いんです。」
---
主審が両チームを確認する。
腕時計を見る。
そして、笛を口へ運んだ。
**ピーーーッ!!**
後半開始。
仙台アステルFCのキックオフ。
ボールは後方へ下げられる。
エストレヤ千葉は無理に奪いへ行かない。
前半と同じように、組織的にブロックを作る。
長谷川が後方から声を飛ばす。
「ライン上げるぞ!」
「橋本!」
「右!」
「はい!」
戸塚は中央で相手ボランチを監視する。
エミリオはパスコースを切る。
そして最前線。
鈴木太郎はゆっくりと相手センターバックへ歩き始めた。
その背番号9を見た仙台の三人の守備陣は、無意識のうちに互いの距離を確認する。
たった一人のフォワード。
それなのに――
後半開始早々、仙台アステルFCの守備陣の頭の中は、再び鈴木太郎のことでいっぱいになっていた。