第161話〜第180話
第161話〜第180話
第161話 上村俊コラム 「前半戦最大のサプライズ」
**スポーツコラムニスト 上村俊**
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### J2前半戦最大のサプライズ。
それは間違いなく――
**エストレヤ千葉**だろう。
第5節終了時点。
0勝2分3敗。
勝ち点2。
堂々の最下位。
正直、この時点で昇格争いを予想した人はほとんどいなかったはずだ。
---
しかし。
第17節終了現在。
千葉は9勝5分3敗。
勝ち点32。
**堂々の2位。**
しかも最後は、
開幕から無敗だった首位・北海道フェニックスFCを敵地で撃破した。
勢いだけでは説明できない。
そこには明確な理由がある。
---
私は何度も千葉を取材してきた。
今の千葉は、
試合ごとに戦術が違う。
相手ごとに狙いが違う。
修正も早い。
分析も細かい。
これほど試合中に変化するJ2クラブは珍しい。
その中心にいるのが、
強化部国際スカウト兼分析官・**比企谷八幡**である。
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北海道戦も象徴的だった。
前半は神谷直人とカサーツノを消し続けた。
後半は鈴木太郎投入。
前節仙台戦でも見せた戦術をもう一度採用した。
北海道は途中で見事に修正した。
だが最後は、
森川佑の判断。
戸部翔のフリーキック。
そして勝利。
戦術と選手の判断力。
その両方が噛み合った試合だった。
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そして。
前半戦終了と同時に、
クラブは大きな決断を下した。
**万条グループ所属選手が全員チームを離れる。**
万条富隆は岡山セルフィオFCへ完全移籍。
その他の所属選手たちも、
J3。
地域リーグ。
期限付き移籍など、
それぞれ新天地へ旅立つ。
これは単なる戦力整理ではない。
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クラブの方向性が、
完全に変わったことを意味している。
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特に鈴木太郎のドイツ移籍は大きい。
間違いなくエース級の戦力だった。
数字だけを見れば、
「戦力ダウン」
と考える人もいるだろう。
しかし。
今の千葉を数字だけで語るのは危険だ。
---
今季の千葉は、
一人のスター選手に依存して勝ってきたチームではない。
組織。
分析。
戦術。
そして選手同士の理解。
それらが積み重なった結果が、
現在の2位である。
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だからこそ。
私が最も興味を持っているのは、
**ここから**だ。
万条グループが完全に去ったエストレヤ千葉。
新たなチームとして、
どのようなサッカーを見せるのか。
新戦力は現れるのか。
若手は台頭するのか。
鈴木太郎の穴を誰が埋めるのか。
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前半戦は、
間違いなく千葉の快進撃だった。
しかし、
本当の評価は後半戦で決まる。
北海道フェニックスFCを追い越すのか。
自動昇格を守り切るのか。
あるいは、
J2優勝という奇跡を起こすのか。
---
エストレヤ千葉。
2026年J2リーグ。
後半戦最大の主役になる可能性を秘めたクラブであることは、もう誰も否定できない。
第162話 語り継がれる暗黒時代
数日後。
エストレヤスタジアム近くの交流スペース。
サポーター有志による交流会が開かれていた。
北海道フェニックスFC撃破。
後半戦への期待。
会場は終始、明るい空気に包まれていた。
---
その中に、一人の若い男性がいた。
今年からエストレヤ千葉を応援し始めた大学生だった。
「皆さん。」
「一つ聞いてもいいですか?」
ベテランサポーターたちは笑顔で頷く。
「もちろん。」
「何でも聞いて。」
青年は少し申し訳なさそうに尋ねた。
「最近よく。」
「『前任スカウトが獲得した選手』って聞くんです。」
「その前任スカウトって……。」
「どんな人だったんですか?」
---
その瞬間。
会場から笑顔が消えた。
空気が一変する。
誰もすぐには答えない。
青年は慌てて頭を下げた。
「す、すみません……。」
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五十代の男性サポーターが苦笑する。
「謝らなくていい。」
「今年から応援してるなら知らなくて当然だ。」
「でも。」
「エストレヤ千葉を語るなら避けて通れない話なんだ。」
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男性は静かに話し始めた。
「昨年。」
「クラブは大きく生まれ変わった。」
「社長の鈴木一朗太さん。」
「強化部長の佐藤智成さん。」
「GMの竹内正樹さん。」
「監督のマルコ・ベッルーニ。」
「そして。」
「比企谷八幡。」
「この体制になってから。」
「クラブは完全に変わった。」
---
青年が尋ねる。
「八幡さんって。」
「そんなにすごい人なんですか?」
男性は笑った。
「すごいなんてもんじゃない。」
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「今24歳。」
「大学卒業後強化部国際スカウト兼分析官。」
「しかも咋シーズンからは、その前までいた前任スカウトの業務も引き継いで、国内スカウト部門まで担当している。」
---
別のサポーターも続ける。
「今じゃクラブのスカウト部門そのものをまとめてる。」
「国内スカウト四人。」
「国際スカウト八人。」
「合計十二人を指揮してるんだ。」
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「仕事も桁違いだぞ。」
「外国人スカウト。」
「国内スカウト。」
「補強候補の最終推薦。」
「試合分析。」
「リアルタイム分析。」
「戦術提案。」
「外国人選手の生活サポート。」
「通訳までやる。」
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「補強は最終的に八幡の推薦をもとに決まる。」
「今の千葉の補強の中心人物だ。」
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青年は驚きを隠せない。
「24歳で……?」
「そんなことがあるんですか。」
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女性サポーターが笑う。
「普通はない。」
「でも。」
「八幡だから任されてる。」
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「海外にも人脈がある。」
「ブラジル。」
「アルゼンチン。」
「スペイン。」
「イタリア。」
「フランス。」
「オランダ。」
「海外クラブから分析官やスカウトとしてオファーが来るくらい評価されてるらしい。」
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青年は感心したように頷く。
「じゃあ。」
「前任スカウトは?」
会場の空気が再び重くなる。
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男性は静かに答えた。
「逮捕された。」
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「裏金。」
「不正契約。」
「その他にも複数の問題が発覚して警察に逮捕。」
「今も服役中だ。」
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別の男性も続ける。
「しかも。」
「旧首脳陣も何人か逮捕されて。」
「今も服役している。」
「クラブ史上最大の不祥事だった。」
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女性サポーターが小さくため息をつく。
「だから去年。」
「新しいフロントが全部立て直した。」
「八幡も。」
「前任スカウトが残した仕事を全部引き継いで。」
「国内スカウトまで担当することになった。」
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「最初は大変だったと思う。」
