第5話 交渉開始
第5話 交渉開始
翌日。
午前九時。
エストレヤ千葉・社長室。
テーブルを囲むのは、
* 社長・鈴木一朗太
* GM・竹内正樹
* 強化部長・佐藤智成
* 強化部 国際スカウト兼分析官・比企谷八幡
机の中央には、一冊の分厚いファイルが置かれていた。
表紙には大きく、
**Daniel Rodríguez**
と書かれている。
社長・鈴木が口を開いた。
「クラブ間交渉の準備はできている。」
八幡は静かに頷く。
「はい。」
「本人の移籍意思は確認済みです。」
竹内が資料をめくる。
「契約は来シーズンまで残っている。」
「違約金は約三千万円。」
部屋が静まり返る。
J2クラブにとって、決して軽い金額ではない。
社長は腕を組み、八幡を見つめた。
「比企谷。」
「三千万円を払う価値はあるか。」
「あります。」
一切の迷いはなかった。
「即答か。」
「はい。」
八幡は立ち上がり、分析用モニターを起動した。
「映像をご覧ください。」
---
画面に映し出されたのは、スペインでのダニエルのプレー。
自陣でボールを受ける。
一人かわす。
二人かわす。
三人目を股抜きでかわす。
そのままペナルティーエリア付近まで運び、絶妙なラストパス。
味方FWが難なく流し込んだ。
映像が止まる。
八幡は画面を指差した。
「この場面です。」
「日本なら、三人目はここまで強く出てきません。」
竹内が尋ねる。
「つまり?」
「もっと前進できます。」
「守備の圧力が一段階下がるため、さらに選択肢が増えます。」
次の映像。
右サイドへ流れながらクロス。
ピンポイントでFWの頭へ届く。
ゴール。
さらに別の試合。
中央で前を向く。
迷わずミドルシュート。
ゴールネットが揺れる。
「得点力もあります。」
「アシストだけではありません。」
社長が尋ねる。
「弱点は。」
八幡は少し考えてから答えた。
「スペイン一部では、フィジカル勝負で苦戦する場面があります。」
「ですが。」
「J2では弱点になりません。」
誰も口を挟まない。
その評価の重さを全員が理解していた。
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八幡はホワイトボードへフォーメーションを書いた。
```text
材木座
森川 ダニエル 大志
エミリオ 戸塚
```
「この四人が並びます。」
マルコ監督も頷く。
「攻撃の幅が一気に広がる。」
「はい。」
八幡は材木座の映像へ切り替えた。
「材木座はセンターバック二人を引き付けます。」
画面に赤い矢印が映る。
「空いたスペースへダニエルが侵入する。」
竹内が小さく呟いた。
「決まるな。」
「決まります。」
八幡は迷わず言い切る。
「そして森川、大志にも一対一の場面が増えます。」
「相手は誰を捕まえるか迷うことになります。」
社長が笑みを浮かべた。
「材木座はどうなる。」
「数字だけなら。」
八幡は静かに答える。
「二得点二十一アシスト。」
社長が思わず笑った。
「FWでそんな数字を予想するスカウトは初めてだ。」
「ですが。」
八幡は真っ直ぐ前を見据える。
「材木座は点取り屋ではありません。」
「味方を点取り屋にするFWです。」
「彼の価値は、数字だけでは測れません。」
その言葉に、社長も竹内も静かに頷いた。
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その頃。
トップチームはグラウンドで紅白戦を行っていた。
戸部翔がフリーキックを蹴る。
美しい弧を描いたボールは、ゴール左上へ吸い込まれた。
「ナイス!」
選手たちから拍手が起こる。
しかし、戸部は笑わなかった。
(まだ足りない。)
頭に浮かぶのは、昨日の会議で八幡が口にした言葉。
『守備強度が足りない。』
『もっと走れ。』
戸部はボールを拾うと、そのままダッシュを始めた。
一本。
二本。
三本。
何度も何度も全力で走り続ける。
「戸部!」
ヘッドコーチ・中村が声を掛ける。
「練習は終わりだぞ!」
「まだやります!」
汗が芝生へ落ちる。
それでも足を止めなかった。
クラブハウス二階。
分析室の窓から、その姿を見つめる八幡。
小さく頷く。
(その悔しさを忘れるな。)
(努力は必ずお前を強くする。)
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夕方。
分析室。
パソコンに一通のメールが届く。
件名。
**Transfer Negotiation**
送り主は、ダニエルが所属するスペインのクラブだった。
八幡は内容を開く。
> **「正式オファーを受領次第、交渉に応じる。」**
八幡は静かに息を吐いた。
「第一関門は突破か。」
その時、スマートフォンが鳴る。
画面には、
**エミリオ・アルバレス**
の名前が表示されていた。
「もしもし。」
『ハチマン。』
「どうした。」
電話の向こうの声は、どこか弾んでいた。
『南が病院へ行ってきた。』
「ああ。」
『赤ちゃん、順調だって。』
八幡は自然と笑みを浮かべた。
「それは良かった。」
『ありがとう。』
「俺に礼を言うことじゃない。」
エミリオは少し笑って答えた。
『違う。』
『日本へ来て、お前に出会わなかったら。』
『南にも出会えなかった。』
『今の俺は、きっとここにはいない。』
八幡は照れくさそうに笑う。
「家族を大事にしろ。」
『もちろん。』
『父親になるんだからな。』
電話が切れた。
分析室には再び静寂が戻る。
だが、八幡の仕事は終わらない。
スペインとの本格的な交渉は、ここから始まるのだった。