「でも。」
「今じゃ外国人も国内も。」
「補強は全部一つの方針で動いてる。」
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別の男性が笑顔になる。
「北海道戦がいい例だ。」
「試合前の分析。」
「試合中のリアルタイム分析。」
「鈴木投入。」
「戦術変更。」
「全部つながって逆転勝ちした。」
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青年は静かに頷いた。
「なるほど……。」
「だから今の千葉は強いんですね。」
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五十代の男性サポーターは笑顔で答える。
「ああ。」
「今のエストレヤ千葉は。」
「社長。」
「フロント。」
「首脳陣。」
「分析。」
「スカウト。」
「全部が一つになって動いている。」
「だから。」
「俺たちは今のクラブを心から誇れるんだ。」
その言葉に、会場の全員が静かに頷いた。
暗黒時代を知るサポーターたちは、新しいエストレヤ千葉が歩む未来を、誰よりも楽しみにしていた。
第163話 昨年の補強
交流会はそのまま続いていた。
青年はふと思い出したように尋ねる。
「そういえば今の主力って八幡さんが連れてきた選手が多いんですか?」
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五十代の男性サポーターは笑顔で頷く。
「ああ、特に昨年の補強は大きかった。」
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「昨年八幡が最初に連れてきたのが四人。」
「材木座義輝。」
「戸塚彩加。」
「エミリオ・アルバレス。」
「森川佑。」
「この四人だ。」
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青年は驚く。
「えっ?今のスタメンばかりじゃないですか。」
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「そう。だから去年の補強が成功だったと言われてる。」
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別のサポーターが笑いながら続ける。
「材木座は最初『運動量だけの選手じゃないのか?』
なんて言われてた。」
「でも、今じゃ前線から守備もできるしポストプレーもできる。」
「チームのために体を張れるCFになった。」
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女性サポーターも頷く。
「戸塚もすごかった。」
「最初は『細いし大丈夫か?』って声もあった。」
「でも、守備力、運動量、危険察知能力。今じゃ千葉の心臓よ。」
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別の男性が笑う。
「エミリオなんて加入した時点で別格だった。」
「最初の試合見た時『J2にいていい選手じゃない。』
って思ったもん。」
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「ボール持てる。」
「展開できる。」
「試合を落ち着かせられる。」
「司令塔そのものだ。」
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青年は何度も頷く。
「確かに北海道戦も全部エミリオから始まってました。」
「そう攻撃のテンポを作ってる。」
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今度は別の女性サポーターが口を開く。
「森川も忘れちゃ駄目。」
「中堅だけど本当に頭がいい。」
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「北海道戦最後もそう。」
「鈴木へ出すと見せて。」
「自分で切れ込んだ。」
「あの判断でフリーキックを取った。」
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「ああいう。」
「試合を読む力。」
「経験。」
「それは若手には真似できない。」
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青年は少し考え込む。
「つまり。」
「去年連れてきた四人が。」
「今の千葉の土台なんですね。」
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「その通り。」
五十代の男性サポーターは迷わず答えた。
「昨年。」
「八幡はまず。」
「チームの骨格を作った。」
「材木座。」
「戸塚。」
「エミリオ。」
「森川。」
「この四人が入ったことで。」
「サッカーそのものが変わった。」
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別の男性が笑う。
「そして今年。」
「ダニエル。」
「さらに戦力を積み上げた。」
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「一気に作り変えたんじゃない。」
「去年土台を作って。」
「今年完成度を上げた。」
「だから今の二位がある。」
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青年は感心したように息をつく。
「なるほど……。」
「補強って。」
「ただ有名選手を集めることじゃないんですね。」
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男性サポーターは満足そうに頷いた。
「ああ必要な場所に必要な選手を必要な順番で連れてくる。」
「それが本当の補強だ。」
「八幡は、それを去年からずっとやっている。」
会場では、多くのサポーターがその言葉に深く頷いていた。
昨年の四人の加入は、エストレヤ千葉復活の第一歩として、今やサポーターの間でも語り継がれる補強となっていた。
第164話 あの五試合
交流会は穏やかな空気のまま続いていた。
北海道フェニックスFC撃破の話題も一段落し、参加者たちは飲み物を片手に思い思いの会話を楽しんでいる。
そんな中、今年からエストレヤ千葉を応援し始めた青年が、少し遠慮がちに口を開いた。
「皆さん。」
「一つ気になっていたことがあるんです。」
自然と周囲の視線が集まる。
青年は続けた。
「開幕して、第5節まで勝てなかったですよね。」
「勝ち点2で最下位。」
「その頃のスタジアムって……どんな雰囲気だったんですか?」
その質問に、ベテランサポーターたちは一瞬だけ顔を見合わせた。
やがて五十代の男性が、懐かしむように笑った。
「苦しかったよ。」
「本当に苦しかった。」
その一言に、多くのサポーターが静かに頷く。
「でも。」
「絶望はしてなかった。」
青年は少し驚いた表情を見せる。
「え?」
男性はゆっくり話し始めた。
「俺たちは昔からクラブを見てきた。」
「だから分かってたんだ。」
「去年までのエストレヤ千葉が、どれだけ壊れていたかを。」
会場の空気が少しだけ引き締まる。
女性サポーターも静かに言葉を続けた。
「前任スカウト。」
「旧首脳陣。」
「クラブの中は本当にめちゃくちゃだった。」
「それが昨年、一気に表に出た。」
「前任スカウトは裏金や不正契約で逮捕。」
「旧首脳陣も何人か逮捕されて、今も服役している。」
「私たちは、その時代を見てきた。」
青年は息をのんだ。
「だから。」
男性は穏やかに笑う。
「今年の開幕五試合だけで、新体制を責める気にはならなかった。」
「長年積み重なった歪みを、たった数か月で全部直せるわけがないから。」
別の男性も頷く。
「試合には負けてた。」
「順位も最下位だった。」
「でもな。」
「見てると分かったんだ。」
「去年までとは違うって。」
青年は身を乗り出す。
「何がですか?」
「全部だよ。」
男性は指を折りながら話す。
「補強に理由がある。」
「戦術にも理由がある。」
「試合中も修正する。」
「選手も最後まで走る。」
「フロントと現場が同じ方向を向いてる。」
「それだけで十分希望が持てた。」
女性サポーターが微笑む。
「だからゴール裏は歌い続けた。」
「負けても。」
「試合終了まで。」
「最後の一人がピッチを去るまで。」
青年は静かに尋ねる。
「でも……。」
「ブーイングはありましたよね。」
「もちろんあった。」
男性は素直に認めた。
「一般席ではね。」
「悔しいのはみんな同じだから。」
「ただ。」
「コアサポーターは違った。」
「責める相手を間違えちゃいけないって分かってた。」
「問題は今年の選手でも。」
「今年の首脳陣でもない。」
「長年積み重なったクラブの歪みだった。」
その言葉に、交流会の参加者たちが静かに頷く。
「あの日。」
「相模原に負けて。」
「勝ち点2で最下位。」
「普通なら下を向く。」
「でも。」
「俺たちは歌った。」
「来週も勝てるように。」
「いつか必ず、このチームは変わるって信じて。」
青年はしばらく黙っていた。
そして、小さく笑う。
「だから北海道戦で勝った時。」
「皆さん、あんなに泣いていたんですね。」
男性は照れくさそうに笑った。
「ああ。」
「北海道に勝ったから泣いたんじゃない。」
「信じ続けた時間が。」
「間違ってなかったって証明されたからだ。」
窓の外には、夕暮れに染まるエストレヤスタジアムが見える。
その景色を眺めながら、青年は改めて思った。
このクラブは、ただ勝ち始めたから愛されているのではない。
苦しい時代も、暗黒時代も、それでも応援をやめなかった人たちがいたからこそ、今のエストレヤ千葉があるのだと。
第165話 束の間の中断期間
その日の夜。
全国スポーツチャンネル。
サッカー専門番組――
**『Jリーグマンスリーレビュー』**
スタジオには司会者と二人の解説者が座っていた。
---
司会者が笑顔で口を開く。
「J2前半戦も終了しました。」
「ここからは代表ウィークに入るため、8月は約1か月リーグ戦が中断します。」
画面にはカレンダーが映し出される。
8月。
Jリーグ公式戦はほとんど組まれていない。
---
解説者が頷く。
「この中断期間は非常に大きいですね。」
「疲労回復。」
「戦術の整理。」
「新加入選手との連係。」
「負傷者の回復。」
「各クラブにとって重要な時間になります。」
---
司会者が順位表を映し出す。
「まずは前半戦終了時点の順位です。」
画面には順位表が表示される。
**1位 北海道フェニックスFC 勝ち点44**
**2位 エストレヤ千葉 勝ち点32**
**3位 岡山セルフィオFC 勝ち点31**
**4位 富山ベイウインズ 勝ち点30**
---
司会者が続ける。
「首位北海道は最終節で初黒星。」
「そして、その相手がエストレヤ千葉でした。」
北海道戦のハイライトが流れる。
森川の同点ゴール。
そして。
戸部の劇的なフリーキック。
---
解説者の一人が映像を見ながら話す。
「千葉にとって、この代表期間はいいタイミングですね。」
「順位は二位。」
「しかも勢いに乗ったまま中断へ入れました。」
---
もう一人の解説者も頷く。
「逆に北海道は、この敗戦をどう修正するか。」
「富山は万条富隆という新戦力をどう組み込むか。」
「各クラブとも、この約1か月で大きく変わる可能性があります。」
---
司会者が最後に締めくくる。
「Jリーグはしばらく代表期間による中断となります。」
「しかし、後半戦開幕と同時に自動昇格争い、優勝争いはさらに激しさを増すでしょう。」
「勢いそのままのエストレヤ千葉か、首位北海道フェニックスFCが突き放すのか。」
「それとも岡山セルフィオFC、富山ベイウインズが逆転するのか。約1か月後の再開が今からとても楽しみです。」
スタジオのモニターには、北海道戦で勝利を喜ぶエストレヤ千葉の選手たちの姿が映し出される。
前半戦は幕を閉じた。
そして、各クラブは後半戦へ向けた、新たな準備期間へと入っていく。
第166話 動き出す補強
Jリーグは代表活動による中断期間へ入った。
しかしエストレヤ千葉のクラブハウスに休みはない。
---
強化部分析室。
夜。
部屋にはモニターが何台も並び、世界各国の試合映像が映し出されている。
コーヒーの香りが漂う中、比企谷八幡は一つの映像を見つめていた。
画面に映るのはJ3。
一人のGKが、安定したセービングを何度も見せている。
八幡は映像を止めた。
「……決まりだ。」
そのままスマートフォンを手に取り、佐藤智成へ電話をかける。
「一人目お願いします。」
佐藤はすぐに答えた。
「誰だ?」
「古賀悠斗、28歳右利き。J3で最も安定しているGKの一人です。」
---
翌日。
交渉は驚くほどスムーズに進んだ。
クラブの評価。
本人の挑戦したいという意思。
すべてが一致した。
数日後。
古賀はエストレヤ千葉トレーニングセンターを訪れる。
「古賀悠斗です。よろしくお願いします。」
八幡は笑顔で握手を交わした。
「ようこそエストレヤ千葉へ。」
---
### 古賀悠斗
**28歳 5月25日生まれ**
**右利き**
**GK**
J3で長年プレーしてきた守護神。
派手なスーパーセーブよりも、
安定したキャッチング。
的確なポジショニング。
ミスの少ないプレーを最大の武器とする。
足元の技術も高く、ビルドアップにも対応可能。
堅実さを評価され、八幡が獲得を決断した。
---
しかし八幡の補強は終わらない。
分析室のモニターには、今度はJ1の試合が映し出されていた。
ベンチに座る一人の若いDF。
「……やっぱり使われていない。」
八幡は資料をめくる。
名前。
**坂本湊。**
21歳。
右利き。
今シーズンはJ1クラブで出場機会に恵まれていない。
だが映像を見れば分かる。
読み。
ポジショニング。
カバーリング。
一対一で飛び込まない守備。
どれも高水準だった。
八幡は静かに呟く。
「埋もれているだけだ。」
---
その日のうちに代理人へ連絡。
翌日には本人とのオンライン面談が行われた。
画面越しの坂本は、真っ直ぐ八幡を見る。
「試合に出たいです。」
「もう一度、自分を証明したい。」
八幡は頷いた。
「千葉ならあなたの良さを生かせます。」
「クレバーな守備ができるCBを探していました。」
坂本の表情が少し和らぐ。
「よろしくお願いします。」
---
数日後。
交渉成立。
坂本湊もエストレヤ千葉への完全移籍が決定した。
---
### 坂本湊
**21歳 9月12日生まれ**
**右利き**
**DF**
J1クラブ所属。
今シーズンは監督交代などの影響もあり出場機会に恵まれなかった。
しかし、
相手の動きを読む力。
冷静なポジショニング。
無駄に飛び込まないクレバーな守備。
そして足元の技術は高く評価されている。
将来性も十分であり、八幡が「今のうちに獲得すべき」と判断した選手だった。
---
二人の契約書にサインが入る。
竹内GMは書類を閉じ、笑みを浮かべる。
「中断期間に二人。」
「いい補強だ。」
佐藤智成も満足そうに頷く。
「後半戦へ向けて着実に戦力が整ってきたな。」
分析室へ戻った八幡は、すでに次の試合映像を再生していた。
八幡の頭の中では、すでに後半戦への戦いが始まっていた。
第167話 揺るがぬ決意
中断期間。
エストレヤ千葉クラブハウス。
強化部長・佐藤智成。
GM・竹内正樹。
そして比企谷八幡。
三人の前には数枚の書類が並べられていた。
そのほとんどが――
**移籍オファー**だった。
---
竹内GMが静かに口を開く。
「やっぱり来たな。」
八幡も頷く。
「前半戦の成績を考えれば当然です、北海道戦で評価がさらに上がりました。」
---
一番上の書類。
宛名。
**森川佑。**
送り主はJ1クラブ。
一通ではない。
二通。
三通。
さらにもう一通。
複数クラブから正式オファーが届いていた。
---
佐藤強化部長が苦笑する。
「さすがに森川は来るか。」
八幡は資料を閉じる。
「北海道戦のプレー、特に最後のドリブルからフリーキックを獲得した場面が高く評価されています。」
---
続いて。
エミリオ・アルバレス。
こちらにもJ1クラブから正式オファー。
---
さらに。
戸塚彩加。
複数クラブが興味を示していた。
守備力。
運動量。
危険察知能力。
若さ。
どれを取っても魅力的な存在だった。
---
最後は戸部翔。
北海道戦の劇的なフリーキック。
その活躍もあり、J1クラブから正式オファーが届いていた。
---
竹内GMが静かに言う。
「隠す必要はない。本人たちには全部伝えよう。」
佐藤も頷く。
「ああ。選ぶのは選手自身だ。」
---
午後。
四人が会議室へ集められる。
森川。
エミリオ。
戸塚。
戸部。
---
佐藤強化部長が最初に口を開く。
「今日は大事な話がある。」
机の上に書類を並べる。
「J1クラブから正式な移籍オファーが届いている。」
四人は静かに書類へ目を向けた。
---
「森川は複数クラブ。」
「エミリオ、一クラブ。」
「戸塚も一クラブ。」
「戸部、一クラブ。」
「クラブとして隠すつもりはない。本人たちに判断してもらう。」
---
部屋が静かになる。
最初に口を開いたのは森川だった。
書類を閉じる。
「断ります。」
即答だった。
---
竹内GMが確認する。
「理由は?」
森川は少し笑った。
「まだこのクラブでやることがあります。」
「J1へ連れて行く。その約束を果たしていません。」
---
次はエミリオ。
迷いなく答える。
「私も断ります。ここへ来た理由は昇格するためです。」
「途中では終われません。」
---
戸塚も笑顔で頷く。
「僕もです。」
「まだ何も成し遂げていません。この仲間たちと最後まで戦いたいです。」
---
最後は戸部。
書類を一度も開かないまま答えた。
「断ります。」
竹内GMが思わず笑う。
「開かないのか?」
戸部も笑った。
「見る必要ありません。」
「今はエストレヤ千葉以外、考えていません。」
---
四人の返事を聞いた八幡は、静かに立ち上がった。
「ありがとうございます。」
短い言葉だった。
しかし、その一言には感謝が込められていた。
---
四人が部屋を出た後。
佐藤強化部長は静かに笑う。
「ありがたいな。」
竹内GMも深く頷いた。
「誰一人迷わなかった。」
---
八幡は窓の外に広がる練習場を見つめる。
「このチームはまだ強くなれます。」
その言葉に、佐藤と竹内も静かに頷いた。
J1からの誘いよりも彼らが選んだのは―エストレヤ千葉で、仲間たちとともにJ1昇格を目指す未来だった。
第168話 新たな背番号
中断期間。
エストレヤ千葉クラブハウス。
新加入した二人は、契約手続きを終え、ユニフォームルームへ案内されていた。
そこには佐藤智成強化部長、竹内正樹GM、そして比企谷八幡の姿もある。
---
ユニフォーム担当スタッフが二人の前に立つ。
「背番号ですが、クラブで決定しました。」
古賀と坂本が静かに頷く。
---
スタッフが最初のユニフォームを広げた。
青を基調としたユニフォーム。
背中には、大きく数字が入っている。
**15**
そして名前。
**KOGA**
---
「古賀選手。」
「背番号15です。」
古賀はユニフォームを受け取る。
数字をじっと見つめたあと、小さく笑った。
「ありがとうございます。」
「この番号を、自分の番号にします。」
---
続いて、もう一枚のユニフォームが広げられる。
背中には、
**2**
そして。
**SAKAMOTO**
---
「坂本選手。」
「背番号2になります。」
坂本は少し驚いた表情を見せた。
「2番……。」
エストレヤ千葉では、夏の移籍で空いた番号だった。
「責任のある番号ですね。」
竹内GMが微笑む。
「期待している。」
「だから、この番号を託した。」
---
坂本はユニフォームを両手で受け取り、深く頭を下げる。
「期待に応えられるよう、全力を尽くします。」
---
八幡は二人を見ながら静かに口を開く。
「背番号は。」
「過去を背負うものではありません。」
二人が顔を上げる。
「これから。」
「自分たちで価値を作ってください。」
短い言葉だった。
しかし、その一言には強い信頼が込められていた。
---
古賀は15番の胸を軽く叩く。
「必ず。」
「チームの力になります。」
坂本も2番のエンブレムへ視線を落とす。
「この番号が似合う選手になってみせます。」
---
新たな背番号をまとった二人。
エストレヤ千葉の後半戦は、新しい戦力とともに静かに動き始めていた。
第169話 補強会議
代表活動による中断期間。
エストレヤ千葉トレーニングセンター。
分析室に隣接する会議室。
テーブルには資料が並べられ、大型モニターには現在のトップチームの選手一覧が映し出されていた。
集まっているのは、
社長・鈴木一朗太。
強化部長・佐藤智成。
GM・竹内正樹。
監督・マルコ・ベッルーニ。
ヘッドコーチ・中村敏三郎。
GKコーチ・田島雍也。
フィジカルコーチ・ルイス・マルティネス。
セットプレーコーチ・山本恭三郎。
そして、比企谷八幡。
---
佐藤が会議を始める。
「古賀。」
「坂本。」
「二人の補強は終わった。」
「だが。」
「補強期間はまだ終わっていない。」
「現時点で戦力を確認しよう。」
全員が頷く。
---
八幡がモニターを切り替えた。
現在のトップチームの登録一覧。
そして、夏にチームを離れた選手が赤字で表示される。
**完全移籍**
背番号2。
背番号3・万条富隆。
背番号8。
背番号9・鈴木太郎。
背番号13。
背番号15。
背番号27。
背番号28。
背番号29。
**育成型期限付き移籍**
背番号30。
---
八幡が静かに話し始める。
「まずGKです。」
「古賀加入により。」
「人数、経験ともに問題ありません。」
田島GKコーチが頷く。
「郷田が戻れば。」
「さらに安定する。」
---
「DF。」
「坂本加入で。」
「センターバックの層は維持できました。」
ベッルーニ監督も資料を見ながら頷く。
「鬼塚も復帰した。」
「現状、大きな問題はない。」
---
八幡は次のページへ進める。
「中盤。」
「万条は抜けましたが。」
「現時点では人数も質も足りています。」
中村ヘッドコーチが口を開く。
「戸部。」
「ダニエル。」
「森川。」
「エミリオ。」
「戸塚。」
「川崎。」
「後半戦も十分戦える。」
---
部屋が静かになる。
八幡は最後のページを表示した。
FW。
佐藤も腕を組む。
「……やはり。」
竹内GMも小さく頷く。
「ここか。」
---
八幡は資料を見ながら説明する。
「鈴木太郎が移籍。」
「背番号13。」
「背番号15。」
「背番号28。」
「四人が抜けています。」
「人数は減りました。」
---
ベッルーニ監督はゆっくり頷く。
「材木座が中心なのは変わらない。」
「だが。」
「長い後半戦を考えると。」
「負担は確実に増える。」
---
佐藤が八幡を見る。
「どう考えている?」
八幡は少し考えてから答えた。
「まだ補強期間は残っています。」
「ですから。」
「今日ここで結論は出しません。」
「まずは。」
「現有戦力で不足しているポジションを全員で洗い出したいと思います。」
竹内GMが笑う。
「焦って獲るより。」
「必要な選手だけを獲る。」
「今まで通りだな。」
八幡も静かに頷いた。
「はい。」
「後半戦を戦い抜くために。」
「本当に必要な補強だけを行います。」
会議室の空気が引き締まる。
古賀と坂本の加入で補強は始まった。
しかし、それはまだ序章に過ぎない。
エストレヤ千葉の夏は、これからが本番だった。
## 第170話 中盤の不安要素
会議は続く。
大型モニターには、中盤の選手一覧が映し出されていた。
八幡はレーザーポインターを手に取る。
「次は中盤です。」
画面には現在の主力が表示される。
**DMF**
・背番号18 戸塚彩加
・背番号7 エミリオ・アルバレス
---
**RSH**
・背番号19 川崎大志
---
**LSH**
・背番号10 森川佑
---
**OMF**
・背番号14 ダニエル・ロドリゲス
---
控え。
・背番号20 戸部翔
・背番号17 佐久間浩二
・背番号22 中田正和
---
八幡は静かに口を開く。
「現時点では。」
「中盤の戦力は足りています。」
「試合を戦うだけなら問題ありません。」
首脳陣も頷く。
しかし。
八幡は言葉を続けた。
「ですが。」
「不安要素もあります。」
部屋が静かになる。
---
八幡はモニターの二か所を指した。
**DMF**
**LSH**
「この二つです。」
---
ベッルーニ監督も腕を組む。
「同じ意見だ。」
---
八幡は説明を続ける。
「DMF。」
「戸塚。」
「エミリオ。」
「二人とも代えの利かない選手です。」
「どちらか一人でも長期離脱した場合。」
「チーム全体のバランスが崩れる可能性があります。」
---
佐藤が資料を見ながら頷く。
「確かに。」
「戸塚の守備範囲。」
「エミリオのゲームメーク。」
「簡単には代えられない。」
---
八幡はさらに続ける。
「左サイドハーフも同じです。」
モニターには森川の名前だけが映る。
「森川は経験。」
「判断力。」
「試合を読む力。」
「全てが高い。」
「ですが。」
「20代後半です。」
「連戦が続けば。」
「疲労は避けられません。」
---
中村ヘッドコーチが口を開く。
「森川が休む試合。」
「誰を入れるか。」
「そこは今後の課題だな。」
---
竹内GMが八幡を見る。
「補強対象になるか?」
八幡は少し考えた。
「現時点では。」
「最優先ではありません。」
「ただ。」
「市場に条件の合う選手が出た場合は。」
「すぐ動けるよう準備します。」
---
佐藤は静かに頷いた。
「つまり。」
「中盤は戦える。」
「しかし。」
「DMFと左サイドハーフは。」
「何かあった時が怖い。」
「そういう理解でいいな。」
「はい。」
八幡は迷わず答える。
「現状、一番の不安は層の薄さです。」
---
会議室は再び静かになる。
首脳陣全員が同じページを見つめていた。
前半戦を戦い抜いた中盤。
だが。
優勝、そしてJ1昇格を目指すには、最後まで戦い抜けるだけの層が必要だった。
補強リストには、新たに二つの文字が書き加えられる。
**DMF**
**LSH**
後半戦へ向けた補強候補は、少しずつ絞られ始めていた。
第171話 現実という壁
会議室は静かな空気に包まれていた。
モニターには補強候補ポジションが表示されたまま。
**CF**
**DMF**
**LSH**
八幡は資料を閉じる。
「補強したいポジションは、この三つです。」
「ですが。」
「問題があります。」
---
社長の鈴木一朗太が口を開く。
「予算だな。」
八幡は頷いた。
「はい。」
---
竹内GMが現在の資料を確認する。
「今夏は。」
「古賀。」
「坂本。」
「二人を獲得した。」
「移籍金や契約金を考えると。」
「無制限に補強できる状況ではない。」
---
佐藤強化部長も続ける。
「クラブ経営は順調だ。」
「だが。」
「まだJ2クラブ。」
「J1のような補強費は使えない。」
---
八幡はモニターを切り替える。
補強候補一覧。
その横には金額が並ぶ。
移籍金。
年俸。
代理人手数料。
「能力だけなら。」
「欲しい選手はいます。」
「ですが。」
「金額が現実的ではありません。」
---
ベッルーニ監督も苦笑する。
「高い選手は。」
「どのクラブも欲しがる。」
「当然だな。」
---
八幡は静かに頷く。
「ですので。」
「今回も。」
「市場価値ではなく。」
「将来性。」
「出場機会。」
「契約状況。」
「これらを重視します。」
---
竹内GMが笑う。
「八幡らしい。」
「安く。」
「いい選手を見つける。」
「今まで通りだな。」
---
八幡も小さく笑う。
「高い選手を獲るのは簡単です。」
「ですが。」
「それでは長続きしません。」
---
「できる限り。」
「安く。」
「それでいて。」
「チームに合う選手。」
「そこを狙います。」
---
佐藤強化部長が社長を見る。
鈴木一朗太は静かに頷いた。
「必要な補強には投資する。」
「だが。」
「無理な補強はしない。」
「クラブの未来を考えれば。」
「それが一番だ。」
---
会議室にいる全員が頷く。
エストレヤ千葉は、勢いだけでここまで来たわけではない。
限られた予算。
限られた戦力。
その中で最大限の成果を出してきた。
だからこそこの夏も同じだった。
**"安く、しかし確実に戦力となる選手。"**
その条件に合う選手を探すため、八幡たちは再び日本中、そして世界中の映像へ目を向け始めた。
## 第172話 眠らない分析室
その日の夜。
エストレヤ千葉トレーニングセンター。
分析室。
クラブハウスの照明が次々と消えていく中、この部屋だけは明るかった。
モニターには、世界地図。
各国のリーグ名が一覧で表示されている。
---
八幡はコーヒーを一口飲む。
マウスを操作した。
最初に映し出されたのは――
**J1リーグ。**
試合映像を何試合も高速で確認していく。
気になる選手がいれば止める。
プレーを繰り返し見る。
メモを取る。
また映像を進める。
その繰り返しだった。
---
次はJ2。
順位に関係なく全クラブを確認する。
さらにJ3。
地域リーグ。
大学サッカー。
ユース年代。
「今すぐ戦力になる選手。」
「二年後に主力になる選手。」
八幡は別々のリストへ振り分けていく。
---
しかし。
それで終わりではない。
画面は海外へ切り替わる。
---
**ブラジル。**
セリエA。
セリエB。
州リーグ。
若手選手を中心に確認する。
---
続いて。
**アルゼンチン。**
トップリーグ。
リザーブリーグ。
U-20。
---
**スペイン。**
ラ・リーガ。
セグンダ。
プリメーラRFEF。
---
**イタリア。**
セリエA。
セリエB。
プリマヴェーラ。
---
**フランス。**
リーグ・アン。
リーグ・ドゥ。
---
**オランダ。**
エールディビジ。
エールステ・ディビジ。
---
八幡は国ごとにチェックリストを開く。
「契約年数。」
「出場時間。」
「年齢。」
「移籍金。」
「年俸。」
「代理人。」
「性格。」
「家族構成。」
「語学。」
サッカーだけではない。
日本で生活できるか。
エストレヤ千葉に合う人間か。
そこまで確認していく。
---
時計を見る。
午後十一時。
分析室の扉が開く。
佐藤智成だった。
「まだ帰らないのか。」
八幡はモニターから目を離さない。
「もう少しです。」
佐藤は苦笑した。
「その"もう少し"が毎回長い。」
---
モニターにはブラジル人のセンターフォワード。
次の画面にはスペイン人の左サイドハーフ。
さらにオランダ人の守備的MF。
国籍も年齢も様々だった。
---
佐藤は部屋を見回す。
ホワイトボードには選手名が何十人も書かれている。
その横には、
**獲得可能**
**レンタル可能**
**将来性あり**
**継続調査**
細かく分類されていた。
---
「全部見るつもりか?」
八幡は短く答える。
「はい。」
「一人でも。」
「千葉に合う選手を見逃したくありません。」
---
佐藤は少し笑う。
「だから。」
「海外クラブからも声が掛かるんだろうな。」
八幡は首を横に振る。
「今は。」
「エストレヤ千葉だけです。」
その言葉に、佐藤は満足そうに頷いた。
「頼んだぞ。」
「はい。」
---
佐藤が部屋を出る。
静かになった分析室。
再び映像が流れ始める。
ブラジル。
スペイン。
イタリア。
フランス。
オランダ。
そして日本。
八幡の視線は、一瞬たりとも画面から離れなかった。
エストレヤ千葉の未来を変える一人を見つけるため、"クラブの心臓"と呼ばれる分析室の明かりは、その夜も朝まで消えることはなかった。
## 第173話 誰にも知られなかった男
分析室。
深夜一時。
部屋にはキーボードを打つ音だけが響いていた。
八幡はオランダ2部の試合を見終えると、映像を止める。
画面には、一人の日本人選手。
左サイドで淡々とプレーしている。
八幡はゆっくりとプロフィール画面を開いた。
---
### 年齢 26歳
### ポジション 左サイドハーフ
### 利き足 右足
---
「26歳か……。」
若手ではない。
しかし、ベテランと呼ぶにはまだ早い。
八幡は経歴へ目を移す。
その瞬間。
思わず声が漏れた。
「……何だ、こいつ。」
---
高校時代。
全国大会出場――なし。
年代別日本代表――なし。
有名高校――なし。
Jクラブからのオファー――なし。
ユース代表歴――なし。
大学推薦――なし。
どこを見ても目立つ実績は存在しない。
完全な無名選手だった。
---
「高校卒業後……。」
八幡はスクロールする。
「オランダへ渡航。」
その一文で手が止まる。
「……自分で?」
詳細を読む。
代理人はいない。
海外クラブからのオファーもない。
現地に知人もいない。
十八歳。
たった一人で日本を飛び出した。
---
「行動力だけは、とんでもないな。」
八幡はさらに読み進める。
オランダ到着。
トライアル。
不合格。
別クラブ。
また不合格。
さらに別クラブ。
また不合格。
それでも日本へ帰らなかった。
何度も挑戦を繰り返し、ようやく契約を勝ち取ったのは――
オランダ3部クラブだった。
---
「ここから始まったのか。」
映像を切り替える。
三部時代。
ベンチ。
途中出場。
時にはメンバー外。
それでも腐らない。
一年。
二年。
少しずつ出場時間を増やしていく。
やがて主力となり、別クラブへ移籍。
さらに結果を積み重ね――
現在。
オランダ2部。
---
「面白い。」
八幡は試合映像を再生した。
左サイドでボールを受ける。
相手右SBと向き合う。
縦へは行かない。
一度止まり、右足へ持ち替える。
中央へ切れ込む。
相手ボランチが引き寄せられた瞬間、左SBが外を駆け上がる。
タイミングを合わせてパス。
クロス。
決定機。
---
別の場面。
カウンター。
左サイドを全力で駆け上がる。
ボールを受ける。
縦を見せる。
相手DFが構えた瞬間。
右足で中へ。
ペナルティーエリア手前からシュート。
惜しくもGKが弾いた。
---
「右利きの左サイドハーフ……。」
八幡は小さく呟く。
「森川とは違う。」
森川は経験と判断力で試合を支配するタイプ。
この男は、
内側へ入り、
周囲を生かし、
自らもフィニッシュへ絡むタイプだった。
---
そして。
八幡の視線は守備へ向く。
攻撃が終わる。
普通なら戻りが遅れる場面。
しかし、この選手は違った。
全力で戻る。
相手右SBを追い続ける。
自陣深く。
スライディング。
ボールだけを奪う。
すぐに立ち上がり、味方へつなぐ。
---
八幡は映像を止めた。
「……守備をサボらない。」
さらに別の試合。
また戻る。
さらに別の試合。
また走る。
九十分間。
運動量が落ちない。
---
分析室の扉が開く。
ベッルーニ監督だった。
「まだ帰らないのか。」
「もう少しです。」
監督は八幡の隣へ立つ。
「今度は誰だ?」
「オランダ2部です。」
「外国人か?」
「日本人です。」
ベッルーニ監督は少し驚く。
「日本人?」
「はい。」
「二十六歳。」
「右利きの左サイドハーフです。」
監督は映像を見る。
しばらく無言だった。
「経歴は?」
「高校時代は完全に無名です。」
「代表歴。」
「ありません。」
「Jリーグ経験。」
「ありません。」
「大学。」
「進学していません。」
「じゃあ、どうやってオランダへ?」
「自分で渡りました。」
監督は八幡を見る。
「自分で?」
「はい。」
「誰にも呼ばれず、一人で。」
部屋が静かになる。
ベッルーニ監督は再び映像へ目を向けた。
「……私は、こういう経歴は好きだ。」
八幡も頷く。
「俺もです。」
「君が見つける選手は、いつも普通じゃないな。」
「たまたまです。」
「そういうことにしておこう。」
二人は小さく笑った。
---
「獲るのか?」
監督の問いに、八幡は首を横へ振る。
「まだ決めません。」
「三部時代も含めて全部見ます。」
「長所だけじゃなく。」
「弱点も確認します。」
「即戦力として、本当に計算できるか。」
「そこまで見てから判断します。」
ベッルーニ監督は満足そうに頷いた。
「それでいい。」
---
監督が部屋を出たあとも。
分析室の明かりは消えない。
八幡は候補リストを開き、その日本人選手の名前の横に一行だけ入力した。
**『重点調査対象』**
それだけを書き込み、再びオランダ3部時代の試合映像を再生した。
## 第174話 数字では測れない価値
分析室。
静寂が流れる。
ホワイトボードには、先ほど八幡が書いた評価が残っていた。
---
**技術 ○**
**パス精度 ○**
**クロス精度 ○**
**シュート精度 ○**
**運動量 ○**
**視野 明確な制約あり**
**重点調査対象**
---
誰も口を開かない。
最初に沈黙を破ったのは、強化部長・佐藤智成だった。
「つまり。」
「数字だけじゃ、この選手は評価できないってことか。」
「はい。」
八幡は迷いなく答えた。
「むしろ。」
「数字だけ見たら、評価を間違えます。」
---
竹内GMが資料を手に取る。
「アシスト数。」
「チャンスクリエイト。」
「パス成功率。」
「どれも悪くない。」
「それでも。」
「もっとできる場面がある。」
「そういうことだな。」
「そうです。」
八幡は映像を止めたまま答える。
「本来なら決定機になる選択肢を、一つ失っている場面があります。」
「それが視野の制約によるものです。」
---
マルコは腕を組んだ。
「逆に言えば。」
「その弱点をチームで補えれば。」
八幡は頷く。
「武器だけを最大限発揮できます。」
---
「ただ。」
八幡は続ける。
「一つ、気になることがあります。」
三人の視線が集まる。
「この選手。」
「八年間。」
「オランダにいます。」
「その間、一度も日本へ戻っていません。」
竹内が驚く。
「一度もか?」
「はい。」
「少なくとも経歴上は。」
---
佐藤は資料を見返す。
「家族は?」
「日本です。」
「……。」
「友人も。」
「ほとんど日本。」
「なのに。」
「帰国せず。」
「八年間。」
「オランダだけでプレーしています。」
---
マルコは静かに呟く。
「相当な覚悟だな。」
「ええ。」
八幡も同意した。
「普通なら。」
「どこかで心が折れます。」
「三部。」
「ベンチ。」
「メンバー外。」
「契約満了。」
「そういう経験もしています。」
「それでも。」
「辞めていません。」
---
佐藤が笑う。
「精神力だけなら。」
「満点だな。」
「そこは高く評価しています。」
八幡は即答した。
「サッカーは技術だけでは続けられません。」
「特に海外では。」
---
部屋に再び静寂が流れる。
その時だった。
八幡は画面を切り替えた。
オランダリーグ公式サイト。
契約情報。
年齢。
市場価値。
そして契約期間。
八幡の目が止まる。
「……。」
竹内が気付く。
「どうした?」
八幡は画面を拡大した。
「契約。」
「今年までです。」
部屋の空気が変わる。
佐藤が前のめりになる。
「本当か?」
「はい。」
「契約満了まで。」
「あと半年。」
---
マルコは静かに笑った。
「なるほど。」
「だから調べていたのか。」
八幡は首を横に振る。
「いえ。」
「これは今、初めて確認しました。」
「ですが。」
「状況は変わります。」
---
竹内GMが資料を閉じる。
「契約満了なら。」
「移籍金は抑えられる可能性がある。」
「そうですね。」
八幡は頷く。
「今の千葉でも。」
「現実的な交渉ができる可能性があります。」
---
佐藤が尋ねる。
「次は?」
八幡は迷わず答えた。
「本人です。」
「映像だけでは分からないことがあります。」
「性格。」
「考え方。」
「日本へ戻る意思。」
「そして。」
「自分の弱点を、本人がどこまで理解しているのか。」
---
マルコは立ち上がった。
「話を聞こう。」
「映像は十分見た。」
「今度は。」
「人間を見る番だ。」
八幡は静かに頷いた。
「はい。」
分析室のモニターには、オランダの夜空の下でプレーする一人の日本人選手が映し出されていた。
エストレヤ千葉の補強候補は、映像だけの評価から、一歩先の段階へ進もうとしていた。
## 第175話 一人、オランダへ
三日後。
早朝。
羽田空港。
まだ朝日が昇り始めたばかりのロビーを、一人の青年が歩いていた。
比企谷八幡。
手には、小さなキャリーケースが一つ。
肩にはノートパソコンが入ったバッグ。
それだけだった。
---
佐藤智成と竹内正樹が見送りに来ていた。
佐藤が苦笑する。
「本当に一人で行くのか。」
「はい。」
八幡は短く答える。
「現地スカウトは?」
「手配してあります。」
「空港で合流します。」
竹内が腕を組む。
「オンライン面談じゃ駄目なのか?」
八幡は首を横に振った。
「映像では分からないことがあります。」
「実際に。」
「目で見て。」
「話を聞きたい。」
---
佐藤は小さく笑う。
「相変わらずだな。」
「自分で確認しないと納得しない。」
「性分なので。」
八幡も少しだけ笑った。
---
「オランダへ行く目的は一つです。」
「獲得するためじゃありません。」
「評価するためです。」
---
竹内が頷く。
「それでいい。」
「焦って契約する必要はない。」
「見て。」
「話して。」
「必要なら断って帰ってこい。」
「はい。」
---
搭乗案内が流れる。
八幡は二人へ一礼した。
「行ってきます。」
「気を付けてな。」
「頼んだ。」
---
数十分後。
飛行機は滑走路を走り始める。
窓の外。
東京の街並みが少しずつ小さくなっていく。
八幡はタブレットを開いた。
画面には例の日本人選手の資料。
年齢。
経歴。
試合映像。
分析結果。
そして最後に書き加えた文字。
**『直接面談を希望』**
---
八幡は資料を閉じ、窓の外を見つめた。
「高校卒業後。」
「一人でオランダへ。」
「八年間。」
「帰国せず。」
「三部から二部まで這い上がった。」
小さく呟く。
「どんな人間なんだ。」
---
十数時間後。
飛行機はオランダへ到着した。
入国審査を終え、到着ロビーへ向かう。
そこには一人の男性が待っていた。
「ミスター・ヒキガヤ。」
流暢な英語だった。
四十代ほどの男性が笑顔で手を差し出す。
「初めまして。」
「私はエストレヤ千葉が契約しているオランダ担当スカウト。」
「ペーター・ファン・デル・メールです。」
八幡も握手を返す。
「比企谷八幡です。」
「今回はよろしくお願いします。」
「こちらこそ。」
ペーターは笑顔で頷いた。
「早速ですが。」
「今日、その選手のクラブで練習があります。」
「見学できるよう手配しています。」
八幡の表情が少し引き締まる。
「ありがとうございます。」
「それと。」
ペーターが資料を差し出した。
「本人にも。」
「エストレヤ千葉の分析官が日本から来ていることだけは伝えてあります。」
八幡は資料を受け取りながら尋ねる。
「反応は?」
ペーターは少し笑った。
「驚いていました。」
「『日本から、わざわざ自分を見に来る人がいるんですか?』と。」
八幡は何も言わず、小さく頷いた。
ここからは映像ではない。
数字でもない。
実際に会い、話し、プレーを見て、その人間を知る。
エストレヤ千葉の未来を左右するかもしれない視察が、オランダの地で始まろうとしていた。
第176話 見つけた男
オランダ。
午後。
クラブのトレーニング施設。
青々とした天然芝のグラウンドでは、すでに練習が始まっていた。
八幡はペーターと並び、静かにグラウンドを見つめる。
「今日の練習は通常メニューです。」
「全員参加しています。」
「ありがとうございます。」
八幡は短く返事をすると、選手たちへ視線を向けた。
一人。
また一人。
顔と資料を照らし合わせていく。
その時だった。
「……。」
八幡の視線が止まる。
左サイド。
蛍光色のビブスを着た一人の日本人選手。
右足で丁寧にボールを止める。
ワンタッチ。
ツータッチ。
テンポ良くパスをつなぐ。
派手なプレーはしない。
だが、ボールが渡るたびにリズムが生まれていた。
八幡は静かに呟く。
「いた。」
ペーターが隣で頷く。
「あれが。」
「塩川康文です。」
---
### 塩川康文
26歳。
右利き。
左サイドハーフ。
高校卒業後、単身オランダへ渡り、3部から這い上がった日本人。
現在はオランダ2部でプレーしている。
---
八幡は何も言わず、塩川だけを見続ける。
ウォーミングアップ。
パス回し。
ポゼッション。
すべての動きを目で追う。
「試合だけじゃなく。」
「練習も見るんですね。」
ペーターが尋ねる。
「もちろんです。」
八幡は答えた。
「試合では見えないものがあります。」
---
塩川は味方に笑顔で何かを話していた。
オランダ語だった。
味方も笑い返す。
八幡はその様子を見ながら小さく呟く。
「溶け込んでるな……。」
八年間。
異国で生活してきた時間は伊達ではない。
自然にチームの輪へ入っている。
---
ボール回しが始まる。
塩川は常に周囲を確認しながら動く。
何度も首を振る。
ボールを受ける前。
受けた後。
味方へ渡した後。
試合映像で見た以上に、首を振る回数が多い。
八幡は心の中で頷いた。
(やっぱりそうか。)
(試合だけじゃない。)
(普段から意識している。)
---
次のメニュー。
狭いエリアでのミニゲーム。
塩川はボールを失う。
その瞬間だった。
誰よりも速く切り替えた。
全力で戻る。
相手へ身体を寄せる。
コースを限定する。
味方が奪う。
塩川はすぐに攻撃へ参加した。
八幡は思わず目を細める。
「守備の切り替えが速い……。」
ペーターが笑う。
「監督から一番評価されているのが、そこです。」
「攻守の切り替えですね。」
「はい。」
「派手ではありませんが、九十分間ほとんどサボりません。」
---
八幡はメモ帳を開いた。
そこへ一行だけ書き込む。
**『練習でも攻守の切り替えが非常に速い。試合だけの特徴ではない。』**
そして再び顔を上げる。
視線の先では、塩川康文が汗を流しながら、黙々とボールを追い続けていた。
映像では伝わらなかったものがある。
練習だからこそ分かるものがある。
八幡はまだ声を掛けない。
まずは最後まで見る。
それが、自分のスカウトとしての流儀だった。
## 第177話 映像では見えないもの
練習は続く。
八幡はメモを取りながら、一切目を離さない。
ボールを持っている時だけではない。
持っていない時。
そこを見ていた。
---
塩川は歩かない。
ボールが反対サイドにあっても。
数メートルずつ立ち位置を修正する。
味方のパスコースを作る。
守備では。
相手ボランチへのコースを消す。
攻撃になれば。
すぐに幅を取る。
八幡は小さく頷く。
(サボらない。)
---
今度は11対11。
実戦形式。
監督の笛が鳴る。
試合開始。
塩川は左サイドへ開いた。
---
味方CBからパス。
ファーストタッチ。
内側へ持ち込む。
相手が寄せる。
その瞬間。
左SBがオーバーラップ。
昨日まで何度も見た形だった。
ワンタッチ。
左SBへ預ける。
自分はペナルティーエリアへ走る。
クロス。
惜しくもGKがキャッチした。
---
八幡はメモを書く。
**『連携は非常に良い。』
『タイミングが正確。』**
---
十分後。
今度は守備。
相手が右サイドから攻める。
塩川は一気に戻る。
左SBの内側へ入り、中央へのコースを消す。
相手は外へ逃げる。
その瞬間。
左SBがボールを奪った。
「……。」
八幡はまたメモを書く。
**『守備理解度が高い。』**
---
その時だった。
塩川が一度だけ。
プレーを止めた。
右サイド。
完全にフリーの選手がいた。
気付くのが一瞬遅れる。
味方が声を掛ける。
「ヤス!」
塩川が振り向く。
すぐに対応した。
八幡はその場面だけを何度も頭の中で整理する。
(やっぱり。)
(昨日見た映像と同じだ。)
---
しかし。
次の瞬間。
塩川は自分から首を振る。
一回。
二回。
三回。
ボールが来る前に周囲を確認する。
そして。
次のプレーでは迷わない。
「……工夫してる。」
八幡は静かに呟いた。
「自分の弱点を知ってる。」
---
練習終了。
監督が笛を吹く。
選手たちは笑顔で水を飲み始める。
塩川も仲間たちと談笑していた。
冗談を言われて笑う。
肩を叩かれる。
自然だった。
ペーターが隣で話す。
「彼は。」
「このクラブでも人望があります。」
「真面目で。」
「誰よりも練習する。」
「若手の面倒もよく見ます。」
八幡は黙って聞いていた。
「練習が終わった後も。」
「毎日一時間くらい自主練しています。」
「誰かに言われたわけじゃありません。」
「自分から。」
---
八幡は静かに息を吐く。
「なるほど。」
「映像だけでは分からないですね。」
「そうでしょう?」
ペーターが笑う。
「だから私は。」
「現地へ来るスカウトを信用しています。」
---
塩川はタオルで汗を拭きながら、一人でボールを持った。
誰もいない左サイド。
コーンを置き。
ドリブル。
切り返し。
クロス。
またドリブル。
またクロス。
同じ動きを何度も繰り返す。
八幡は腕時計を見る。
練習は終わっている。
それでも。
塩川だけは続けていた。
「……。」
八幡は静かに立ち上がる。
「どうします?」
ペーターが尋ねる。
八幡は塩川を見つめたまま答えた。
「もう少し。」
「近くで見ます。」
まだ声は掛けない。
プレーが終わるまで待つ。
それが、比企谷八幡の流儀だった。
## 第178話 スパイクを履く理由
夕暮れ。
オランダの空はゆっくりと茜色へ染まり始めていた。
練習はすでに終わっている。
チームメイトたちは次々とクラブハウスへ戻り、グラウンドには一人だけ残っていた。
塩川康文。
ボールを並べ、一人でドリブルを繰り返している。
右足で切り込む。
切り返す。
また切り返す。
しかし。
数歩進むと止める。
首を傾げる。
「……違うな。」
誰かを相手にしたい。
そんな表情だった。
---
少し離れた場所で見ていた八幡が、ペーターへ声を掛ける。
「少し待っていてください。」
「え?」
「五分ほど。」
そう言うと、八幡はクラブハウスの中へ入っていった。
---
数分後。
再び姿を現した八幡は、スーツ姿ではなかった。
黒い練習着。
サッカースパイク。
手にはボールが一つ。
ペーターは目を丸くする。
「まさか……。」
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八幡は塩川へ近づいた。
「こんばんは。」
塩川が振り返る。
「あっ。」
「日本の方ですよね?」
「はい。」
「エストレヤ千葉の比企谷です。」
塩川は軽く頭を下げた。
「塩川です。」
「今日、見学に来られていた……。」
「ええ。」
八幡はボールを足元へ置く。
「ドリブル練習ですよね。」
塩川は苦笑した。
「そうなんです。」
「一対一をやりたいんですけど……。」
グラウンドを見回す。
もう誰もいない。
「みんな帰っちゃいました。」
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八幡はスパイクの紐を締め直した。
「なら。」
「俺が相手します。」
塩川は目を丸くする。
「えっ?」
「本気ですか?」
「はい。」
「実戦に近い方がいいでしょう。」
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塩川は少し困ったように笑う。
「でも……。」
「大丈夫なんですか?」
「ケガしたら。」
「困る立場じゃ……。」
八幡も笑った。
「心配ありがとうございます。」
「一応。」
「大学まではサッカーをやっていました。」
塩川が驚く。
「そうなんですか?」
「はい。」
「高校も。」
「一応、全国大会には出ています。」
「えっ?」
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八幡は淡々と続けた。
「高校時代のチームメイトは。」
「材木座義輝。」
「葉山隼人。」
「戸部翔。」
「戸塚彩加。」
「今は全員。」
「エストレヤ千葉にいます。」
塩川の目がさらに大きくなる。
「えっ……。」
「全員?」
「はい。」
「偶然ですけど。」
「今はまた同じクラブです。」
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塩川は思わず笑った。
「そんなことってあるんですね。」
「俺も。」
「珍しいと思います。」
八幡は肩をすくめる。
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「じゃあ。」
八幡はボールを転がした。
「始めましょう。」
「遠慮はいりません。」
「本気で来てください。」
塩川は少し迷ったあと、真剣な表情へ変わる。
「……分かりました。」
「お願いします。」
二人は向かい合う。
静かなオランダのグラウンド。
観客はいない。
拍手もない。
あるのは、ボール一つ。
そして。
スカウトと、一人の日本人選手。
八幡は軽く腰を落とした。
「さあ。」
「来い。」
塩川はボールへ視線を落とし、小さく息を吐く。
「お願いします。」
その瞬間。
右足がボールを前へ運んだ。
一対一が始まった。
第179話 分析官の足元
塩川がボールをゆっくり動かす。
右足。
左足。
リズムを変えながら八幡との間合いを測る。
「……。」
八幡は動かない。
腰を低く落とし、相手の重心だけを見ている。
塩川が一気に仕掛けた。
右足で内側へ。
切り返し。
さらに縦。
八幡も素早く身体を入れ替える。
抜けない。
もう一度。
フェイント。
細かいタッチ。
今度は中央へ持ち込もうとする。
しかし。
八幡の右足がコースを消す。
「っ……!」
塩川は無理をせず、ボールを止めた。
「強いですね……。」
八幡は軽く息を吐く。
「まだです。」
「もう一本。」
再び勝負。
塩川は何度も仕掛ける。
右利き特有の鋭いカットイン。
タイミングを変える。
緩急をつける。
それでも。
八幡は簡単には抜かれない。
五本。
六本。
七本。
ようやく塩川が苦笑した。
「いやぁ……。」
「こんなに抜けないとは思いませんでした。」
八幡は額の汗を拭く。
その呼吸は少し荒い。
塩川は気付く。
「スタミナ……。」
「ありません。」
八幡はあっさり認めた。
「現役を離れて長いので。」
「長時間は無理です。」
「でも。」
「一対一はまだ何とか。」
塩川は素直に頷いた。
「十分何とかのレベルじゃないですよ。」
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「攻守交代しましょう。」
八幡がボールを受け取る。
今度は八幡が攻める。
塩川が構える。
「お願いします。」
八幡はゆっくりボールを転がした。
一歩。
二歩。
速度は速くない。
だが。
次の瞬間だった。
鋭い切り返し。
塩川の重心が一瞬ずれる。
その隙を逃さない。
右足アウトサイドで一気に加速。
「速っ!」
塩川が身体を寄せる。
しかし。
もう遅い。
八幡はそのまま横を抜けていった。
数メートル先でボールを止める。
「……。」
塩川は思わず笑った。
「切れ味がすごいですね。」
八幡も苦笑する。
「昔は。」
「これしか取り柄がありませんでした。」
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塩川は興味深そうに尋ねる。
「現役の時。」
「ポジションはどこだったんですか?」
八幡はボールを拾いながら答える。
「FWです。」
「フォワード?」
「はい。」
「高校も大学も。」
「ずっと前でした。」
塩川は驚く。
「だから一対一が……。」
八幡は肩をすくめる。
「一応。」
「年代別日本代表にも選ばれたことがあります。」
「えっ?」
塩川は目を見開いた。
「代表だったんですか?」
「少しだけです。」
「でも。」
「プロには進みませんでした。」
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そのやり取りを少し離れた場所で聞いていたペーターが、不意に表情を変えた。
「……ヒキガヤ。」
八幡が振り向く。
「はい?」
ペーターは腕を組み、何かを思い出そうとしていた。
「総武高校……。」
「年代別代表……。」
「フォワード……。」
しばらく考え込んだ後、目を大きく見開く。
「まさか……。」
「君は。」
「数年前、日本の高校サッカーを視察した時に見た……。」
ペーターは八幡をじっと見つめる。
「"あの比企谷八幡"か?」
八幡は少し困ったように笑うだけだった。
その反応を見たペーターは、小さく息を吐く。
「そうか……。」
「だから選手を見る目が、あれほど鋭いのか。」
グラウンドには夕日が差し込み、静かな時間だけが流れていた。
第180話 消えた天才
オランダの夕暮れ。
練習場には、もう三人しか残っていなかった。
塩川康文。
比企谷八幡。
そしてオランダ担当スカウト、ペーター。
先ほどまで一対一を繰り返していた二人は、ベンチへ腰を下ろし、水を口に含む。
夏とは違う、乾いた風がグラウンドを吹き抜けていった。
しばらく沈黙が続く。
その静けさを破ったのは塩川だった。
「さっき聞いて驚いたんですけど……。」
八幡が顔を上げる。
「何ですか?」
「比企谷さん。」
「年代別日本代表だったんですよね?しかもFW。分析官って聞いていたので、全然想像できなくて。」
八幡は少し困ったように笑った。
「昔の話ですよ。もう七年近く前です。」
すると、隣で黙って聞いていたペーターが静かに口を開いた。
「いや私は思い出した。」
八幡が視線を向ける。
「思い出した?」
「ああ。」
「君を見たことがある、日本で。」
八幡は少し驚いた表情を浮かべた。
「本当ですか?」
ペーターは頷く。
「高校サッカーの視察だった。」
「総武高校背番号10、君だった。」
その言葉に、塩川が思わず八幡を見た。
「えっ……。」
ペーターは懐かしそうに笑う。
「あの頃日本では今ほど話題ではなかったかもしれない。だが、海外スカウトの間では違った。総武高校に、とんでもない10番がいる。そんな話で持ち切りだった。」
八幡は苦笑するだけだった。
塩川は信じられないという表情を浮かべる。
「そんな有名だったんですか……?」
八幡は何も答えない。
代わりにペーターが続けた。
「高校二年の冬に突然現れた。強豪・総武高校背番号10を卒業まで、その番号を誰にも渡さなかった。海外からも、多くのスカウトが視察に来ていた。」
塩川は驚きながら八幡を見る。
「でも……。高校から急に出てきたんですか?」
八幡は少しだけ空を見上げた。
夕日がゆっくり沈み始めている。
「急じゃありません。」
静かな声だった。
「それまで誰にも見つからなかっただけです。」
塩川は首を傾げる。
八幡は少し間を置いて話し始めた。
「小学生の頃からサッカーは好きでした。」
「でもチームには入りませんでした。」
一瞬、言葉を選ぶように目を伏せる。
「……正確には入れませんでした。」
塩川もペーターも黙って耳を傾ける。
「両親は妹には、お金を惜しまなかった。」
「でも俺には違いました。サッカーをやりたいと言っても『お金がない』『また今度。』『必要ないだろ。』そう言われ続けました。」
「だからボール一つだけ持って毎日、公園で一人で練習していました。」
「中学生になっても同じです、クラブチームにも入れず。部活にも入りませんでした。」
「学校が終われば、公園でドリブル、シュート、リフティング、全部一人です。」
塩川は言葉を失った。
自分も苦労はしてきた。
だが、誰にも教わらず、一人だけで続けることがどれほど大変かは想像できた。
八幡は少しだけ笑う。
「ある日でした。」
「いつもの公園で練習していたら一人の女性が見ていました。」
「総武高校サッカー部監督平塚静先生です。」
その名前にペーターも頷く。
「あの監督か。」
「先生は『高校でサッカーをやる気はあるか。』そう声を掛けてくれました。」
「それが全部の始まりです。」
八幡は少し遠くを見るように話す。
「総武高校には特待生として入学しました。」
「学費、寮費、全部学校が出してくれました。」
少し笑う。
「新品のスパイクを履いたのもその時が初めてです。」
「平塚先生が買ってくれました。」
塩川は何も言えなかった。
八幡は静かに続ける。
「高校一年はまだ無名でした。」
「高校二年になって少しずつ試合へ出るようになって。冬に背番号10を任されました。」
「そこから卒業までずっと10番でした。」
ペーターが懐かしそうに頷く。
「年代別日本代表。」
「戸塚彩加。」
「戸部翔。」
「そして。」
「比企谷八幡。」
「三人とも選ばれていた。」
「U-18ワールドカップ。」
「私は現地で見ていた。」
「あの大会で君は世界中のスカウトが注目する存在だった。」
「ヨーロッパ。」
「南米。」
「アジア。」
「何十ものクラブが君をリストアップしていた。」
塩川は思わず息をのむ。
「そんな選手が……。どうしてプロへ行かなかったんですか?」
静かな空気が流れる。
八幡は少しだけ笑った。
その笑顔は、どこか昔を懐かしむようで、少しだけ寂しそうでもあった。
「その話は長くなります。」
そう言うと立ち上がり、足元のボールを拾い上げる。
「今日はあなたを見に来たんです。」
「俺の昔話をするために来たわけじゃありません。」
塩川はそれ以上聞かなかった。
ただ一つだけ、はっきりと分かった。
目の前にいる男は、最初から分析官だったわけではない。
かつて世界中のクラブが獲得を狙い、高校サッカー界を背番号10として駆け抜けた――
**"消えた天才ストライカー"**だった。